源氏物語12…東屋巻 ・ 浮舟巻 ・ 蜻蛉巻 ・ 手習巻 ・ 夢浮橋巻

 <東屋巻>

第54回 東屋巻・昔の夢を見てみることは

この巻の粗筋
 1 薫は浮舟を見たいと思うもなおためらう。母中将君も遠慮がち。
 2 常陸介に子供多数。母君は、連れ子・浮舟の良縁を願う。
 3 常陸介の田舎ぶり。その経済力を目当てに浮舟の婿を目指す公達は多い。中に、二十二、三歳になる左近少将が熱心。
 4 母君は、少将を婿に選ぶ。常陸介は浮舟の特別扱いを恨む。
 5 結婚寸前、少将は浮舟が常陸介の継子だと知る。豹変した少将、仲人を責める。
 6 仲人、常陸介の実の娘、浮舟の妹を紹介。
 7 少将の意向を知り、常陸介はいたく満足する。
 8 常陸介の前で、仲人は少将を絶賛する。仲人口を信じる常陸介の単純さ。
 9 常陸介は求婚に応じる。結婚の日取りも変えず、少将はそのまま妹の婿となることにする。
10 何も知らぬ母は浮舟の結婚の準備を進めるが、常陸介が破談を告知。母は情けなさでやりきれない。
11 常陸介と左近少将のしうちに母と乳母は嘆きあい、浮舟の処遇を思案する。
12 常陸介、娘の結婚準備に奔走。妹娘は十五、六歳。少将もこの縁組に満足。予定の日に婿入りする。
13 母、二条院に住む、匂宮の北の方中君へ手紙を送る。浮舟の避難を依頼する。
14 中君は女房大輔君を介して、承諾の返事。浮舟、喜ぶ。
15 常陸介は婿君となった少将を歓待。
16 母、浮舟を二条院へ移行。浮舟は西の対の西廂に住むことになる。中君の境遇を見るにつけ、浮舟の身を悔しく思う母。物忌と称して、二、三日滞在する。
17 母、匂宮夫妻をかいま見、浮舟も高貴な人に添わせたいとの思いしきり。
18 翌日、遣って来た左近少将を見た母、匂宮の比ではない少将に落胆、少将が妹娘にのりかえた一件が、女房たちの噂になっているのを知り、少将を婿にと思った自分の浅はかさを後悔。
19母、中君と語り、亡き大君を追懐。話題は自然と薫に及ぶ。
20 少将との破談のいきさつを語り、母、中君に浮舟の不運を訴える。
21 浮舟と対面した中君、大君に生き写しなのを見て、薫に見せたく思う。そこに宮中から薫が来訪。母、薫の姿をかいま見て感歎する。
22 中君と対座し、大君を語りつつ中君への思いを隠さぬ薫。中君、妹・浮舟が今、二条院に滞在していることを語る。薫の心動く。
23 薫の容姿に驚嘆した母、浮舟に貴人の婿をと願う。
24 中君、薫の意向を母に伝える。浮舟の身を中君に託し、母、二条院を辞去。
25 宮中から匂宮帰邸。帰る車を見咎め、中君と薫との仲に疑いの目を向ける。中君は困惑。
26 この日、中君洗髪で動けず。夕方、匂宮、偶然に浮舟を発見。好色心にまかせ、浮舟に寄り添う。
27 乳母、大いに困惑。大輔君の娘の右近が中君へ急報。中君も驚き呆れる。
28 女房達が困惑する折、宮中から中宮発病との知らせ。匂宮は名残を惜しみつつ立ち去り、浮舟ようやく虎口を脱する。
29 乳母は匂宮の所行を嘆き。浮舟を慰める。中君も浮舟を居間へ招くが、浮舟は気分が悪いと応じない。
30 乳母は右近に、浮舟に落度がないことを言う。
31 浮舟、中君と対面。優しく慰められる。大君によく似た妹を中君はいとおしく見守る。
32 姉妹は亡き父宮のことなど語りあう。匂宮の一件を知る女房たちは真相を推測する。
33 乳母は母君に事件を報告する。母、動転。夕方二条院を訪ねる。物忌を口実に浮舟を連れ出す。
34 母、浮舟を三条の小家に置く。長年側を離れず暮らしてきた母と娘、別れて暮らすこととなる。
35 母、常陸介邸に帰る。二条院で見下した左近少将をのぞき見、歌を交わす。少将は母君に同情する。
36 浮舟を貴人に添わせたいとの思いが募る母、浮舟の相手として薫を思うようになる。
37 三条のわび住まい。二条院での華やかな時を思い起こす浮舟。母と歌を贈答する。
38 薫は亡き大君のことを忘れられない。晩秋近く、宇治の御堂完成の知らせを受け、自ら赴く。
39 弁尼と対面した薫は浮舟との仲を仲介してくれるよう依頼。
40 薫帰京。もどかしさを感じつつ、今上帝の心寄せの正妻女二宮を厚遇。
41 弁尼は上京し、浮舟の隠れ家を訪う。薫の意向を浮舟方に伝える。
42 宵過ぎ、薫は隠れ家に来訪。浮舟と逢う。
43 翌朝、九月は結婚には不吉と女たちが嘆くのに、弁尼は今日は十三日で節分は明日となぐさめる。薫は侍従だけを伴い、浮舟を隠れ家から連れ出す。
44 行く先は宇治。賀茂の河原をすぎ、法性寺のあたりで夜が明ける。弁尼は亡き大君を思い、涙する。侍従は事始めの涙を不吉と思う。
45 道中の景色に、薫、大君のことを思い出す。恋しさが募り、悲しみを紛らわせず。
46 宇治に到着。浮舟はわが身の将来を思い、不安。
47 薫は京に手紙を書き、二日間宇治へ滞在することを母宮と女二宮に伝える。
48 薫、浮舟の今後の扱いを思案する。物足りなくも感じられる頼りなさを、大君の形代として適すると思い直す。
49 薫、琴を取りよせて調べ、浮舟に大君の面影を見、感慨にふける。
50 弁尼からの贈歌に薫は独詠歌を詠む。

★常陸介は世の常、反光源氏世界
「徳いかめしうなどあれば、ほどほどにつけては思ひあがりて、家のうちもきらきらしく、ものきよげに住みなし、事好みしたる」という常陸介の家。雨夜品定めで、左馬頭の話を「すべて、にぎははしきによるべきななり」と冷やかした光源氏の言葉が思い出されよう。光源氏が鼻白んだ世界。事実、常陸介は、絵に描いたような田舎者である。なまる言葉。権門へのへつらい。狡猾。無風流。弓矢が得意。反源氏物語世界の代表者というべきだろう。浮舟は、こういう世界
に根を張った人物であることを最初に作者は述べている。その意味では、玉鬘に焦点を当てた竹河巻の意味もこのあたりで効いてくるというべきか。紅梅・竹河の二巻は、浮舟物語の序として機能している。決してなおざりにしてよい巻々ではないことがこのあたりで分かるはずである。

★左近少将の登場
常陸介の家に、財産めあてで集ってきた「なま君めく人々」。左近少将は、そういう類の君達である。年齢二十二三。「心ばせしめやかに、才ありといふかたは人にゆるされたれど、きらきらしう今めいてなどはえあらぬ」。彼にはすでに妻がいたが、その妻の財力では彼の生活を維持できなかったらしい。左近少将は二流の貧乏貴族といった印象。紫式部時代、貴族がおちいりつつあった状況を的確に描写しているものと思われる。少将は、いみじくも言っている。「かやうのあたりに行き通はむ、人のをさをさゆるさぬことなれど、今様のことにて」「もはら顔容貌のすぐれたらむ女の願ひもなし」「さびしう事うち合はぬ、みやび好める人の果て果ては、ものきよくもなく、人にも人とおぼえたらぬ」「すこし人にそしらるるとも、なだらかにて世の中を過ぐさむことを願ふなり」。これが今様の、現実の悲哀なのである。貴族の黄昏。こういう時代背景があったからこそ、過去の栄光を回想し、光源氏を物語ることの意味があったのである。

★仲人口
少将殿は来年四位になるでしょう。今度の蔵人頭は疑いない。帝は約束している。上達部など今日明日にもしてあげる。全くいい気なものである。これを無批判に受け入れる常陸介も、田舎者の証拠である。「あさましく鄙びたる守にて、うち笑みつつ聞きゐたり」。このことが何のいわれもないことは、あとで少将本人が思っているとおりである。「あまりおどろおどろしきことと耳とまりける」。常陸介の言葉よりすると、大臣の位を財力で手に入れるという事例も当時あったらしい。夕顔巻の揚名介が大臣に及んだということか。世も末である。

★二心なき愛の哲学
薫クラスの最高貴族と結婚する幸せを、浮舟母・中将は中君の現実に照らして否定する。そして、言う。「いかにもいかにも、二心なからむ人のみこそ、めやすくたのもしきことにはあらめ」。これが、「わが身にても知りにき」という自己の人生から帰納した結論であった。宇治八宮より、常陸介を選んだ人生を支えた理念が、「二心なき愛」という人生哲学である。この理念は、宇治八宮の世界観を否定するばかりではない。薫はもちろん、さらにその母体を形勢する、はるかなる光源氏の世界を支える理念に反旗をひるがえす発想である。「二心ない愛」という発想は、玉鬘の結婚問題の時、光源氏が考えた婿選びの選択肢の一つであった。「よろづのこと、わが身からなりけり」という母の結論。空蝉の観念に似ている。

★血迷った母、花心の愛へ
二条院で匂宮を見た母のショック。彼女の中君観は一変する。「この御ありさま容貌を見れば、織女ばかりにても、かやうに見たてまつり通はむは、いといみじかるべきわざかな」。この時、彼女の「二心なき」愛の哲学は雲散霧消したといえよう。七夕の夢は空蝉の夢であった。空蝉はその夢を捨てた。いま浮舟の母は空蝉の夢を拾ったのである。「なほなほしき人のあたりはくちをしかりけり」。彼女も所詮田舎者なのだ。六条院をみるまで、筑紫の栄華が日本一だと信じていた玉鬘一行の女房・三条のことが思い出せば、このあたりの理解が容易だろう。浮舟の母は、一晩中思い続けた。「心は高くつかふべきなりけり」。彼女はこの時、血迷ったのだ。かくして娘・浮舟の悲劇が始発する。

★宇治十帖の遠近法
光源氏の世界。薫、匂宮の世界。少将の世界。常陸介の「夷」世界。今、浮舟の母は、第二の世界に血迷っているのである。第三、第四世界は語るに足らずという発想である。この時、光源氏の第一世界は、手つかずのまま別格的存在として保存されていることに気づくだろう。宇治十帖の目的は、光源氏の世界を封印し永久保存にあることに気付くだろう。

★形代思想
「見し人の形代ならば身に添へて恋しき瀬々のなでものにせむ」。中君の前で歌った薫の歌である。浮舟に対する薫の当面の愛の実体を、この「たはぶれ」歌はあますところなく表現している。「形代」「なでもの」。これが、薫の浮舟にたいする態度の、しばらくのキーワード。このぶんでは浮舟は、薫の「つひに寄る瀬」とは、とうていなれそうにない。中君の冗談「うたての御聖心や」は冗談になっていない。的確な薫批評である。

★薫は牛頭栴檀の香り
薫の香について、女房は、法華経・薬王品にある牛頭栴檀の例を持ち出し解説する。法華経薬王菩薩本事品を聞き、随喜讃歎した者は、この世にあっては、口から常に青蓮花の香を発し、身体の毛穴から常に牛頭栴檀の香を発する。その功徳は、その人が女ならば、もう二度と女に生まれることがなく、命が尽きたら阿弥陀の極楽世界に往生でき、この世の苦しみから解説できる。と、法華経にある。これは、女人往生を説いた部分で、この記事をここで作者が書いた意味はどういうことであろうか。薫になりたい。薫の世界にいて、薫に引かれて往生したい、という女たちの心理形成が目的か。が、はたしてそれは可能なのか。仏説が本当であるという証明が薫の香だと考えた女房は「前の世こそゆかしき御ありさまなれ」と言う。薫は、その前世で、薬王品に書いてあるように、体を燃やし、肘をもやして、仏を供養したのであろうか。ことごとしいまでの、女房たちの薫止揚ぶりである。この薫の上方修正を、大袈裟に書いて、「よく言うよ」とばかりに作者は冷やかに眺めている、というのが実際のところではないかと思われる。

★降魔の相
匂宮に抱きつかれた浮船、危機の場のエピソード。乳母は語る。「降魔の相を出だして、つと見たてまつりつれば、いとむくつけく、下衆下衆しき女とおぼして、手をいといたくつませたまひつる」。作者、余裕の表現だろう。匂宮の振る舞いは「直人の懸想だちて、いとをかしくもおぼえはべりし」という乳母の感想は、世の常ならざるはずの世界が、世の常の世界であったということ。言いえて妙である。

★今に見れおれ少将よ
自邸に戻った母が、来ていた婿の少将を覗く場面が面白い。場所が変わると、少将も格段に優れて見える。二条院で見た土くれのような少将は別人かと思っていると、少将が匂宮邸のことを話題にする。やはり本人だったのだ。母が、少将に、変節をなじる歌を詠む。と父が八宮とは知らなかったもので、という少将の弁解がある。こうなると、母としては「いかで人とひとしく」という思いにかられるのは当然の成り行きというものであろう。いまにみておれ少将よ、貴種・浮舟は、お前ごとき下賎な貴族の相手となる女ではないのだ。こうなると、もはや彼女には、「あいのう大将殿の御さま容貌ぞ、恋しう面影に見ゆる」という局面しか残っていない。かくして、薫登場のための環境は整うこととなる。

★催馬楽「東屋」
東屋の 真屋のあまりの その 雨そそぎ 我立ち濡れぬ 殿戸開かせ 
 鎹(かすがひ)も 錠(とざし)もあらばこそ その殿戸 我鎖(さ)さめ おし開いて来ませ 我や人妻

★夕顔のイメージ
浮舟が難を避けた三条の小家に薫が来て、ためらうことなく一夜を過す。そして朝の物音を訪れた日を思い出させる。浮舟に夕顔の宿を訪れた日を思い出させる。浮舟に夕顔のイメージを与えるということは、これからの展開を容易にしよう。これは当代第一の男性二人に愛される女の物語なのである。光源氏と頭中将に愛された夕顔、薫と匂宮に愛されることになる浮舟。源氏物語の先祖返りは、源氏物語に額縁を与える効果がある。始めと終わりの呼応。これでもって、光源氏と紫上との純愛は、源氏物語の中心に据えられる。さて、その昔、光源氏は、今日の薫と同じように、夕顔を抱いて車に乗せて連れ出した。逃避行の先で夕顔は死んだ。今回、行き先の宇治で浮舟がそうならぬという保証はない。

★悲劇の予感
浮舟は最初から大君とは違った印象を薫に与えている。大君が「いといたう児めいたるものから、用意の浅からずものしたまひし」という人であったのに対し、浮舟は「おいらかにあまりおほどき過ぎたるぞ、心もとなかめる」という印象である。薫は、最初から失望している。「行く方なき悲しさは、むなしき空に満ちぬべかりけり」。作者は、ここで浮舟の無教養と不用意さを印象づけようとしているようである。薫と浮舟との最初の対話の場も、教養の差が歴然としている。はたして、この結婚、うまくいくや否や。「楚王の台の上の夜の琴の声」と薫は朗詠したが、これが不吉な予告となりそうな感じである。『和漢朗詠集 雪』によって、この朗詠は「班女が閨の中の秋の扇の色」のイメージを呼び起こし、浮舟がたちまち班女の映像に変換される。薫によって捨てられる秋の扇となる運命がここに確定するというべきか。その時、浮舟は運命的というか無邪気というか、たまたま班女のように「白き扇をまさぐ」っていたのであるから、この印象、この予感はもはや決定的であるといえよう。

★文選(詩篇)下「怨歌行」
新(あらた)に齊(せい)のぐわんそを裂(さ)けば、皎潔(けうけつ)にして霜雪(さうせつ)の如し。
裁ちて合歡(がふくわん)の扇(あふぎ)と為せば、團團(だんだん)として明月に似たり。
君が懐袖(くわいしう)に出入し、動揺して微風發す。
常に恐る秋節(しゅうせつ)の至りて、涼風炎熱を奪ひ、
篋笥(けふし)の中に弃捐(きえん)せられ、恩情中道に絶えんことを。

作者は班?、つまり班女といわれている。彼女は才学に優れ、漢の成帝に寵愛されたが、後進の趙飛燕のために後宮を追われた悲劇の女性である。その後皇太后宮に仕える身となり、我が身の悲運を「怨歌行」として歌った。内田泉之助の訳を参考までに揚げておく。
 
新しく斉国産の白絹を裂くと、それは潔白でさながら雪や霜のようだ。それをたちきって合わせ貼りの円扇(まるうちわ)を作ったら、まんまるで満月のようである。この扇は、君の袖や懐に出入りして、動かすたびにそよ風が起こる。けれど心配なのは、やがて秋の季節が訪れて、涼風が暑さを吹き去ると、同時にわが身も秋の扇として箱の中になげこまれ、君のなさけも中途で絶ちきられることです。

浮舟の運命を、班女にたくしているようです。はたして浮舟、班女となるやいなや。ちょっと先が楽しみになってきましたね。



 <浮舟巻>

第55回 浮舟巻・身も世も捨てて川を渡る

この巻の粗筋
 1 ほのかに見た浮舟を忘れられない匂宮は、浮舟の素性を問い、ひた隠す中君を恨む。
 2 悠長に構える薫は宇治の山里に浮舟を置いたまま、京に浮舟の住まいをひそかに造らせる。
 3 薫は変わらず中君に心を寄せ、世話をする。若君かわいさに匂宮も中君を大切に扱い、中君のもの思いは少し慰められる。
 4 正月上旬過ぎ、宇治の浮舟から中君へ、卯槌などを添えた便りがある。匂宮の居る前で手紙を開けざるを得なくなり、中君は困惑する。
 5 その手紙の内容から、匂宮は浮舟か゜宇治にいることを察知する。
 6 匂宮は、学問のことで召し使う大内記を呼んで、薫の宇治行きの内実を尋ね、薫がこの十二月ごろからひそかに女を住まわせていることを知る。
 7 匂宮は浮舟らしき女の噂を聞き、大内記が薫の家司の婿なので確かだと思い、喜ぶ。
 8 匂宮は女をこの目で確かめたいとの思いを募らせる。賭弓、内宴などの行事が過ぎると、司召で得たい官職のある大内記に宇治行きの相談をもちかける。
 9 匂宮は、乳母子(時方)など親しい供の者数人だけを連れ、大内記の案内で宇治へ赴く。法性寺までは車で、その先は馬で行く途中、かの地の山
深さに、女をこの目でしかと確かめようと決意を新たにする。
10 宵過ぎに宇治に着いた匂宮は葦垣を壊して邸内に入り、格子の隙間から浮舟たちをのぞき見る。ほの見た浮舟の顔は中君によく似ていた。見られているとも知らず、人びとは薫や中君の噂話をする。
11 中君によく似ながら彼女よりも頼りなげでかわいらしいこの女は一体何者なのか。匂宮の心ははやる。
12 堪えかねる匂宮は薫を装って浮舟の寝所へ忍び入る。来る途中恐ろしいことがあったと偽って、自分の姿を見咎められぬよう右近を欺く匂宮。
13 浮舟は入ってきた男が匂宮だと知る。中君の思惑を思い、浮舟は泣き出す。
14 翌朝、一度京へ戻ってからの宇治への再訪の難しさを思い、匂宮は帰らない。そのことに起因する問題も考えられぬほど浮舟に執心する。
15 匂宮が去らないことに困惑した右近は連れ去ってくれない大内記や時方などの供人をなじる。
16 右近は、薫ではないことを知られないようにするため、昨夜の匂宮の嘘を利用して物忌みと偽り、石山詣でも中止する。
17 京にいる浮舟の母が、予定通り迎えの車をよこすが、右近は物忌みを口実に車を返す。
18 いつもはもてあますだけの春の日も浮舟と一緒にいると日暮れがはやい。浮舟も、薫より気品高い美しさの匂宮に惹かれてゆく。匂宮は絵をかいて与える。
19 夜、京へ遣った使いが明石中宮や夕霧の様子を伝える。翌朝、名残を惜しみつつ浮舟と歌を詠み交わして、匂宮は暁の寒景のなかを京に帰る。
20 ニ条院へ帰邸した匂宮は浮舟のことを悟られまいと、薫にことよせて中君を責める。
21 宇治行きを病気と言い紛らわしていた匂宮に、宮中の明石中宮から見舞の手紙が来る。
22 夕方には薫も見舞にやって来る。浮舟を山里へ一人置き平然としている薫を見て匂宮のもの思いはまさる。
23 匂宮は浮舟に手紙を送る。翌月になって思いは募るが宇治に行くことはできない。
24 公事も一段落した頃、薫は宇治に行く。秘密を持った浮舟は思い乱れる。
25 京の三条の宮にも近いところへ迎えとる計画を話す薫と、匂宮のことを思う浮舟。二月上旬の月をながめて二人の思いはすれ違う。
26 川の景色を見て、薫と浮舟は宇治橋の歌を交わす。匂宮を知って女らしさを添えた浮舟を薫は大人びたと喜ぶ。
27 二月十日頃、宮中の詩会は雪のために管絃の遊びもすぐに中止になる。宿直して「衣かたしき」と誦じる薫に、匂宮は焦りを覚える。翌日の披講では、匂宮とならび称される薫はニ、三歳年上に見える。
28 匂宮は雪道をおかし、夜更けて再び宇治へ行く。右近は若い侍女の侍従を味方につけて、匂宮を薫と言い紛らわす。
29 匂宮は時方に用意させていた宇治川対岸の隠れ家へ浮舟を伴う。川を渡る途上、橘の小島に舟を止め、唱和する。
30 隠れ家で二人の時を過す匂宮と浮舟。宮は「君にぞまどふ」と詠み、浮舟は自らの境遇を「中空」と歌う。
31 浮舟に女房の真似をさせて戯れる匂宮。飽き足らぬ思いで別れの日を迎える。
32 帰京後、二条院でもの思いに沈む匂宮はついに病臥する。浮舟も匂宮の姿を夢に見るまでに思いこがれる。
33 長雨が降り続くなか、尽きせぬ思いをつづる匂宮の手紙に、浮舟は悩む。母や中君の思惑も彼女を苦しませるものとなる。侍従や右近の目には心変りと映るのだった。
34 時を同じくして届いた薫の手紙は、匂宮のものとは全く異なり、浮舟は二人の男を決めかねていよいよ思い迷う。
35 浮舟は翌日になってようやく二人に返歌。薫も匂宮もそれぞれに浮舟を恋い、彼女の面影を胸に描く。
36 薫は浮舟を京へ迎え取りたい旨を正妻女二宮に語る。宮はおうように承諾。
37 大内記を通して、薫の計画は匂宮の知るところとなる。宮も浮舟を隠しおく家を下京に手配する。
38 薫は浮舟の京への引き取りを四月十日に定めた。二人の男の間で悩む浮舟は母のもとで考えたいと思うが、異父妹の出産が近くて叶わず、母が宇治にやって来る。
39 母は弁尼を呼び、浮舟の身の上を語りあう。薫に引き取られることを喜ぶ母の言葉を、浮舟は臥したまま聞いている。
40 薫との仲を浮舟が壊すようなことがあれば親子の縁を切るという母の言葉に、宇治川の流れを耳にして浮舟は入水を思う。
41 悩みやつれた浮舟の体を案じつつ、母は帰京する。
42 ふたたび、薫・匂宮双方から手紙。匂宮の使いを薫の随身が見とがめ、不審に思う。
43 随身は匂宮の使いに尾行をつけ、匂宮邸で大内記に手紙を渡したのを確認。薫に浮舟の手紙を届けると、薫は六条の院に退出中の明石中宮を見舞に行くところであった。
44 匂宮も母中宮を見舞、六条院の台盤所で浮舟からの手紙を見る。手紙に心を入れている様子を薫は目撃。
45 随身は、宇治の邸で見かけた使いが匂宮のところへ手紙を持ち帰ったことを薫に報告する。
46 邸に帰る道すがら、薫は匂宮の裏切りを怒り、浮舟の様子が変わったのも匂宮のゆえかと、うとましく思う。
47 思い乱れる薫は浮舟へ詰問の手紙(波越ゆるこころも知らず末の松待つらむとのみ思ひけるかな)を送る。浮舟は、思い当たるが機転をきかせて手紙をそのまま送り返し、その場を逃れる。
48 手紙を送り返したことを不審がる右近と侍従。右近は薫の手紙を無断で開け、薫が秘密を知ったことを了解する。
49 思い悩んで臥す浮舟の傍らで右近はどちらか一人に定めることを得策とし、一方侍従は匂宮を勧める。
50 右近は邸を警護する薫の荘園の者について語り、匂宮に危害が及ぶかもしれぬ見通しを述べる。それを聞く浮舟の苦悩はいよいよまさる。
51 浮舟は死を願う。浮舟たちの心配をよそに、乳母は上京の準備に精を出す。
52 数十後、右近の話に出た内舎人が警備を厳重にする薫の命を伝えに来る。
53 薫・匂宮のどちらを選んでも不都合が起こることを思案する浮舟は、自らの死を決意する。
54 浮舟は少しずつ匂宮の手紙を処分する。決意はしたものの、死を目前にしてやはり心は揺れる。
55 三月二十日過ぎ、匂宮から浮舟を迎えとる日取りが予告される。浮舟は匂宮からの手紙に顔を押し当てて泣くばかりで、返事も書かない。
56 浮舟の態度の変化を案じる匂宮は宇治へ赴くが、邸は前とは違って薫の命で強固に警備されている。
57 匂宮は浮舟と逢うことを果たせず、かろうじて時方が侍従を連れ出すが、事情を尋ねただけでむなしく帰京する。
58 浮舟の今生の思い。この世を去ると決心すると、親しい人びとのことが胸に思い浮かぶ。
59 浮舟は匂宮の手紙に返歌のみ返す。夢見が悪かったからと心配して、宇治山の寺に誦経を手配した母には、使いが持って来た巻数に告別の歌を書きつける。
                                           (新日本古典文学大系より)

★中君の退場
起こりそうな悲劇に手を拱いていざるをえない中君。「おしこめてもの怨じしたる、世の常の人になりてぞおはしける」と本文にある。中君は決して「世の常の人」ではないのだけれども、「世の常の人」に強いてなっている。この自己規制は、その昔、この同じ西の対で「無言太子」の述懐をした紫上と同じである。(夕霧巻)。彼女は、こうして、日常の女そのものになってゆく。中君の源氏物語からの退場宣言であろう。

★宇治の橋姫
宇治で「待ち遠なりと思ふらむ」と、浮舟のことを想像する薫古今集に有名な橋姫の歌がある。
「さむしろに衣かたしきこよひもやわれを待つらむ宇治の橋姫」(巻第十四 恋歌四)

★手紙で始まり手紙で終わる
宇治からの手紙を童が取次ぎ、文使いとして走り出てくる。この無邪気な童が事件の口火を切る。この設定も巧妙である。この童、「ここちなうさし過ぐ」す、思慮に欠けた今参りの童である。利発だがお調子者であるらしい。また、浮舟事件は「緑の薄様」の手紙から始まり、紅の薄様の手紙でさらなる事件が発覚する。この小さな紙の色細工も凝った仕掛けとして注目される。

★荘園領主・薫
薫の荘園が宇治には多い。「あのわたりに領じたまふ所々の人、皆仰せにてまゐりつかうまつる、宿直にさしあてなどしつつ」で、だいたい察せられよう。これは、この巻の最後のあたりで、薫の政治力として機能することになる。

★浮舟は夕顔
宇治に女をすえているのは、薫と中君との共謀である。と匂宮は確信している。これから彼がとる行動は、こういう男の嫉妬心をバネとしている。中君を寝とられた宿木巻の復讐という意識が心の底にある。匂宮の行為は、純愛とは異質。匂宮が大内記に言った嘘「かの宇治に住むらむ人は、はやうほのかに見し人の、行方も知らずなりにしが、大将に尋ね取られにける、と聞きあはすることこそあれ」。これでもって、浮き舟は、夕顔の相貌を呈することになる。夕顔イメージは、悲劇的結末の暗示効果があろう。一瞬、薫が光源氏で、匂宮が頭中将といった役どころに見える。しかし、事実は、薫が頭中将、匂宮が光源氏である。

★美貌のクローズアップ
まず垣間見をした匂宮の目に飛び込んできた浮舟。「君は、かひなを枕にて、火をながめたるまみ、髪のこぼれかかりたる額つき、いとあてに
なまめきて、対の御方にいとようおぼえたり」。火を見ている浮舟。いかにも情熱的な浮舟にふさわしい導入部ではないか。髪も明かりのなかで濡れたように光って揺れている風情。美女である。ここから彼の恋は純化し、命がけのものとなる。

★あぶない絵
匂宮は浮舟に「いとをかしげなる男女、もろともに添い臥したる画」を描いて「常にかくてあらばや」といっている。こういう卑猥さが、「品々しからぬ」東国育ちの野生の世界に合うということかこの絵を彼女はこの巻の最後まで持っている。東屋巻でうかがえたように、浮舟は絵の好きな女である。

★宇治橋の贈答
女はかき集めたる心の中にもよほさるる涙ともすれば出で立を、慰めかねたまひつつ、
宇治橋の長きちぎりは朽ちせじをあやぶむかたに心さわぐないま見たまひてん」とのたまふ。
絶え間のみ世にはあやふき宇治橋を朽ちせぬものとなほたのめとや
さきざきよりもいと見棄てがたく、しばしも立ちとまらまほしく思さるれど、人のもの言ひのやすからぬに、今さらなり、心やすきさまにてこそなど思しなして、暁に帰りたまひぬ。

★匂宮の行動力
匂宮が突然宇治に行くことを思い立ったのは、宮中詩宴で、薫の「衣かたしき今宵もや」を聞いたからである。彼は、浮舟が薫に戻るのを防ぐために、ためらうことなく雪踏み分けて宇治へ行ったのである。「御供の人も、泣きぬばかり恐ろしう、わづらはしき」雪の日にわざわざ行った。浮舟は「あさましうあはれ」と思い、右近も「今宵はつつましさも忘れぬべし」と感激しているのだから、この作戦、まずは成功である。

★宇治川の水位
「有明の月澄みのぼりて」とあるから、二月二十日前後のころか。月明かりの中での、「小さき舟」に乗っての、夜中の渡河作戦は物語のなかでしかできない無茶な行為である。折しも天候不順な頃だ。宇治川は、どうと流れて、とても渡れるような状態ではなかったはずなのに。と現代の読者は思うはず。が、当時は巨椋池があり、宇治橋のすぐ下から池は始まっていた。この池は、今風に言えばダムであり、雨季には当然水位が上昇する。この頃は、雨か雪続きの日々であったから、池の水嵩もかなり上がっていて、池の端が八宮邸のあたりまで延びていた。と考えるべきではないか。だとすると、驚天動地の渡河作戦も、当時は思いの外簡単で、たやすいものであったかもしれない。

★橘の小島の贈答
「これなむ橘の小島」と申して、御舟しばしさしとどめたるを見たまへば、大きやかなる岩のさまして、されたる常磐木の影しげれり。「かれ見たまへ。いとはかなけれど、千年も経べき緑の深さを」とのたまひて、
  年経ともかはらむものか橘の小島のさきに契る心は
女も、めずらしからむ道のやうにおぼえて、
  橘の小島の色はかはらじをこのうき舟ぞゆくへ知られぬ
をりから、人のさまに、をかしくのみ、何ごとも思しなす。
橘…不変、不動、志が変わらない。

★発覚
事件を見破るきっかけをつくった薫の随人はなかなかの人物である。見た手紙から、かなりの人物からの使者だと予想したこと。童をつけさせ、その使者が弁解した通りの家に帰るかどうか確認させたこと。その結果、弁解は嘘で、匂宮邸に入り式部少輔に手渡したことを掴んだこと。帰って、六条院に出掛けようとする薫に「あやしきことのはべりつる。見たまへ定めむとて、今までさぶらひつる」と報告する。「何ごとぞ」と歩きながら聞く薫に、周りに聞く人がいたので詳細については言及しない。薫もそれを察知してその時はそのままにして出てゆく。薫も来ている六条院で、浮舟の文を匂宮に手渡した大内記はいかにも不用意。大磐所で、手紙を夢中になって見る匂宮もいかがなものか。薫は「紅の薄様」をしっかり見ている。随人は、薫が出てくるまで待っていた。その報告も、的確で遺漏がない。浮舟の手紙は、見ていないが、「赤き色紙の、いときよらなる」という下人の報告を言上している。これで、全てが明らかになったわけである。

★恥のために死ぬ
浮舟の思い。「昔は、懸想する人のありさまの、いづれとなきに思ひわづらひてだにこそ、身を投ぐるためしもありけれ」。ここで、作者は、読者に『万葉集』の真間の手古奈(全ての男が求婚)や『大和物語』菟原処女(二人が求婚)の話を想起させている。そして、浮舟の話がこれらの先行説話とどう違うのかについていささか説明している。それらは、いづれの男か決め兼ねて死んだものだ。浮舟の場合は、両方を選択している。このまま生き続けたら「人笑へ」となるだけ。これは死ぬよりつらいことなのだ。ということは、とりもなおさず、右近のアドバイス「死ぬるにまさる恥」を避けるという上流貴族的生き方を、浮舟が今、選択採用しているのだということだろう。彼女は、けっして東国女のように死ぬのではない。恥のために死ぬのである。しかし、作者は、こういう浮舟の過激な選択を、「気高う世のありさまをも知るかたすくな」い育ちのせいだと言っている。これは、なかなか辛辣な批評である。

★匂宮、犬にほえられる
三月二十日過ぎ。匂宮、三度目の来訪。この時、宇治の警護の物凄さが歴然となる。薫の世俗的実力の前で、匂宮の「むなしき空にみちぬる」恋などひとたまりもない。馬で来た匂宮が少し離れた位置に立っている。そこに「里びたる声したる犬ども」が出てきて、馬で立っている匂宮を吠える。危機感あふれるリアルな表情である。侍従が「髪脇より掻い越して」やって来る。「山がつの垣根のおどろ葎の蔭に障泥」を敷いて、匂宮と侍従が対面する場面。王朝物語には珍しく、臨場感あふれる場面だ。侍従は、身を捨てても、約束の日、浮舟を匂宮と一緒にさせるつもりでいる。しかし、この日は来ることはない。

★羊の歩み
「川の方を見やりつつ、羊の歩みよりほどなきここちす」。これで、浮舟宇治川入水の方向性は確定する。羊の歩みについては、千載集に赤染衛門の歌がある。「けふもまた午の貝こそ吹きつなれひつじの歩み近づきぬらん」(巻第十八 釈教歌)新古今集の慈円歌に「極楽へまだわが心ゆきつかずひつじのあゆみしばしとどまれ」(巻第二十 釈教歌)ともある。仏教にいう屠所の羊の故事で、羊の歩みは、死に刻々と近づいてゆくイメージである。出典は『涅槃経』三十八。

★母と乳母のの心ばしり
夢見が悪いと言って、手紙を寄越す母。それも昼寝の夢。少将の方のお産が迫り、ばたばたして飛んで帰れぬ。で、遣わした使いが「今宵はえ帰るまじ」とは悲しい。浮舟最後の歌が母のもとに届く時、すでに浮舟はこの世の人ではない。「心ばしり」する乳母。浮舟は乳母に事情を語ろうとするが言えない。生みの母にも、育ての母にも、何もいえずに浮舟は独り旅立ってゆく、という終り方であるる。




<蜻蛉巻>

第56回 蜻蛉巻・貝に交じっているのでは

この巻の粗筋
 1 宇治では浮舟の姿がどこを捜しても見当たらないので大騒ぎである。匂宮と薫の板挟みになった浮舟の内情を知る右近と侍従は、浮舟が宇治川へ身を投げたのではないかと思う。
 2 匂宮はいつもとは違った浮舟の返事を見て胸騒ぎをおぼえ、宇治へ使者を遣わす。到着した使者は浮舟失踪で大騒ぎの八宮邸で手紙も差し出せず、京へ戻って浮舟急死を報告。にわかに信じられない匂宮は腹心の時方を派遣。
 3 宇治に到着した時方はまず右近に面会を求めるが右近は応じず、侍従と会う。
 4 遺骸すらないと嘆く乳母の言葉を耳に挟み不審を抱いた時方は、侍従に真相を問いただす。侍従は隠してもいれず匂宮方の耳に入ることだろうと観念し、浮舟入水をほのめかす。
 5 雨に紛れて浮舟の母も宇治に到着。浮舟の悩みを知らぬ母は、身投げなどは思いもよらず、鬼に喰われたか狐にさらわれたかと嘆く。
 6 侍従、右近の両人は、真相が世間に漏れる前にと、悲しみさめやらぬ母に浮舟の入水を明かし、二人で浮舟の火葬を装う。向かいの山の麓での遺骸のない火葬はあっけなく終わった。(浮舟の使っていた、ござ、畳、家具調度、衣服等)
 7 侍従と右近は匂宮や薫に真相が漏れるのを恐れて、八宮邸の下人たちにも火葬の実際を知る者には口外を禁じ、他の者には知らせないよう策を巡らした。
 8 折しも薫は母女三宮の病平穏の祈願のため、参籠の最中であった。石山で事態を知った薫は、早々と自分抜きで火葬が執り行われたことに不快を表明。
 9 薫は今まで浮舟を宇治に放置したことを後悔、悲しみに沈む。浮舟の死は道心を起こさせようという仏の方便かと観念して、勤行に専念する薫。
10 匂宮も茫然自失の体で、重病と称して籠りきりである。薫は匂宮の様子を聞き知って、浮舟の死に匂宮が関わりあることを推察。そのころ薫の叔父にあたる式部卿宮が死去。服喪する。
11 薫、匂宮を見舞い、匂宮の涙に浮舟への思いを看破する。宮は今となっては薫を浮舟の形見と思う。薫は宇治に隠し置いた愛人(つまり浮舟)の急死を匂宮に報告する。
12 薫の取り乱した顔つきを見て匂宮は同情するが、素知らぬ体で応対。薫は、匂宮のような貴人に思われた浮舟の宿世の高さを思う。
13 四月になり、浮舟を京に迎えるはずであった日の夕暮れ、薫は北の宮(二条院)に滞在中の匂宮に歌を贈る。浮舟のことをにおわせた薫の歌を、匂宮は中君の手前、面倒に思うが、中君は浮舟をめぐる事情は先刻承知であった。
14 匂宮は詳しい事情を知りたく、右近を迎えに時方を遣わす。右近は同道をためらったので、時方は匂宮の心痛の様子を語って侍従を連れ帰った。
15 中君には内緒で、匂宮は侍従を迎え入れ、失踪直前の浮舟の様子を聞く。翌朝帰る侍従に匂宮は浮舟のために用意された櫛の箱と衣箱を贈った。
16 薫、宇治を訪問。右近を呼び出して事情を尋ねる。薫の真剣な態度に圧されて、右近は事実を打ち明けた。
17 浮舟の入水を聞いた薫は絶句。さらに詳細を問いただす薫に、右近は浮舟と匂宮二人の仲を泣く泣く認めた。
18 薫のきびしい追求に抗しきれず、右近は浮舟と匂宮との最初からのいきさつを語る。それを聞くにつけ薫は浮舟を宇治に放置したことを悔やむ。
19 今は律師になっている阿閣梨に浮舟の供養を命じた薫は、弁尼との対面も叶わないまま、道中浮舟を偲びながら帰京。
20 浮舟の母を案じて、薫は弔問の手紙を三条の家に遣わし将来の世話を約束する。使者は腹心の大蔵大輔。大輔は返事を持って帰参し、浮舟の母の口上を伝えた。
21 浮舟の母の滞在する三条の家に顔を出した夫の常陸介は、薫の手紙を見て恐懼。母から浮舟と薫との間柄を初めて知らされて、自分の手の届かない上流社会と交渉のあった継娘の死を悼んだ。
22 浮舟の四十九日の法事が薫の援助で宇治の律師の山寺において営まれた。薫や匂宮から寄せられた供物の豪華さに、常陸介はあらためて浮舟の宿世の比類なさを思う。
23 薫同様、明石中宮も叔父の喪に服して六条院に滞在。匂宮と睦まじい仲の同じ明石中宮腹の女一宮のもとに、薫が秘かに情を交わしていた小宰相君という女房がいた。その小宰相が浮舟を失って傷心の薫に贈歌、薫も返歌をしがてら、小宰相を訪う。
24 夏、蓮の花盛りの頃、六条院で法華八講が催された。講果てて薫は、屋内のいつもと違った様子に、馬道に面した障子の隙間から西の渡殿を垣間見をする。
25 薫の目に映ったのは、蓋に載せた氷を割ろうとして騒ぐ女房三人と童、それに白い薄物姿の女一宮であった。
26 女一宮の面影が忘れられぬ薫は、翌日妻女二宮に昨日垣間見た女一宮と同じ装束をさせ、氷を持たせなどして、女一宮への執心を紛らわす。
27 その翌日、六条院に明石中宮を訪ねた薫は、絵が話題になった折に、女一宮から女二宮へ絵を賜りたい旨、中宮に訴える。ついで一昨日垣間見した渡殿で女一宮を偲ぶ。
28 女一宮の女房大納言君が、明石中宮に浮舟の身元や、浮舟が薫、匂宮と三角関係にあったことを告げる。驚いた中宮は匂宮を案じ口外を禁じる。
29 その後、女一宮から女二宮へ手紙とともに多くの絵が贈られてきた。その手紙を見るにつけ女一宮への思慕募る薫は、大君存命ならこういうこともあるまいにと恨めしく、さらに中君、亡き浮舟への思いを馳せる。
30 匂宮も浮舟を忘れられず、浮舟の女房侍従を呼び寄せたが、侍従は中君のいる二条院での宮仕えを避け、明石中宮に出仕することになった。
31 この年の春亡くなった式部卿宮の娘で、継母から不本意な結婚を迫られていた姫君が、女一宮のもとに出仕して宮君と呼ばれていた。はやくも宮君に目を付けていた匂宮は、浮舟事件の心痛がやわらいできたこの頃、宮君に夢中である。
32 六条院滞在中の中宮が内裏へ戻る日が近くなった。中宮に仕える侍従は、ある日、そろって中宮に参上した薫と匂宮を物陰からのぞき見る。
33 中宮の御前を退いた薫は、東の戸口にいた弁のおもとを中心とする中宮女房たちと言葉を交わし、歌を詠み合う。
34 薫は寝殿の東面の高欄にもたれて前栽の花々を眺めながら、美しい女房に取り巻かれてすごす匂宮の境遇をうらやむ。
35 その日もまた、西の渡殿にわざわざ立ち寄った薫は、そこで談笑する女房たちに声をかける。折しも聞こえていた箏の琴を、遊仙窟もじりで話題にした薫の言葉に、同じく遊仙窟で応える女房がいる。それは先日歌を詠み交わした中将君であった。
36 薫は西の対に渡り、そこに局する宮君を訪問。父親王の死によって宮仕えの分際に身を落とした高貴な姫君宮君の境遇に同情し、また宇治の大君、中君、浮舟との縁に思いを巡らす。
                                           (新日本古典体系より)

★作者全能
浮舟失踪の朝から始まる。「物語の姫君の、人に盗まれた朝」のようだと本文にある。光源氏による若紫姫君略奪事件を想起させる表現。その実体は、人妻夕顔失踪事件に近い。「身を投げたまへるか」。このレベルで、あらゆる読者は「浮舟死後の世の中」の動静を眺め、登場人物たちの対浮舟評価を評価することになる。当人の評価は棺を蓋って定まるのだし、残された者たちの行動には死者に対する真実が現れる。そういう死後の世界をわれわれはとっくりと見ることが出来る。そういう巻であることがわかろう。浮舟のその後については作者のみの知るところであって、作者だけが、いま全能者という快適な位置にいるわけである。この巻は、読者が次の巻で事情を完全に把握した後には、強烈な批判力となって、源氏物語最後風景にたたずむ全人物を照射し、評価を決定付けることになる。

★右近と中将の意味
前巻で浮舟の行動は夕顔を髣髴させた。浮舟乳母子の名を夕顔の乳母子右近と同じ呼称としていることにも注意を払いたい。また、浮舟の母の呼称「中将」も、夕顔の父の官職。夕顔が宮仕えをしていたら、中将と呼ばれていたろうし、浮舟の母が「中将」とよばれているのも、父親がそうだったためではないか。と考えると、この二つの呼称には、意図的なものがある。作者は、このあたりのイメージを、源氏物語初期の風景とダブらせて、読者に「源氏物語の終り」を意識させようとしている。夕顔は、本妻からの圧力で身を隠したのであった。ここは、本編では省略されている頭中将側、乳母側の視点から夕顔のような女、つまり浮舟を描くことによって、描かれなかった夕顔の部分を補完しているのだと考えることもできよう。

★恩愛のテーマ
乳母の嘆き。「人のいみじく惜しむ人をば、帝釈も返したまふなれ」は、明らかに『三宝絵』上第十三「施无(せむ)」を意識した記事である。施无の話は、孝子のテーマ。源氏物語のこのあたりの展開が、この親と子の愛、つまり恩愛へとシフトされているということの、これは象徴的表示とみたい。男女の愛の絶望は、親子の愛へと自ずから回帰する。しかしながら、これは一番淋しい愛の姿。

★死体漂流の映像
やってきた母に、右近と侍従は、事情を正直「ありのままに」話す。危機管理の鉄則。嘘をつくな。「さは、このいと荒ましと思ふ川に、流れ亡せたまひける」「行方も知らぬ大海の原にこそおはしましにけめ」で、浮舟の現状のイメージが確定する。増大した宇治川に一気に流されて、今や大阪湾に漂流しているイメージである。なお、一気に大阪湾という発想は、素性法師の「もみじ葉のながれてとまるみなとには紅深き浪やたつらむ」(古今和歌集秋下)などからきているのではないか。薫もまた、「いかなるさまにて、いづれの底のうつせ(アサリ・ハマグリ)にまじ」っているかと浮舟の亡骸を思う。この薫の想像力は強烈で、これによって、浮舟入水、水底に貝にまじって横たわる美しい死体のイメージは決定的なものとなる。

★天智天皇の死
『扶桑略記』に、天智天皇が山科に狩りにゆき、行方不明となった。あとに沓が残されていて、そこに天智天皇の御陵を築いた。場所は山科国宇治郡山科郷北山。という一説を紹介し、天智殺害をも匂わせる記事がある。浮舟失踪の舞台が宇治とされているのも、この『扶桑略記』に収録された天智天皇宇治失踪事件説話を響かせる処置であったかと推測されなくもない。もっとも、『日本書紀』によれば、天智天皇は近江京で病死したことになっている。

★仏のおきてたまふべき身
「ありしさま容貌、いと愛敬づき、をかしかりしけはひ」。浮舟が恋しい薫の心情。彼は心底浮舟に惚れていた。が、彼は思いなおす。「さま異に心ざしたりし身の、思ひのほかに、か例の人にてながらふるを、仏なども憎しと見たまふにや、仏のしたまふ方便は、慈悲をも隠して、かやうにこそはあなれ」と思う薫は、紫上を亡くした時の光源氏の嘆き「仏のおきてたまふべき身」と同じ境位にある。薫の浮舟に対する愛を、光源氏の紫上に対する愛と同等に扱っているのだ。これは、浮舟への最大のはなむけというべきであろう。それにしても、この事件を奇縁にして、仏の方便によって、はたして薫は元の道心深い薫に戻れるのであろうか。

★李夫人のイメージ
浮舟の人生は短かったけれど、当代最高の男二人に熱愛されたのであるから、「さすがに高き宿世」だと、薫も認めずにはおれない。薫の独白「人木石にあらざれば情あり」は、白氏文集「李夫人」の一節。浮舟を李夫人に例えているところ、最高のはなむけとなっている。浮舟は李夫人に優るとも劣らぬ傾国の美女であったのだ。この一節は、白氏文集では「如かじ傾城の色に遇はざらむには」と続く。美人なんかに逢わないほうが幸せなのだ。というのが「李夫人」のテーマなのである。薫がこのテーマを了解しているかどうか、はなはだ怪しい。むしろ、漢の武帝のように反魂香を焚き、も一度李夫人のような浮舟に逢いたいと思っていることは確実である。この「人木石にあらざれば情あり」の引用句は、出典のテーマへの暗示力は無い。その語句のままで薫の今の気持ちの代弁となっている。とすれば、薫が「木石の人」、つまり出家道心者となる可能性は全く無い、と考えざるを得ない。この事件を契機として、仏の導きによって元の道心深い薫に戻るのだという彼自信の発想は、はなはだ甘いということになる。
                  李延年
北方有佳人   絶世而獨立
一顧傾人城   再顧傾人國
佳人難再得

★明石中宮法華八講
「蓮の花の盛り」の頃。明石中宮の法華八講が行われた。賢木巻にあった藤壺中宮の法華八講が想い起される。あれは、悲劇の幕開けであった。これは、源氏物語の幕引きの印象が強い。八講の目的は「六条の院の御ため、紫の上など」とある。「など」の部分に明石上が入っているかどうかは明らかでないが、光源氏がいて紫上がいた時代を、この法華八講でもって護持封印している感覚がある。なんといっても、光源氏と紫上。そして明石中宮はその子、後継者なのだと明石中宮自らが天下に宣言している場面である。これが源氏物語の正統性なのである。

★薫、女一宮を見る(この巻のハイライト)
心づよく割りて、手ごとに持たり。頭にうち置き、胸にさし当てなど、さまあしうする人もあるべし。こと人は紙に包みて、御前にもかくてまゐらせたれど、いとうつくしき御手をさしやりたまひて、拭はせたまふ。「いな、持たらじ。雫むつかし」とのたまふ、御声いとほのかに聞くも、限りなくうれし。「まだいと小さくおはしまししほどに、我も、ものの心も知らで見たてまつりし時、めでたの児の御さまやと見たてまつりし。その後、たえてこの御けはひをだに聞かざりつるものを、いかなる神仏のかかるをり見せたまへるならむ。例の、安からずもの思はせむとするにやあらむ」と、かつは静心なくてまもり立ちたるほどに、こなたの対の北面に住みける下臈女房の、この障子は、とみのことにて、開けながら下りにけるを思ひ出でて、人もこそ見つけて騒がんと心騒ぎて、おのがさま見えんことも知らず、簀子よりただ来に来れば、ふと立ち去りて、誰とも見えじ、すきずきしきやうなりと思ひて隠れたまひぬ。このおもとは、「いみじきわざかな。御几帳をさへあらはに引きなしてけるよ。右の大殿の君達ならん。疎き人、はた、ここまで来べきにもあらず。ものの聞こえあらば、誰か障子は開けたりしとかならず出で来なん。単衣も袴も、生絹なめりと見えつる人の御姿なれば、え人も聞きつけたまはぬならんかし」と思ひ困じてをり。かの人は、「やうやう聖になりし心を、ひとふし違へそめて、さまざまなるもの思ふ人ともなるかな。その昔世を背きなましかば、今は深き山に住みはてて、かく心乱らましや」など思しつづくるも、安からず、「などて、年ごろ、見たてまつらばやと思ひつらん。なかなか苦しうかひなかるべきわざにこそ」と思ふ。

★女ニ宮に同じ姿を強いる薫
女二宮に、昨日見た女一宮と同じ恰好をさせ、氷をもたせる薫。なさけない風景とは思わぬか。「もの思ふ人」に落ちた薫の印象は、ここで決定的なものとなろう。女二宮(落葉宮)で満足せず、結局は女三宮に血迷った父・柏木のイメージがここに刻印されていると思わぬか。もっとも、女三宮とこの女一宮とでは、月とスッポンだけれども。あの当時、柏木はこの女一宮のように、女三宮を思っていたのだから、同じことだ。薫はこうして、柏木のイメージに貼りつけられる。こうなると薫はもはや終りである。さらには、女一宮の直筆欲しさに、そんな意思など全く無い女二宮をだしにつかう薫の嫌らしさ。彼はしきりに、女二宮のことを「ただ人」「下衆」「雲の上離れ」「品さだまりたまへる」と卑下してみせるが、これはそのまま自分自身に返る言葉ではないか。また、今の卑しい「すきばみたる」行為は、猫を欲しがった父・柏木のものぐるおしい行為を彷彿させずにはおかない。これが、血の脈絡のなかに彼を置く処置でなくて名にか。かくして、薫は、光源氏、紫上、明石中宮という『源氏物語』の正統から墜落することになる。

★源氏物語初期の風景
「この春亡くせたまひぬる」式部卿の女の点出。紅梅巻の、宮の御方に似た女である。継母に不当な結婚を強いられる点が違う。明石中宮が同情して、彼女は中宮付の女房として出仕することになる。その彼女に浮舟の面影を追う匂宮の心の動きに注意したい。「恋しき人に思ひよそへつべきさましたらむ、父親王は兄弟ぞかし」。この式部卿は、光源氏の弟。八宮とも兄弟である。さて、この匂宮の心理の動きだが、これは、かって若菜巻女三宮降嫁の時の光源氏の心の動きと同じではないか。藤壷に似ているかもしれない。匂宮は今、浮舟に似ているかもしれないと考えている。この時、浮舟は、かっての女三宮に同じだし、かっての紫上とて異なるものではない。紫上の向こうには藤壷が、藤壷のかなたには桐壷更衣がいる。ここまで思念の糸が延びれば、浮舟が案外光源氏の母にも似た存在であったことに気付かぬか。夕顔は本来的に桐壷更衣的人物であったのだということを思い出してもらいたい。『源氏物語』は今、初期の風景をそこはかとなく現出させて、蜻蛉のような昔を演出している。この式部卿の女が継母によって結婚させられる予定であった男の名「馬の頭」も懐かしい響きがするではないか。左頭馬。雨夜の品定めの主役のイメージである。

★明石の浦は心にくかりける所かな
「明石の浦は心にくかりける所かな」(藤原氏の敗北宣言)という薫の述懐。この文脈のなかにこの言葉を置くと、薫の述懐には、明石一族の出自の低さへの揶揄がある。しかし、言うても詮ない、負け犬の遠吠え。とにもかくにも、明石一族の物語は、ここまで延びて終わる。圧倒的な源氏の栄耀栄華。めでたしめでたしの結末は一番物語らしい物語である。ここに巨大な昔物語が終わる。源氏物語を描いた目的は、この薫の述懐にあると思わぬか。薫は、藤原。源氏ではない。栄華のさまを指を銜えて見るほかない。薫は、結局、橋姫巻で弁から受け取った光源氏の因果の罪が入った袋を背負い、そのまま源氏物語の外に袋を運び出すという役どころではないか。彼がそうすることによって、光源氏は完全無欠となる。そういうことではないのか。

★蜻蛉
ありと見て手にはとられず見ればまたゆくへもしらず消えし蜻蛉
あるかなきかの
大君、中君、そして浮舟。薫にとって八宮の姫君たちは蜻蛉の存在。手にはとられず、行方も知れず消えていくのみ。




<手習巻>

第57回 手習巻・この世に戻り見たものは

この巻の粗筋

 1 横川の何がし僧都の母尼は八十歳あまり、五十歳ほどの僧都の妹尼と、初瀬詣での帰途奈良坂を越えたあたりで急病をわずらう。僧都は山籠りを中断して下山。病人を宇治の院へ移すことにする。
 2 僧都、宇治院を検分。大木の下に何者かがうずくまっているのを発見する。
 3 怪しい者の正体は若い女であることを確認し、救出する。弟子たちは病人のもとへ穢れを持ち込むことになるのではと危惧する。
 4 僧都の妹尼は、僧都が六十何年生きてきて初めてのことだと、若い女について話すのを聞き、長谷寺での霊夢を思い合わせる。亡き娘の代わりであると、若い女を介抱する。
 5 2日ほど病人の加持のためにとどまっていると、宇治の里人が僧都のもとに挨拶に来て、故八宮の姫君が亡くなり、昨夜が葬送であったことを語る。
 6 母尼は回復した。女を連れ、尼君らは比叡坂本の小野の里に帰る。母尼のようすを見届けて僧都は帰山する。
 7 妹尼は女の身元を忖度する。女は一言「河に流してよ」と言うだけで意識は戻らない。
 8 四月、五月と経過しても女は回復せず、妹尼の要請で僧都は再び下山する。
 9 僧都の加持により物の怪が現れる。女にとり葱いた経緯を語って去る。
10 浮舟は意識を回復し、失踪前後のことをおぼろげに回想する。死を果たせなかったことを嘆き、いっそう弱ってゆく。
11 取りとめた命はねばり強く、浮舟は快方へ向かうが、出家を望み五戒を受ける。
12 妹尼は美しい浮舟を得て喜び慈しむ。浮舟は素姓をひたすらに隠し、妹尼はそのことを恨む。
13 妹尼は上達部の北の方であったが、夫の死後一人娘も亡くして出家し、この山里に住み始めたのだった。小野の山里の風情は宇治よりもおだやかで、秋ともなればいっそうひっそりとしている。所在なくただ勤行に精を出す暮らしぶりであった。
14 月夜には妹尼たちは琴などを弾き、歌をよみ、物語などして過す。浮舟は音楽をのどかに楽しむこともなかった半生を述懐する。ただ手習をして、母君、右近のことを思う。
15 都からの客人の目に触れぬよう、妹尼のつけてくれた侍従とこもきの二人だけを相手に暮らすのが浮舟の日常であった。
16 妹尼の昔の婿君、中将が、僧都の弟子である弟の禅師の君を横川に訪ねる途中、妹尼を訪ねる。二人は亡き娘を偲び語りあう。二十七、八歳で容姿も整い、分別も備ったこの婿君を他人と見なすことも妹尼の悲しみのひとつである。
17 むら雨が降り出し、中将は足どめされる。浮舟と中将が似合いだと話す女房達の声に、浮舟は昔を思い出させる俗世のことは考えまいと知らぬふりをする。
18 中将は、浮舟の後ろ姿を見て心が動く。妹尼は素性を隠す浮舟を恨み責めるが、浮舟は以前として何も語らない。
19 中将は横川へ到り、管絃の遊びをし僧都らと語る。弟の禅師の君に浮舟のことを尋ねる。
20 翌日、浮舟を忘れ難く思う中将は小野に立ち寄り、浮舟に贈歌する。返事はないが今回は最初だから仕方ないと思い許して帰京。
21 浮舟に心惹かれる中将は八月十余日、小鷹狩のついでに三たび来訪する。頑として応えぬ浮舟に代わり、妹尼が応対する。
22 返事のない浮舟に諦めて帰ろうとする中将を引きとめるべく、妹尼は独断で代作をする。中将は心ときめかせてとどまる。
23 中将の笛の音に母尼現れ、中将と妹尼は笛と琴(きん)の琴とを合奏する。
24 母尼は得意げに和琴を弾き、傍若無人な演奏に座は白ける。
25 翌朝、中将から手紙がある。浮舟は少しずつ過往を思い出し、出家を願いつつ経を習い読む。
26 九月、妹尼は初瀬にお礼参りに出立。浮舟は留守居を願い、少人数で小野に残る。
27 妹尼の不在を心細く思う浮舟は、少将尼と碁を打つ。少将尼は思いがけない浮舟の強さに驚き、面白がる。
28 月夜の美しい頃、中将が来訪する。隠れる浮舟に中将は恨み言を訴える。
29 応えたくない浮舟は母尼の部屋に逃げ隠れる。中将は少将尼に浮舟の事情を問いただす。
30 尼君たちのいびきに浮舟はひたすら怖じながら一夜を明かす。
31 寝入られぬ浮舟は落ち着く先なくさすらい続ける悲運のわが身を想いやる。
32 一品宮(女一宮)の物の怪の修法に召されて僧都が下山する旨の知らせが届く。浮舟はこの機会に髪を
下ろしてもらおうと決意する。
33 浮舟は僧都に出家を懇願する。僧都は思い留まらせようと説得するが、浮舟の決意は固い。
34 浮舟、ついに出家を果たす。浮舟の髪の美しさに、髪を下ろす阿闍梨もしばしためらう。
35 少将尼は浮舟の出家を知り気も動転するがもはや止めることもままならない。浮舟ははじめて心の安らぎを覚える。
36 翌日、浮舟はただ手習に心を託す。
37 浮舟の出家を聞いた中将は落胆し、前にほの見た髪の美しさを思う。浮舟は初めて中将へ返歌する。
38 物詣から帰邸した妹尼は悲嘆にくれながらも浮舟の尼衣を用意する。
39 一品宮の病は僧都の加持で平癒した。僧都は宮の夜居に伺候し、明石中宮と語り合う。
40 僧都は浮舟発見の経緯を語る。明石中宮は浮舟のことを思い合わせたが、確証のないこととてそのままにする。
41 僧都は帰山の途中小野に立ち寄る。妹尼から恨み言を、言われるが、尼姿になった浮舟を励ます。
42 人影も稀な小野の山里に色とりどりの狩衣姿が現れた。中将の来訪であった。
43 中将は尼姿なりとも浮舟を見ることを望む。少将尼の手びきで垣間見た浮舟の美しさは尼姿にしておくのはあまりに惜しいものであった。
44 これほど美しい浮舟の素性をほのめかす噂も聞こえてこないことに中将は疑念を抱く。
45 中将は浮舟にも手紙を送り、なお親しく語り合うことを求めるが浮舟はそれには応えない。出家の意思を貫いた浮舟は少し気持ちも晴れ、雪深い里で仏道に精進する。
46 新年、浮舟は過往を思い手習を慰めにする。雪間の若菜に自身を喩えた歌を妹尼と詠み合う。
47 母尼の孫にあたる紀伊守が来訪。宇治で薫がとり行う八宮の姫君の一周忌法要のための装束の仕立てを依頼する。自分のための法要と聞いて感慨が胸に迫る浮舟。
48 紀伊守は薫の悲嘆のさま、夕霧や匂宮の噂を語り、去ってゆく。しみじみとして聞く浮舟は改めてわが身に起こったこととは信じられない思いである。
49 薫の噂に昔を想う浮舟は母を恋う。自身の法要の衣裳を見、思い乱れる。
50 一周忌も終り、静かな雨の夜、明石中宮を訪ねた薫は浮舟のこしを言葉少なに語る。中宮は僧都に聞いた話を教えるよう小宰相に命じる。
51 小宰相は僧都の話を薫に語る。薫は驚きさまざまに思い乱れ、もう一度明石中宮に尋ねたく思う。
52 薫は中宮に対面し、この話は匂宮がまだ知らないことを確かめる。浮舟に再び会う方策を寝ても覚めても思案する。
53 毎月八日は、薬師仏の縁日で、薫は比叡山の中堂に参詣することがある。それにことよせて、浮舟との再会を実現すべく、浮舟の弟小君を伴い横川へ赴く。
(新日本古典大系源氏物語五より)

★横川の僧都
「横川に、なにがし僧都」がいる。「横川」「僧都」「八十あまりの母」「五十ばかりの妹」そして、「古き願」「初瀬」「奈良坂」「山籠りの本意深く」「天の下の験者」などの立言は、古来そう読まれてきたように、この僧都には、恵心僧都源信
のイメージが強烈に与えられている。「六十に余る年」と年齢が具体的に記されている点も注目。源信の生没年時は、942〜1017。源信だとすれば、1005前後ということになる。『紫式部日記』で確認される、彼女が源氏物語を書いていた年次、1008年と一致することすら想定不可能ではない。だとすれば、これは源氏物語の今が現代なのだというサインではないか。考えてみれば、十世紀の初頭から語りだして今や現代。光源氏が生きていれば、今年七十五歳くらいになるはず。現代まで物語ってきたらもうその先は語れないということ。終りのフリーハンド。

★御嶽精進
二三日の方違えに一行が移転した「宇治の院」という「いといたく荒れて、恐ろしげなる」「公所」は、夕顔巻の某院を意識した設定であろう。そこの主人が「御嶽精進」をしているという
ことも懐かしい。某院に行く朝、光源氏と夕顔は御嶽精進をしている隣人の声を聞いていた。「南無当来導師」。弥勒信仰である。そして、行った先の某院で夕顔は死んだ。宇治十帖では、某院に似た場所で浮舟が蘇る。浄土思想の中心人物源信がモデルと目される横川僧都の登場の箇所に、弥勒信仰の「御嶽精進」を置いているところ大いに注目されよう。紫式部の仏教に対する基本認識は、光源氏を据えた嵯峨御堂の釈迦讃仰だとすると、阿弥陀より弥勒の発想であろう。只今は五十六億七千万年の中。無仏、無明長夜の中にある。という基本認識に左担する位置に紫式部はいるとすれば、横川僧都の無力さは当初から織り込み済みか。
※夕顔の場面をフラッシュバックして夕顔の場面に戻らず、夕顔はあれから死んだが、浮舟は生き返らせている。
※浮舟はお経をよく読み、清々しくなっているところが夕顔と違う。
※イメージを空蝉にしている。次の巻で拒否、一人で生きる。
※源氏物語の最後は夕顔であったのが空蝉になって終わる。
※南無当来導師→弥勒菩薩(56億7千万年後にしか現れない)

★妹尼は願西なのか
妹尼は、長谷寺で霊夢を見ている。浮舟を見て「ただ、わが恋ひ悲しむ娘の、帰りおはしたるなめり」と確信的行動をとるのは自然。玉鬘以来の長谷寺観音信仰である。ところで実際の妹尼・願西であるが、『続本朝往生伝』によれば、才学道心ともに兄・源信を越え、生涯独身の人であった。もっとも、『選集抄』によれば、夫に先立たれて出家したことになっている。『本朝法華験記』に、没年は、寛弘年中(1004〜1012)とある。願西が死んだころ、紫式部は、この部分を執筆していたものと思われる。

★小野というところ
浮舟がすくい取られ移された小野の地は、かって夕霧巻、一条御息所が非業の死を遂げた場所である。だから、小野は聖地比叡山の麓ではあるが、救済イメージばかりとはいえない。所変われど宇治と同じ所となる可能性がないわけではない。なお、『山城名勝誌』などによれば、小野郷とは、比叡山の西麓、松が崎から大原にかけての広大な地を言ったものらしい。夕顔巻の小野は、八瀬遊園の手前、現在小野神社のあるあたりだと考えられる。この巻の小野は、それよりやや奥の辺りと推定される。

★物の怪退散は浮舟の新生
僧都によって調伏されて、浮舟から飛び出た物怪の台詞は、興味深い。身分の高い人。法師。恨みをのこした死。宇治八宮邸に住みついて、大君を取り殺す。死にたいと願っていた浮舟にとりついたが、観音の守護があり、取り殺すまでにいたらなかった。いま僧都の法力に負け、退散する。『河海抄』は、モデルとして紀真済をあげる。鋭い指摘だと思う。彼は惟喬親王のために祈り、事破れて天狗となり染殿の后・藤原明子にとりついた。もしかすると紫式部は、喜撰法師のことを紀真済と考えていたのではあるまいか。時代的にもこの比定は不自然ではない。喜撰は、実は「紀氏の仙人」なのだ、と考えていたのではないか。物怪が抜けてからが、浮舟の第二の人生の開始である。「知らぬ国に来にけるここちして、いと悲し」。これまでの浮舟の行為は、物怪の影響下にあったものとして捉えなおす必要がある。これは、浮舟の過去を消去する巧妙な物怪利用であると思う。また、大君の人生そのものも、もののけの影響下にあったという捉えなおしが必要。これは大君の価値を一挙に墜落させる処置ではないか。大君の下方修正。読者も、物怪付きの過去を捨て、これからは、新生浮舟に正対せざるをえない地点に追い込まれたことを知るだろう。

★手習の中将は薫の仮象
中将の登場。妹尼の娘婿。弟が横川僧都の弟子となり「禅僧の君」といっている。やってきた中将を見て、浮舟は「忍びやかにておはせし人」つまり薫の「御さまけはひ」を「さやかに思ひ出」している。これは、中将でもって、作者が薫を書こうとしていることの端的な表示である。中将の年齢設定「二十七八」。これも、完全に薫の現在の年齢を意識した操作であろう。薫は現在二十七である。中将の「心のうちあはれに、過ぎにし方のことども、思ひたまへられぬをりなき」という心理、「昔をおぼし忘れぬ御心ばへ」、さらには「世に靡かせたまはざりける」性格。「何ことも心にかなはぬここちのみしはべれば、山住みもしはべらまほしき心ありながら、ゆるいたまふまじき人々に思ひ障りてなむ過ぐしはべる」となると薫そのままではないか。中将は薫の仮象なのだ。「御前なる人々」が言う。「故姫君のおはしまいたるここちのみしはべるに、中将殿をさへ見たてまつれば、いとあはれにこそ。同じくは、昔のさまにておはしまさばや。いとよき御あはひならむかし」。情況設定は、薫対浮舟のエピゴーネンでなくてなにか。作者は、この巻の中将対浮舟でもって、本筋の薫対浮舟の行方を暗示しようとしている。空蝉で藤壷をそうした帚木の筆法の再現である。出家した浮舟を見て「尼なりとも、かかるさましたらむ人はうたてもおぼえじ、など、なかなか見所まさりて、心苦しかるべきを、忍びたるさまに、なほかたらひとりてむ」という中将の思いは、真相を知った後の薫の行為の先取りであろう。

★浮舟出家
僧都に出家を願い出た浮舟は、願望達成のため小さな嘘をついている。私はまもなく死ぬような気がする。たとえ生きていても普通の状態では生きられない。幼い頃より苦労の連続で、親も私を尼にしたいと思っていた。せめて、後の世だけでも、安楽に生きたいと心の底より思っている。とくに、母の意志の部分は、かってはそうであったかもしれないが、薫を知った今、事実と違い。が、僧都は思う。「あしきもののけの見つけそめたるに、いと恐ろしくあやふきことなり」。悪霊から浮舟を守ってやる、それが出家であった。弟子の阿闍梨もそのように考えている。髪を切る具体的描写は興味深い。「几帳の帷のほころびより、御髪をかき出したまへる」。現場を作者は見て知っていたか。髪を切った阿閣梨が、「のどやかに、尼君たちしてなほさせたまへ」というのも、妙にリアルである。「うれしくもしつるかな」。この、出家、考えてみれば、浮舟がうまれてこのかた行った最初の決断であったように思われる。「手習」をする浮舟。「なつかしくことはる人さへなければ、硯に向かひて」とあることから理解されるように、手習は、浮舟孤独の象徴的行為である。「なきものに身をも人をも思ひつつ捨ててし世をぞさらに捨てつる」。二重の出家。なみなみならぬ決意の表明である。

★横川僧都は天下第一の僧
「一品の宮」つまり女一宮がもののけに悩んでいるので、朝廷は「山の座主」に「御修法」を依頼する。座主は加持祈祷を行ったが効験は得られなかった。もはや、横川僧都に頼む以外ないという仕儀になった。僧都が祈ると女一宮はたちまち平癒した。ということは、この僧都の法力が天下第一であるという証明である。とすれば、その法力無双の僧都が浮舟を救えるかという問題が、源氏物語の最後の問題として設定されているということになる。作者がこれを否定するところが源氏物語の凄さである。

★墓守女
宮中からの帰途、小野に立ち寄った僧都の、浮舟に対する教訓。「今はただ御行ひをしたまへ。老いたる若き、定めなき世なり」「常の世に生ひ出でて、世間の栄華に願ひまつはるる限りなむ、所狭く捨てがたく、われも人もおぼすべかめる」。と言って、白氏文集の諷喩詩「陵園妾」を引用する。「このあらむ命は、葉の薄きがごとし」「松門に暁に到りて月徘徊す」。この「陵園妾」の引用は、どういう意味があるのであろうか。この詩の内容は、夢破れた美女が墓守となって空しく老いてゆくイメージである。作者は、「陵園妾」を引用することによって、浮舟の未来の暗示効果を考えているのであろうか。だとすれば、浮舟は、誰の墓を守り誰のために祈るというのか。源氏物語の最後の最後で、守り祈となれば、源氏物語そのものしかないではないか。源氏物語のなかで生きそして死んだ群像。光源氏を頂点とする様々な登場人物。彼らの墓か。「源氏物語の墓守」といった役どころが実は浮舟なのだよ、と作者が暗に言っていると解釈すべきか。この「陵園妾」が、美人になんか逢わない方がいいのだよという結部をもつ「李夫人」の後に置かれた諷喩詩であることも興味深い。気の毒な運命の人々を語る巻々。救いの期待できない悲劇の群像、その群像を封じ込める巨大な墳墓が源氏物語なのだ。といったイメージでけりをつけようとする作者の魂胆を感じないか。
※墓(源氏物語)を守る役目を浮舟に期待している。 光源氏は仏のもとに行っている。 紫上は弥勒菩薩に行っている。

★陵園妾(りようえんのしょう)
憐幽閉也
陵園妾 顔色如花命如葉
命如葉薄将奈何 一奉寝宮年月多
年月多 時光換 春愁秋思知何限
青糸髪落叢鬢疎 紅玉膚銷繋裙縵
憶昔宮中被妬猜 因讒得罪配陵来
老母啼呼趁車別 中官監送鎖門廻
山宮一閉無開日 不死此身不令出
松門到暁月徘徊 聞蝉聴燕感光陰
眼看菊蘂重陽涙 手把梨花寒食心
把花掩涙無人見 緑蕪墻遶青苔院
四季徒支粧粉銭 三朝不識君王面
遥想六宮奉至尊 宣徽雪夜浴堂春
雨露之恩不及者 猶聞不啻三千人
我爾君恩何厚薄 願令輪転直陵園
三歳一来均苦楽
※閉じ込められて哀れんで作った詩

★空蝉のイメージづくり
物の怪退散後の浮舟は、空蝉的小道具で固められてゆく。出家。そして後半に出てくる大尼君の孫「紀伊の守」。そして話題としてでてくる「常陸の北の方」は、浮舟の母かと思わせて実は空蝉そのもののイメージで浮舟を包み込む。そして小君の登場は、その仕上げではないか。このあたり、作者の物語構成はなかなかどうして露骨である。この構成意図は、浮舟が内発する「拒否」感覚の醸成に向かっていると考えられる。

★慎重な薫
小宰相から浮舟情報を聞いた薫は、非常に慎重である。もしこのことを匂宮が知っているなら「さらに、やがて亡せにしものと思ひなしてやみなむ」「わがものに取り返し見むの心はまたつかはじ」と思っている。浮舟に対する彼の愛情の程度を示唆する条文である。彼は明石中宮のところへ行く。中宮から匂宮がこの件については全く知らぬことを認識したうえで、彼は動く。彼の政治力をうかがわせる立ち居振る舞いである。そして目をかけてやっている浮舟の弟「童」をつれて、横川に行き僧都にまず会うこととする。道中、薫は思う。「その人と見つけながらあやしきさまに、容貌ことなる人のなかにて、憂きことを聞きつけたらむこそいみじかるべけれ」。「憂きこと」とは何か。あれから一年たっている。彼女の身の上に出家しなければならない事情が起こって出家したのではないか。読者の脳裏に中将の影が走ろう。読者は薫の勘の鋭さに舌を巻くことになるか、あるいは、こんなことを思う薫の下衆さに辟易とするか。はたしてどちらか。
※「その人と見つけながら、@あやしきさまに、……A憂きことを……」@はAに掛かる。「あやしきさま」「憂きこと」は男から見た女の裏切り。薫は浮舟の人格を認めることはない。人間としての付き合いは薫にはない。
※手習→ただ、空しく詠う。自己完結歌。
※桐壺から手習まで75年経っている。伊勢物語より後、十世紀前半から書いて+75年=1000年。来年2008年は源氏物語完成千年。




<夢浮橋>

第58回 夢浮橋巻・男がいるのではないか

この巻の粗筋
 1 比叡山に登り仏事を済ませたあと、薫は横川に赴き僧都を訪ねる。小野あたりに知り合いは、と切り出して浮舟の噂の真相を確かめる。
 2 僧都は浮舟と薫の関わりを聞いて浮舟を出家させたことを後悔しつつ、発見時のいきさつを薫に語る。薫は夢かと驚きつつも、浮舟に会う手引きを頼むが、僧都は今日明日の下山は無理と案内を渋る。
 3 薫は小君に託す浮舟への手紙を僧都に依頼し、浮舟に他意を持っていないことを弁明する。
 4 僧都は小君に目を留め、浮舟への手紙を認めて小君に託す。
 5 小野の里では、蛍をながめていた浮舟が薫一行の松明の光を見る。尼君たちが薫の噂をするが浮舟は念仏に心を紛らわせる。
 6 薫は人目を憚って翌日小君を小野へ遣わす。小君は幼な心に亡きものと思っていた姉君に会えることを喜ぶ。
 7 小野には早朝僧都からの文が届き、妹尼は薫と浮舟の関係を不明瞭ながら知る。
 8 小君は小野を訪問し、僧都の紹介状を差し出す。手紙には浮舟の還俗を勧める意がほのめかしてあった。
 9 妹尼は小君との関係を問う。浮舟は小君を見て母の様子を尋ねたいと思うが、薫には会わぬと決意し、小君にも人違いと伝えてくれるよう妹尼に頼む。
10 対面を拒まれ不満に思う小君は、強いて浮舟を几帳近くへ呼んでもらい、薫の手紙を渡す。
11 薫の手紙は昔に変わらぬ筆跡でたきしめた香の香りも例によってよくしみていた。深い情のこもる言葉が書き連ねてある。
12 浮舟は今の姿を薫には見せられぬと思案にくれながらも堪え切れずに泣き出すが、あくまでも人違いと返事を拒み通す。小君は姉に会うことも、返事をもらうこともできずにむなしく帰京する。薫は浮舟の心をはかりかねて誰か別の男に匿われているのではとまで疑う。
(新日本古典文学大系源氏物語五)

横川僧都の恩愛
母を側におく僧都。「夜中暁にも、あひとぶらはむ」と思って麓に母を置いている。恩愛にこだわる僧都。恩愛を捨てよと八宮に勧めた宇治阿闍梨とは明らかに違う。妹尼や孫を側に置いていた若紫巻の北山僧都と、よく似ている。が、光源氏を粛然とさせた北山僧都の厳格性はない。その行動は愛敬があり人間的である。この差は、時の経過とともに浄土教がこなれてきたためか。とすると、僧都は浄土教史における画期的存在ということになろう。ますます源信である。「京にはかばかしき住処もはべらぬ」とある。僧都の出自の低さを暗示する記述。だからこそ人の心が分かり優しいのか。源信は大和の奥当麻の出身である。

★僧都のとっさの判断
いますこし近うゐ寄りて、忍びやかに、「いと浮きたる心地もしはべる、また、尋ねきこえんにつけては、いかなりけることにかと心得ず思されぬべきに、かたがた憚られはべれど、かの山里に、知るべき人の隠ろへてはべるやうにやうに聞きはべりしを。たしかにてこそは、いかなるさまにてなども漏らしきこえめ、など思ひたまふるほどに、御弟子になりて、忌むことなど授けたまひてけりと聞きはべるは、まことか。まだ年も若く、親などもありし人なれば、ここに失ひたるやうに、かごとかくる人なんはべるを」などのたまふ。「さればよ。ただ人と見えざりし人のさまぞかし。かくまでのたまふは、軽々しくは思ふに、法師といひながら、心もなく、たちまちにかたちをやつしてけめこと、と胸つぶれて、答へきこえんやう思ひまはさる。「たしかに聞きたまへるにこそあめれ。かばかり心得たまひてうかがひ尋ねたまはんに、隠れあるべきことにもあらず、なかなかあらがひ隠さんにあいなかるべし」など、とばかり思ひ得て、「いかなることにかはべりけむ。この月ごろ、うちうちにあやしみ思うたまふる人の御事にや」とて云々

★形代思想の終焉
浮舟が、亡くなった娘の生まれ変わりで、初瀬の観音からいただいたものだと妹尼に思われているいう話が、再び僧都によって紹介される。これが、なんの根拠もない話だということは、前巻の僧都の断案とともに読者は等しく知っている。ということは、ここにおいて作者が、これまで源氏物語を突き動かしてきた形代思想にピリオドを打とうとしていることが了解されようというものである。ここの浮舟は、まさにそういう存在である。浮舟は浮舟であって、他の誰でもない。となれば、空蝉が空蝉になった空蝉巻と同様の発想で、この巻が描かれていることが分かろう。帚木巻と空蝉巻の連続関係と同じ関係を、手習巻と夢浮橋に設定した意図は、浮舟の自立の確認である。

女の御身はいかがあらむ
さてと、「いと便なきしるべとは思すとも、かの坂本に降りたまへ。かばかり聞きて、なのめに思ひ過くは思ひはべらざりし人なるを、夢のやうなることどもも、今だに語りあはせんとなん思ひたまふる」とのたまふ気色、いとあはれと思ひたまへれば、「かたちを変へ、世を背きにきとおぼえたれど、髪、髭を剃りたる法師だに、あやしき心は失せぬもあなり。まして女の御身はいかがあらん。いとほしく、罪得ぬべきわざにもあるべきかな」と、あぢきなく心乱れぬ。「まかり降りむこと、今日明日は障りはべる。月たちてのほどに、御消息を申させはべらん」と申したまふ。いと心もとなけれど、なほなほとうちつけに焦られんもさまあしければ、さらば、とて帰りたまふ。

色欲の罪
弟を小野に派遣するから、「御文一行賜へ」という薫の申し出をも、僧都は一旦拒否する。恋の仲立ちをやるわけにはいかない。後は自らの責任において行動してもらいたいと言う僧都は、恋の仲立ちをも積極的につとめるように書かれていた前巻の妹尼とは対照的である。「このしるべにて、かならず罪得はべりなむ」から分かるように、妹尼の行為は仏教者としてあるまじき振る舞いなのである。恩愛はともかく、色欲愛執の罪の深さは、餓鬼道に堕ちた六条御息所でもってその象徴とする。なお、説話資料上の願西と源信の関係は、ここでは完全に逆転している。

★小野は空蝉のイメージ

薫が帰った後、早朝に僧都からの手紙が小野に届く。僧都はこの中で、浮舟の弟を「小君」と呼んでいる。この時、浮舟=空蝉の観念連合は決定的なものとなる。これは、当然、弟の小君をもってしてもどうにもならない「拒否」の雰囲気作りのためである。前巻に出てきた紀伊守という呼称、またこの巻で紹介される妹尼の夫、衛門督という呼称もここで生きる。実際空蝉の父は衛門督であった。夏という設定も、もっともらしい。源氏物語は空蝉に始まり空蝉で終わるということか。夕顔は夢。忘れられない女なのだ、という位置関係なのだろう。薫は夕顔にこだわり、浮舟は空蝉になる。という図柄だろう。

★僧都の手紙

いときよげにしなやかなる童の、えならず装束きたるぞ歩み来たる。円座さし出でたれば、簾のもとについゐて、「かやうにてはさぶらふまじくこそは、僧都は、のたまひしか」と言へば、尼君ぞ答へなどしたまふ。文とり入れて見れば、「入道の姫君の御方に。山より」とて、名書きたまへり。「あらじ」などあらがふべきやうもなし。いとはしたなくおぼえて、いよいよ引き入られて、人に顔も見あはせず。「常に、誇りかならずものしたまふ人柄なれど、いとうたて心憂し」など言いて、僧都の御文見れば、
今朝、ここに、大将殿のものしたまひて、御ありさま尋ね問ひたまふに、はじめよりありしやうくはしく聞こえはべりぬ。御心ざし深かりける御仲を背きたまひて、あやしき山がつの中に出家したまへること、かへりては、仏の責そふべきことなるをなん、うけたまはり驚きはべる。いかがはせん。もとの御契り過ちたまはで、愛執の罪をはるかしきこえたまひて、一日の出家の功徳ははかりなきものなれば、なほ頼ませたまへとなん。ことごとには、みづからさぶらひて申しはべらむ。かつがつこの小君聞こえたまひてん。
と書きたり。
僧都の手紙は、確かに要領を得ない。「愛執の罪をはるかしきこえたまひて」をどう解釈するか。「きこえ」があるから、愛執の罪を「はるかす」対象は浮舟本人ではない。薫の愛執だと考えるほうが自然である。文脈から考えても、この手紙が浮舟に還俗を勧める内容であると理解した方がよさそうである。「一日の出家の功徳は、はかりなきもの」という発想は、『三宝絵』序文にある「ただ一日一夜の出家の功徳、諸の事の中に比ひ無し」と同じ発想である。そして、「御心ざし深かりける御仲を背きたまひて、あやしき山がつのなかに出家したまへること、かえりては、仏の責め添ふべきことなる」という僧都の言葉は、なまうかびを咎めた雨夜品定めの論理でもある。このように、還俗勧奨の手紙だと了解するとどうなるか。この手紙を見た瞬間に、浮舟は、僧都という最後の砦、世間に対する防波堤を失ったことになる。僧都の浮舟に対する理解も、佐馬頭のレベルであったという冷たい認識である。かくて浮舟は誰にも理解されることなく源氏物語の最終場面にふさわしいように思うがどうか。

★危うい浮舟
母一人には逢いたい。それ以外の人には「今さらに、かかる人(小君)にも、ありとはしられでやみなむと思ひはべる」。そして、「僧都ののたまへる人などには、さらに知られたてまつらじ」と浮舟は強調する。母の強調。母にも逢いたくない、とは言わない。とすれば、母から弟、弟から薫へと情が崩れてゆく可能性がないわけではない。浮舟の不徹底とこれを責められるや否や。「かまへて、ひがごとなりけりと聞こえなして、もて隠したまへ」と懇願する浮舟に対して、妹尼は僧都評で応ずる。「僧都の御心は、聖といふなかにも、あまり隈なくものしたまへば、まさに残いては聞こえたまひてむや。後に隠れあらじ」。まさに図星である。嘘をつきおおせるには、相手の薫が「なのめに軽々しき御ほどにもおはしまさず」。で、妹尼は「いと難きことかな」と断定するわけである。右近や侍従のいた隔絶した宇治と、都の中にあって権力に組み敷かれている小野の違いは歴然としている。

★小君の持ってきた薫の手紙
尼君、御文ひき解きて見せたてまつる。ありしながらの御手にて、紙の香など、例の、世づかぬまでしみたり。ほのかに見て、例の、ものめでのさし過ぎ人、いとありがたくをかしと思ふべし。さらに聞こえん方なく、さまざまに罪重き御心をば、僧都に思ひゆるしきこえて、今は、いかで、あさましかりし世の夢語をだにと急がるる心の、我ながらもどかしきになん。まして、人目はいかに。と、書きもやりたまはず。
法の師とたづぬる道をしるべにて思はぬ山にふみまどふかな
この人は、見や忘れたまひぬらむ。ここには、行く方なき御形身に見るものにてなん。などいとこまやかなり。かくつぶつぶと書きたまへるさまの、粉らはさん方なきに、さりとて、その人にもあらぬさまを、思ひのほかに見つけられきこえたらむほどの、はしたなさなどを思ひ乱れて、いとどはればれしからぬ心は、言いやるべき方もなし。
僧都に免じてさまざまな君の罪は許す。出家させた僧都が悪い、というのか。あるいは、さまざまな罪は、僧都によって祓われたはず、ということか。いずれにしても、薫の優しさが際立つ手紙である。浮舟よ、こういう寛大な男の許に帰ったほうが身のためではないのか、といった語気である。薫の歌「法の師と」は、直接的には、昨日のことを指している。が、間接的には、宇治十帖のテーマを指す。最後にこの歌が置かれている意味は思いと思う。世俗を厭い世俗を出ようと強く志しながら、ついに果たされることなく、同じ強さで世俗に押し戻される物語。これが、宇治十帖であったという総括の歌である。結局、源氏物語は、この世の全てを書いた物語なのだ、という作者の
自負ともとれよう。

★浮舟の返事
「今日は、なほ持て参りたまひね。所違へにもあらむに、いとかたはらいたかるべし」は、匂宮との一件が露顕し、薫の詰問文が来た時の返事と同じである。この返事が、皮肉な事に、源氏物語の最後に置かれる薫の心中思惟の呼び水となるのである。妹尼は、小君に、浮舟を評して「もののけにやおはすらむ」と言う。進退極まった時のもののけ頼みである。昔、藤壷出産の時は、これで通った。もののけの神通力はいまだ生きているかどうか。はなはだあやしい。

★男がいるのでは
小君の復命を聞いた薫の反応「人の隠しすゑたるにやあらむ」は残酷な想像である。いくら「わが御心の思ひ寄らぬ隈なく、落とし置きたまへりしならひ」とはいえ、酷いではないか。浮舟の心は、今や完全に君のものなのに。彼女は、全てを許すという君の迎えを、心底で待っているにもかかわらずそれはないだろう。君の手紙と違うではないか。と、読者は思うにちがいない。この薫の心中思惟は、手習巻の終わりでも書かれているのだから、念がいっている。人違いでは、という本人の言葉。もののけですという妹尼の言葉。これをヒントに薫の出した予測は「男がいるのでは」であった。ひょっとして、誇り高い薫は、このまま浮舟を迎えにいかないのではないか。迎えにいかなければ、流れからいって、浮舟はこのままここに取り残され、いかな美人の浮舟とて僧都の母や「陵園妾」のヒロインのような朽尼となる未来から逃れることはできまい。薫が迎えにいったとしたらどうなるか。浮舟は、拒むにちがいない。前巻で、中将という仮象をつかって作者がおこなった予告がここで生かされる。彼女が断然薫を拒む時、彼女の出家は本物となる。浮舟が、俗な発想をする薫のしがらみを脱し、たった独りで夢の浮橋を渡る未来が開ける。絶対孤独。出家者・浮舟の完成である。ここで彼女は、「陵園妾」のように、死者を祈り続けて生涯を終える。死者とは誰か。源氏物語の、光源氏をめぐる全ての登場人物にほかならない。そうなるのではないか。薫の迎えを受け入れたらどうなるか。なまうかびの女となって無惨に生きるのみ。そういう女の世界が源氏物語の女性群のなかに消えてゆく存在となる。ならば、彼女はもはや書くに足らぬ存在であろう。そもそも小野は、夕霧巻で見てきたように、誤解の似合う場所であった。誤解しあったまま、薫と浮舟はいつしか離れ離れになって。二人の上を別々な時間がゆっくりとつれなく流れてゆく。という結末が予想されよう。余情かぎりないことだけれども。ともかく、こうして源氏物語は終わる。見るべきものは見た。書くべきものは書いた。百年前から書いて書いて三世代。時は現在、源信が横川にいる今日のこと。明日のことなんか分かるものか。といったところが作者の最後のジョークなのかもしれない。

★巻名「夢浮橋」
源信の『往生要集』が唯識論を引いて次のように言っている。「いまだ真覚を得ざるときは、常に夢中に拠る。故に仏説いて、生死の長夜となしたまへり」(巻上)。夕霧巻の某僧都の言葉に「女人のあしき身をうけ、長夜の闇にまどふ」とあった。源氏物語は、悟りにいたらぬ人々の「生死の長夜」を惑う姿を描いた、此岸の物語なのである。浮橋を渡って彼岸にいけるかどうか、それは思案の外ということ。なお、この「夢浮橋」という語は、この巻にはない。「夢のわたりの浮橋か」という光源氏の台詞が薄雲巻にある。明石御方とのはかない逢瀬を嘆いた言葉である。『奥入』の引用した古歌「世の中は夢のわたりの浮橋かうちわたりつつものをこそ思へ」に従えば、「うちわたりつつものをこそ思へ」という、この巻の登場人物たちの嘆き、浮舟や薫の心境の暗示となっている。これは、「生死の長夜」の発想と矛盾しない。また、「浮橋」が、行幸巻にあった船橋を意味するとすれば、此岸から彼岸にかかる仮橋のイメージで、浮舟が、いままさに彼岸に渡る千載一遇の時をむかえている状況の象徴ということにもなろう。この発想も悪くないと思う。