源氏物語2…若紫巻 ・ 末摘花巻  ・ 紅葉賀巻 ・ 花宴巻


<若紫巻>

  第5回 若紫巻・北山の可憐、三条の地獄

★若紫巻の内容
 ■三月のつごもり
 1 光源氏わらは病み。聖を訪ねて北山へ 
 2 某僧都の僧坊を見下ろす
 3 供人がした明石の噂。変人入道と心高い娘
 4 小柴垣の垣間見。上品な尼君、美しい少女の発見
 5 尼君の嘆き。若草の歌
 6 僧都の招き。僧坊へ
 7 僧都との対話。少女の素性は
 8 後見役を申し出る
 9 尼君との贈答。同様の趣旨を訴えるが、相手にされない
10 僧都との贈答
11 帰途につく。別れの宴
12 僧都、聖徳太子の数珠を贈る
13 頭中将の笛。弁の歌。光源氏の琴(きん)
14 雛遊びをする少女
15 参内。左大臣邸へ
16 絵にかきたるものの姫君・葵上
17 少女への手紙
18 惟光を北山に派遣。進展なし
19 藤壷里帰り。光源氏逢う
20 藤壷懐妊
21 光源氏、異様な夢を見る
■七月
22 藤壷参内
23 尼君、少女京へ帰る
■秋の末つ方
24 六条京極への微行の途次、尼君家にさしかかり見舞う
25 尼君、少女の未来を光源氏に託す
26 あどけない少女のふるまい
27 十月予定の朱雀院行幸の準備に忙殺される
28 九月二十日頃、尼君死去
29 尼君宅弔問
30 嵐の夜。光源氏、少女に添い寝
31 帰る朝、忍び所の門をたたく
32 父・兵部卿、少女の許を訪れ、引き取る意向
33 惟光訪問。少納言より事情を聞く
34 父が迎えに来る前日。光源氏、少女を略奪。二条院西対へ移す
35 絵で心を慰める少女
36 光源氏、少女の贈答。いかなる草のゆかりなるらん
37 父宮、事態に呆然。事情わからず帰る
38 少女、光源氏になつく

★巻名の主題提示力
「若紫」という語は、この巻には無い。これは、これまでにないことである。桐壷・帚木・空蝉・夕顔。巻名は、その巻にキーワードとして存在した。この巻はない。「若紫」といえば、普通、次の歌を思い浮かべるのが当時の常識。春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れ限り知られず『伊勢物語』第一段。「いちはやきみやび」の歌。「若紫」の語は、この有名な歌を読者に喚起させ、その下の句「しのぶの乱れ限り知られず」を強く響かせる。これがこの巻のテーマだと宣言しているのである。藤壷事件。わらは病み、明石の噂、少女の略奪。この巻の出来事の異様性はこの主題にすべからく収斂する

★北山僧都の謎
光源氏への親近性。馴れ馴れしすぎないか。彼は何故、聖徳太子の数珠を持っているのだ。
 僧都、聖徳太子の百済より得たまへりける金剛子の数珠の玉の装束したる、やがてその国より入れたる箱の唐めいたるを、透きたる袋に入れて、五葉の枝につけて、紺瑠璃の壷どもに御薬ども入れて、藤、桜などにつけて、所につけたる御贈物ども捧げたてまつり給ふ。
これは、秘儀の伝授ではないか。彼は昔から僧侶であったのか。昔の光源氏から今の光源氏への伝授と読めないか。

★明石の噂
「近き所には、播磨の明石の浦こそ、なほことにはべれ。何の至り深き隈はなけれど、ただ海の面を見わたしたるほどなむ、あやしく異所に似ず、ゆほびかなる所にはべる。かの国の前の守、新発意の、女かしづきたる家、いといたしかし。大臣の後にて、出で立ちもすべかりる人の、世のひがものにて、まじらひもせず、近衛の中将を捨てて、申し賜はれりける司なれど、かの国の人にもすこしあなづられて、『何の面目にてか、また都に帰らむ』と言ひて、頭もおろしはべりにけるを、すこし奥まりたる山住みもせで、さる海づらに出でゐたる、ひがひがしきやうなれど、げに、かの国のうちに、さも人の籠りゐぬべき所々はありながら、深き里は人ばなれ心すごく、若き妻子の思ひわびぬべきにより、かつは心をやれる住まひになむはべる。先つころ、まかり下りてはべりしついでに、ありさま見たまへに寄りてはべりしかば、京にてこそは所得ぬやうなりけれ、そこらはるかにいかめしう占めて造れるさま、さはいへど、国の司にてし置きけることなれば、残りの齢ゆたかに経べき心構へも、二なくしたりけり。後の世の勤めもいとよくして、なかなか法師まさりしたる人になむはべりける」と申せば「さて、その女は」と問ひたまふ。「けしうはあらず、容貌、心ばせなどはべるなり。代々の国の司など、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、さらにうけひかず。わが身のかくいたづらに沈めるだにあるを、この人ひとりにこそあれ、思ふさま異なり。もし我に後れてその志とげず、この思ひおきつる宿世違はば、海に入りね、と、常に遺言しおきてはべるなる」と聞こゆれば、君もをかしと聞きたまふ。人々、「海龍王の后となるべきいつき女ななり。心高さ苦しや」とて笑う。かく言うは、播磨の守の子の、蔵人より今年かうぶり得たるなりけり。「いと好きたる者なれば、かの入道の遺言破りつべき心はあらむかし。さてたたずみ寄るならむ」と言ひあへり。「いでや、さいふとも田舎びたらむ。をさなくよりさる所に生ひ出でて、古めいたる親にのみ従ひたらむは」「母こそゆゑあるべけれ。よき若人、童女など、都のやむごとなき所々より、類にふれて尋ねとりて、まばゆくこそもてなすなれ。情なき人になりてゆかば、さて心安くてしも、え置きたらじをや」など言うもあり。君、「何心ありて、海の底まで深う思ひ入るらむ。底のみるめも、ものむつかしう」などのたまひて、ただならずおぼしたり。かやうにても、なべてならず、もてひがみたること好みたまふ御心なれば、御耳とどまらむやと見たてまつる。
この明石一族こそ、光源氏の「失われた一族」の本隊なのではないのか。明石入道の父は大臣。光源氏の祖父は大納言。夕顔が死んだ某院は、彼らの本拠なのではないか。物の怪の言葉を思い出そう。こんなつまらぬ女を連れてきて…。海龍王国のイメージは、皇室起源物語。源氏物語の屋台骨を形成する巨大なテーマ。「近衛中将」は今の光源氏の地位。明石入道は本当に変人だったのか。彼こそ昔の光源氏ではなかったか。

★藤壷事件
これまでの物語は、この事件の余波。「兵部卿」が桐壷と結ぶやたちまちに、帚木・空蝉・夕顔の三巻は藤壷の色に染められる。藤壷は何も書かれていないのに、藤壷の全てが書かれていることを読者は知る。夕顔巻にあった「例のもらしつ」。最大の省略がこれだった。藤壷のこれ以降の行動に注目されたい。夏。里下がり。光源氏との事件。懐妊。秋(七月)参内。彼女は、夏の間、里にいて宮中に一日も帰らなかった。したがって、懐妊は断然「春」でなければならない。ならば、予定日は年末である。彼女は、このスケジュールにそって粛々と行動する。二ヶ月のズレの問題が生じるのはいかんともしがたい自然の摂理。はたしてどうなるか。桐壷帝は、この事実を全く知らない。藤壺の懐妊を手放しで喜んでいる。

★光源氏の見た夢
中将の君もおどろおどろしうさまことなる夢を見給ひて、合はする者を召して問はせ給へば、およびなうおぼしもかけぬ筋のことを合わせけり。「その中にたがひめありて、つつしませ給ふことなむ侍る」と言うに、わづらはしくおぼえて、「みづからの夢にはあらず。人の御事を語るなり。この夢合うまで、また人にまねふな」とのたまひて、心のうちにはいかなる事ならむとおぼしわたるに、光源氏の運命について、桐壷巻の高麗の相人の予言によって、読者は既に知っている。この巻で、光源氏自身が自己の運命を知ることになる。読者には近い将来「たがひめ」がおこり謹慎生活を余儀なくされるだろうということ以外その具体的内容は知らされない。したがってしばらくは、読者より光源氏絶対優位の展開となる。この夢の内容が明かされるのは、光源氏の「たがひめ」である須磨・明石から復活した後、澪標巻においてである。紹介すると、…親子三人、帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは太政大臣にて位を極むべし…これからの光源氏の行動は、この予言を知った上でなされているのだということを勘定に入れて読み進めていかないと、なにがなんだか分からなくなる。

★少女の歌
かこつべきゆゑを知らねばおぼつかないかなる草のゆかりなるらん


<末摘花巻>

  第6回 末摘花巻・生真面目で崇高な笑劇

★末摘花巻の内容
 1 忘れられない夕顔の思い出
 2 過去の女たちの回想
 3 大輔の命婦のもたらした情報、故常陸宮の娘(末摘花)
 4 梅の香ただよう十六夜、光源氏の訪問
 5 命婦の勧めで、末摘花琴(きん)を弾く
 6 頭中将に尾行され、微行が発覚
 7 二人連れ立って左大臣邸へ。葵上女房・中務の思い
 8 頭中将と光源氏、末摘花を競う
 9 光源氏の情熱に命婦困惑
10 光源氏わらは病。人知れぬ物思いのうちに春夏経過
11 秋。光源氏、命婦を責める。命婦独断で手引を決断
12 八月二十余日。光源氏の訪問
13 贈答。末摘花に代わって乳母子・侍従が答える
14 光源氏、踏み込む。うめいて出る。同情する光源氏
15 頭中将来訪。朱雀院の行幸の準備で多忙。共に宮中へ
16 後朝の文、夕方に来る。翌日訪問せず。末摘花邸の嘆き
17 その日、左大臣邸へ。公達、行幸の練習に夢中
18 その後、末摘花を訪問せず、秋暮れはてる
19 命婦、末摘花邸の嘆きを伝える
20 紫の少女略奪。少女に夢中の日々
21 雪の日。光源氏、末摘花邸を突然訪問
22 室内の様子を垣間見る。御台、秘色(ひそく)。寒そうな老女たちが見える
23 侍従留守。光源氏、末摘花と夜をともにす
24 翌朝、雪景色。光源氏末摘花を見る。異様な風貌と衣装に驚愕する
25 光源氏の歌。末摘花「むむ」と答える
26 辞去する光源氏。中門の翁と娘。「幼(わか)き者は形蔽(かく)れず」
27 末摘花を経済的援助
28 空蝉の再評価
29 年末。末摘花より歌と正月用の衣装が届く。命婦の取次ぎ
30 光源氏、慙愧の歌。命婦の歌
31 翌日、光源氏、台盤所の命婦に返歌を投げ与える
32 大晦日。命婦を使いとして、末摘花に衣裳を贈る
33 受け取った末摘花側近の自負
34 正月七日深夜。末摘花邸を訪問。日の出の頃、辞去。末摘花を確認
35 二条院。紫の少女、お歯黒をし、眉を描く。光源氏、ともに雛遊び。ついでに鼻を赤く塗り少女と戯れる。階隠のもとの紅梅、花開く

★光源氏が見た末摘花の風姿
まづ居丈の高う、を背長に見えたまふに、さればよと、胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたばと見ゆるものは、御鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先のかたすこし垂りて色づきたること、ことのほかにうたてあり。色は雪はづかしく白く真青に、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、おほかたおどろおどろしう長きなるべし。痩せたまへること、いとほしげにさらぼひて肩のほどなどは、いたげなるまで衣の上まで見ゆ。何に残りなう見なう見あらはしつらむと思うものから、めずらしきさまのしたれば、さすがにうち見やられたまふ。頭つき髪のかかりはしも、うつくしげに、めでたしと思ひきこゆる人々にも、をさをさ劣るまじう、袿の裾にたまりて引かれたるほど、一尺ばかりあまりたらむと見ゆ。着たまへるものどもをさへ言ひさがなきやうなれど、昔物語にも、人の御装束をこそまづ言ひためれ。許し色のわりなう上白みたる一襲、なごりなう黒き袿重ねて、表着には黒貂の皮衣、いときよらかにかうばしきを着たまへり。古代のゆゑづきたる御装束゛なれど、なほ若やかなる女の御よそほひには、似げなうおどろおどろしきこと、いともてはやされたり。されど、げにこの皮なうては、はた、寒からましと見ゆる御顔ざまなるを、心苦しと見たまふ。

★『源氏物語』の流れに即しこの場面を解釈すると
桐壷、帚木、空蝉、夕顔、若紫、そして末摘花。続いて紅葉賀、花宴。
末摘花は「忘れられない夕顔」のイメージを粉砕する。
若紫の少女略奪と同じ頃の物語。縦の並び。この巻の最後の場面に注目。夕顔の夢を追う要素の消滅が、光源氏の若紫の少女への心理的作用をもたらす。

★他の日本古典の知識があると、ここはもっと面白くなる
例えば『日本書紀』の猿田彦。彼の鼻はナナアタ。例えば、『伊勢物語』第六十三段。好色体験の極北。君はここまで愛したか。例えば、『宇治拾遺物語』や『今昔物語』の青常。サイヅチ頭。隈どられた深目。出っ歯。ハイソプラノ。モンローウォーク。痩身。青白い顔。高く赤い鼻。古宮の王子。青常は実在の人。源邦正。重明親王の王子。醍醐天皇の孫。この時、にわかに六条御息所が気にかかる存在となる。斎宮女御徽子女王。

★仏典の知識があると、末摘花が深まる
普賢菩薩の乗物は白象。『法華経』普賢菩薩観発品。普賢菩薩は東方にいます。当方→常陸宮→末摘花。ちなみに、中国古典『西陽雑俎』には、東方の人は鼻が大きいという記事がある。普賢菩薩は法華経の守護者。ここは、法華経メッセージか。光源氏が光る秘密。仏の記号。

★末摘花の黒貂の皮衣は、大陸文化の象徴
平安時代の文化の推移との対応。嵯峨王朝から醍醐王朝への流れ。菅原道真の遣唐使廃止建議以来、平安時代は鎖国状態にあった。しかし、渤海王国との交易は依然盛んだった。七二七年、初めての来朝時、貂の皮を三百張、朝貢している。中国では、古来、黒貂の皮衣は、名月の珠、和氏の壁と並ぶ貴重品であった。重明親王のエピソード。黒貂を八枚、重ね着にしていた。失われた一族の文化の暗示。大陸文化。黄金と等価の青磁・秘色の存在。末摘花に漂う異人の影。そして夜光る珠の象徴・明石姫君との対照。『日本紀略』によれば、八八五年正月十七日、参議以下のものが黒貂の皮衣を着用することが禁止されている。源氏物語の時代モデルは、九百年〜一千年。

★中国古典の知識があるとさらに面白い
醜女の例。『呂氏春秋』に出てくる敦洽讎麋(とんこうしゅうび)。おでこ。平べったい顔。赤漆色の顔色。目が鼻まで垂れ下がる。肘が長い。がに股。しかし、徳行の人。黄帝の妻「蟆母」。これも醜いが賢徳の人。

★『白氏文集』の構造と思想を知っていると、断然末摘花が分かる
その朝、光源氏が帰る場面。開かない門。門番とその娘の場面。キーワード。「わかき者はかたちかくれず」諷論詩。「兼済」の思想。末摘花を救え。

★諷諭詩「重賦」
厚地植桑麻  所要濟生民
生民理布帛  所求活一身
身外充征賦  上以奉君親
国家定両税  本意在愛人
厥初防其淫  明勅内外臣
税外加一物  皆以枉法論
奈何歳月久  貪吏得因循
浚我以求寵  斂索無冬春
織絹未成疋  繰糸未盈斤
里胥迫我納  不許暫逡巡
歳暮天地閉  陰風生破村
夜深煙火尽  霰雪白粉々
幼者形不蔽  老者体無温
悲喘与寒気  併入鼻中辛
昨日輸残税  因窺官庫門
繪帛如山積  糸絮似雲屯
号為羨余物  従月献至尊
奪我身上暖  買爾眼前恩
進入瓊林庫  歳久化為塵

★源氏物語は巨大な諷諭詩 
秦中吟十首の手法。栄光と悲惨の対比
光源氏の栄華。宇治八宮の悲惨。正編と続編。源氏物語は「巨大な諷諭詩」ではないか。
世の常なるほどの、異なることなさならば、思ひ捨てても止みぬべきを

★中宮彰子と源氏物語の関係
源氏物語は、彰子と彰子の中の皇子へのテキスト。白氏文集「楽府」の進講。その一環として源氏物語を理解しよう。献上本。源氏物語の敬語の秘密も理解できるはず。


<紅葉賀巻>

  第7回 紅葉賀巻・めくるめく青海波の舞

★紅葉賀巻の内容
 1 朱雀院行幸は十一月十余日の予定(桐壷帝の最大のイベント)
 2 桐壷帝、藤壷のために試楽を行う
 3 光源氏と頭中将、青海波を舞う
 4 東宮女御、藤壷、帝、それぞれの感想
 5 翌朝、光源氏より藤壷へ歌。藤壷変歌する
 6 行幸当日の盛儀。光源氏の青海波。四の御子の秋風楽
 7 その夜、それぞれの昇進。光源氏正三位。頭中将四位下。上部は全て昇進
 8 藤壷里へ。光源氏、ひまをうかがう
 9 葵上の不満。若紫情報を得る
10 その後の若紫姫君。光源氏の教育。父・兵衛卿まだ知らず。北山僧都事情を知り喜ぶ
11 光源氏、藤壷里邸・三条宮に。他人行儀な扱いを受ける
12 同じく見舞いにやって来た兵部卿と対面、歓談
13 藤壷心とけず、王命婦たばかれず
14 若紫姫君の境遇に乳母・少納言ひとまず安心。姫君、年末に祖母の喪があける
15 正月。姫君、いまだ雛遊びに夢中
16 光源氏、葵上邸へ。冷えた仲変らず。葵上は光源氏より四歳年上
17 左大臣の歓待。新しい帯
18 光源氏の参座。帝、東宮、一院そして藤壷三条宮
19 藤壷の出産。予定日を二ヶ月過ぎた二月十余日。男御子の誕生光源氏の察知
20 光源氏を写し取る御子の風貌に藤壷困惑
21 光源氏、王命婦との贈答
22 四月。藤壷参内。事情を知らぬ帝、光源氏の夢を若君に託す決意を固める
23 帝、若君を光源氏に見せて喜ぶ、光源氏、恐懼
24 光源氏、撫子の歌を王命婦の許へ。命婦、懇請して、藤壷の返歌を光源氏に届ける
25 若紫の許へ。姫君の成長。「入りぬる磯の」。箏の琴を教える
26 姫君の可愛さに、葵上邸に行くことを止める
27 葵上方、若紫情報にとまどい推測しきり
28 帝も情報を知る。光源氏に注意しつつ案じる
29 光源氏、華やかな宮中で乱れず
30 光源氏、老いたる源典侍に戯れる。典侍応じる
31 光源氏、源典侍と扇を取り交わし贈答。この場面を帝が垣間見る。典侍をからかう
32 頭中将もこれを知り参加。源典侍は源氏を選ぶ
33 夕立の頃。温明殿で琵琶を弾く源典侍。光源氏立ち寄り贈答。泊まる
34 頭中将、現場を目撃。踏み込み、屏風をたたみ太刀を抜いて脅す。源典侍の年齢、五十七八歳
35 光源氏、ようやく頭中将と見破る。直衣の争い
36 翌朝。源典侍、光源氏に指貫と帯を届ける。帯は頭中将の帯
37 頭中将より袖が届く。光源氏、帯を返す
38 昼、殿上間。二人の会話
39 頭中将の自負。左大臣の子、御子腹
40 七月。藤壷中宮となる。光源宰相就任。帝の退位、若宮立坊の布石
41 弘徽殿大后の不満。東宮の母として二十余年の歳月
42 藤壷中宮の参内。光源氏の思い
43 若宮、光源氏に酷似。月と日と

★試楽は帝の愛
朱雀院行幸は、桐壷時代最大のイベント。すでに若紫巻、末摘花巻で予告されていた。本番さながらの予行演習を藤壷に見せるために行う。帝の最大の愛の表示。この時、藤壷は帝を裏切り、光源氏の子を宿している。あはれ桐壷帝はコキュの身である。

★青海波は光源氏の愛
光源氏は藤壷に向かって袖を振っている。袖を振るのは愛の表現。
  つとめて、中将の君、
  いかに御覧じけむ。世に知らぬ乱りごこちながらこそ。
  もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身のうち振りし心知りきやあなかしこ。
  とある御返り、目もあやなりし御さま、容貌に、見たまひ忍ばれずやありけむ、
  唐人の袖振ることは遠けれど立居につけてあはれとは見きおほかたには。
  とあるを、限りなうめづらしうかやうのかたさへたどたどしからず、ひとのみかどまで思ほしやれる御后言葉の、
  かねても、と、ほほゑまれて、持経のやうにひき広げて見ゐたまへり。

★天智天皇、天武天皇、額田王
万葉集巻第一、二〇、二一番歌
  天皇、蒲生野に遊猟したまふ時に、額田王が作歌
  あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
  皇太子の答へたまふ御歌(明日香の宮に天の下知らしめす天皇、諡して天武天皇といふ)
  紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我恋ひめやも
  紀には「天皇の七年丁卯の夏の五月五日に蒲生野に縦猟す。時に大皇弟・諸王・内臣また群臣、皆悉に従なり」といふ。

★青海波は竜宮の音楽
青海波は本来「青海破」。青海は中国の省。西北辺境にあり、海とは関係がない。舞曲「輪台」の一部。これが日本に伝わり、「輪台」から独立、あらたに和風にアレンジされて、日本最大の舞曲となった。その時、「青海」の本来の意味を失い、「青海」に引きずられて「破」は「波」となり、海の曲と意識されるようになったものと思われる。「想夫恋」とよく似た転換である。日本最古の音楽書「教訓抄」は、青海波を解説して次のように言ってている。
   青海波ハ竜宮ノ楽也。昔天竺ニ彼舞儀。青舞ノ浪ノ上ニウカム。
   浪ノ下ニ楽ノ音アリ。羅路波羅門聞之。伝云。漢帝都見之伝舞曲云々。
竜宮の音楽、竜宮の舞が、試楽のこの場面で必要だった。何故か。

★神武天皇誕生説話

人代最初の天皇である神武天皇の母は竜女。
海彦・山彦の話は、竜宮訪問の前半部分が有名であるけれども、むしろその結末部分の方が重要。山彦の孫・神武天皇には、父からも母からも二重に竜宮の血が入っている。すなわち、神武天皇の父帝の母は豊玉姫。神武天皇その人の母は玉依姫。豊玉姫と玉依姫は姉妹。両者とも海竜王の娘である。つまり、竜宮は皇室の母なる世界。青海波が竜宮の音楽ならば、光源氏の舞は、藤壷の中の未来の「天皇」誕生にまっすぐに向いた、予祝の舞だということになる。

★須磨・明石への予告
青海波を竜宮の舞曲だとすれば、源氏物語において竜宮イメージのある須磨・明石巻への繋なのだと解釈できる。この時、若紫巻の明石紹介記事の違和感がなくなる。そして源氏物語全体に流れつづける「海竜王の后になるべきいつきむすめ」の物語が、若紫の少女の物語に勝るとも劣らぬ物語ではないかという思いが浮上しよう。これは正統派の源氏読み。

★藤壷の行動原理
藤壷の行動はずぶとく、政治的である。冷や汗三斗といった感のある光源氏の行動とは著しい対照を見せる。彼女は真夏に里で妊娠したにもかかわらず、宮中にいた春にそうしたという断然たる行動をとる。だとして、紅葉の美しい朱雀院の行幸の頃は、年末に予定される出産の準備にはいらねばならぬ時期であった。実際、彼女は行幸の後、里に下がっている。しかし、事実は二ヶ月の余裕があり、御子も、自然の摂理に従って、二月に生れている。光源氏が自分の子であると確信した理由である。世間は、不義など思いの外であるからこの二ヶ月のずれを「もののけ」のせいにして納得している。帝がこの皇子の出生を無上の喜びとし、光源氏で果たせなかった夢を、光源氏に酷似したこの皇子に託す決意をするというのは、実に壮絶である。

★帝、若宮を光源氏に見せる
例の、中将の君、こなたにて御遊びなどしたまふに、抱き出でたてまつらせたまひて、「皇子たちあまたあれど、そこをのみなむかかるほどより明け暮れ見し。されば思ひわたさるるにやあらむ、いとよくこそおぼえたれ。いと小さきほどは、みなかくのあるわざにやあらむ」とて、いみじくうつくしと思ひきこえさせたまへり。中将の君、面の色かはる心地して、恐ろしうも、かたじけなくも、うれしくも、あはれにも、かたがたうつろふ心地して、涙落ちぬべし物語などして、うち笑みたまへるがいとゆゆしううつくしきにわが身ながらこれに似たらむはいみじういたはしうおぼえたまふぞあながちなるや。宮はわりなくかたはらいたきに、汗も流れてぞおはしける。中将は、なかなかなる心地のかき乱るやうなれば、まかでたまひぬ。

★葵上から若紫へ
若宮誕生を契機に、紫上の重みが徐々に増していっている。可愛さに、葵上訪問を断念する場面が、その象徴であろう。葵上から、若紫へ。藤壷の閉塞状況に見合って、光源氏の情念が、若紫へと移行してゆく。今のところ、若紫は藤壷の受け皿となっているのみ。

★老女・源典侍とのどたばた劇
この巻の息苦しさのガス抜き効果。しかし、帝には知られ、頭中将には現場に踏み込まれている。光源氏の秘密があばかれているのは確かで、たまたま源典侍でよかったねという話。光源氏の最大の秘密保持の危うさを表示する結果となっていることも事実。頭中将とは共犯者的連帯が成立し、二人で舞った青海波の裏打ち効果もある。美しき青春、うるわしき友情。

★頭中将の自負は葵上の自負

やむごとなき御腹々の御子たちだに、上の御もてなしのこよなきにわずらはしがりて、いとことに避りきこえたまへるを、この中将は、さらにおし消たれきこえじと、はかなきことにつけても、思ひいどみきこえたまふ。この君ひとりぞ、姫君の御ひとつ腹なりける。帝の皇子といふばかりにこそあれ、我も、同じ大臣と聞こゆれど御おぼえことなるが、皇女腹にて、またなくかしづかれたるは、何ばかり劣るべき際とおぼえたまはぬなるべし。人柄もあるべき限りととのひて、何ごともあらもほしく、足らひてぞものしたまひける。この御仲どものいどみこそ、あやしかりしか。されどうるさくてなむ。

★年数に注意
葵上は光源氏より四歳年上。光源氏より四年余計に世の中の有様を知っているということ。激動の時代だったとすれば、この四年の差は大きい。
源典侍の年齢。五十七八。当時は四十歳より老人であるから、いくら彼女が昔ならした女であったとしても相当の年齢である。彼女には小野小町の晩年のイメージがある。桐壷巻で、藤壷を桐壷更衣に似ていると光源氏にささやいた典侍がいたが、あれは彼女であった可能性が高い。王朝のキャリアウーマン。
弘徽殿女御、東宮の母として二十余年。これは桐壷巻からこの巻までの年数の表示。源典侍とて、桐壷巻では、三十をちょっと越した女盛りであったのだ。

★藤壷の立后は政変の匂い
東宮の母として二十余年の弘徽殿女御をさしおいて藤壷を中宮とするとは。かなりの無理がある。この人事は若い女に血迷った桐壷帝の老醜にほからない。いずれ近い将来、相当の揺り戻しがあると予測される人事である。政治はここにきて、累卵の危うき時期に入ったと思われる。はたしてどうなるか。

★劉邦、呂大后、戚夫人、翼賛の巧
中国の故事が思い出される。これについては、賢木巻で述べることにする。

<花宴巻>

 第8回 花宴巻・朧月夜に似るものはない

★花宴巻の内容
 1 二月二十余日、紫宸殿での花の宴。探韻。春鶯囀の舞。光源氏青海波を少々、頭中将柳花苑を舞って面目を施す
 2 藤壷、独詠
 3 深更、宴終了。光源氏、藤壷をうかがうも、戸口堅く鎖されてあり
 4 弘徽殿の細殿、三の口が開き、奥の枢戸も開いている
 5 「朧月夜に似るものぞなき」と歌いながら女がくる
 6 女と契り、朝方、扇を交わしてあわただしく別れる
 7 桐壷に帰った光源氏、女の素性をあれこれ想像する。六の君ではないか
 8 翌日、後宴。光源氏、箏の琴を弾く
 9 藤壷、弘徽殿女御と交替に上局へ
10 良清、惟光に弘徽殿女御の里下がりを偵察させる。牛車三台確認
11 女の残した扇に歌を書きつける
12 ニ条院へ。姫君順調に成長
13 大殿へ。葵上の不満。左大臣との語らい
14 有明の君、東宮には四月入内の予定。思い乱れる
15 三月ニ余日。右大臣邸で弓の結宴。そのまま藤の宴へ
16 光源氏を招待
17 桐壷帝の勧め。光源氏「あざれたる大君姿」で登場。花の美しさを圧倒する
18 夜更けた頃、光源氏、寝殿の東戸口を訪れる。「扇をとられて、からき目を見る」
19 ため息をつく女の手を取る。有明の君との再会。贈答、声で確認

★平安朝内裏火災の歴史
天徳四年(960)
貞元元年(976)
天元三年(980)
   五年(982)
長保元年(999)
   三年(1002)
寛弘ニ年(1005)
長和三年(1014)
   四年(1015)
以下、七回焼失。安貞元年(1227)の火災を最後に内裏は廃絶。火災の度に、天皇は藤原氏の邸宅を仮御所とした。これを「里内裏」と呼ぶ。十一世紀中盤から、里内裏が常態となった。ちなみに源氏物語は1008年ごろほぼ完成した作品である。
内裏被災の原因を菅原道真の怨霊とする考えが当時強かった。
  造るともまたも焼けなんすがはらやむねのいたまの合わぬ限りは

★右近の桜は本来梅だった

花宴の主役ともいえる「南殿の桜」は当初は梅であった。が、『古事談』によれば、960年の内裏炎上を契機に、重明親王家の桜を移植した。この桜は吉野の山であった、とある。

★藤壷の戸口、弘徽殿の戸口
閉まっている藤壷の戸口は現在の藤壷の意志表示。同じく、開いている弘徽殿の戸口は、今の右大臣方の政治的メッセージか。あるいは、単なる朧月夜の誘惑なのか。朧月夜は光源氏の熱狂的ファン。

★麿は許されたれば
いと若うをかしげなる声の、なべての人とは聞こえぬ、「朧月夜に似るものぞなき」とうち誦じてこなたざまに来るものか。いとうれしくて、ふと袖をとらへたまふ。女、恐ろしと思へる気色にて、「あなむくつけ。こは誰そ」とのたまへど、「何かうとましき」とて、
  深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろげならぬ契りとぞ思ふ
とて、やをら抱き降ろして、戸は押し立てつ。あさましきにあきれたるさま、いとなつかしげなり。わなわなくわななく、「ここに、人」とのたまへど、「まろは、皆人にゆるされたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらん。ただ忍びてこそ」とのたまふ声に、この君なりけりと聞き定めて、いささか慰めけり。わびしと思へるものから、情けなくこはごはしうは見えじと思へり。酔ひ心地や例ならざりけん。ゆるさむことは口惜しきに、女も若うたをやぎて、強き心も知らぬなるべし。らうたしと見たまふに、ほどなく明けゆけば、心あわただし。女は、まして、さまざまに思ひ乱れたる気色なり。「なほ名のりしたまへ。いかで聞こゆべき。かうてやみなむとは、さりとも思されじ」とのたまへば、
  うき身世にやがて消えなば尋ねても草の原をば問はじとや思ふ
と言ふさま、艶になまめきたり。「ことはりや。聞こえ違へたるもじかな」とて、
いづれぞと露のやどりをわかむまに小篠が原に風もこそ吹け
わずらはしく思すことならずは、何かつつまむ。もし、すかいたまふか」とも言ひあへず、人々起き騒ぎ、上の御局に参りちがふ気色どもしげく迷へば、いとわりなくて、扇ばかりをしるしに取りかへ出でたまひぬ

★狐と契った男の話
『今昔物語』巻第十四本朝仏法部第五に奇怪な話がある。朱雀門前。美男と美女の出会い。門の中。男の口説き。女の哀願。もし貴方と契ったら私は死ぬ。遂に交通。日暮れて、近くの小屋に移行。終夜交臥。朝の別れ。女の言葉。「我レ君ニ代テ命ヲ失ハム事疑ヒ無シ。然レバ、我ガ為ニ法華経ヲ書写供養シテ後世ヲ訪ヘ」。事の実否を知りたければ明朝武徳殿の辺に行ってみよ。男の扇を取り、女は泣く泣く去る。男、武徳殿に行く。白髪の婆の出現。娘が死んだことを告げ消える。見ると、男の扇で顔を覆った狐の死体。男、約束を実行。狐、法華経の力で天女に生まれ変わる。

★光源氏の御局
桐壷は、更衣死後も光源氏の曹として使用されていることが分かる。後年、光源氏の娘である明石姫君の御局としてされていることも確認されるから、源氏物語では桐壷は終始光源氏の私有物となっていることが分かる。光源氏は臣籍降下して源氏となっているのだから、この後宮私物化は異様である。里内裏時代を反映した発想であろうか。

★業平と二条の后
入内が予定されていた女が、男と通じた場合、入内不能である。伊勢物語で展開される二条后物語は、このタブーを犯したスキャンダル。朧月夜と光源氏の場合は、伊勢物語を背景にもってスリリングに進められている。

★明王四代
左大臣は「明王の御代、四代をなむ見」たという。桐壷のモデルを醍醐天皇とすると、陽成・光孝・宇多・醍醐。十五年で四代替わっている。紅葉賀巻の、弘徽殿女御の東宮女御として二十余年という記事から推測して、左大臣のキャリアを三十年以上だとすれば、この比定がよく当たっている。しかし、陽成帝を明王と呼ぶには躊躇されるものがある。が、帝はみな明王だとすれば何事でもあるまい。○→先帝→一院→桐壷帝というのが源氏物語帝王の系譜である。とすれば、先帝は光孝帝と了解すべきなのであろうか。しかしながら、先帝の四宮が藤壷で、藤壷は光源氏と同世代の感覚で設定されている。先帝と一院、桐壷帝の関係は、直系とは考えられない。兄弟か別系だろう。が、光孝・宇多・醍醐は直系の三世代である。したがって、この比定は、興味深いが実際には無理。なお、陽成帝と光孝帝は藤原基経によって廃立された。光孝帝は陽成帝の祖父・文徳帝の弟である。平城帝から嵯峨、淳和と兄弟が順に天皇となり、結局、嵯峨帝の親王・仁明天皇の系統に落ちついた時代もある。これは、ほぼ三十年。四代に仕えることが可能である。こっちの方が、源氏物語に即しているといえるかもしれない。廃太子も二回、実際におこなわれている。

★尾張浜主のこと
仁明天皇の承和十二年正月八日、大極殿で最勝会が行われたが、その時、浜主は自作の舞「長寿楽」を請うて舞った。高名の楽人であった浜主も時に百十三歳。起居あたわざる老人に見えたけれども、舞い始めるや少年(青年)のごとくであったという。その時の浜主の歌が「七代(ななつぎ)の御代に会(まわへ)る百余(ももちまり)十(とを)の翁の舞ひたてまつる」。翌々日の十日、浜主は清涼殿前に召され、仁明天皇の前で長寿楽を舞う。その時の浜主の歌は「翁とてわびやはをらむ草も木もさかゆるときに出でて舞てむ」。天皇および群臣は涙を流して感動。浜主は恩賜の御衣をもらって退出したという。『続日本後紀』承和十二年正月の記事に見える話。

★右大臣の戦略
右大臣邸は弘徽殿女御腹の「宮たちの御裳着」のために新築。藤の花の宴は、右大臣邸新築落成祝賀の宴を兼ねていた。いよいよ近づいてきた右大臣時代の予祝賀の宴ともいえる。光源氏招待は、右大臣家の余裕か。派手好みの右大臣は自家の権勢を光源氏に見せつけようと考えているのかもしれない。あるいは、六の君以外の娘と光源氏を結婚させて、きたるべき栄耀栄華の中に光源氏をも取り込もうという政治的戦略もあるか。四の君で頭中将をすでにそうしているように。あるいは、裳着をすませたばかりの「女御子」と光源氏の結婚を考えているのか。相談を受けた桐壷帝もそう判断している。そろそろ退位を考えている桐壷帝にとっては、右大臣の最近の軟化傾向は渡りに舟といったところではなかったかと推測される。

★藤原氏の栄華
むかし、左兵衛なりける在原の行平といふありけり。その人の家によき酒ありと聞きて、うへにありける左中べん藤原の良近といふをなむ、まらうどざねにて、その日はあるじまうけしたりける。なさけある人にて、瓶に花をさせり。その花のなかに、あやしき藤の花ありけり。花のしなひ、三尺六寸ばかりなむありける。それを題にてよむ。よみはてがたに、あるじのはらからなる、あるじしたまふと聞きて来たりければ、とらへてよませける。もとより歌のことは知らざりければ、すまひけれど、しゐてよませければ、かくなん。
  咲く花のしたに隠るる人を多みありしにまさる藤のかげかも
「などかくしもよむ」といひければ、「おほきおとどの栄花の盛りにみまそがりて、藤氏のことに栄ゆるを思ひてよめる」
となんいひける。みな人、そしらずなりにけり。(『伊勢物語』百一段)