源氏物語1…桐壷巻 ・ 帚木巻 ・ 空蝉巻 ・ 夕顔巻

<桐壷巻>
第1回 桐壺巻・見果てぬ夢を見ましょうか


桐壺巻には何が書かれているか
1  主人公の母ー時めく更衣の紹介
2  更衣の家柄
3  主人公の誕生
4  更衣の立場
5  若宮三歳、袴着を行う
6  更衣の死
7  若宮三歳、袴着を行う
8  更衣の葬送
9  帝の悲しみ
10 野分の夕べ、「ゆげい」の命婦の弔問
11 命婦の復命と帝の新たな悲しみ
12 若宮参内、祖母北の方の死
13 若宮のすぐれた才能
14 高麗人の予言、若宮臣籍に下り、源氏の姓を賜る
15 藤壺の女御の入内
16 源氏の君藤壷を慕い、二人ながら帝に寵愛される
17 源氏の君の元服
18 源氏、左大臣の姫君と結婚
19 左右の大臣家の勢力について
20 元服後、源氏の君の動静
21 里邸の修復

純愛のメッセージ
母の見果てぬ夢。夢を継ぐ人生が光源氏の人生。蓬莱宮は里邸の場に生かされ、光源氏の始発点としていることに注意。源氏物語は「在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」。母に似た藤壺はヒロインへの繋ぎ。印象的な桐壺巻の終わり。里邸にて、光源氏の希望。

政治のメッセージ
感傷詩、長恨歌がもたらす天下大乱。安禄山の乱。不気味な高麗人の予言。葵上との政略結婚。左右大臣の対立。源氏物語が長恨歌の続きなら、天下大乱はすでに終わっている。そう思って読むと、不可解な細部がいろいろと符合してくる。先帝。東宮空白時代。そもそも本来、桐壺更衣の入内は、誰も眉をひそめる理不尽な行為ではなかったか。理はむしろ弘徽殿女御側にあったのではないか。

光源氏と釈迦の関係
釈迦は元来天界、兜率天の人。天人五衰。人間界への降臨。王の子。母は摩耶夫人。嵐毘尼園、無憂樹の下。腋の下から生まれる。異様な光。人間界の苦悩。四苦八苦。突然の出家、修行。菩提樹の下での安息そして悟り。仏界の成立。六道輪廻からの解脱、開放。三千世界を照らす光。六道のいきとしいけるものの救済。上坂信男『源氏物語捷径』。「釈迦は成道解脱するために修行を積んで、仏となりました。この過程を『往相』と言いまする成仏した釈迦は、その境地に安住することなく、人間衆生の世界に戻って、まだ解脱出来ない衆生の教化に尽力説法しました。これを『還相』といいます」。光源氏の生涯は「往相」。しかしながら、引いて眺めると「還相」でもある。女人の救済。生きる仏の御国・六条院。天台教学のいう煩悩即菩提の伝で言えば、往相即還相。これが、源氏物語ではないか。光源氏の「光」は、そういう源氏物語の寓意の記号と考えたら如何。

源氏物語の背景、平安時代の天皇
桓武 781〜 806 在位二六年
平城 806 〜809      四年
嵯峨 809〜 823     十五年
淳和 823 〜833     十一年
仁明 833〜 850     十八年   
文徳 850 〜858       九年
清和 856〜 876     二一年
陽成 876〜 884       九年 
光考 884〜 887       四年 
宇多 887〜 897     十一年
醍醐 897〜 930     三四年
朱雀 930〜 945      六年 
村上 945〜 967     二三年
冷泉 967〜 969      三年
円融 969〜 984     十六年
花山 984〜 986      三年
一条 986〜 1011    二六年
光考天皇のところで、皇統が乱れる。光考天皇は仁明天皇の皇子。即位の時は五十五歳。光考天皇皇子の宇多天皇は当時臣籍降下して源氏となっていたが、再度親王となり立太子、そして即位している。

文化の潮流
大陸文化全盛時代から国風文化全盛時代。この意識は梅枝巻に明確にされる。仮名文化。紫式部の目は、前代へ向かう。琴を弾く光源氏。父の夢。漢学者の娘。源氏物語の舞台は、二つの潮流が交錯している処に設定されている。

キーマンの生没年代
源 融(822〜 895)
在原業平(825〜880)
菅原道真(845〜903)
源 高明(924〜982)
源信(942〜1017)
藤原道長(966〜1027)
紫式部(978?〜1014?)

<帚木巻>

第2回 帚木巻・描かずにこんなに描ける

帚木巻の内容
1  光源氏の人柄ー作者の口上
2  内裏の御物忌ー源氏と頭中将の交遊
3  五月雨の一夜ー宿直所での源氏と頭中将
4  雨夜品定めの発端ー頭中将の女性観
5  上中下三階層の女の論
6  左馬頭と藤式部丞論
7  左馬頭の議論ー没落上流階級と成り上がり者、および中流階級の論
8  中流の女の論
9  妻とすべき女を決めがたいこと
10 未婚の若い娘は見栄がよいだけ
11 世話女房も困りもの
12 妻には子供らしい人がいいか
13 左馬頭の結論ー理想の妻は
14 思わせぶりな女の家出騒ぎの例
15 妻たる者の夫の操縦法
16 技芸の道にたとえて女の美徳を説く
17 左馬頭の体験談その1ー指食い女の話
18 左馬頭の体験談その2ー木枯らしの女の話
19 頭中将の体験談ー常夏の女の話
20 藤式部丞の体験談ー女学者、蒜食い女の話
21 左馬頭のまとめー女手紙の漢字
22 はた迷惑な女流歌人
23 女は万事控え目に
24 翌日、源氏、左大臣邸の葵上のもとを訪れる
25 源氏、方違えのため紀伊守の邸に赴く
26 源氏、紀伊守と空蝉のことを語る
27 源氏、空蝉の部屋をうかがう
28 源氏、空蝉の寝所に忍ぶ
29 源氏、帰邸。紀伊守を召して小君をさし出すことを命ずる
30 源氏、小君に手紙を託す
31 小君への恨み言
32 源氏、再び紀伊守の邸を訪れる

帚木とは何
伝説の木。信濃国園原郡伏屋にあるという。遠くからみるとあるが、近づくとない。神仙木。この巻のテーマの暗示機能がある。園原や伏屋におふる帚木のありとてゆけど逢わぬ君かな(古今六帖 作者未詳)園原やふせ屋におふる帚木のありとは見えてあはぬ君かな(新古今和歌集巻十一恋歌一 坂上是則)直接的には、一度はあったが二度と逢わぬ空蝉。間接的には、描かぬ藤壷の遠望。この巻は、遠くから見ると、藤壺が見えるが、近づくと藤壷はどこにもいない。源氏物語は、帚木の原理で説かれた作品なのだと「湖月抄」(北村季吟)は力説している。

法華経の三周説法
法説=上根(一般論)
喩説=中根(たとえ話)
因縁説=下根(物語・具体論・経験談)
「花鳥余情」(一条兼良)が説いた帚木の構造論。仏の対機説法。源氏物語は、誰でも分かり誰でも感動できる物語。

口上に着目
光源氏、名のみことごとしう、言ひ消たれたまふ咎多かなるに、いとど、かかるすきごとどもを末の世にも聞き伝えて、軽びたる名をや流さむと、忍びたまひけむかくろへごとをさへ、語り伝へけむ人のもの言ひさがなさよ。さるは、いたく世を憚り、まめだちたまひけるほど、なよびかにをかしきことはなくて、交野の少将には笑はれたまひけむかし。まだ中将などにものしたまひし時は…草子地。交野少将より面白い物語を書くという予告。光源氏スキャンダル。源氏物語バージョンがしばらく続くということ。結びの口上のある夕顔巻末では結ばれず、紅葉賀巻までこの傾向はずるずる続く。

上中下の論
中の品の強調。「人の心々、おのがじしの立てたるおもむき見えて、分かるべきことかたがた多かるべき」。身分の流動化がみられた時期の女性論。昔の名家も今は中流。中の品強調はおのずと桐壺更衣・母の論となっているところに注目。帚木は退くと藤壷が見え、もっと退くと桐壺更衣の姿が見える。

女の第一の欠点
なよびかに女しと見れば、あまりに情けにひきこめられて、とりなせばあだめく。これをはじめの難とすべし。

左馬頭の結論、理想の妻
今はただ品にもよらじ、容貌をばさらにも言はじ、いとくちおしくねじけがましきおぼえだになくは、ただひとへにものまめやかに、静かなる心のおもむきならむよるべをぞ、つひの頼み所には思ひおくべかりける。あまりのゆゑよし心ばせ、うち添へたらむをば、よろこびに思ひ、すこし後れたるかたあらむをも、あながちに求め加えじ。うしろやすくのどけき所だに強くは、うはべの情けは、おのづからもてつけつべきわざをや…。よろづのことに、などかは、さても、とおぼゆるをりから、時々、思ひわかぬばかりの心にては、よしばみ情け立たざらむなむ目やすかるべき。すべて、心に知れらむことをも、知らず顔にもてなし、言はまほしからむことをも、一つ二つのふしは、過ぐすべくなむあべかりける。
左馬頭には、晩年の業平の面影。恋の達人の結論は絶望と諦念。これでもって源氏物語は諦めない、という発想が自然に出てくる。

雨夜品定めの最後。光源氏の脳裏に浮かんだものは
君は人ひとりの御さまを、心のうちに思ひつづけたまふ。これに、足らずまたさし過ぎたることなくものしたまひけるかなと、ありがたきにも、いとど胸ふたがる…。
この「人」が藤壷であることが分かるのは、空蝉、夕顔、を超えて若紫巻である。「藤壷のこと」などという注のついた源氏物語を読んでいる限り源氏物語の醍醐味は分からない。雨夜品定めのさまざまな議論がこの「人」に結集したというのだから、雨夜品定めは、この「人」を語るためにあったのだという事が了解される。この「人」について一言も語らずに、作者はこの「人」の全てを語ることに成功したのである。帚木の原理である。

空蝉の登場の意味
老いた夫。私物に愛する夫。後妻。気の進まぬ愛。運命の一夜。拒否。押し寄せる未練。退いて見れば、空蝉は藤壷のイメージ。藤壷のシルエット。帚木の原理で、空蝉物語は雨夜品定めと接続する。帚木巻は全体で、藤壷を語っているのである。

女房の噂
いといたうまめだちて、まだきに、やむごとなきよすが、さだまりたまへるこそ、さうざうしかめれ。されど、さるべき隈には、よくこそ隠れありきたまふなれ。など言ふにも、おぼすことのみ心にかかりたまへば、まづ胸つぶれて、かやうのついでにも、人の言ひ漏らさむを、聞きつけたちむ時、など、おぼえたまふ。ことなることなければ、聞きさしたまひつ。
「人」とは、相当の深みにはまっているのではないか。

空蝉の夢は桐壺更衣の夢
光源氏が「紀伊守に語った言葉。
上もきこしめしおきて「宮仕へにいだし立てむと漏らし奏せし、いかになりにけむ」と、いつぞやのたまはせし。世こそ定めなきものなれ。
父の死によって入内を諦めた女が見る夢は、父の死を乗り越えて入内し時めいた桐壺更衣の夢。受領の妻に落ちた貴種の見果てぬ夢。
いとかく憂き身のほどのさだまらぬ、ありしながの身にて、かかる御心ばへを見ましかば…。
いとかく品定まりぬる身のおぼえならで、過ぎにし親の御けはひとまれるふるさとながら、たまさかにも待ちつけたてまつらば、をかしうもやあらまし。
空蝉は心理的に桐壺更衣にも係がっている。帚木巻は、退くと藤壷が見えるが、もっと退くと桐壺更衣が見えてくる。「人」が藤壷だと分からぬ今、こちらのイメージのほうがむしろ正解かもしれない。

光源氏の中の品体験
雨夜品定めでの沈黙。知らぬ中の品。初体験。
すぐれたることはなけれども、めやすくもてつけてもありつる中の品かな、隈なく見集めたる人の言ひしことは、げに、とおぼしあはせられけり。
中の品の個性を光源氏に見せつける。たじたじとなる光源氏。源氏物語は空蝉の路線で行くという宣言か。読者の共感。王朝女房文芸。

光源氏ーははきぎの心も知らで園原の道にあやなくまどひぬるかな
空蝉ー数ならぬ伏屋に生ふる名のうさにあるにもあらず消ゆる帚木

<空蝉巻>
   
第3回 空蝉巻・これが世の中、悲哀の海

空蝉巻の内容
1 失意のまま帰宅
2 再度、紀伊守邸へ
3 碁をうつ女どち
4 寝所へ忍び入る
5 逃れ出る空蝉
6 軒端荻と契る
7 老い御達に遭遇する
8 なつかしき人がら
9 空蝉の返し歌

源氏物語の短い巻
空蝉・花宴・花散里・関屋・蛍・篝火・横笛・紅梅・早蕨・夢浮橋・テーマを絞り、強調する。たとえば、拒否・誘惑・入口・転向・物語・よろめき・血脈・証言・引越・拒否
次に重要な巻が来る場合が多い。嵐の前の静けさ

巻の独立
空蝉は、帚木巻で「帚木」、空蝉巻で「空蝉」となる。
空蝉の自立。藤壷からの脱出。人柄の強調。肉体に勝る人柄。囲碁の場合は、その強調。ちなみに囲碁と書道は人間力の世界だと紫式部は絵合巻で書いている。

空蝉の横顔は
たとしへなく口おほひてさやかにも見せねど、目をしつけたまへば、をのづから側目も見ゆ。目すこしはれたる心ちして、鼻などもあざやかなるところなうねびれて、にほはしきところも見えず、言ひたつればわろきに寄れるかたちを、いといたうもてつけて、このまされる人よりは心あらむと目とどめつべきさましたり。にぎはばしうあいぎやうづきをかしげなるを、いよいよほこりかにうちとけて、笑ひなどそぼるれば、にほひ多く見えて、さる方にいとおかしき人ざまなり。あはつけしとおぼしながら、まめならぬ御心はこれもえおぼし放つまじかりけり。

空蝉は作者の自画像
中川の宿は紫式部の宿。もし、紫式部が空蝉のような顔をしていたじょせいであったなら。大いなる楽屋落ち。帚木巻からの連続で解釈すればあり得る話。性格も、空蝉に似ていた。これは可能性が高い。島津久基の説。

「ひとがら」は人柄か
空蝉の身をかへてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな
単なる性格より身分を重視してこの光源氏歌を捉えるとどうなるか。空蝉の履歴。父は衛門督で中納言。本来入内の予定されていた上品の女性。父の死で運命が暗転。屈辱的階級への堕落。空蝉は本来、光源氏世界の人。いわば栄光の過去の残骸。弟・小君の描写を思い出してみよう。「伊予の介の子もあり。あまたあるなかに、いとけはひあてはかにて十二三ばかりなるもあり」(帚木巻)。貴種。彼女の未練は、返らぬ過去の正当な夢。「娘時代に逢いたかった」。が、光源氏には、受領の妻・中の品の女の代表にしか見られぬという悲劇。違うのだという彼女の叫びは、六条御息所の叫びの先触れ。天下大乱を知っている空蝉と知らない光源氏。光源氏は決して、初めての拒否体験ゆえの負けじ心だけで、空蝉に拘ったわけではない。運命の、大きな手による執着だったのだと考えると面白い。

伊勢の面影
空蝉の羽におく露の木がくれて忍び忍びに濡るる袖かな
この歌が伊勢の歌だと分かる人はまずいない。四辻善成の『河海抄』(十四世紀中頃成立)が指摘したから、源氏学の伝統的知識になっているにすぎない。伊勢集のなかにある歌。日記風詞書きが特徴の伊勢集のなかにあって、詞書をもたぬ。歌だけ並べた群が二ヶ所。何かの事情で他人の歌群が紛れ込んだ可能性が強い部分。その部分にある歌。ちなみに百人一首の「難波潟」もその中の歌。定家(?)の誤解か。あるいはひょっとして紫式部の歌かもしれない。今、伊勢の歌として。伊勢は桐壺巻に貫之と並んで出てくる。桐壺時代は、伊勢の現役時代。『古今集』の時代だということ。十世紀前半。醍醐天皇の時代。伊勢のエピソード「みっちゃん」
そして、親子に愛された女性。宇多天皇とその皇子・敦慶親王。親王は「玉光宮」と呼ばれた。藤壺と光源氏の面影。なお、伊勢集流布本の書き出しは「いつれの御時にかありけん」である。伊勢は源氏物語に濃密な影を落とす女性。

伊勢の古今集歌、全部
 帰雁を、よめる 春歌上
はるがすみたつを見すててゆくかりは花なき里に住みやならへる
 水のほとりに梅の花咲けりけるを、よめる 春歌上
春ごとにながるる河を花とみておられぬ水に袖やぬれらむ
年をへて花のかがみとなる水は散りかかるをや曇るというらん
 弥生に閏月ありける年、よみける 春歌上
さくら花春くははれる年だにも人のこころに飽かれやはせぬ
 亭子院歌合の時、よめる 春歌上
見る人もなき山里のさくらばなほかのちりなんのちぞさかまし
 題しらず 夏歌
五月こば鳴きも古りなむ時鳥まだしき程のこゑをきかばや
 唐崎 物名
浪の花沖からさきてちり来めり水の春とは風やなるらん
 題しらず 恋歌三
知るといへば枕だにせで寝しものを塵ならぬ名のそらにたつらん
 題しらず 恋歌四
夢にだに見ゆとは見えじ朝な朝なわが面影にはづる身なれば
 題しらず 恋歌四
わたつ海とあれにし床を今さらに払うーはば袖や泡とうきなむ
 題しらず 恋歌四
古里にあらぬものからわがために人の心もあれてみゆらむ
 題しらず 恋歌五
あひにあひてもの思ふころのわが袖にやどる月さへ濡るる顔なる
 仲平朝臣、あひ知りて侍りけるを、離れ方になりにければ、父が、大和守に侍けるもとへまかるとて、よみて、遣はしける 恋歌五
三輪の山いかに待ち見む年経ともたづぬる人もあらじと思へば
 もの思ひける頃、ものへまかりける道に、野火の燃えけるを見て、よめる 恋歌五
冬がれの野辺をわが身と思ひせばもえても春を待たましものを
 題しらず 恋歌五
人しれず絶えなましかばわびつつも無き名ぞとだに言はましものを
 中務親王の、家の池に、舟を作りて、下し初めて遊びけ日、法皇御覧じにおはしましたりけり。夕さりつ方、帰りおはしまさむとしける折に、よみて、奉りける 雑歌上
水のうへに浮かべる舟の君ならばここぞ泊まりと言はましものを
 竜門にもうでて、滝のもとにて、よめる 雑歌上
裁ち縫はぬ衣きし人もなきものをなに山姫の布さらすらむ
 桂に侍りける時に、七条中宮の問はせ給へりける御返事に、奉りける 雑歌下
久方のなかに生ひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる
 家を売りて、よめる 雑歌下
あすか河ふちにもあらぬわが宿もせに変りゆくものにぞありける
 歌召しける時に、奉るとて、奥に書き付けて、奉りける 雑歌下
山川のをとにのみ聞くももしきを身をはやながら見るよしもがな
 七条后、亡せ給ひにける後に、よみける 雑体
沖つなみ 荒れのみまさる 宮のうちは 年へて住みし 伊勢の海人も 舟流したる 心地して 寄らん方なく かなしきに なみだの色の くれなゐは われらがなかの 時雨にて 秋の紅葉と 人々は己が散り散り わかれなば 頼むかたなく なりはてて 止まるものとは 花すすき 君なき庭に 群れたちて 空をまねかば 初雁の なきわたりつつ よそにこそ見め
 題しらず 雑体
難波なる長柄の橋もつくるなり今はわが身をなににたとへむ

源氏物語は空蝉に始まり空蝉に終わる
空蝉の夢。明石御方。朝顔斎院。宇治大君。そして、手習巻以降の浮舟。
最終場面の露骨さ。出家。小君の存在。衛門督。常陸。囲碁。紀伊守。巻の構造の類似。そして、拒否。

<夕顔巻>

第4回 夕顔巻・人の面影、場末の白い花

★夕顔巻の内容
1  ゆきずりの五条、瀕死の乳母
2  檜垣の家、夕顔の花
3  さしだされた扇
4  乳母を見舞う
5  扇の歌返歌
6  惟光の報告
7  その後の空蝉
8  六条の貴婦人
9  朝顔の贈答
10 惟光の報告、そのニ。頭中将の逃げた愛人らしい。
11 不思議な関係。アバンチュール
12 隣の声。砧打つ音。優婆塞の祈り
13 某院への逃避行
14 夕映えのなか、見つめ合う二人
15 物の怪の登場
16 夕顔の頓死。長い夜
17 惟光の遅い登場。事件の隠蔽
18 頭中将の見舞い
19 東山へ。通夜
20 帰途の落馬
21 光源氏の病臥。ほぼ一ヶ月死線をさまよう
22 右近の語る夕顔の素性
23 追憶
24 空蝉からの歌
25 軒端荻への歌
26 比叡山法華堂、盛大な夕顔四十九日
27 物の怪の正体
28 空蝉との別れ

★ 六条あたりに融の河原院があった
六条京極。六町あるいは八町。池は海。尼崎の海水。松嶋塩釜の風景。塩焼の煙。嵯峨天皇の源氏。天皇になりそこなった皇子。みちのくのしのぶもじずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに。嵯峨野釈迦堂。宇治山荘。光源氏のモデルの一人。死後の河原院事件。宇多天皇と京極御息所。融の物の怪。浄蔵大徳の法力。河原院の寂寥。
きみまさで煙たえにし塩釜のうらさびしくも見えわたるかな 古今集巻第十六、紀貫之

★五条は場末。夕顔は光源氏の知らぬ花
切懸だつものに、いと青やかなる葛の心地よげに這ひかかれるに、白き花ぞおのれひとり笑みの眉ひらけたる、「をちかた人にまの申す」とひとりごち給ふを、御随人ついてゐて、「かの白く咲けるをなむ夕顔と申しはべる。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になん咲きはべりける」と申す。
夕顔は下賎の花。対する朝顔は高貴な花。これがこの巻の人物対象ともなっている。六条の貴婦人。庭に咲く朝顔。切懸に這う夕顔。五条場末の風景。

★檜垣嫗のイメージ
檜垣の家。夕顔に檜垣嫗のイメージがないか。大路を覗く女。夕顔遊女説。
筑紫の白河といふ所に住み侍りけるに、大弐藤原興範の朝臣のまかりわたるついでに、水たべむとてうち寄りて、乞ひ侍ければ、水を持て出でて、よみ侍りける。
年ふれば我が黒髪も白河のみづはぐまで老いにけるかな
かしこに、名高く、事好む女になん侍りける。古今集巻第十七 雑三
「みづはぐむ」惟光の父の乳母。東山で尼。夕顔はそこで葬送。死体を運ぶ時、上莚からこぼれ出た夕顔の黒髪。

★三輪山伝説
さまを変へ、顔をもほの見せたまはず、夜深きほどに、人を静めて出で入りなどし給へば、昔ありけんものの変化めきて、うたて思ひ嘆かるれど、人の御けはひはた手さぐりも知るべきわざなりければ、たればかりにかはあらむ、…。
活玉依毘売(いくたまよりびめ)に夜毎通う「形姿威儀(かたちすがた)」類なき男。姫の妊娠。母の知恵。赤土を撒き、糸巻の麻糸を針に通し彼の裾に刺せ。戸の鍵穴。残った糸は三巻(みわ)。たどってゆくと、三輪山、神の社へ。

★某院は一族の夢の跡
融死後の河原院のイメージ。融の栄耀栄華に比べられる栄耀栄華の日々の舞台。光源氏が勝手に振る舞える家。母方、桐壷更衣の父母の時代の栄耀栄華の名残。一族の本丸。桐壷更衣の従兄妹であった明石入道の父大臣がいて、明石入道が「光源氏」であった時代。六条御息所の父・大臣も、紫上の祖母の兄・聖徳太子の数珠をもった北山僧都も、末摘花の父・黒貂の皮衣を纏った常陸宮も、みなここに集い、大陸文化に酔いしれていた。その夢の跡なのではないか。後に、ここは隣の六条御息所の土地を併合して、六条院となる。一族の夢の復活である。と、考えるべきではないのか。

★物の怪の正体
よひ過ぐるほど、すこし寝入り給へるに、御枕上にいとをかしげなる女ゐて、「おのがいとめでたしと見たてまつるをば尋ね思ほさで、かくことなることなき人をゐておはしてときめかし給ふこそいとめざましくつらけれ」とて、この御かたはらの人をかきおこさむとす、と見給ふ。ものにおそはるる心地しておどろき給へれば、火も消えにけり。
              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
君は夢にだに見ばやとおぼしわたるに、この法事し給ひてまたの夜、ほのかに、かのありし院ながら、添ひたりし女のさまも同じやうに見えければ、荒れたりし所に住みけんもののわれに見入れけんたよりにかくなりぬること、とおぼし出づるにも、ゆゆしくなん。
物の怪の正体を光源氏は、この院に住みついた魔性のものだと考えている。しかも、光源氏のファン。光源氏の暢気な解釈はそれなりに面白い。が、これを河原院の融の霊に準じて、一族の意思と考えるともっと面白い。この女は違う。光源氏よ、この女では駄目なのだ。この物の怪の正体を、六条御息所の正霊だという解釈がよくなされるが、この段階では正確な解釈とはいえない。しかし、全く不正確な解釈かと言われれば、そうでもない。彼女が一族の意思を自覺する女である可能性が高いからである。

★夕顔の儚さ

光源氏は、父桐壷帝が母桐壷更衣を愛したように、夕顔を溺愛した。桐壷更衣が死に、桐壺更衣によく似た藤壷と結婚して、桐壷帝は帝王の日常に復帰した。光源氏もまた、夕顔が死んだ今、夕顔によく似た新しい女性を得て皇子の日常に復帰するのではないか。桐壺帝における藤壷の位置に登場するのが、北山の少女、紫上である。単純に予測すれば、そうかもしれない。しかし、事態はさらに入り込んでいて面妖不思議である。今の光源氏にとって夕顔は藤壷にほかならず、紫上は夕顔ではなく藤壷に似た女性として登場してくる。つまり、夕顔は、中継の機能を剥奪されるばかりか飛ばされ、早晩消される運命にある。これ以上の儚い女はない。空蝉が藤壷をかきたてる女性だとすれば、夕顔は、その愛され方によって、桐壷更衣をかきたてる。光源氏と藤壷の実体を知らぬ読者にとってはなおさらだ。そうしておいて、作者は、次の巻で源氏物語のヒロインを登場させる。帚木三帖は、紫上登場のための環境作りの機能をもつ。母の見果てぬ夢を追う女性。見果てぬ夢とはなにか。もはや純愛などではない。一族復活の夢ではないか。

★夕顔の生涯とその子孫

父は三位中将。父も母も早く死亡。頭中将三年通う。女子(玉鬘)一人生まれる。本妻の脅迫を恐れ西山の乳母の許へ。山里へ引越しをはかる。方違えで五条の宿にいた。光源氏との出会い。熱愛。物の怪につかれ死亡。そして二十年間の封印。筑紫より玉鬘の登場。光源氏の引取りよろめき。実父にはなかなか会えず。尚侍就任。髭黒と結婚し、三男二女をもうける。大君は光源氏の子・冷泉院と結婚。女子そして男子を生む。冷泉院後宮の災いの種となり里がち。中君は母に代わって尚侍になる。

★空蝉の悲しみ
夕顔への熱愛が空蝉を忘れさせる。光源氏の結論。
はかなびたるこそはらうたけれ。かしこく人になびかぬ、いと心づきなきわざなり。身づからはかばかしくすくよかならぬ心ならひに、女はただやはらかに、取りはづして人にあざむかれぬべきがさすがにものづつみし、見ん人の心にしたがはんむあはれにて、我が心のままに取りなほして見んに、なつかしくおぼゆべき
夕顔の路線に源氏物語のヒロインがいる。空蝉型の女性群は、臥薪嘗胆あるのみか。自ら光源氏に歌を送る空蝉。「おぼし忘れぬるか」。伊予介について下る空蝉。小袿を返す光源氏。あはれ空蝉。
過ぎにしもけふ別るるも二道に行くかた知らぬ秋の暮れかな

★中の品物語の終わり
かやうのくだくだしき事は、あながちに隠ろへ忍び給ひしもいとほしくて、みな漏らしとどめたるを、「などみかどの御子ならんからに、見ん人さへかたほならず物ほめがちなる」と、作りごとめきて取りなす人ものし給ひければなん。あまりもの言ひさがなき罪、さりどころなく。
帚木冒頭の口上の締め。光源氏の中の品体験譚。知の女・空蝉。情の女・夕顔。二つの典型を書いて、現実の女のなかに光源氏の相手はいないことを示す。物語の中にしかいない女、ヒロイン紫上登場への道をひらいたというべきか。