源氏物語10…匂宮巻 ・ 紅梅巻 ・ 竹河巻 ・ 橋姫巻

 <匂宮巻>

第46回 匂宮巻・光の失せた世界のなかで

★この巻の粗筋
 1 光源氏の没後、その輝かしい声望を継ぐほどの人物は、一族の中にも見出しがたい。しかし、そのなかで、今上帝の三宮(兵部卿宮、匂宮)と、女三宮の若君(薫)だけが、当今抜群にすぐれた人物との評判が高い。その匂宮は、紫上から伝領した二条院に住んでいる。
 2 今上帝の御子のうち、女一宮は、六条院の東南の町の東の対に住む。また、二宮も同じ東南の町の寝殿を折々の休息所に、宮中では梅壷を居室としながら、夕霧の中姫君(次女)を娶っているが、次期の東宮にと予定されている。夕霧には大勢の娘たちがいるが、大姫君(長女)は東宮(一宮)に入内。夕霧は匂宮をも婿にと望んでいるが、匂宮自身は気乗りがしない。大勢の姫君たちのなかでは、典侍腹の六の君が、美人の誉も高く、多くの貴公子たちの関心をひいている。
 3 六条院の女君たちが、それぞれの住みかを求めて離れていったが、花散里は二条東院に、女三宮は三条宮に移り住む。その後、夕霧は、落葉宮を六条院の東北の町に迎え、三条殿の雲居雁のもとと、月十五日ずつ通うことにしている。
 4 源氏の豪壮な邸の二条院や六条院春の御殿も、今では明石君一統のためのものだったかと思われるほど、その御子たちでにぎわっている。夕霧をはじめとして、世の人々は、今は亡き源氏と紫上を恋しく想い起こす。
 5 女三宮の若君である薫は、源氏の願いどおりに、冷泉院・秋好中宮に寵遇されている。冷泉院で元服が行われ、十四歳の二月に侍従、その年の秋には右近中将となり、冷泉院内の対屋に曹司も与えられる。大勢の人々から慕われる存在である。
 6 しかし薫自身は、漠然としながらも、わが出生への疑念を抱き、栄華も空しいものと観じている。父母の罪障を思っては出家の志をかかえこんでいるのである。
 7 薫は、冷泉院のみならず、今上帝からも夕霧からもだいじに扱われ、かっての源氏をもしのぐほどの栄耀ぶりであり、まさに世の寵児というにふさわしい。
 8 薫の身には生来、仏の身を思わせる薫香が備わっていた。その奇しき芳香は、誰からもそれと気づかれてしまうほどである。
 9 匂宮は、薫の身に備わった芳香への対抗心から薫物や花の香にとりわけ熱心である。世人は彼ら二人を、「匂ふ兵部卿、薫る中将」と大げさなまでに呼ぶ。その二人を、権門の多くの人々が、娘の婿にと望んでいる。また匂宮は、冷泉院に住まう院の女一宮に強い関心を寄せている。
10 厭世感を強めている薫は、積極的に恋に生きようとする気にもなれない。現世の絆をふやしては道心が妨げられると考えるからである。十九歳で三位宰相兼右中将に昇進。三条の宮の女房などかりそめの恋の相手も少なくはないが、それ以上の関わりを持とうともしない。
11 夕霧は、典侍腹の六の君を、匂宮か薫かに縁づけようと考え、落葉宮にあずけて趣味の豊かな女君に育てあげようとしている。
12 正月、夕霧が六条院の寝殿で賭弓の還饗を主催。匂宮はもちろん、薫も加わって、華やかな宴が催される。
                                (新日本古典文学大系『源氏物語』四より)

★雲隠について
須磨巻に桐壷帝の陵墓に別れを告げに行った時の光源氏の歌がある。「亡きかげやいかが見るらむよそへつつながむる月も雲隠れぬる」。「雲隠」巻は、この歌の「亡きかげやいかが見るらむ」を生かして、光源氏以後の人々の動静全体を光源氏はどう思って見ているだろうか。という意味ではないかと推量したい。で、渡りの竹河三帖をふくめた宇治十帖全体を統括する名前である。と考えたい。さして、これは、宇治十帖のヒロイン浮舟に「陵園妾」をかぶせる仕掛けとも連動しているのだと了解したい。

★光源氏の最後は宿木巻にある
「秋の空は、いますこしながめのみまさり侍り。つれづれの紛はしにもと思ひて、先つ比、宇治にものして侍き。庭も籬もまことにいとゞ荒れはてて侍りしに、耐へかだき事多くなん。故院の亡せ給てのち、二三年ばかりの末に、世を背き給し嵯峨の院にも、六条院にも、さしのぞく人の心おさめん方なくなん侍りける。木草の色につけても、泪にくれてのみなん帰り侍ける。かの御あたりの人は、上下心あさき人なくこそ侍りけれ、かたがたつどひものせられける人びとも、みな所どころあかれ散りつゝ、おのおの思ひ離るゝすまひし給めりしに、はかなき程の女房など、はたまして心おさめん方なくおぼえけるまゝに、ものおぼえぬ心にまかせつゝ、山林に入りまじり、すゞろなるゐ中人になりなど、あはれにまどひ散るこそ多く侍けれ。さてなかなかみな荒らしはて、忘れ草生ほして後なん、この右のおとゞも渡り住み、宮たちなども方がたものし給へば、むかしに返たるやうにはべめる。さる世にたぐひなきかなしさと見給へしことも、年月経れば、思ひさますおりの出で来るにこそはと見侍るに、げに限りあるわざなりけりとなん見え侍る。……」

★後の物語の始発
「光かくれたまひしのち」の物語。雲隠巻の後の物語に相応しい此巻の書き起こしである。「かの御影に立ちつぎたまふべき人」がみあたらない。日と影。いまは、光の失せた世界だというのである。無明長夜の物語。光源氏はもういない、ということを強調する。そのためには影を書く必要があった。光は影を書かぬと表現できぬ。光明源氏物語から無明源氏物語への転換。光源氏の後継者として目される、二人の若君とて、「いとまばゆき際にはおはせざるべし」で、光っていない。光源氏とは比べるべくもない。「ただ世の常のレベルでの相対評価にすぎないということを、作者は巻の最初から断っている。これからの物語は、「世の常の人ざま」の物語であるという前提のもとに展開される物語なのである。われわれは、この「世り常」の視座を、夢浮橋巻の最終場面まで忘れるべきではない。これ以後の源氏物語は、相当に世俗的展開をみせそうな予感がするにちがいない。

★明石一族、地上の栄華
二条院も六条院も、結局は「ただ一人の末のためなりけり」。今や、明石御方の子孫の世の中なのである。彼女は、いうなれば『蜻蛉日記』の時姫なのだ。明石一族の完全復活の図。この一族は、本来的にいって、桐壷更衣の一族であるのだから、これは、光源氏の母なる世界の回復と位置づけられよう。源氏物語の二本の柱のうちの一つ、一族復興の夢は成就して余すところがない。この事は、遠く蜻蛉巻にある。薫の感慨「明石浦は心にくかりける所かな」に接続し、宇治十帖全体を覆うテーマである。それにしても紫上が生きていれば、と夕霧に思わせるところ、いつもの手法。もう一方の源氏物語の柱である純愛の夢は、いつものように、天空のかなたに消え去るのみ。本文にもあるではないか。「春の花の盛りは、げに長からぬにしも、おぼえまさるもの」。光源氏のいない「世はただ光を消ちたるやうに、何ごとも栄なき嘆きをせぬをりなかりけり」。前の世代の生き残りは、前の世代の代表者を必要以上に拡張・美化してみせるもの。源氏物語は、そういう生き残り、例えば花散里みたいな女の証言なのではないか。

★薫の憂鬱
 幼心地にほの聞きたまひしことの、をりをりいぶかしうおぼつかなう思ひわたれど、問ふべき人もなし。宮には、事のけしきにても知りけりと思されん、かたはらいたき筋なれば、世とともの心にかけて、「いかなりけることにかは。何の契りにて、かう安からぬ思ひそひたる身にしもなり出でけん。善巧太子のわが身に問ひけん悟りをも得てしがな」とぞ独りごたれたまひける。
    おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめもはても知らぬわが身ぞ
答ふべき人もなし。事にふれて、わが身につつがある心地するも、ただならずもの嘆かしくのみ思ひめぐらしつつ、「宮もかく盛りの御容貌をやつしたまひて、何ばかりの御道心にてか、にはかにおもむきたまひけん。かく、思はずなりける事の乱れに、かならずうしと思しなるふしありけん。人もまさに漏り出で知らじやは。なほつつむべき事の聞こえにより、我には気色を知らする人のなきなめり」と思ふ。「明け暮れ勤めたまふやうなめれど、はかもなくおほどきたまへる女の御悟りのほどに、蓮の露も明らかに、玉と磨きたまはんことも難し、五つの何がしもなほうしろめたきを、我、この御心地を、同じうは後の世をだに」と思ふ。かの過ぎたまひにけんも安からぬ思ひにむすぼほれてや、など推しはかるに、世をかへても対面せまほしき心つきて、元服はものうがりたまひけれど、すまひはてず、おのづから世の中にもてなされて、まばゆきまで華やかなる御身の飾りも心につかずのみ、思ひしづまりたまへり。

★和光同慶、光源氏
 昔、光る君と聞こえしは、さるまたなき御おぼえながら、そねみたまふ人うちそひ、母方の御後見なくなどありしに、御心ざしももの深く、世の中を思しなだらめしほどに、並びなき御光をまばゆからずもてしづめたまひ、つひにさるいみじき世の乱れも出で来ぬべかりしことをも事なく過ぐしたまひて、後の世の御勤めもおくらかしたまはず、よろづさりげなくて、久しくのどけき御心おきてにこそありしか、

★匂ふ兵部卿、薫る中将
 この君は、まだしきに世のおぼえいと過ぎて、思ひあがりたることこよなくなどぞものしたまふ。げに、さるべくて、いとこの世の人とはつくり出でざりける。仮に宿れるかとも見ゆることそひたまへり。顔容貌も、そこはかと、いづこなむすぐれたる、あなきよらと見ゆるところもなきが、ただいとなまめかしう恥づかしげに、心の奥多かりげなるけはひの人に似ぬなりけり。
 香りのかうばしさぞ、この世の匂ひならず、あやしきまで、うちふるまひたまへるあたり、遠く隔たるほどの追風も、まことに百歩の外も薫りぬべき心地しける。誰も、さばかりになりぬる御ありさまの、いちやつればみただありなるやはあるべき、さまざまに、我、人にまさらんとつくろひ用意すべかめるを、かくかたはなるまで、うち忍び立ち寄らむ物の隈もしるきほのめきの隠れあるまじきにうるさがりて、をさをさ取りもつけたまはねど、あまたの御唐櫃に埋もれたる香の香どもも、この君のはいふよしもなき匂ひを加へ、御前の花の木も、はかなく袖かけたまふ梅の香は、春雨の雫にも濡れ、身にしむる人多く、秋の野に主なき藤袴も、もとの薫りは隠れて、なつかしき追風ことにをりなしがらむなむまさりける。
 かく、あやしきまで人の咎むる香にしみたまへるを、兵部卿宮なん他事よりもいどましく思して、それはわざとよろづのすぐれたるうつしをしめたまひ、朝夕のことわざに合はせいとなみ、御前の前栽にも、春は梅の花園をながめたまひ、秋は世の人のめづる女郎花、小牡鹿の妻にすめる萩の露にもをさをさ御心移したまはず、老を忘るる菊に、おとろへゆく藤袴、ものげなきわれもかうなどは、いとすさまじき霜枯れのころほひまで思し棄てずなどわざとめきて、香にめづる思ひをなん立てて好ましうおはしける。かかるほどに、すこしなよびやはらぎて、すいたる方にひかれたまへりと世の人は思ひきこえたり。昔の源氏は、すべて、かく立ててそのことと様変りしみたまへる方ぞなかりしかし。

★さかしだつ薫
 中将は、世の中を深くあぢきなきものに思ひすましたる心なれば、なかなか心とどめて、行く離れがたき思ひや残らむなど思ふに、わづらはしき思ひあらむあたりにかかづらはんはつつましくなど思ひ棄てたまふ。さしあたりて、心にしむべきことのなきほど、さかしだつにやありけむ。人のゆるしなからんことなどは、まして思ひよるべくもあらず。

★権力者夕霧
光源氏以後の政治を牛耳る夕霧の権力者ぶりは、巻末におかれた賭弓(のりゆみ)の還饗(かえりあるじ)の場面で如実に描かれている。かれは、少女巻で示された光源氏の教育の成果であり、いわば光源氏の作品である。その堂々たる安定感と円満具足の性格を前にすると、厭世家気取り薫や雅に流れすぎる匂宮などの若者たちの脆弱ぶりと未来的不安は自ずから醸し出されるというべきかもしれない。夕霧は、子沢山の強みを生かし、東宮に大君を、次の東宮候補である二宮を既に配し、後宮政策に遺漏はない。藤典侍腹の六の君は、落葉宮の養女にし、六条院丑寅町にすまわせ、薫か匂宮と結婚させようと目論んでいる。六の君の魅力には相当の自信をもっているらしい。さて、どうなるか。

★薫りは闇の文化
 月夜に、梅花を折てと、人の言ひければ、折るとて、よめる
                                    躬恒
    月夜にはそれとも見えず梅花香をたづねてぞしるべかりける
 春の夜、梅花をよめる
    春の夜の闇はあやなし梅花色こそ見えね香やはかくるる
            (古今和歌集 春歌上)

史記の構成が参考になる
本紀(歴代王朝の年代記)12編、
表(列国の年表)10編、
書(国家制度・文化・技術)8編。
世家(諸侯の年代記)30編、
列伝(個人の伝記)70編。
只今、われわれは光源氏を読み終わろうとしていて、その末尾でその子孫に軽く触れている部分を読んでいるのだと心得るとよいだろう。


 <紅梅巻>

第47回 紅梅巻・端の端にもかかるものか

★この巻の粗筋
 1 按察使大納言の紹介。彼は柏木の弟である。故兵部卿り妻であった真木柱が後妻となっている。
 2 先妻腹に大君と中君。真木柱腹に男君(小君)がいる。また、兵部卿の姫君が連れ子としてあり、宮の御方とよばれている。三人の女子の関係は、真木柱の屈託のない性格でもって良好である。
 3 邸宅は七間の寝殿。南面に大納言と大君、西面に中君、東面に宮の御方が住んでいる。
 4 大君は十七八。東宮妃となっている。中君は匂宮へと志す。その匂宮は小君をかわいがっている。が、今は、藤原氏の夢を大君に託している。真木柱は大君につきっきりである。
 5 寂しい中君は、宮の御方に親しむ。宮の御方は中君の師匠といったところ。彼女はつつましやかな性格で、なみすぐれた人物であり、大納言も気を遣っている。が、真木柱は自分の在世中はともかく、死後は尼にしたいと考えている。
 6 大納言は、宮の御方を見たいと思うがかなわない。その優れた人品を身近に感じるにつけ、世の中の広さを思う。
 7 大納言、宮の御方に琵琶の演奏を所望。音楽談義を披露。昔を懐かしみ、今の名手を論じる。夕霧、薫、匂宮。宮の御方も劣らずと語る。
 8 小君到来。宮中に行くという彼をとどめ笛を吹かせる。責められて宮の御方、琵琶を爪弾く。大納言口笛で和す。
 9 大納言、光源氏の昔を思う。今人気の匂宮など、光源氏に比べたら「端が端にもおぼえたまはぬ」と言う。
10 軒端の紅梅を小君に持たせ、大納言、匂宮に歌を贈る。小君、宮中に急ぎ参上。匂宮、めざとく見つけ、戯言を言い小君を翻弄する。匂宮、小君を東宮に行かせず、身近く臥させる。小君喜ぶ。
11 帰る小君に、大納言への返歌を託す。小君には、宮の御方へのとりなしを密かに強く依頼。小君もこれを喜ぶ。
12 大納言、匂宮の返事を見、まめだつ匂宮が口惜しくもある。また参上する小君に歌を託す。
13 宮中から帰った真木柱、小君が匂宮のもとに泊った件に東宮が嫉妬していると面白がる。大納言、紅梅を匂宮に贈ったことをいう。薫の前世をしのばせる香りについても言及する。
14 宮の御方、世俗にまみれることを嫌う。匂宮は密かに熱心に求愛しているが、大納言の心の心底を考えれば、かいのないことだと真木柱も思う。
15 匂宮、此頃、八宮の姫君にも熱心に通う。真木柱、心ゆらぎつつも諦める。ときどきは、代筆の返歌もする。

★冒頭、その後の藤原氏
 そのころ、按察大納言と聞こゆるは、故致仕の大臣の二郎なり、亡せたまひにし衛門督のさしつぎよ、童よりらうらうじう、はなやかなる心ばへものしたまひし人にて、なりのぼりたまふ年月にそへて、まいていと世にあるかひあり、あらまほしうもてなし、御おぼえいとやむごとなかりけり。北の方二人ものしたまひしを、もとよりのは亡くなりたまひて、今ものしたまふは、後太政大臣の御むすめ、真木柱離れがたくしたまひし君を、式部卿宮にて、故兵部卿の親王にあはせたてまつりたまへりしを、親王亡せたまひて後忍びつつ通ひたまひしかど、年月経れば、えさしも憚りたまはぬなめり。御子は、故北の方の御腹に、二人のみぞおはしければ、さうざうしとて、神仏に祈りて、今の御腹にぞ男君一人まうけたまへる。故宮の御方に、女君一ところおはす。隔てわかず、いづれをも同じごと思ひきこえかはしたまへるを、おのおの御方の人などはうるはしうもあらぬ心ばへうたまじり、なまくねくねしきことも出で来る時々あれど、北の方、いと晴れ晴れしくいまめきたる人にて、罪なくとりなし、わが御方ざまに苦しかるべきことをもなだらかに聞きなし、思ひなほしたまへば、聞きにくからでめやすかりけり。
 君たち、同じほどに、すぎすぎおとなびたまひぬれば、御裳など着せたてまつりたまふ。七間の寝殿広くおほきに造りて、南面に、大納言殿、大君、西に中の君、東に宮の御方と住ませたてまつりたまへり。おほかたにうち思ふほどは、父宮のおはせぬ心苦しきやうなれど、こなたかなたの御宝物多くなどして、内々の儀式ありさまなど心にくく気高くなどもてなして、けはひあらまほしくおはす。

★藤原氏の後宮政策
大君はすでに東宮妃となって麗景殿にいる。十七八歳。中君は匂宮へと志す。匂宮が次の東宮の有力候補であるからだと考えられる。大納言も、藤原氏の長者として、前巻で描かれた夕霧の向こうをはって後宮政策に頑張っているようである。「春日の神の御ことわりも、わが世にやもし出で来て、故大臣の、院の女御の御ことを、胸いたくおぼしてやみにしなぐさめのこともあらなむ」。藤原氏の政治的祈りである。こう考えて按察使大納言は大君を東宮に入内させたのである。現在、致仕の大臣以来続いてきた藤原氏の政治的劣勢は、決定的なものとなっているという設定である。この時期の源氏物語の舞台がほとんど現代だと思われるところで、藤原氏の劣勢を記す。藤原氏全盛時代に、こういう展開の物語を書く作者は、なかなか大胆といわざるをえない。これも、光源氏の物語を書いた余波というべきか。もっとも、仮名による物語は、明石入道が言ったように、漢文に慣れた男性には読むと頭が痛くなる世界であった訳だから、現代われわれが心配するほどの問題でもなかったかもしれない。なお、大君の後見役として、真木柱が付き添う。継子のために継母が骨惜しみしない図。明石姫君に対する紫上の姿が思い出されよう。

★大納言の断案「端が端にも」
 若君、内裏へ参らむと宿直姿にて参りたまへる、わざとうるはしき角髪(みづら)よりもいとをかしく見えて、いみじくうつくしくと思したり。麗景殿に御ことつけ聞こえたまふ。「譲りきこえて、今宵もえ参るまじく。なやましくなんと聞こえよ」とのたまひて、「笛すこし仕うまつれ。ともすれば御前の御遊びに召し出でらるる、かたはらいたしや。まだいと若き笛を」とうち笑みて、双調吹かせたまふ。いとをかしう吹いたまへば、「けしうはあらずなりゆくは、このわたりにておのづから物に合はするけなり。なほ掻き合はせさせたまへ」と責めきこえたまへば、苦しと思したる気色ながら、爪弾きにいとよく合はせて、ただすこし掻き鳴らいたまふ。皮笛ふつつかに馴れたる声して。この東のつまに、軒近き紅梅のいとおもしろく匂ひたるを見たまひて、「御前の花、心ばへありて見ゆめり。兵部卿宮内裏におはすなり。一枝折りてまゐれ。知る人ぞ知る」とて、「あはれ、光る源氏と、いはゆる御盛りの大将などにおはせしころ、童にてかやうにてまじらひ馴れきこえしこそ、世とともに恋しうはべれ。この宮たちを世人もいとことに思ひきこえ、げに人にめでられんとなりたまへる御ありさまなれど、端が端にもおぼえたまはぬは、なほたぐひあらじと思ひきこえし心のなしにやありけん。おほかたにて思ひ出でたてまつるに、胸あく世なく悲しきを、け近き人の後れたてまつりて生きめぐらふは、おぼろげの命長さならじかしとこそおぼえはべれ」など、聞こえ出でたまひて、ものあはれにすごく思ひめぐらししをれたまふ。
 ついでの忍びがたきにや、花折らせて、急ぎ参らせたまふ。「いかがはせん 昔の恋しき御形見には、この宮ばかりこそは。仏の隠れたまひけむ御なごりには、阿難が光放ちけんを、二たび出でたまへるかと疑ふさかしき聖のありけるを。闇にまどふるはるけ所に、聞こえをかさむかし」とて、
    心ありて風のにほはす園の梅にまづ鶯のとはずやあるべき
と、紅の紙に若やぎ書きて、この君の懐紙にとりまぜ、押したたみて出だしたてたまふを、幼き心に、いと馴れきこえまほしと思へば、急ぎ参りたまひぬ。

★阿難尊者
阿難は、釈迦入滅後、第一回結集の総裁を務めた。彼の参加資格をめぐっては、迦葉尊者から疑義が提出された。その疑義をいちいち論破し、最後は閉ざされた戸の鍵穴から入場するという神通力を見せて九百九十九人の大衆を納得させた。講師の座に着き「如是我聞」と、釈迦の教説を語り始めたとき、大衆は「我が大師釈迦如来の再び還りましまして、我等がために法を説きたまふか」と疑ったという。それほど阿難は釈迦に似ていたのである。大智度論にある話だが、『今昔物語集』巻第四第一に詳しく述べられている。阿難は提婆達多の弟、釈迦の従弟。釈迦に付き添い秘書的存在であった。多聞第一。美男で優しく女性信者を熱狂させた。釈迦は阿難に限って着衣のはだけを注意している。さて、この巻において大納言は、匂宮を「阿難」に譬える。これは、匂宮を誉めているようで、実は光源氏の絶対性を強調している文脈であろう。どんなに似ていようとも阿難は阿難、釈迦ではない。阿難でもって、匂宮は絶対に光源氏にはなれぬ男だという宣言を、作者はさりげなくやっているのである。宇治十帖は「阿難」たちの物語なのだ。

★あはれ、光源氏
この「あはれ」は感動表現である。「あはれ衛門の督」の「あはれ」と同じである。按察大納言は、光源氏の前で高砂を歌った少年の日(賢木巻)の思い出に生きている。彼の目には、今の匂宮など、「端が端にもおぼえたまはぬ」。光源氏を知る世代の生き残りとして、按察大納言は存在する。これも、もう一人、光源氏を知る八宮という男がいる宇治への繋ぎ、露払いとも考えられる。光源氏に「気近き人の後れたてまつりて生きめぐらふ」人々を語る。これが、このあたりのテーマ。そういう人々の証言でもって、世の常ならざる光源氏、および紫上の絶対的世界を振り返ろうという目論見である。この巻の時間が、宇治十帖の前ではなく奥深い部分に関わるという設定こそ、宇治十帖の世界をして、光源氏の時代からすれば、「端が端にもおぼえたまはぬ」世界だと強調する結果となるのだということを押さえておきたいものである。

★小君を取り合う東宮と匂宮
 
北の方まかでたまひて、内裏わたりのことのたまふついでに、「若君の、一夜宿直して、まかり出でたりし匂ひのいとをかしかりしを、人はなほと思ひしを、宮のいと思ほし寄りて、兵部卿宮に近づききこえにけり、むべ我をばすさめたりと、気色とり、怨じたまへりしこそをかしかりしか。ここに、御消息やありし。さも見えざりしを」とのたまへば、「さかし。梅の花めでたまふ君なれば、あなたのつまの紅梅いと盛りに見えしを、ただならで、祈りて奉れたりしなり。移り香はげにこそ心ことなれ。晴れまじらひしたまはん女などは、さはえしめぬるかな。源中納言(薫)は、かうざまに好ましうはたき匂はさで、人柄こそ世になけれ。あやしう、前の世の契りいかなりける報いにかと、ゆかしきことにこそあれ。同じ花の名なれど、梅は生ひ出でけむ根こそあはれなれ。この宮などのめでたまふ、さることぞかし」など、花によそへてもまづかけきこえたまふ。

★紅梅巻の時間
薫がすでに中納言である。ちなみに、薫が中納言になるのは、宇治十帖でいえば、椎本巻。この巻の時間は、橋姫巻を通り過ぎ、橋姫巻以後の話を語っていることになる。彼が自分の出生の秘密を知るのは橋姫巻である。したがって、すでに薫は宇治八宮の姫君たちを知り、なかんずく大君に心惹かれている頃である。巻の最後に匂宮が「八の宮の姫君にも、後こころざし浅からで、いとしげうむでありきたまふ」とあるところは、椎本巻をも通り過ぎて、総角巻あたりの時間が、この紅梅巻の時間であることが知れる。この遠近法を誤って、巻の順序を時間の順序だと了解すると宇治十帖の本質を捉えそこなうだろう。大納言の叫びである「端が端」は宇治十帖の中ほどで響く声なのである。こまこと、以外に読者の意識にのぼらないように見える。これは、史記のような列伝方式に拘った作者の失敗なのかもしれない。

★宮の御方と真木柱の胸の内
 宮の御方は、もの思し知るほどにねびまさりたまへれば、何ごとも見知り、聞きとどめたまはぬにはあらねど、人に見え、世づきたらむありさまは、さらにと思し離れたり。世の人も、時による心ありてにや、さし向かひたる御方々には、心を尽くしきこえわび、いまめかしきこと多かれど、こなたはよろづにつけ、ものしめやかに引き入りたまへるを、宮は御ふさひの方に聞き伝へたまひて、深う、いかでと思ほしなりにけり。若君を常にまつはし寄せたまひつつ、忍びやかに御文あれど、大納言の君深く心かけきこえたまひて、さも思ひたちてのたまふことあらばと気色とり、心まうけしたまふを見るに、いとほしう、「ひき違へて、かう思ひよねべうもあらぬ方にしも、なげの言の葉を尽くしたまふ、かひなげなること」と、北の方も思しのたまふ。
 はかなき御返りなどもなければ、負けじの御心そひて、思ほしやむべくもあらず。何かは、人の御ありさま、などかは、さても見たてまつらまほしう、生ひ先遠くなどは見えさせたまふになど、いといたう色めきたまうて、通ひたまふ忍び所多く、八の宮の姫君にも、御心ざし浅からで、いとしげう参で歩きたまふ、頼もしげなき御心の、あだあだしさなども、いとどつつましければ、まめやかには思ほし絶えたるを、かたじけなきばかりに、忍びて、母君ぞ、たまさかにさかしらがり聞こえたまふ。

★遠近法
こうしてこの巻は終る。宇治での事件がすでにかなり進行しているらしいことを、明示している。また、この巻では、匂宮のほうにばかり焦点をあわせ、宇治十帖の主人公である薫にわざと触れない。意図を感じるのは私だけか。彼の地位が「中納言」であるというこの巻の薫に関する二箇所の、さりげない言及。これが後になってそうとうに効いてくる。次の竹河巻の巻末で、薫が中納言に就任し玉鬘に報告に来るという場面がある。その記事に接すると、竹河巻の話は、この巻よりはるか前の話だということが分かるし、竹河巻に続く橋姫巻、さらに次の椎本巻とて、この紅梅巻より前の話である。すでに、この紅梅巻の段階で、薫は、自分の出生の秘密を完璧に把握しているのた゜し、宇治八宮はもはやこの世の人ではない。薫自身、自分が柏木の息子で藤原氏なのだと痛いほど承知している。誰にも言わないだけである。それなのに、柏木の弟である按察使大納言は、頓珍漢にも、匂宮への関心ばかりで、薫を取り込む政治的戦略には全く無関心である。これでは、藤原氏の再興は、残念ながら夢のまた夢というところであろう。やはり源氏物語は「源氏物語」なのだ。



 <竹河巻>

第48回 竹河巻・生ける玉鬘を走らす者は

★この巻の粗筋
 1 髭黒家悪御達による物語、始まる。
 2 玉鬘のその後。三男二女。髭黒すでになく、藤原氏より源氏ほへ親近する。
 3 大君の縁談。帝からの要請があるが、中宮をはばかる。冷泉院からもあり、苦慮する。
 4 夕霧の子息、蔵人の少将、大君に熱烈な思いを寄せる。夕霧も雲居雁も望む。玉鬘は、中君をと考える。
 5 薫、玉鬘邸によく来訪。玉鬘、薫を光源氏の形見と思い可愛がり、婿にと思う。
 6 正月。紅梅大納言、兄の藤中納言年賀に来る。夕霧、蔵人の少将など六人全員を伴ない来る。
 7 玉鬘、夕霧に冷泉院の件を相談する。
 8 一行、女三宮邸に赴く。
 9 夕刻、薫来訪。その美しさ際立つ。玉鬘、薫を見て、光源氏の若き日を偲ぶ。 
10 正月、二十日過ぎ、薫、忍んでいる蔵人少将を見つける。そのまま二人来訪。和琴を弾く薫に、致仕大臣と柏木を偲ぶ玉鬘。酒宴始まり、人気が薫に集中することを蔵人少将危ぶむ。翌日の薫の文の見事さに玉鬘感歎する。
11 三月。大君、中君碁を打つ。見証の兄達、世の移りを嘆く。冷泉院との結論に難色を示す。兄達が去った後、庭の桜を賭け物にして碁を続行する。蔵人の少将、この様子を覗き見る。中君勝つ。左方、右方の応酬をする。
12 玉鬘、大君の冷泉院入内を決断する。蔵人少将死ぬほど落胆。見かねた雲居雁、玉鬘に手紙を出すも叶わず。
13 蔵人少将来訪。取次ぎの中将を恨む。中将、反撃する。
14 明けて四月。夕霧嘆く。蔵人少将、大君に恨みの歌を贈る。玉鬘、冗談めかした返歌をする。
15 四月九日。大君、冷泉院に参る。夕夫婦、人夫を出し世話をする。紅梅大納言も一通りの世話。藤中納言、おりたちて取り仕切る。
16 蔵人少将、命がけの歌を贈る。大君の返歌に、「聞かでややまむ君がひと言」の歌を返す。大君、自身の不用意を後悔する。
17 大君、時めく、付き添った玉鬘は早々に辞去する。
18 冷泉院の薫、やんぬるかなの思いを抱く。心鎮め難き蔵人少将、中君に心移らず、冷泉院に寄り付かず。
19 帝、不満。兄達、玉鬘に不満を述べるも後の祭。玉鬘の慨嘆。
20 七月。大君懐妊する。
21 新年。男踏歌あり。薫は歌頭、蔵人少将は楽人を務める。冷泉院にめぐり来る。翌日、薫、冷泉院に召される。光源氏の昔を偲びつつ管絃の宴。筝は御息所。琵琶を薫、院は和琴を弾く。
22 四月、大君、女宮を産む。院の愛深まる。周囲の嫉視ただならず。
23 玉鬘、尚侍を中宮に譲る決意をする。夕霧に弁明し、明石中宮に配慮しつつ中君を参上させる。
24 玉鬘、出家を志すも、中将たちに止められる。内裏に行き院を避ける玉鬘の心のうちを、大君は誤解する。
25 数年後、大君、皇子を産む。弘徽殿女御との仲、険悪となる。世の人女御に同情する。玉鬘慨嘆する。
26 薫の出世。宰相中将となる。「匂や薫」と抜群の人気。蔵人少将、三位中将となる。左大臣の娘と結婚するも、大君への思い絶えず。その大君、里がちに。中君は幸せ。
27 左大臣死亡。夕霧左大臣に、藤大納言は中納言に、三位中将は宰相となる。
28 薫、喜びの報告に玉鬘邸を訪問する。玉鬘、大君の苦境を訴え、とりなしを依頼する。薫、後宮の常を説き、承知せず。玉鬘嘆く。薫、玉鬘の衰えぬ魅力に、大君を思い、宇治の姫君を想う。
29 東隣りの右大臣邸の繁栄。匂宮のつれなさに、薫を婿にと思う。玉鬘、世の無常を嘆く。
30 宰相中将、玉鬘邸訪問。折りしも大君里下がり中。中将、胸の内を語る。玉鬘、出世のままならぬ息子達にやるせない思い。

★口上
 これは、源氏の御族にも離れたまへりし後大殿わたりにありける悪御達の落ちとまり残れるが間はず語りしおきたるは、紫のゆかりにも似ざめれど、かの女どもの言ひけるは、「源氏の御末々にひが事どものまじりて聞こゆるは、我よりも年の数つもりほけたりける人のひが言にや」などあやしがりける。いづれかはまことならむ。

★竹河巻の位置
髭黒と結婚した玉鬘は、三男二女の母となっている。その髭黒はすでに亡い。髭黒の性格「情けすこしおくれ、むらむらしさ過ぎたまへりける御本性」の報いによって、未亡人玉鬘の立場はつらい。特に「御近きゆかり」からの反発は、相当のものだったらしい。「誰もえなつかしく聞こえ通ひたまはず」という状況である。太政大臣髭黒の政治は、藤原氏でありながら光源氏寄りのもので、藤原氏にとってはかなり厳しいものであったことが推測される。姫君の成長を心待ちにしていた頃、髭黒は死んだ。姫君は現在十八九歳であると、後に記してあるから、髭黒の死は、今をさること十年くらい前の出来事であったと推定される。光源氏の四十賀の時、玉鬘がつれてきた二人の幼児の兄・中将が二十七八歳と書かれている。なお、光源氏の死は五十五歳前後。かれこれ勘案すると、この竹河巻冒頭の時点は、光源氏や髭黒の死から十年くらい経った頃ということができる。竹河巻は、匂兵部卿巻と先頭をほぼ同じくし、紅梅巻よりずっと前の話である。

★玉鬘の感激
光源氏は遺産分与にさいして、玉鬘を中宮の次に位置づけていた。四面楚歌の状況にあった玉鬘の感激、おしてしるべしである。玉鬘は、結婚後も実質光源氏の娘でありつづけたことの、これは証明であろう。このことは、この巻の彼女の決断を理解する上でかかせない要素である。

★橋姫巻への呼び水
薫を見て、玉鬘は、光源氏によく似ている夕霧に比べて、光源氏に似ていないと思う。だから「かの御若盛り思ひやらるる。かうざまにぞおはしけむかし」と判断する。光源氏の若い頃を玉鬘は知らない。この玉鬘の善意の判断が、薫の出生の秘密を読者に再認識させる。おそらく、そうさせたくて、玉鬘を登場させたのではないかとさえ思われる。出生の秘密を知らない善意の第三者の目からみた薫を書く。この発想が、冒頭の「わる御達」になったのではないか。これらは、出生の秘密が暴露する次の巻・橋姫への用意である。冷泉院がこの巻で強調されるのも、その線で理解してよいのではないか。薫の和琴は、「故致仕の大臣の御爪音になむ通ひたまへる」ともっぱらの噂であったらしい。その薫の和琴を聞いた玉鬘の感想。「おほかたこの君は、あやしう故大納言の御ありさまに、いとようおぼえ、琴の音など、ただそれとこそおぼえつれ」。この巻のテーマの完全な駄目押しである。彼女は、無意識のうちに「故致仕の大臣の御爪音」から、柏木に肉薄している。これが、橋姫への強烈な志向でなくてなにか。竹河巻は、橋姫巻の秘密暴露の呼び水となる巻なのである。

★囲碁の場
 碁打ちたまふとて、さし向かひたまへる髪ざし、御髪のかかりたるさまども、いと見どころあり。侍従の君、見証したまふとて近うさぶらひたまふに、兄君たちさしのぞきたまひて、「侍従のおぼえこよなうなりにけり。御碁の見証ゆるされにけるをや」とて、おとなおとなしきさまして突いゐたまへば、御前なる人々とかうゐなほる。中将、「宮仕のいそがしうなりはべるほどに、人に劣りにたるは、いと本意なきわざかな」と愁へたまへば、「弁官は、まいて、私の宮仕怠りぬべきままに、さのみやは思し棄てん」など申したまふ。碁打ちさして恥ぢらひておはさうずる、いとをかしげなり。「内裏わたりなどまかり歩きても、故殿おはしまさましかば、と思ひたまへらるること多くこそ」など、涙ぐみて見たてまつりたまふ。二十七八のほどにものしたまへば、いとよくととのひて、この御ありさまどもを、いかでいにしへ思しおきてしに違へずもがなと思ひゐたまへり。御前の花の木どもの中にも、にほひまさりてをかしき桜を折らせて、「外のには似ずこそ」などもてあそびたまふを、「幼くおはしましし時、この花はわがぞわがぞと争ひたまひしを、故殿は、姫君の御木と定めたまひしを、いとさは泣きののしらねど、安からず思ひたまへられしはや」とて、「この桜の老木になりにけるにつけても、過ぎにける齢を思ひたまへ出づれば、あまたの人に後れはべりにける身の愁へもとめがたうこそ」など、泣きみ笑ひみ聞こえたまひて、例よりはのどやかにおはす。人の婿になりて、心静かにも今は見えたまはぬを、花に心とどめてものしたまふ。
 尚侍の君、かくおとなしき人の親になりたまふ御年のほど思ふよりはいと若うきよげに、なほ盛りの御容貌と見えたまへり。冷泉院の帝は、多くは、この御ありさまのなほゆかしう昔恋しう思し出でられければ、何につけてかはと思しめぐらして、姫君の御事を、あながちに聞こえたまふにぞありける。院へ参りたまはんことは、この君たちぞ、「なほもののはえなき心地こそすべけれ。よろづのこと、時につけたるをこそ、世人もゆるすめれ。げにいと見たてまつらまほしき御ありさまは、この世にたぐひなくおはしますめれど、盛りならぬ心地ぞするや。琴笛の調べ、花鳥の色をも音をも、時に従ひてこそ、人の耳もとまるものなれ。春宮はいかが」など申したまへば、「いさや、はじめよりやむごとなき人の、かたはらもなきやうにてのみものしたまふめればこそ。なかなかにてまじらはむは、胸いたく人笑へなることもやあらむとつつましければ。殿おはせましかば、行く末の御宿世宿世は知らず、ただ今はかひあるさまにもてなしたまひてましを」などのたまひ出でて、みなものあはれなり。

★死ぬほどの恋
    生ける世の死には心にまかせねば聞かでややまむ君がひと言
    塚の上にもかけたまふべき御心のほどと思ひたまへましかば、ひたみちにもいそがれましを
大君は蔵人少将と結婚すべきであったのだ。冷泉院は、大君を玉鬘の形代としか考えていない。こういう結婚は不幸をもたらすだけだ。実際そうなっているではないか。大君は、この結婚に命をかける男の方にこそ顔をむけるべきだ。そう考えると、読者は、玉鬘がこだわった光源氏の世界ではなく、柏木の世界を支持していることになる。二心ない愛の世界。しかし、作者は、このマザコン蔵人少将の行為をあざ笑い、悲哀を内に秘める薫を支持している。どうやら、この巻では、冷泉院と柏木を否定しておくことに作者の眼目がありそうである。なお、塚の徐君の塚の樹に宝剣を掛けて去る季札の故事は『史記』巻三十一呉世家にある。

★皇子の誕生
大君は最初女君、次いで男君を出産する。「おりゐたまはぬ世ならましかば、いかにかひあらまし」は、冷泉院にとって当然の感想であろう。光源氏はかって、冷泉院の皇統が断絶することを残念がった。今、冷泉院の男系の血筋が繋がったわけである。が、時すでに遅し、後の祭である。かって、光源氏の戦略通り事が運んでいたら、多産系の玉鬘であるから必ずや皇統がつながることとなったと思われる。やんぬるかな光源氏、冷泉院である。

★時世の移り
竹河巻の後半は、かなり時間経過がある。薫は、源侍従から宰相中将に、そして父柏木と同じ中納言になっている。蔵人少将は、三位の中将を経て宰相となる。夕霧は左大臣に就任。紅梅大納言は右大臣に昇進する。こう述べてゆくと、権力の船に乗り損ね世間から取り残されてゆく玉鬘一族の悲哀が歴然としてくる。なお、夕霧と紅梅大納言が左右大臣になったというのは、「わる御達」のひが覚えであろうか。あるいは「紫のゆかり」方の惚けのせいであろうか。ここにのみ見える記事である。

★つれない薫
「今日は。さだ過ぎにたる身の愁へなど聞こゆべきついでにもあらずとつつみはべれど、わざと立ち寄りたまはんことは難きを、対面なくて、はた。さすがにくだくだしきことになん。院にさぶらはるるが、いといたう世の中を思ひ乱れ、中空なるやうにただよふを、女御を頼みきこえ、また后の宮の御方にもさりとも思しゆるされなんと思ひたまへ過ぐすに、いづ方にも、なめげにゆるさぬものに思されたなれば、いとかたはらいたくて。宮たちはさてさぶらひたまふ、この、いとまじらひにくげなるみづからは、かくて心やすくだにながめ過ぐいたまへとてまかでさせたるを、それにつけても、聞きにくくなん。上にもよろしからず思しのたまはすなる。ついであらば、ほのめかし奏したまへ。とざまかうざまに頼もしく思ひたまへて、出だしたてはべりしほどは、いづ方をも心安くうちとけ頼みきこえしかど、今は、かかる事あやまりに、幼うおほけなかりけるみづからの心を、もどかしくなん」とうち泣いたまふ気色なり。
「さらにかうまで思すまじきことになん。かかる御まじらひの安からぬことは、昔よりさることとなりはべりにけるを。位を去りて静かにおはしまし、何ごともけざやかならぬ御ありさまとなりにたるに、誰もうちとけたまへるやうなれど、おのおの内々は、いかがいどましくも思すこともなからむ。人は何の咎と見ぬことも、わが御身にとりては恨めしくなん、あいなきことに心を動かいたまふこと、女御、后の常の御癖なるべし。さばかりの紛れもあらじものとてやは思したちけん。ただなだらかにもてなして、御覧じ過ぐすべきことにはべるなり。男の方にて奏すべきことにもはべらぬことになん」と、いとすくすくしう申したてまへば、「対面のついでに愁へきこえむと。待ちつけたてまつりたるかひなく、あはの御ことわりや」とうち笑ひておはする。人の親にてはかばかしがりたまへるほどよりは、いと若やかにおほどいたる心地す。



 <橋姫巻>

★この巻の粗筋
 1 不遇の宮の紹介。北の方の忘れ形見、大君と中君美しく成長する。
 2 宮、仏道にいそしむ。
 3 春の日。宮、大君、中君、池の水鳥の歌を詠む。
 4 宮は光源氏の弟。政変時、東宮となるはずであった。光源氏時代冷遇され今日に及ぶ。
 5 都の邸、焼亡。宇治の山荘に移り住む。
 6 宇治の阿闍梨と親交をむすぶ。阿闍梨が冷泉院に親近する縁で、八宮の事情が、院や薫に知られるところとなる。
 7 院は八宮の姫君に興味を持ち、薫は俗聖といわれる八宮に非常な関心を抱く。
 8 院と八宮との贈答。院、宮の世の恨みを知る。
 9 薫、阿闍梨の紹介で、宇治に通い始め、八宮の法の友となる。姫君への関心は薄い。
10 薫、八宮に傾倒する。院も支援して三年が経つ。
11 秋の末。有明月のころ、薫宇治へ行く。八宮は山寺に参籠中。薫、姫君の奏でる琵琶と筝の琴の音を聞き、宿直人を語らい垣間見る。
12 薫、月光と霧の中の、物語の一場面のような姫君に魅了される。
13 薫、挨拶する。応対に出た大君に、薫、自己を多く語る。
14 奥の老女起き出し、大君に代わる。老女、泣き出し、昔語りを始める。柏木のことを言い、自分は柏木の乳母の子であると告げる。柏木の遺言を語りかける。
15 薫、聞きたい心を抑え、後日を期す。
16 帰るに際し、薫、大君と二度贈答する。
17 帰邸した薫、宇治に手紙や物を送る。翌日、山籠りの八宮の感謝。
18 薫、匂宮に宇治の姫君のことを語る。匂宮、いたく興味を示す。
19 十月五六日。薫、宇治訪問。阿闍梨を交えた談義から琴、琵琶の合奏。薫の所望に八宮、姫君に筝を勧めるが姫君固辞する。
20 八宮、死後の不安を訴える。薫、姫君の世話を約束する。
21 暁方、老女・弁を召し、柏木の最期の有様を聞く。秘密は弁と小侍従で保たれた由。
22 弁、その後の身の上を語る。母の死、九州への流浪、八宮との縁など。
23 薫、小侍従の死を告げる。弁、秘密の袋を薫に手渡す。薫、秘密の露顕を案ずる。
24 薫、宇治を辞去する。
25 帰邸した薫、封のついた袋を開ける。柏木と女三宮との最後の贈答がある。
     命あらばそれとも見まし人知れず岩根にとめし松の生い末
26 薫、母女三宮の許へ。母恥じらい経を隠す。薫、秘密を語らず。

★光の影
この巻は「世にかずまえられたまはぬ古宮」の登場から始まる。即位前の光孝天皇のような人物の設定である。母方の家柄もよく、一時は「筋異なるべきおぼえなど」あった宮である。身分的にいえば、光源氏よりむしろ上位の人である。ということは、東宮となるに相応しい人であったということだろう。が、「時移り」、「世の中にはしたなめられたまひける」ということは、屈辱的事件に遭遇したということだろう。結果、今は「公私により所なく、さし放たれたまへるやうな」状態にある。源氏物語冒頭の、桐壷更衣とその母の一族、明石入道のこと、あるいは六条御息所の運命を思わせる記述である。北の方も大臣の娘。「親たちのおぼしおきてたりしさまなど思ひ出」すとたまらぬ思いがあるという。世が世であれば、この宮は天皇となり彼女は、その家柄からいって充分に中宮たりえた。という趣が、この宮には決定的にある。いよいよ六条御息所だ。古宮と北方は、この敗残の人生を、わずかに「二心なき夫婦愛」でもって耐えている。という書き出しである。宮をこのような不幸な境遇に追いやったのは、光源氏一族の栄耀栄華であることは、のっけから充分に予想されるところであろう。となれば、この宮の物語は、致仕の大臣の一族の物語から竹河の玉鬘、という源氏物語の、心ゆかぬ人々の流れ、その文脈の最果てに位置するにふさわしい物語と考えられよう。また、この宮の物語こそ、『源氏物語』以前、あるいは初期における光源氏の母方一族の影絵として了解すべき物語なのだというとらえかたが重要であろう。

★八宮の悲劇
 父帝にも女御にも、とく後れきこえたまひて、はかばかしき御後見のとりたてたるおはせざりければ、才など深くもえ習ひたまはず、まいて、世の中に住みつく御心おきてはいかでかは知りたまはむ、高き人と聞こゆる中にも、あさましうあてにおほどかなる、女のやうにおはすれば、古き世の御宝物、祖父大臣の御処分、何やかやと尽きすまじかりけれど、行く方もなくはかなく失せはてて、御調度などばかりなん、わざとうるはしくて多かりける。参りとぶらひきこえ、心寄せたてまつる人もなし、つれづれなるままに、雅楽寮の物の師どもなどやうのすぐれたるを召し寄せつつ、はかなき遊びに心を入れて生ひ出でたまへれば、その方はいとをかしうすぐれたまへり。
 源氏の大殿の御弟、八の宮とぞ聞こえしを、冷泉院の春宮におはしましし時、朱雀院の大后の横さまに思しかまへて、この宮を世の中に立ち継ぎたまふべく、わが御時、もてかしづきたてまつりたまひける騒ぎに、あいなく、あなたざまの御仲らひにはさし放たれたまひにければ、いよいよかの御次々になりはてぬる世にて、えまじらひたまはず、また、この年ごろ、かかる聖になりはてて、今は限りと
よろづを思し棄てたり。
 かかるほどに、住みたまふ宮焼けにけり。いとどしき世に、あさましうあへなくて、移ろひ住みたまふべき所の、よろしきもなかりければ、宇治といふ所によしある山里持たまへりけるに渡りたまふ。思ひ棄てたまへる世なれども、今はと住み離れなんをあはれに思さる。網代のけはひ近く、耳かしがましき川のわたりにて、静かなる思ひにかなはぬ方もあれど、いかがはせん。花紅葉、水の流れにも、心をやるたよりに寄せて、いとどしくながめたまふよりほかのことなし。かく絶え籠りぬる野山の末にも、昔の人ものしたまはましかばと思ひきこえたまはぬをりなかりけり。
    見し人も宿も煙になりにしをなにとてわが身消え残りけん
生けるかひなくぞ思しこがるるや。

★末摘花の影
八宮は、昔の光源氏のように、結婚によって受領階級の富をとりこみ、荒廃した家を再興する道もなくはなかったのである。周囲も世の通例に従って再婚をすすめている。それをあえてしなかったのはなぜだろう。ひょっとして、光源氏が明石の力で復活した例を、苦々しく思っていたのではあるまいか。埃り高く生きる、というのが宮の処世。「世人になずらふ御心づかい」は絶対しない。蓬生巻の末摘花に同じである。この八宮の思念は、大君に引き継がれる、と考えるとよいか。人生を見切り、諦める。八宮の場合、自己完結を希求する閉塞の人生が予想される。この八宮の発想は、源氏物語を閉じようとする作者の発想と繋がっているのではないか。

★運命に近づく薫
 秋の末つ方、四季にあててしたまふ御念仏を、この川面は網代の波もこのごろはいとど耳かしがましく静かならぬとて、かの阿闍梨の住む寺の堂に移ろひたまひて、七日のほど行ひたまふ。姫君たちは、いと心細くつれづれまさりてながめたまひけるころ、中将の君、久しく参らぬかなと思ひ出できこえたまひけるままに、有明の月のまだ夜深くさし出づるほどに出で立ちて、いと忍びて、御供に人などもなく、やつれておはしけり。川のこなたなれば、舟などもわづらはで、御馬にてなりけり。入りもてゆくままに霧りふたがりて、道も見えぬしげ木の中を分けたまふに、いと荒ましき風の競ひに、ほろほろと落ち乱るる木の葉の露の散りかかるもいと冷やかに、人やりならずいたく濡れたまひぬ。かかる歩きなども、をさをさならひたまはぬ心地に、心細くをかしく思されけり。
    山おろしにたへぬ木の葉の露よりもあやなくもろきわが涙かな
山がつのおどろくもうるさしとて、随身の音もせさせたまはず、柴の籬を分けつつ、そこはかとなき水の流れどもを踏みしだく駒の足音も、なほ、忍びてと用意したまへるに、隠れなき御匂ひぞ、風に従ひて、主知らぬ香とおどろく寝覚めの家々ありける。

★霧の中の姫君
 あなたに通ふべかめる透垣の戸を、すこし押し開けて見たまへば、月をかしきほどに霧りわたれるをながめて、簾を短く捲き上げて人々ゐたり。簀子に、いと寒げに、身細く萎えばめる童一人、同じさまなる大人などゐたり。内なる人、一人は柱にすこしゐ隠れて、琵琶を前に置きて、撥(ばち)を手まさぐれにしつつゐたるに、雲隠れたりつる月のにはかにいと明くさし出でたれば、「扇ならで、これしても月はまねきつべかりけり」とて、さしのぞきたる顔、いみじくらうたげににほひやかなるべし。添ひ臥したる人は、琴の上にかたぶきかかりて、大君「入る日をかへす撥こそありけれ、さま異にも思ひおよびたまふ御心かな」とて、うち笑ひたるけはひ、いますこし重りかによしづきたり。「およばずとも、これも月に離るるものかは」など、はかなきことをうちとけのたまひかはしたるけはひども、さらによそに思ひやりしには似ず、いとあはれになつかしうをかし。昔物語などに語り伝へて、若き女房などの読むをも聞くに、かならずかやうのことを言ひたる、さしもあらざりけんと憎く推しはかるるを、げにあはれなるものの隈ありぬべき世なりけりと心移りぬべし。
 霧の深ければ、さやかに見ゆべくもあらず、また、月さし出でなんと思すほどに、奥の方より、「人おはす」と告げきこゆる人やあらん、簾おろしてみな入りぬ。おどろき顔にはあらず、なごやかにもてなして、やをら隠れぬるけはひども、衣の音もせずいとなよよかに心苦しうて、いみじうあてにみやびかなるをあはれと思ひたまふ。

★宇治
源氏物語時代の宇治は、頼通の平等院建立(1053年)以前の宇治である。宇治のイメージは、自殺して帝位を譲った菟道稚郎子。世に背を向けて生きた喜撰法師でもって決定される。特に喜撰歌「わが庵は都の辰巳しかぞ住む世を憂じ山と人はいふなり」のイメージは、この八宮の人生、処世の象徴として機能している。また、ほとんど帝位にあった菟道稚郎子の風姿が遠望される宇治効果も、作者の確実に狙っているところであろう。宇治は、帝になりそこなった八宮の居場所にふさわしい場所なのである。

★宇治の阿闍梨
阿闍梨はなぜ、冷泉院には、親しく出入りしているのであろうか。藤壺の一族との関係を考えるべきか。あるいは、喜撰法師その人の出自が、そういう人であったことを、作者が利用しているのだという発想はどうだろう。喜撰は紀仙で、紀名虎の一族という考えるとどうなるか。喜撰を紀有常だとまでは言わぬが、惟喬親王の周辺を構成していた重要人物で、事破れた後、宇治に去った人物なのではないか。紀貫之は古今集の序文では「よく知らず」ととぼけているが、喜撰法師については、誰よりもよく知っていたのではないか。紫式部もそうだったと考えると面白くないか。なお、惟喬親王とて、東宮になりそこなった人物なのだから。と考えると、宇治の風景に奥行きがでてくるのではないかと思う。

★下卑た薫
薫はなぜ、宇治の話を親友の匂宮にわざわざしに行ったのであろうか。薫は「見し暁のありさまなど、くはしく」匂宮に語っている。宇治の姉妹を、その程度の軽さで認識していたということか。あるいは、単に嬉しくて自慢したかっただけなのか。「聞こえはげまして、御心騒がしたてまつらむ、とおぼして」と本文にはある。事実、彼は、匂宮が羨ましく思うように、いかにもわざとらしく語っている。しかし、これはいかにも軽率である。宇治は、彼の秘密を保持している場所であることが、同時的に判明したのであるから、そう易々と人を導き入れるような話しをすべき場所ではないはずである。この時、彼はどこかおかしい。やはり、恋に落ちていたからだとしか考えられない。これでは、いい女にほくそえむ好色漢と変わるところがないではないか。作者の意図も、案外そういう薫の一面を明示するところにあったのかもしれない。

★後事を託す
八宮が薫に後事を託す。特に姫君たちのことは任せてくれという薫の言葉を喜ぶ八宮の場面がしっかり本文に記されている。ひの時点で、薫は落葉宮に対する夕霧の立場にすでに立っているのである。しかしながら、薫は「わざとの御後見だち、はかばかしき筋にははべらずとも」という言わずもがなの限定条件をつけている。八宮は、薫の道心を過大評価しているから、この限定条件を額面通り受け取ったものと思われる。この誤解が、次巻
の遺言の矛盾を発生させるわけである。

★秘密の袋
 帰りたまひて、まづこの袋を見たまへば、唐の浮線綾を縫ひて、「上」といふ文字を上に書きたり。細き組みして口の方を結ひたるに、かの御名の封つきたり。開くるも恐ろしうおぼえたまふ。いろいろの紙にて、たまさかに通ひける御文の返り事、五つ六つぞある。さては、かの御手にて、病は重く限りになりにたるに、またほのかにも聞こえんこと難くなりぬるを、ゆかしう思ふことはそひにたり、御かたちも変りておはしますらんが、さまざま悲しきことを、陸奥国紙五六枚に、つぶつぶとあやしき鳥の跡のやうに書きて、
    目の前にこの世をそむく君よりもよそにわかるる魂ぞかなしき
また、端に、「めづらしく聞きはべる二葉のほども、うしろめたう思うたまふる方はなけれど、
    命あらばそれとも見まし人しれぬ岩根にとめし松の生ひすゑ」
書きさしたるやうにいと乱りがはしくて、「侍従の君に」と上には書きつけたり。紙魚(しみ)といふ虫の住み処(か)になりて、古めきたる黴くささながら、跡は消えず、ただ今書きたらむにも違はぬ言の葉どもの、こまごまとさだかなるを見たまふに、げに落ち散りたらましよとうしろめたういとほしきことどもなり。
 かかること、世にまたあらんやと、心ひとつにいとどもの思はしさそひて、内裏へ参らんと思しつるも出で立たれず。宮の御前に参りたまへれば、いと何心もなく、若やんなるさましたまひて、経読みたまふを、恥ぢらひてもて隠したまへり。何かは、知りにけりとも知られたてまつらんなど、心に籠めて、よろづに思ひゐたまへり。