源氏物語11…椎本巻 ・ 総角巻 ・ 早蕨巻 ・ 宿木巻



 <椎本巻>

第50回 椎本巻・誤解を残し、宮は先立つ

★この巻の粗筋
 1 二月二十日頃、匂宮初瀬詣で。上達部大勢供をする。帰途、夕霧の別荘に。薫迎えに来る。八宮、川を隔てて管絃を聴く。
 2 薫へ八宮より文あり。匂宮返事する。
 3 薫、八宮邸へ。八宮歓待、桜人を遊ぶ。匂宮、歌を贈る。中君返歌をする。都より迎えあり。一行帰洛。以後、匂宮と中君の文通始まる。
 4 心細い八宮。姫君たちの将来を思う。この年、大君二十五、中君二十三歳。八宮は厄年、六十一歳か。
 5 秋、薫、中納言に昇進する。
 6 七月。薫、宇治訪問。八宮、姫君達の後事を託す。薫応じ、八宮喜ぶ。
 7 八宮、薫に女性を語る。薫、姫君の琴を所望、八宮そそのかし、姫君いささか奏でる。
 8 八宮と薫、約束の贈答歌。薫、弁や姫君達と語らって帰る。
 9 匂宮、宇治紅葉狩りを計画する。文通絶えず。
10 八宮、死期を悟り、姫君たちに遺言する。女房達をも強く諫める。
11 八宮、阿闍梨の山寺に移る。八宮、山寺で病む。姫君との対面を望むが、阿闍梨、諫める。
12 八月二十日夜中、八宮死す。知らせを聞いた姫君の悲しみ。対面を望むも、阿闍梨に諫められる。
13 薫の悲しみ。行き届いた配慮をみせる。
14 九月。匂宮よりも弔問あり。紅葉狩りは中止。
15 忌果てる日。夕刻、匂宮より文あり。悲しみにくれる中君に代って大君返事をする。匂宮、さらに返事をよこす。大君返事せず。
16 薫訪問。大君ためらいがちに応対する。薫、霧の朝を思い出す。しきり。
17 弁、大君の代わりに出てきて薫と語る。弁の素性。秘密漏洩を危ぶむ薫の心情。心を残し帰京。
18 匂宮、いよいよ姫君に執心。
19 年末。八宮邸の寂寥。心細い姫君達。
20 阿闍梨、炭など持って姫君を見舞う。綿衣を贈る。帰り行く法師達の姿に感慨
21 年末、薫、雪をおして来訪。大君丁寧に応対。薫、自身の執着を自覚する。
22 薫、匂宮が中君に執着していることを語り、自分の思いも滲ませる。大君つれなし。
23 三十余年八宮に仕えたとの宿直人、薫と語る。
24 薫、八宮の居間にたたずみ椎本の歌を詠む。薫、帰京する。
25 新年。阿闍梨から芹、蕨など届く。
26 花盛りの頃。匂宮の文届く。中君のつれない返事。宮、薫を責める。
27 匂宮、夕霧の六の君との縁談、心進まず。
28 三条宮火災。女三宮、六条院に移り住む。多忙につき薫、宇治に無沙汰を重ねる。
29 夏、薫、宇治を訪問。障子穴から、自室に移動する姫君達を垣間見る。

★宇治別邸
匂宮が宿泊した宇治の別邸は、今の平等院のあたりに想定してある。光源氏よりの伝領して現在「右の大殿」つまり夕霧の所有の由。平等院の土地は、元来は源融の別荘の跡地であったのであるから、光源氏のイメージはますます融となる。また、この融の別荘地を道長が入手したのだから、道長のイメージもそっと塗り込めてはある。ならば、夕霧は頼道といったところか。この道長のイメージは、紫式部の、ちょっとしたサービスだろう。しかし、ここは融のイメージのダメ押しと考えないと、源氏物語の収拾がつかなくなる。嵯峨の御堂、六条院、そして宇治別邸、光源氏の人生設計は、源融の人生設計そのままなのである。

★心細い八宮
 いつとなく心細き御ありさまに、春のつれづれは、いとど暮らしがたくながめたまふ。ねびまさりたまふ御さま容貌どもいよいよまさり、あらまほしくをかしきも、なかなか心苦しう、かたほにもおはせましかばあたらしう惜しき方の思ひはうすくやあらましなど明け暮れ思し乱る。姉君二十五、中の君二十三にぞなりたまひける。
 宮は重くつつしみたまふべき年なりけり。もの心細く思して、御行ひ常よりもたゆみなくしたまふ。世に心とどめたまはねば、出立いそぎをのみ思せば、涼しき道にもおもむきたまひぬべきを、ただこの御事どもに、いといとほしく、限りなき御心強さなれど、かならず今はと見棄てたまはむ御心は乱れなむと、見たてまつる人も推しはかりきこゆるを、思すさまにはあらずとも、なのめに、さても人聞き口惜しかるまじう。見ゆるされぬべき際の人の、真心に後見きこえんなど思ひよりきこゆるあらば、知らず顔にてゆるしてむ、一ところ一ところ世に住みつきたまふよすがあらば、そりを見ゆづる方に慰めおくべきを、さまで深き心にたづねきこゆる人もなし。まれまれはかなきたよりに、すき事聞こえなどする人は、まだ若々しき人の心のすさびに、物詣での中宿、往き来のほどのなほざり事に気色ばみかけて、さすがに、かくながめたまふありさまなど推しはかり、侮らはしげにもてなすは、めざましうて、なげの答へをだにせさせたまはず。三の宮ぞ、なほ見ではやまじと思す御心深かりける。さるべきにやおはしけむ。

★八宮の年齢
「宮は、重くつつしみたまふべき年なりけり」とあるが、八宮は、現在何歳くらいか。記述から推測すると、大厄四十二歳と考えられる。が、橋姫巻にあったごとく、八宮は冷泉院より兄であったのだから、これは成り立たない。ちなみに、十の宮である冷泉院は現在五十二歳である。男の厄年は、二十五、四十二、六十一、であるから、現在の八宮の年齢は、六十一歳と了解すべきであろう。もし、光源氏が生きていたら現在七十一歳であるから、光源氏とは、十歳ほど年が違う弟という設定である。この点、矛盾はない。なお、八宮が東宮に擁立されかかった須磨巻あたりの彼の年齢は十六歳という計算になる。この年齢が間違いないとすると、大君は、八宮が三十六歳の時の子供ということになる。この時、光源氏は四十六歳で、若菜下巻で、明石女御腹の第一皇子が東宮となり、住吉詣でをしていた頃で、我が世の春を謳歌していた頃である。光源氏の生涯と八宮の生涯とは表裏の関係にあったわけだから、八宮と北方との結婚は、絶望感の中でのものであったと想像される。とすると、八宮と北方の結婚は、前坊と六条御息所の相似形となる。そういうところまで、作者は計算しているのだろうか。きっとしているにちがいない。

★素直な八宮と偽善の薫
八宮の女性認識。「女はもてあそびのつまにしつべく、ものはかなきものから、人の心を動かすくさはひになむあるべき。されば、罪の深きにやあらむ」。これは、とんでもない発想だが、彼は、目の前の薫に、自分の気持ちを正直に語っているのである。自分は俗聖でもなんでもない。女が好きなただの凡夫です。「子の道の闇」に迷う一人の親にすぎないのでございます。この時、八宮の脳裏に、浮舟の母の面影がよぎったかどうか。さて、正直な八宮の言葉に対する薫の返事。「いかがさおぼさざらむ、心苦しく思ひやらるる御心のうちなり」と、八宮の心中を充分に理解しているにもかかわらず、薫の返答は相変わらず、いい子ぶったもので、八宮の誤解を解こうという気配は微塵もない。「すべて、まことに、しか思うたまへ捨てたるけにやはべらむ、みづからのことにては、いかにもいかにも深う思ひ知るかたのはべらぬ」。なぜ彼は、正直に心を開いて自己を告白しなかったのだろう。八宮と同じレベルの話が何故できなかったのだろう。罪の子としての遠慮があったのだろうか。あるいは、八宮の期待に応えたいという青年の客気か。心優しさ故の演技か。いずれにしても、ふっきれる前の青年のとまどい。が、この逡巡の罪ははてしなく重い。

★遺言
 秋深くなりゆくままに、宮は、いみじうもの心細くおぼえたまひければ、例の、静かなる所にて念仏をも紛れなうせむと思して、君たちにもさるべきこと聞こえたまふ。「世のこととして、つひの別れをのがれぬわざなめれど、思ひ慰まん方ありてこそ、悲しさをもさますものなめれ。また見ゆづる人もなく、心細げなる御ありさまどもをうち棄ててむがいみじきこと。されども、さばかりのことに妨げられて、長き夜の闇にさへまどはむが益なさを。かつ見たてまつるほどだに思ひ棄つる世を、去りなん後のこと知るべきことにはあらねど、わが身ひとつにあらず、過ぎたまひにし御面伏に、軽々しき心ども使ひたまふな。おぼろげのよすがならで、人の言にうちなびき、この山里をあくがれたまふな。ただ、かう人に違ひたる契りことなる身と思しなして、ここに世を尽くしてんと思ひとりたまへ。ひたぶるに思ひしなせば、事にもあらず過ぎぬる年月なりけり。まして、女は、さる方に絶え籠りて、いちじるくいとほしげなるよそのもどきを負はざらむなんよかるべき」などのたまふ。ともかくも身のならんやうまでは、思しも流されず、ただ、いかにしてか、後れたてまつりては、世に片時もながらふべきと思すに、かく心細きさまの御おらましごとに、言ふ方なき御心まどひどもになむ。心の中にこそ思ひ棄てたまひつらめど、明け暮れ御かたはらにならはいたまうて、にはかに別れたまはむは、つらき心ならねど、げに恨めしかるべき御ありさまになむありける。

★阿闍梨の態度
死期が近づいた山寺の八宮が、「例よりも対面心もとなきを」という使いをよこす。これでは往生は難しい。この時、娘との対面を許さず、恩愛を捨てるように八宮に説いた阿闍梨の処置は正しい。当時の往生念仏観によれば、正念場では、こうしないと往生は絶対に不可能である。『往生要集』の「臨終の行儀」にあるとおり、八宮は現在「臨終の一念は百年の業に勝る」地点にあるのであって、助道の人・阿闍梨は、往生を目指す八宮の側にあって、死にゆく者に攀縁(往生念仏以外の心の乱れ)を生ぜしめぬよう「臨終の観念」「教化」をしているのである。阿闍梨の言葉。「人は皆、御宿世といふもの異々なれば、御心にかかるべきにもおはしまさず」。源氏物語における六条御息所と秋好中宮の関係を想起すれば、分かる条文だろう。秋好中宮がどんなに祈っても、母の苦患を救うことはできない。親は親、子は子なのだ。恩愛は決して救いを意味しない。また、死んだ後、姫君達に八宮の死体との対面も許さぬ阿闍梨。彼も徹底している。「あまりさかしき聖心」と姫君たちが思うのももっともな話である。しかし、四十九日の間は中有で、往生が決定しないモラトリアムの期間であるのだから、阿闍梨のように慎重に振る舞うのがむしろ正しい。

★宿直人の点描
彼は、八宮に仕えて「三十余年」という。逆算すると三十余年前は、六条院が完成した頃だ。光源氏の全盛時代の始まりは、そのまま八宮の暗黒時代の始まりであったけれども、丁度その頃から、八宮「一所の御陰に隠れて」この男は忠勤を励んできたのである。もちろん、姫君の生まれる前からの従者である。こういう設定も、源氏物語の懐の深さを示す要因となる。

★薫の道心は浮気のレベル
薫は、都では、二人の恋の取り持ち役であって、親がわりの発想でもって事にあたっている。宮の浮気癖をとがめると、宮は「心にかなふあたりを、まだ見つけぬほどぞや」と答えている。案外これは匂宮の本音なのかもしれない。状況からいってい中君は、かっての紫上を再現する人物となる可能性が大きい。なお、この匂宮の言葉は、かって作者が匂宮巻で薫の道心を皮肉った言葉と同じであるところが面白い。薫の道心は、匂宮の浮気と同じレベルだという認識がここに示されているということだ。

★薫、第二の垣間見
 その年、常よりも暑さを人わぶるに、川面涼しからむはやと思ひ出でて、にはかに参でたまへり。朝涼みのほどに出でたまひければ、あやにくさしくる日影もまばゆくて、宮のおはせし西の廟に宿直人召し出でておはす。そなたの母屋の仏の御前に君たちものしたまひけるを、け近からじとて、わが御方に渡りたまふ御けはひ、忍びたれど、おのづからうち身じろきたまふほど近う聞こえければ、なほあらじに、こなたに通ふ障子の端の方に、か掛金したる所に、穴のすこしあきたるを見おきたまへりければ、外に立てたる屏風をひきやりて見たまふ。ここもとに几帳をそへ立てたる。あな口惜しと思ひてひき帰るをりしも、風の簾をいたう吹き上ぐべかめれば、女房「あらはにもこそあれ。その几帳押し出でてこそ」と言う人あなり。をこがましきもののうれしうて、見たまへば、高きも短きも、几帳を二間の簾に押し寄せて、この障子に対ひて開きたる障子より、あなたに通らんとなりけり。
 まづ一人たち出でて、几帳よりさしのぞきて、この御供の人々のとかう行きちがひ、涼みあへるを見せたまふなりけり。濃き鈍色の単衣に萱草の袴のもてはやしたる、なかなかさまかはりてはなやかなりと見ゆるは、着なしたまへる人からなめり。帯はかなげにしなして、数珠ひき隠して持たまへり。いとそびやかに様体をかしげなる人の、髪、桂にすこし足らぬほどならむと見えて、末まで塵のまよひなく、艶々とこちたううつくしげなり。かたはらめなど、あならうたげと見えて、にほひやかにやはらかにおほどきたるけはひ、女一の宮もかうざまにぞおはすべきと、ほの見たてまつりしも思ひくらべられて、うち嘆かる。
 また、ゐざり出でて、「かの障子はあらはにもこそあれ」と見おこせたまへる用意、うちとけたらぬさまして、よしあらんとおぼゆ。頭つき、髪ざしのほど、いますこしあてになまめかしさまさりたり。「あなたに屏風もそへて立ててはべりつ。急ぎてしものぞきたまはじ」と、若き人々何心なく言ふあり。「いみじうもあるべきわざかな」とて、うしろめたげにゐざり入りたまふほど、気高う心にくきけはひそひて見ゆ。黒き袷一襲、同じやうなる色あひを着たまへれど、これはなつかしうなまめきて、あはれげに心苦しうおぼゆ。髪さはらかなるほどに落ちたるなるべし、末すこし細りて、色なりとかいふめる翡翠だちていとをかしげに、糸をよりかけたるやうなり。紫の紙に書きたる経を片手に持ちたまへる手つき、かれよりも細さまさりて、痩せ痩せなるべし。立ちたりつる君も、障子口にゐて、何ごとにかあらむ、こなたを見おこせ笑ひたる、いと愛敬づきたり。

★大君のイメージ
大君の印象は、ここにきて相当に裏切られるというべきだ。彼女は、来ない男を待つ『古今和歌集』的宇治橋姫美女イメージから、恨みの男を取り殺す『平家物語』剣巻的鬼女へと一歩踏み出している印象を読者はもたないだろうか。



 <総角巻>

第51回 総角巻・もう会えないのかと思う

★この巻の粗筋
 1 八宮一周忌の準備。薫宇治を訪れ、大君と総角の贈答。匂宮を話題にする。
 2 弁、大君の胸の内を薫に語る。 
 3 薫、泊まる。仏間で大君と語り、近づく。大君許さず。総角にもならず。そのまま朝を迎えた薫の無念。
 4 大君の思い。中君がふさわしい。中君、大君の移り香から二人の関係を推察する。
 5 八宮一周忌終わる。薫来訪する。弁を筆頭に、薫に同心する周囲。大君、中君を説得しようとするが、果たせず。
 6 大君、自分の思いを弁に伝える。弁、薫の心中を語り、大君をいさめる。
 7 弁から話を聞いた薫、踏み込む決意をする。弁の手引き。察知した大君、一緒に寝ていた中君を残して逃げる。薫、中君と気づき、事に及ばず語らって朝を迎える。
 8 薫、弁に実情を語り、京に帰る。
 9 薫より文が届く。大君返事をする。
10 薫、六条院の匂宮を訪ね、階に腰を下ろし宇治の話をする。中君を匂宮にと決意。
11 八月二十六日。薫、匂宮を宇治に連れて行く。弁を欺き、薫は大君と障子越しの対面。夜ふけた頃、弁、薫と信じて匂宮を中君の部屋に案内する。
12 大君、事実を聞き、薫をなじる。薫、必死に弁明し、障子越しに朝を迎える。薫、匂宮京に帰る。
13 宇治方は混乱する。中君、大君の仕業と思う。匂宮から後朝の文届く。
14 二日目。薫同行せず。匂宮、一人宇治に。大君、中君に宿世を語り、かいがいしく世話をする。
15 三日目。宇治では三日餅の用意。薫、人々の衣料などを贈る。
16 中宮のいさめに、匂宮、宇治行きをいったん断念。やってきた薫に励まされ、夜更けてから馬で行く。
17 薫、京に残り、中宮に応対。女一宮を思う。薫、後宮で乱れず。
18 宇治、匂宮来訪にわきたつ。近勝りする中君。老いを予見する大君の対照。
19 匂宮、中君に現状を語る。いよいよこころ惹かれる。中君も依然として遠山鳥で夜を明かす。匂宮、中君を重く扱う決意。
21 薫、宇治を細やかに世話をする。
22 十月一日頃。薫の発案で宇治紅葉狩が行われる。宇治川で詩歌管絃の絢爛たる舟遊び。が、中宮に知られ、お忍びがお忍びでなくなり、宇治の中宿り果たせず。慙愧の思いで帰京。
23 大君、中君の不幸を深刻に悩む。
24 匂宮、帝の怒りを買い内裏に禁足状態。夕霧の六君との縁談進む。
25 薫後悔。二人とも我が物にしてよかった。
26 匂宮、女一宮を訪れ、中君を思う。
27 薫宇治へ。大君を見舞い慰める。翌朝帰る。
28 薫の供人、都での匂宮情報をもらす。伝え聞いた大君、さらに悩みを深める。
29 昼寝の中君、八宮の夢を見る。「いとものおぼしたるけしき」
30 十月末日。匂宮より文あり。一ヶ月の無音。匂宮の心不変。
31 薫、多忙をいとわず宇治訪問。すでに大君は重態であった。以後、薫は付きっ切りで看病することになる。
32 八宮、阿闍梨の夢に現れ、往生失敗を言う。阿闍梨、念仏と常不軽をさせた。このことを知り大君さらに弱る。
33 大君、出家の志。果たせず。
34 薫の長い不在に、京の人々宇治に見舞いに来るようになる。
35 十一月、豊明節会。看病する薫の目の前で大君死す。ものの枯れゆくやう。
36 薫、大君を火葬に付す。空を歩むやう。
37 忌みに籠り続ける薫の姿に、京の人々、宇治の認識を改め始める。
38 十二月。雪山を見る薫の思い。
39 早朝、雪をおして匂宮見舞いにくる。一泊するも、中君物越しの対面のみ。
40 年末。薫京に帰る。宇治の人々の嘆き。
41 中宮認識を改め、匂宮に、中君を二条院西対に迎えるよう提案する。

★催馬楽「総角」
総角(あげまき)や とうとう 尋ばかりや とうとう 離(さか)りて寝たれども 転(まろ)びあひけり とうとう か寄(よ)りあひけり とうとう

★大君結婚拒否の論理
薫には、自分より「さま容貌も盛りにあたらしげなる中の君」の方がふさわしい。自分には後見人がいない。自分は二人の後見人になれる。薫が普通の男であったなら、結婚もこれまでのいきがかりから考えぬでもない。が、あいにく薫は「はづかしげに見えにくきけしき」の人である。彼女一流の愛の表現とともに冷厳な自己認識が見て取れよう。椎本巻の終わり、垣間見の段が、ここで生かされている。「身のほど」を知る空蝉、そして明石の人生が、大君の上にかぶさってくる。「わが世はかくて過ぐし果ててむ」。彼女はまさに八宮の期待どおりの人となっている。が、大君もまた、父・八宮がそうしたように薫を買いかぶっている。二人は、それぞれの幻想に敬意を表しすぎているのではないか。しかし、買いかぶりは恋することと同意義であるから、二人は、ここで恋に落ちたと読む文脈であろう。

★薫の計略
匂宮を宇治に導き、中君と結婚させるという彼の計略は、老いた弁たちの企ての疎略さとは違い、用意周到、冷静に計算され、果断に実行されて余すところがないものであった。川向こうの施設は利用せず、八宮邸近くの「御庄の人の家」を利用する。薫の到来と触れまわる。匂宮はそこから馬で夜陰にまぎれてやってくる。大君でも中君でもいい、薫が結婚してくれればと思う弁の心は利用され、薫が中君に心を移したと信じたい大君の心は読み尽くされる。挨拶にやってきたはずの薫とは、鍵をしっかりかけた障子越しに対話する。中君への部屋へと通じる障子は鍵をかけない。薫を入れるためである。匂宮は扇を鳴らす。薫だと信じた弁の導きで匂宮は難なく侵入する。かくして中君と匂宮は結ばれ、大君の退路は塞がれる。鍵のかかった障子の向こうで、真相を語り運命を論じ、もはや貴方は私と結婚するほかないのです、と言って迫る薫に大君は絶望的な気持になる。彼女の自尊心はずたずたにされ、薫を恨む。馬鹿にするでない。これでは「昔物語などに、ことさらにをこめきて作り出でたるもののたとひ」ではないか。と言いつつも、袖を離さず、障子を破らんばかりの薫の情熱を冷まそうと、努力するいじらしさも見せる。恨まれた薫は、必死になって弁明する。「あが君、御心に従ふことのたぐひなければこそ、かくまでかたくなしくなりはべれ」。「さらば、隔てながらも聞こえさせむ。ひたぶるになうち捨てさせたまひそ」。このあたり、迫力充分である。薫の気持ちは述べつくされ、必ずや大君に届いたものと推察される。大君は「はひ入りて、さすがに入りも果てたまはぬ」という状態である。このような、信じられぬ絶望的事件を共有することによって二人は一つになれたというべきか。中君には迷惑な話かも知れないけれども。

★盛りの中君、老いに向かう大君
 かしこには、中納言殿のことごとしげに言ひなしたまへりつるを、夜更くるまでおはしまさで、御文のあるを、さればよと胸つぶれておはするに、夜半近くなりて、荒ましき風のきほひに、いともなまめかしくきよらにて、匂ひおはしたるも、いかがおろかにおぼえたまはむ。正身も、いささかうちなびきて思ひ知りたまふことあるべし。いみじくをかしげに盛りと見えて、ひきつくろひたまへるさまは、ましてたぐひあらじはやとおぼゆ。さばかりよき人を多く見たまふ御目にだに、けしうはあらず、容貌よりはじめて、多く近まさりしたりと思さるれば、山里の老人どもは、まして口つき憎げにうち笑みつつ、女房「かくあたらしき御ありさまを、なのめなる際の人の見たてまつりたまはましかば、いかに口惜しからまし。思ふやうなる御宿世」と聞こえつつ、姫宮の御心を、あやしくひがひがしくもてなしたまふを、もどき口ひそみきこゆ。
 盛り過ぎたるさまどもに、あざやかなる花の色々、似つかはしからぬをさし縫ひつつ、ありつかずとりつくろひたる姿どもの、罪ゆるされたるもなきを見わたされたまひて、姫宮、「我もやうやう盛り過ぎぬる身ぞかし。鏡を見れば、痩せ痩せになりもてゆく。おのがじしは、この人どもも、我あしとやは思へる。後手は知らず顔に、額髪をひきかけつつ色どりたる顔づくりをよくしてうちふるまふめり。わが身にては、まだいとあれがほどにはあらず、目も鼻もなほしとおぼゆるは心のなしにやあらむ」とうしろめたう、見出だして臥したまへり。「恥づかしげならむ人に見えむことは、いよいよかたはらいたく、いま一二年あらば衰へまさりなむ。はかなげなる身のありさまを」と、御手つきの細やかにか弱くあはれなるをさし出でても、世の中を思ひつづけたまふ。

★当時の宇治川
不調に終わる宇治紅葉狩りの場面。「船にてのぼりくだり、おもしろく遊びたまふ」とある。流れの速い現在の宇治川では考えられない描写である。当時は、巨椋池があり、現在の宇治橋のあたりから巨大な池は始まっていたのだ。平等院の土手もなく、宇治川と平等院の池とは連動していたと想像されるから、今よりは川幅もだらしなく広がっていたと考えたほうがよいだろう。となると、雨の少ない頃はともかく、宇治川の水量の多い時は、巨椋池の水位も上がり、池の端も宇治橋を越えて上流に伸び、八宮邸に擬せられる宇治神社前は、海のような状態になっていたのだと想像しておいたほうがよい。

★もう逢えないのかと
 灯はこなたの南の間にともして内は暗きに、几帳を引き上げて、すこしすべり入りて見たてまつりたまへば、老人ども二三人ぞさぶらふ。中の宮は、ふと隠れたまひぬれば、いと人少なに、心細くて臥したまへるを、薫「などか御声をだに聞かせたまはぬ」とて、御手をとらへておどろかしきこえたまへば、大君「心地にはおぼえながら、もの言ふがいと苦しくてなん。日ごろ、訪れたまはざりつれば、おぼつかなくて過ぎはべりぬべきにやと口惜しくこそはべりつれ」と息の下にのたまふ。薫「かく待たれたてまつるほどまで参り来ざりけること」とて、さくりもよよと泣きたまふ。御ぐしなど、すこし熱くぞおはしける。薫「何の罪なる御ここちにか。人の嘆き負ふこそかくはあんなれ」と、御耳にさし当てて、ものを多く聞こえたまへば、うるさうも恥づかしうもおぼえて、顔をふたぎたまへり。いとどなよなよとあえかにて臥したまへるを、むなしく見なしていかなる心地せむと、胸もひしげておぼゆ。薫「日ごろ見たてまつりたまひつらむ御心地もやすからず思されつらむ。今宵だに心やすくうち休ませたまへ。宿直人さぶらふべし」と聞こえたまへば、うしろめたけれど、さるやうこそはと思して、すこし退きたまへり。
 直面にはあらねど、はひよりつつ見たてまつりたまへば、いと苦しく恥づかしけれど、かかるべき契りこそはありけめと思して、こよなうのどかにうしろやすき御心を、かの片つ方の人に見くらべたてまつりたまへば、あはれとも思ひ知られにたり。むなしくなりなむ後の思ひ出にも、心ごはく、思ひ隈なからじとつつみたまひて、はしたなくもえおし放ちたまはず。夜もすがら人をそそのかして、御湯などまゐらせたてまつりたまへど、つゆばかりまゐる気色もなし。いみじのわざや、いかにしてかはかけとどむべきと、言はむ方なく思ひゐたまへり。

★常不軽
『法華経』第二十「常不軽菩薩品」によると。常不軽は、引丘・引丘尼・在家信士・在家信女を見るごとに、事小゛とく礼拝賛嘆して言ったという。「私は深くあなたたちを敬います。あえて軽んじたりはいたしません。なぜかというと、あなたたちは皆、菩薩道を実行して、やがて仏になられるからです」。四種の人々は、こういう常不軽を迫害した。しかし、常不軽は礼拝賛嘆を止めなかった。常不軽は臨終の時、法華経を聞き、仏となる。彼をののしった四種の人々は、ようやく常不軽を信じ、常不軽の強化によって、もろもろの教えに執着する心が消え、仏道に住むようになった。ということだ。また、常不軽を軽蔑し貶めた罪で、四種の人々は、千劫の間、阿鼻地獄に落ちていた。ということも記してある。以上を勘案すると、阿闍梨は在家信士であった八宮の執着を絶つべく、常不軽を派遣した。と考えるべきではないかと思う。八宮が、今、阿鼻地獄にいるかどうかは保証のかぎりではないけれども。また、常不軽は「重々しき道には行はぬこと」と薫は言っている。宮中行事などにはないのかもしれない。そうすると、こういう宇治のような田舎にふさわしい土俗的仏事であったのかもしれない。『今昔物語』巻第十九第二十八に、大和の国宇治郡にあった安日寺の僧・蓮円が、地獄に堕ちた母のために、日本全国をまわって常不軽を行った。結果、母は地獄を脱出出来、天界に生まれ変わることが出来たという話がある。

★心ぎたなき聖心
雪のかきくらし降る日、ひねもすにながめ暮らして、世の人のすさまじきことに言ふなる十二月の月夜の曇りなくさし出でたるを、簾捲き上げて見たまへば、向かひの寺の鐘の声、枕をそばだてて、今日も暮れぬとかすかなるを聞きて、
    おくれじと空ゆく月をしたふかなつひにすむべきこの世ならねば
 風のいとはげしければ、蔀(しとみ)おろさせたまふに、四方の山の鏡と見ゆる汀の氷、月影にいとおもしろし。京の家の限りなくと磨くも、えかうはあらぬはやとおぼゆ。わづかに生き出でてものしたまはましかば、もろともに聞こえましと思ひつづくるぞ、胸よりあまる心地する。
    恋ひわびて死ぬるくすりのゆかしきに雪の山にや跡を消なまし
半なる偈(げ)教へむ鬼もがな、ことつけて身も投げむと思すぞ、心ぎたなき聖心なりける。

★雪山童子
雪山を見て、雪山童子の「半なる偈教えけむ鬼」を思う薫。「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」。恋の苦しみから逃れるために鬼に食われて死にたいと鬼を求める薫に対して、「心ぎたなき聖心なりける」という草子地がかぶさっている。大君の死、薫の悲しみなど、小さな煩悩の世界なのだという視点が確保されていることに注意しなければなるまい。我が身を飢えた鬼に差し出すことによって半なる偈を教えてもらった菩薩・雪山童子という釈迦の全身と比較することによって、ここで薫は最大限に矮小化される。作者はこういう目で、今の薫を見ているのである。薫のことは、作者は完全に見切っている。にもかかわらず、これ以後薫を支持してやまぬ読者は、いうなれば、いまこにいる中君周辺の女房たちと同じなのだと作者は言いたくて、次に、そういう女房たちを点描しているものと思われる。

★中君の紫上化
薫と大君の一件を耳にして、明石中宮は初めて中君に対する認識を変えている。中宮の薫に対する信頼感のなせるわざである。そして匂宮に助言する。そんなに好きなら「二条の院の西の対」に引き取ったらどうか。これは、中君が紫上の路線に乗る未来が開けた瞬間といっていい。「二条の院の西の対」こそ、紫上が居た場所である。ここに中君が住む。それを明石中宮が許した。読者諸君、大君に幻感されてはいけない。これは、中君こそが物語の本流なのだという、作者の強いメッセージだから。



 <早蕨巻>

第52回 早蕨巻・萌え出る春になったのか

★この巻の粗筋
 1 大君のいない新春。中君の悲しみ尽きず。
 2 阿闍梨のもとより蕨、土筆など初穂が届く。中君返歌する。
 3 中君、薫の悲しみを聞き、認識を改める。匂宮、京に迎える準備をすすめる。
 4 悲しみの薫、匂宮邸を訪れ、梅を折る。
 5 嵐の夜、尽きせぬ物語。匂宮、薫の心情を察しともに嘆く。中君を京に移すことを語る匂宮。後見の立場を薫は強調する。
 6 中君の逡巡。匂宮、契りの絶える宇治の住まいのことを語って励ます。
 7 二月朔日頃。中君、喪が明けるも、悲しみ尽きず。
 8 薫より、牛車、前駆、博士など派遣。宇治の人々感謝する。
 9 薫、移転の前日、訪れる。無念の薫、かって見た障子の穴を覗くもかいなし。
10 中君、中の障子口で対面する。薫、二条院の近くに移る由を言い、昼も夜もない後見を許せと語る。答える中君に、大君の面影を見る。梅の香りに昔を思い、中君、歌を詠み、薫応じる。
11 移転に関し、薫、宿直人や荘園の者達にこもごまと気を遣う。
12 弁すでに出家。彼女は宇治に残る。薫、召し出し語る。大君への無念の思いしきり。涙の川の贈答。薫帰る。
13 中君、弁と別れの贈答。縁の深さを語り慰める。
14 二月七日。中君出発する。古女房たちの喜び。遠く険しい道中、匂宮の心の程を思いつつ、未来への不安しきり。
15 中君、到着。匂宮出迎える。世の人々驚く。
16 薫、供の者たちから様子を聞き、嬉しくもあり悔しくも思う。三条宮移転は二十日過ぎの予定。
17 二十日過ぎ、夕霧の六君裳着。夕霧は面白からず。
18 夕霧、六君を薫にと志すが、薫応じず。夕霧落胆する。
19 花盛りの頃、薫、二条院を訪れる。忸怩たる思いやまず。
20 匂宮と語った後、西の対に顔を出す。中君、大君が生きていたらと思いつつ薫に感謝し対面をしようとする。そこに、匂宮来る。薫の下心を言う匂宮に、中君困惑する。

★早蕨のイメージ
万葉集巻第八の巻頭に、有名な志貴皇子の「懽(よろこび)の御歌」がある。
    石い(いは)ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも
志貴皇子は716年、奈良時代の初期に没している。この歌が、何の喜びなのかは不明である。が、歴史上に置いて、この歌を眺めると、皇子の皇統が平安王朝を開いているので、後世の、特に平安時代の人々がこの歌を平安時代の予祝として受けとめるようになったとして不思議はない。紫式部もそう考えているのではないか。そう考えて、中君を構想したのではないか。宇治から京都へ移動するというただ一事のために巻を立て、しかも巻名を早蕨とした含意はそこにあるのではないか。だするとと、光源氏の時代は、奈良時代。天武皇統と受けとめるのが自然な受容ということになる。光源氏の皇統が途絶した理由を、歴史上の事例で示そうとしているのではないか。今は、天智・志貴皇子皇統の時代であるということ。これは事実であるから、物語を結ぶに相応しい処置でもある。紫式部はわれわれに天武の夢を見せてくれたということか。ちなみに、天武天皇は、日本の国の形を作った天皇である。

★阿闍梨の誠実、薫の評価
 阿闍のもとより、「年あらたまりては、何ごとかおはしますらむ。御祈りはたゆみなく仕うまつりはべり。今は、一ところの御事をなむ、やすからず念じきこえさする」など聞こえて、蕨、つくづくしをかしき籠(こ)に入れて、「これは童べの供養じてはべる初穂なり」とて奉れり。手はいとあしうて、歌は、わざとがましくひき放ちてぞ書きたる。
    「君にとてあまたの春をつみしかば常を忘れぬ初蕨なり
御前に詠み申さしめたまへ」とあり。大事と思ひまはして詠み出だしつらむと思せば、歌の心ばへもいとあはれにて、なほざりに、さしも思さぬなめりと見ゆる言の葉を、めでたく好ましげに書きつくしたまへる人の御文よりは、こよなく目とまりて、涙もこぼるれば、返り事書かせたまふ。
    この春はたれにか見せむなき人のかたみにつめる峰の早蕨
使に禄とらせさせたまふ。
 いと盛りににほひ多くおはする人の、さまざまの御もの思ひにすこしうち面痩せたまへる、いとあてになまめかし気色まさりて、昔人にもおぼえたまへり。並びたまへりしをりは、とりどりにて、さらに似たまへりとも見えざりしを、うち忘れては、ふとそれかとおぼゆるまで通ひたまへるを、女房「中納言殿の、骸をだにとどめて見たてまつるものならましかばと、朝夕に恋ひきこえたまふめるに。同じくは、見えたてまつりたまふ御宿世ならざりけむよ」と、見たてまつる人々は口惜しがる。かの御あたりの人の通ひ来るたよりに、御ありさまは絶えず聞きかはしたまひけり。尽きせず思ひほれたまひて、新しき年とも言はずいやめになむなりたまへると聞きたまひても、げに、うちつけの心浅さにはものしたまはざりけりと、いとど、今ぞ、あはれも深く思ひ知らるる。
 宮は、おはしますことのいとところせくありがたければ、京に渡しきこえむと思したちにたり。

★嵐の夜。語る薫と慰める匂宮
薫が匂宮を訪ねる「しめやかなる夕暮れ」の場面。匂宮はその時「例の、御心寄せなる梅」を見ている。となれば、ここは六条院ではなく、どうしても二条院であると考えたい。この梅は、紫上遺愛の梅。この展開は、おそらくは、近い将来ここで、中君が紫上を実現するという予告であると読む必要がある。総角巻末からの連続性でもって把握すべき条である。そして、夜も更けいつしか嵐となる。胸の内を綿々と語る薫、それを慰める匂宮。友情の場面だが、嵐の象徴するものにも注意を払う必要がある。未練の嵐、後悔の嵐。泣くに泣けない薫の心の中を吹く風。この嵐は、これから展開される薫の中君に対する激情への小さいが正確な予告となっている。

★陰陽博士
ゆきとどいた引っ越しの世話をするまめまめしい薫。「御車、御前の人々」はともかく、陰陽博士まで用意する彼の配慮ぶりはどこから出て来たものだろうか。心の奥底に罪の意識があるためか。しかも彼の罪は、彼の蒔いた罪でないぶん罪の根が深い。したがって異様なまでに行き届き、まめまめしいのだ、と考えるか。さてもこの陰陽師だけれども、中君の出発に先立ち、前述の邪気を払うため反閇(へんばい)をする役目であったと推察される。これは千鳥足のような特殊な歩き方で、続く者たちも同じ動作をする。これは、天皇の行幸の時に行われるもので、安倍晴明がやった記録がある。もしそうだとしたら、中君の京都移行はただごとでない。そう考えてしかるべきかもしれない。

★未練の薫
引っ越しの前日、薫が宇治を訪問する。「われこそ人より先にかうようにも思ひそめしか」。大君は中君を勧めたのに。こうなったは誰の罪でもない、自分のせいだ。と思いつつ前巻で二人を見た「垣間見せし障子の穴」を覗く。もちろん遮られていて何も見えない。なんとも未練やるかたない行為だが、彼は何をしに、早朝宇治くんだりまで来たのか。中君が匂宮に引き取られる前に略奪してしまおうという心の鬼にせめられたのか。紫上が親にひきとられる前夜のことが思い出されよう。これは、中君を紫上と対照させようとする意識的な操作だと考えるのは考えすぎだろうか。光源氏は誰はばかることなく行動し略奪した。いま薫は、心の鬼に勝ち、中君を略奪しない。略奪しないことによって、二重に光源氏から遠ざかる。生まれて五十日の祝いの日、初めて不義の子・薫を抱いた光源氏が言った台詞、「汝が父に似ることなかれ」の呪文が、前巻同様この巻でもよく効いて、薫のバリアとなっているようだ。

★弁との別れ
 思ほしのたまへるさまを語りて、弁は、いとど慰めがたくくれまどひたり。皆人は、心ゆきたる気色にて、物縫ひいとなみつつ、老いゆがめる容貌も知らず、つくろひさまよふに、いよいよゆつして、
    人はみないそぎたつめる袖のうらにひとり藻塩をたるるあまかな
と愁へきこゆれば、
    「しほたるるあまの衣にことなれや浮きたる波にぬるるわが袖
世に住みつかむることも、いとありがたするべきわざとおぼゆれば、さまに従ひてここをば荒れはてじとなむ思ふを、さらば対面もありぬべけれど、しばしのほども、心細くて立ちとまりたまふを見おくに、いとど心もゆかずなむ。かかるかたちなる人も、かならずひたぶるにしも絶え籠らぬわざなめるを、なほ世の常に思ひなして、時々も見えたまへ」など、いとなつかしく語らひたまふ。昔の人のもて使ひたまひし、さるべき御調度どもなどは、みなこの人にとどめおきたまひて、「かく、人より深く思ひ沈みたまへるを見れば、前の世もとりわきたる契りもやものしたまひけむと思ふさへ、睦ましくあはれになむ」とのたまふに、いよいよ童べの恋ひて泣くやうに、心をさめん方なくおぼほれゐたり。

★道中
中君の京都移住は、二月七日である。宇治から京都までの道中「はるけくはげしき山路」を経験した中君の感想は、「つらきにのみ思ひなされし人の御中の通ひを、ことわりの絶え間なりけりと、すこしおぼし知られける」。これで、匂宮も少しは救われる。しかし、一方で、中君の、この道をまめにかよった薫に対する敬意は、さらに肥大したものと想像される。危機感の増大である。かくして、中君は宇治を出るなという父の遺言に背いたことになる。源氏物語で遺言に背いた時はろくなことがない。道中の歌
    「ながむれば山よりいでてゆく月も世にすみわびて山にこそ入れ」
は、不安な中君の心理の象徴であろう。

★紫上になる中君
二条院へ到着した中君。紫上実現への一歩を踏み出したと捕らえるべきだろう。匂宮は「みづから寄らせたまひておろし」てさしあげた。女三宮を迎えた時の光源氏のようだ。「おぼろげならずおぼさるることなめりと、世人も心にくく思ひおどろ」くのも、当然であろう。考えてみれば、紫上とて、その最初の状況は、中君となんら変わるところはなかったではないか。

★夕霧の六の君
夕霧は六の君を、この月にも、匂宮にと思っていた。にもかかわらず、匂宮は中君を二条院に迎えた。匂宮の行為は、時の権力者・夕霧への露骨な反抗である。この夕霧をして、一時的にもせよ、六の君と匂宮との結婚を諦めさせ、六の君を薫に与えようと思わせただけでも、中君の重さは十分に印象づけられる。それは、中君を世間が、軽んずべからざる匂宮の夫人として認知したことを決定的に告げるものでもあろう。なお、六の君の裳着は予定通り行われた。二月二十日過ぎのことである。ただし、夕霧がこのまま指をくわえて眺めてばかりいるとは思われない。必ずや反撃に出そうである。これも不安要因の一つ。中君の未来も決して平穏無事ではない。

★疑わしき下心
 何くれと御物語聞こえかはしたまひて、夕つ方、宮は内裏へ参りたまはんとて、御車の装束して、人々多く参り集まりなどすれば、立ち出でたまひて、対の御方へ参りたまへり。山里のけはひひきかへて、御簾の内心にくく住みなして、をかしげなる童の透影ほの見ゆるして、御消息聞こえたまへれば、御褥さし出でて、昔の心知れる人なるべし、出で来て御返り聞こゆ。「朝夕の隔てもあるまじう思うたまへらるるほどながら、そのこととなくて聞こえさせんも、なかなか馴れ馴れしき咎めやとつつみはべるほどに、世の中変りにたる心地のみぞしはべるや。御前の梢も霞隔てて見えはべるに、あはれなること多くもはべるかな」と聞こえて、うちながめてものしたまふ気色心苦しげなるを、げにおはせましかば、おぼつかなからず往き返り、かたみに花の色、鳥の声をも、をりにつけつつ、すこし心ゆきて過ぐしつべかりける世をなど思し出づるにつけては、ひたぶるに絶え籠りたまへりし住まひの心細さよりも、飽かず悲しう口惜しきことぞいとどまさりける。
 人々も、「世の常に、うとうとしくなもてなしきこえさせたまひそ。限りなき御心のほどをば、今しもこそ、見たてまつり知らせたまふさまをも、見えたてまつらせたまふべけれ」など聞こゆれど、人づてならず、ふとさし出できこえむことのなほつつましきを、やすらひたまふほどに、宮出でたまはんとて、御まかり申しに渡りたまへり。いときよらにひきつくろひけさうじたまひて、見るかひある御さまなり。中納言はこなたになりけりと見たまひて、「などかむげにさし放ちては出だしすゑたまへる。御あたりには、あまりあやしと思ふまでうしろやすかりし心寄せを。わがためはをこがましきこともやとおぼゆれど、さすがにむげに隔て多からむは、罪もこそ得れ。近やかにて、昔物語もうち語らひたまへかし」など聞こえたまふものから、「さはありとも、あまり心ゆるびせんも、またいかにぞや。疑はしき下の心にぞあるや」と、うち返しのたまへば、一方ならずわづらはしけれど、わが御心にも、「あはれ深く思ひ知られにし人の御心を、今しもおろかなるべきならねば、かの人も思ひのたまふめるやうに、いにしへの御代りとなずらへきこえて、かう思ひ知りけり、と見えたてまつるふしもあらばや」とは思せど、さすがに、とかくやと、かたがたにやすからず聞こえなしたまへば、苦しう思されけり。

  

 <宿木巻>

第53回 宿木巻・失望、世の常の人になる

★この巻の粗筋
 1 藤壷腹の皇女・女二宮。十四歳で裳着を予定していたが、その年、母藤壷死ぬ。帝、宮中に引き取り、薫を婿にと志す。
 2 時雨のころ、召された薫、帝と碁を打つ。賭け物に女二宮を匂わされるが心進まず。
 3 これを知った夕霧、六の君を再び匂宮へと志し、中宮を責める。母の説得に匂宮心弱る。
 4 薫、女二宮との結婚を決断する。
 5 匂宮と六の君の結婚、八月に決定。中君の苦悩深まる。大君の聡明さを思う。中君は五月頃より懐妊。匂宮に告げず。
 6 匂宮、八月になっても結婚を言い出せず。中君の辛い思い。匂宮、夜離れの練習まで。
 7 薫の悔しい思い。宮への失望と恨み、大君の最期を思い出しつつ夜を明かす。朝顔の咲くのを見る。
 8 朝顔を折った薫、早朝、中君の許へ。中君応対。朝顔の贈答歌あり。
 9 薫、光源氏の晩年の思い出を語り、近き夢の覚めがたさを語る。中君共感し、宇治に行きたいと言う。薫たしなめ辞去する。
10 八月十六日婚儀当日。二条院の匂宮に夕霧から迎えが来る。中君を慰めつつ出かける匂宮。中君の悲しみ。
11 初夜、匂宮六の君に好感を抱く。二条院に帰って後朝の文を書く。泣く中君を慰めているところに、落葉宮より代筆の返事が届く。遣る瀬無い中君。
12 第三夜。薫、夕霧に誘われ六条院にて接待役を務める。三日餅、酒宴披露の盛儀。薫、女二宮へ心動く。その夜、按察使君と過す。
13 匂宮、六の君と昼を過ごし、さらに気に入る。中君に夜離れ続く。
14 中君、薫に文。薫、返事。翌日、訪問する。
15 中君、簾中を許し、身近に宇治行きを語る。薫、たまらず母屋に入り沿い臥すも、腹帯に触れ、おし立たず。成長した中君を知る。諦めきれない薫の思い。
16 匂宮、二条院へ。薫の移り香に、不義を確信。中君を責めるも、愛情変わらず。証拠を探すが見当たらず。
17 薫、中君の後援。衣装など世話をやく。中君困惑しつつも荒立てず受け入れる。
18 薫、再び二条院訪問。女房のとりなしで簾中、夜居の僧の座につく。薫、切ない思いを語る。宇治を寺とし、大君の人形を置きたいと語る。
19 中君、妹・浮舟の存在を告げる。詳細は語らず。薫、興味を覚える。
20 九月二十余日。薫宇治にゆく。弁と語らい、阿闍梨と話す。寝殿を移築し寺とするよう命ずる。
21 薫、弁より人形・浮舟の詳細を聞く。宿木の贈答をして帰る。
22 薫、宇治の蔦を中君に贈り、寺にする指示を宇治に言うようにとの消息。匂宮、二人の仲の疑念をやや解く。
23 ススキの庭。やや早い菊を見つつ匂宮琵琶、中君な筝の合奏。幸せな場面に、女房たち喜ぶ。幸い人・中君と。匂宮、二三日一条院に逗留。
24 夕霧、久し振りに二条院訪問。子供たちを豪勢に従え、匂宮を、六条院に連れてゆく。
25 正月月末。中君出産近づき、存在感を増す。
26 女二宮、裳着近づく。薫、中君の方が気になる。
27 二月初旬。薫、権大納言兼右大将に昇進。披露が六条院である。匂宮も参加。
28 翌日、中君皇子出産。薫、中君、帝などよりお祝い陸続。薫、苦くも喜ぶ。
29 二月二十余日。女二宮裳着。翌日、薫との婚儀成立。世にも希れな例に、夕霧も世の中も驚く。
30 薫、宮中に通うも大君を忘れず。宮を引き取るべく三条殿を改装する。
31 薫、宮の若君の五十日を祝う。二条院を訪問する。対面した中君に、大君恋しい胸のうちを言う。中君、薫に若君を見せる。
32 四月。節分前に女二宮を三条殿に迎えることとする。引越しの前日、藤壷で帝王催の藤の花の宴を挙行する。
33 盛儀の中で、按察使大納言ばかり不満の態。
34 その夜、女二宮三条邸へ。牛車三十二輌の豪勢さ。薫、満足するもなお大君が忘れられない。
35 四月二十日過ぎ、薫、御堂の様子を見に宇治へ行く。同じ日、浮舟一行、初瀬詣での帰途、宇治に中宿りのため遣って来る。
36 薫、障子の穴より、身じろぎもせず浮舟を見、その生き写しに驚愕。
37 薫、弁と語り、意向を浮舟に伝えさせる。

★新しい設定
第三の藤壷が登場する。これは、左大臣の娘。東宮時代最初に入内した人。ということは、明石姫君入内以後は、明石中宮寵愛の陰で泣いていた女御という設定である。女性版宇治八宮物語といったところ。光源氏が明石姫君の東宮入内に際して順番を譲った経緯は、梅枝巻にあった。「左大臣の三の君参りたまひぬ。麗景殿と聞こゆ」とすでに紹介ずみである。麗景殿がなぜ飛香舎・藤壷に変更となったか明らかではない。即位に際して移動したのかもしれない。ずっと桐壷にこだわる明石中宮とは好対照である。この巻は、若菜巻をさらに超えて梅枝巻に根を張る物語。源氏物語の補強工作か。この新人物とこの補強工作とでもって、宇治八宮の突出感もだいぶ緩和されるのではないか。それには、この巻で登場する源氏物語最後のヒロイン・浮舟の登場の意外性をも緩和する作用があろう。

★鳴呼、光源氏
薫が「中納言源の朝臣」と呼ばれている。薫が中納言に就任したのは、椎本巻の時点である。以来ここまでその地位にいる。薫はこの巻の後半で大納言になる。ちなみに、紅梅巻ではすでに中納言だったし、竹河巻の終わり方にも中納言昇進の記事がある。これから考えるに、紅梅巻は、この宿木巻のあたりに定位する巻である。紅梅巻を忘れたり軽んじてはいけない。紅梅巻の「あはれ光源氏」のトーンは、このあたりで響く声である。ということは、「あはれ光源氏」こそ、宇治十帖全体を覆う基調音にほかならないということになるではないか。この巻の後半に置かれた藤の花の宴の場面で、紅梅大納言の姿をクローズアップさせた作者の低意に注目したい。

★光源氏の最期。薫の回想
「秋の空は、いますこしながめのみまさりはべる。つれづれの紛らはしにもと思ひて、先つころ、宇治にものしてはべりき。庭も籬もまことにいとど荒れはててはべりしに、たへがたきこと多くなん。故院の亡せたまひて後、二三年ばかりの末に、世を背きたまひし嵯峨院にも、六条院にも、さしのぞく人の心をさめむ方なくなんはべりける。木草の色につけても、涙にくれてのみなん帰りはべりける。かの御あたりの人は、上下心浅き人なくこそはべりけれ、方々集ひものせられける人々も、みな所どころあかれ散りつつ、おのおの思ひ離るる住まひをしたまふめりしに、はかなきほどの女房などは、まして心をさめん方なくおぼえけるままに、ものおぼえぬ心にまかせつつ山、林に入りまじり、すずろなる田舎人になりなど、あはれにまどひ散るこそ多くはべりけれ。さて、なかなかみな荒らしはて、忘れ草生ほして後なん、この右大臣も渡り住み、宮たちなども方々ものしたまへば、昔に返りたるやうにはべめる。さる世にたぐひなき悲しさと見たまへしことも、年月経れば、思ひさますをりの出で来るにこそはと見はべるに、げに限りあるわざなりけりとなん見えはべる。かくは聞こえさせながらも、かのいにしへの悲しさは、まだいはけなくもはべりけるほどにて、いとさしもしまぬにやはべりけん。なほ、この近き夢こそ、さますべき方なく思ひたまへらるるは、同じこと、世の常なき悲しびなれど、罪深き方はまさりてはべるにやと、それさへなん心憂くはべる」とて泣きたまへるほど、いと心深げなり。

★匂宮、中君に心底を語る
 されど見たまふほどは、変るけぢめもなきにや、後の世まで誓ひ頼めたまふことどもの尽きせぬを聞くにつけても、げに、この世は、短かめる命待つ間も、つらき御心は見えぬべければ、後の契りや違はぬこともあらむと思ふにこそ、なほこりずまにまたも頼まれぬべけれとて、いみじく念ずべかめれど、え忍びあへぬにや、今日は泣きたまひぬ。日ごろも、いかでかう思ひけれと見えたてまつらじと、よろづに紛らはしつるを、さまざまに思ひ集むることし多かれば、さのみもえもて隠されぬにや、こぼれそめてはとみにもえためらはぬを、いと恥づかしくわびしと思ひて、いたく背きたまへば、強ひてひき向けたまひつつ、「聞こゆるままに、あはれなる御ありさまと見つるを、なほ隔てたる御心こそありけれな。さらずは夜のほどに思し変りにたるか」とて、わが御袖して涙を拭ひたまへば、「夜の間の心変りこそ、のたまふにつけて、おしはかられはべりぬれ」とて、すこしほほ笑みぬ。「げに、あが君や、幼の御もの言ひやな。されどまことには心に隈のなければ、いと心やすし。いみじくことわりして聞こゆとも、いとしるかるべきわざぞ。むげに世のことわりを知りたまはぬこそ、ろうたきものからわりなけれ。よし、わが身になしても思ひめぐらしたまへ。身を心ともせぬありさまなりかし。もし思ふやうなる世もあらば、人にまさりける心ざしのほど、知らせたてまつるべき一ふしなんある。たはやすく言出づべきことにもあらねば、命のみこそ」などのたまふほどに、かしこに奉れたまへる御使
、いたく酔ひすぎにければ、すこし揮るべきことども忘れて、けざやかにこの南面に参れり。

★紫上の保全
匂宮は、六の君をいたく気に入る。ここのところが、女三宮事件とは決定的に違う。この瞬間、中君が紫上になる道は閉ざされたというべきではないか。この時、中君は、苦難にもめげることなく、まもなく生まれる子供を梃に天下をとった明石御方の路線に乗り移る道しか残されていない。子供を自分で育てる分、明石よりまだ幸せというべきか。この路線転換は、紫上をして源氏物語の登場人物の誰にも似せず、孤立化する意図に発していると私は思う。孤立化は絶対性確立の条件である。紫上は、この、母となった中君のこの操作でもって、中君に心理的に連続してゆくという道をここで断ち切られ、源氏物語の中に唯一絶対の存在として保全される存在となる。光源氏が、その罪を柏木と薫の親子二代に移行させて、その絶対的神性を回復したと同様の手法というべきか。紫上の救出は、光源氏の場合と勝るとも劣ることのないスケールで描かれている。

★男といふものの心憂かりけることよ
 すこし世の中をも知りたまへるけにや、さばかりあさましくわりなしとは思ひたまへりつるものから、ひたぶるにいぶせくなどはあらで、いとらうらうじく恥づかしげなる気色もそひて、さすがになつかしく言ひこしらへなどして、出だしたまへるほどの心ばへなどを思ひ出づるも、ねたく悲しく、さまざまに心にかかりて、わびしくおぼゆ。何ごとも、いにしへにはいと多くまさりて思ひ出でらる。「何かは、この宮離れはてたまひなば、我を頼もし人にしたまふべきにこそはあめれ。さても、あらはれて心やすきさまにはえあらじを、忍びつつまた思ひます人なき心のとまりにてこそはあらめ」など、ただ、このことのみつとおぼゆるぞ、けしからぬ心なるや。「さばかり心深げにさかしがりたまへど、男といふものの心憂かりけることよ」。亡き人の御悲しさは言ふかひなきことにて、いとかく苦しきまではなかりけり。これは、よろづにぞ思ひめぐらされたまひける。「今日は宮渡らせたまひぬ」など、人の言ふを聞くにも、後見の心は失せて、胸うちつぶれていとうらやましくおぼゆ。 

★人形を作りたい薫
厭離穢土の発想できた自分が、大君を愛したばかりに「かの本意の聖心は、さすがに違ひやしにけむ」と自覚する薫。「まぎるることもやあらむ」とこころみても、どうしても「ほかざまになびくべくもはべらざりけり」と語る薫。二度目の対面の場は侍女を介してのものだったが、侍女がいる前で、忘れられない大君のことを語りながら、貴方が恋しいと彼は中君にだけ分かるように語っている。「ただかばかりのほどにて、時々思ふことを聞こえさせうけたまはりなどして、隔てなくのたまひかよはむを、誰かはとがめ出づべき。世の人に似ぬ心のほどは、皆人にもどかるまじくはべるを、なほうしろやすくおぼしたれ」という薫の言葉は、前回の失礼を修復し、説得力を回復しているように見える。後はただ、情念を新人物にふれば、中君と薫の関係は、兄弟感覚に定位することになる。と中君が判断したと見える。妹紹介の環境が、ここに整ったわけである。また、宇治に、「昔おぼゆる人形をもつくり、絵にも描きとりて」大君供養を行う小さな寺の構想を語る薫。この話聞いた中君が、「御手洗川近き」人形のイメージにすりかえ、また絵については王昭君の故事「黄金もとむる絵師」に言及して、そんなことをしても貴方の心は満たされないでしょうと、やんわりと切り返している。中君は、薫の心底を読み切っているのである。が、しかし、薫のこの話が奇縁となって、中君の口から、異母妹・浮舟の存在が語り出されることになる。気の毒だが、浮舟は、登場の最初から、人格無視の「人形」なのである。

★妹・浮舟の事情
 さて、もののついでに、かの形代のことを言ひ出でたまへり。「京に、このごろ、はべらんとはえ知りはべらず。人づてにうけたまはりしことの筋ななり。故宮の、まだかかる山里住みもしたまはず、故北の方の亡せたまへりけるほど近かりけるころ、中将の君とてさぶらひける上臈の、心ばせなどもけしうはあらざりけるを、いと忍びてはかなきほどにもののたまはせけるを知る人もはべらざりけるに、女子をなん産みてはべりけるを、さもやあらんと思すことのありけるからに、あいなくわづらはしくものしきやうに思しなりて、またとも御覧じ入るることもなかりけり。あいなくそのことに思し懲りて、やがておほかたに聖にならせたまひにけるをはしたなく思ひてえさぶらはずなりにけるが、陸奥国の守の妻になりたりけるを、一とせのぼりて、その君たひらかにものしたまふよし、このわたりにもほのめかし申したりけるを、聞こしめしつけて、さらにかかる消息あるべきことにもあらずとのたまはせ放ちければ、かひなくてなん嘆きはべりける。さて、また、陸奥になりて下りはべりにけるが、この年ごろ音にも聞こえたまはざりつるが、この春、のぼりて、かの宮には尋ね参りたりけるとなん、ほのかに聞きはべりし。かの君の年は、二十ばかりにはなりたまひぬらんかし。いとうつくしく生ひ出でたまふがかなしきなどこそ、中ごろは、文にさへ書きつづけてはべりしか」と聞こゆ。くはしく聞きあきらめたまひて、さらば、まことにてもあらんかし、見ばやと思ふ心出で来ぬ。「昔の御けはひに、かけてもふれたらん人は、知らぬ国までも尋ね知らまほしき心あるを。数まへたまはざりけれど、け近き人にこそはあなれ。わざとはなくとも、このわたりにおとなふをりあらむついでに、かくなん言ひしと伝へたまへ」などばかりのたまひおく。「母君は、故北の方の御姪なり。弁も離れぬ仲らひにはべるべきを、その昔はほかほかにはべりて、くはしくも見たまへ馴れざりき。先つころ、京より、大輔がもとより中したりしは、かの君なん、いかでかの御墓にだに参らん、とのたまふなる、さる心せよなどはべりしかど、まだ、ここにさしはへてはおとなはずはべめり。いま、さらば、さやのついでに、かかる仰せなど伝へはべらむ」と聞こゆ。

★薫の栄華
薫と女二宮の結婚。「帝の御婿になる人は、今も昔も多かれど、かく盛りの御世に、ただ人のやうに、婿取りいそがせたまへるたぐひは、すくなくやありけむ」。夕霧が言うように、光源氏も夕霧も、皇女とは結婚したが盛りの世の皇女ではない。女二宮を得た柏木もそうである。先例というば、かっての左大臣か。あれは源氏物語においてはまさに空前絶後の事件とってよい。世も末、という考えもあるが、それにしても、薫の周辺は豪華である。出家してはいるが、兄である帝に影響力をもつ母、女三宮。妻は、時の帝の娘・女二宮。これ以上ない布陣であろう。その彼が、心ゆかず、「なほともすればうちながめつつ、宇治の寺造ることをいそがせたまふ」というのだから、中君への諦めの直後とはいえ、彼の大君思慕は尋常ではない。大君もって冥すべしである。

★似ている浮舟、驚く薫
 尼君は、この殿の御方にも、御消息聞こえ出だしたりけれど、「御心地なやましとて、今のほどうち休ませたまへるなり」と、御供の人々心しらひて言ひたりければ、この君を尋ねまほしげにのたまひしかば、かかるついでにもの言ひふれんと思ほすによりて、日暮らしたまふにや、と思ひて、かくのぞきたまふらんとは知らず、例の、御庄の預りどものまゐれる、破子や何やと、こなたにも入れたるを、東国人どもにも食はせなど、事ども行ひおきて、うち化粧じて、客人の方に来たり。ほめつる装束、げにいとかはらかにて、みめもなほよしよししくきよげにぞある。「昨日おはしつきなんと待ちきこえさせしを、などか今日も日たけては」と言ふめれば、この老人、「いとあやしく苦しげにのみせさせたまへば、昨日はこの泉川のわたりにて、今朝も無期に御心地ためらひてなん」と答へて、起こせば、今ぞ起きゐたる。尼君を恥ぢらひて、これよりはいとよく見ゆ。まことにいとよしあるまみのほど、髪ざしのわたり、かれをも、くはしくつくづくとしも見たまはざりし御顔なれど、これを見たまはざりし御顔なれど、これを見るにつけて、ただそれと思ひ出でらるるに、例の、涙落ちぬ。尼君の答へうちする声けはひ、宮の御方にもいとよく似たりと聞こゆ。
 あはれなりける人かな、かかりけるものを、今まで尋ねも知らで過ぐしけることよ、これより口惜しからん際の品ならんゆかりなどにてだに、かばかり通ひきこえたらん人を得てはおろかに思ふまじき心地するに、まして、これは、知られたてまつらざりけれど、まことに故宮の御子にこそはありけれと見なしたまひては、限りなくあはれにうれしくおぼえたまふ。ただ今も、はひ寄りて、世の中におはしけるものをと言ひ慰めまほし。蓬莱まで尋ねて、釵のかぎりを伝へて見たまひけん帝はなほいぶせかりけん、これは別人なれど、慰めどころありぬべきさまなりとおぼゆるは、この人に契りのおはしけるにやあらむ。尼君は、物語すこししてとく入りぬ。人の咎めつるかをりを、近くのぞきたまふなめりと心得てければ、うちとけごとも語らはずなりぬなるべし。