源氏物語5…薄雲巻 ・ 朝顔巻 ・ 少女巻 ・ 玉鬘巻 ・ 初音巻

 <薄雲巻>

第十九回 薄雲巻・藤壷死す。世は夢の浮橋

★薄雲巻の内容
 1 冬。光源氏、明石御方に、姫君を紫上のもとで育てることを勧める。明石が育てると明石になる。都との落差
 2 御方、趣旨を理解しつつも悩む。
 3 母尼、理を尽くし御方を説得する
 4 占いなど参孝にして御方、姫君を手放す決断をする
 5 師走。雪の日。御方、乳母と贈答
 6 光源氏、姫君を迎えに来る。姫君との別れ。二条院寝殿西面に落ち着く
 7 姫君、紫上になつく。袴着行なわれる
 8 明石御方の寂しさ。光源氏、心を遣い歳末に大堰訪問。文も絶えず
 9 新年。二条院の盛儀。東院に住む花散里の幸せ。かばかりの宿世
10 光源氏、大堰訪問。姫君可愛さに、紫上の嫉妬和らぐ。姫君を抱き、乳を与える
11 大堰邸にて。明石御方のたしなみ。現状に満足をおぼえる。明石入道、情報を得て一喜一憂
12 太政大臣コウ去。光源氏、政治の正面へ
13 この年、天変しきり。世の不安
14 病の藤壷、三月に重態に陥る。三十七歳の厄年。行幸あり。藤壷の思い
15 光源氏の見舞い。藤壷、光源氏に礼を言う。光源氏に看取られて燈火が消えるように死ぬ
16 藤壷のひととなり
17 光源氏の悲しみ。薄雲の歌
18 七十歳の夜居の僧都、光源氏と藤壷のこと、帝の出生の秘密を帝本人に語る。帝、悩む
19 朝顔の父・式部卿宮死去
20 帝、譲位の希望を光源氏に漏らす。光源氏強く諫め、帝を励ます
21 帝、異例を調査。中国の例、本朝の例。光源氏に譲位を考える
22 秋の司召。光源氏、太政大臣に内定。帝、光源氏に譲位の件を漏らす。光源氏固辞。従一位、牛舎の宣旨を賜る。権中納言、大納言に昇進、右大将を兼務
23 光源氏、王命婦に問う。命婦藤壷の内意を伝える
24 秋。斎宮女御、二条院へ里下がり。光源氏、対面する
25 光源氏、女御に往時を語る。御息所の思い出。今の思い。明石姫君の後事を託す
26 光源氏、女御と春秋の論議。女御、秋に心を寄せる。光源氏、恋慕を口にする。女御とまどう
27 対に帰り、光源氏反省する。光源氏、紫上に春秋の論議を語る
28 光源氏、大堰の明石御方を訪れ、数日滞在する

★尼君の説得
尼君、思ひやり深き人にて、「あぢきなし。見たてまつらざらむことはいと胸いたかりぬべけれど、つひにこの御ためによかるべからんことを思はめ。浅く思してのたまふことにはあらじ。ただうち頼みきこえて、渡したてまつりたまひてよ。母方からこそ、帝の御子もきはぎはにおはすめれ。この大臣の君の、世に二つなき御ありさまながら世に仕へたまふは、故大納言の、いま一階なり劣りたまひて、更衣腹と言はれたまひしけぢめにこそはおはすめれ。ましてただ人は、なずらふべきことにもあらず。また、親王たち、大臣の御腹といへど、なほさし向かひたる劣りの所には、人も思ひおとし、親の御もてなしもえ等しからぬものなり。まして、これは、やむごとなき御方々にかかる人出でものしたまはば、こよなく消たれたまひなむ。ほどほどにつけて、親にも一ふしもてかしづかれぬる人こそ、やがておとしめられぬはじめとはなれ。御袴着のほども、いみじき心を尽くすとも、かかる深山隠れにては何のはえかあらむ。ただまかせきこえたまひて、もてなしきこえたまはむありさまをも聞きたまへ」と教ふ。

★姫君との別れ
姫君は、何心もなく、御車に乗らむことを急ぎたまふ。寄せたる所に、母君みづから抱きて出でたまへり。片言の、声はいとうつくしうて、袖をとらへて乗りたまへと引くもいみじうおぼえて、
   末遠き二葉の松にひきわかれいつか木高きかげを見るべき
えも言ひやらずいみじう泣けば、さりや、あな苦しと思して、
   生ひそめし根もふかければ武隈の松に小松の千代をならべん
「のどかにを」と慰めたまふ。さることとは思ひ静むれど、えなむたへざりける。乳母、少将とてあてやかなる人ばかり、御侃刀、天児やうの物取りて乗る。副車によろしき若人、童など乗せて、御送りに参らす。道すがら、とまりつる人の心苦しさを、いかに罪や得らむと思す。

★かばかりの宿世
「東の院の対の御方」つまり花散里の描写がある。彼女はすっかり落ち着いてしまっている。「かばかりの宿世なりける身」は、花散里のテーマ。身の程を知ることによる女の平安がさりげなく記されている。この、花散里の人生観念は、ここにこうして置かれることによって、明石御方の現在および未来の影となる。「夜光る玉」を紫上に差し出してしまった瞬間から、明石御方はただの人にすぎなくなる危険性の中にあるというのは事実である。花散里の諦観に、これ以降の明石御方がはたとて満足するやいなや。

★夢の浮橋という言葉
明石御方とのはかない逢瀬を歎いて光源氏が思う。「夢のわたりの浮橋か」。夢浮橋の発想は「世の中は夢の渡りの浮橋かうちわたりつつものをこそ思へ」の古歌による。この源氏物語が夢浮橋巻で終わるということは、この源氏物語が物思いの絶えることのない世の中の出来事を書いた物語なのだということであるのかもしれない。この言葉が、最後の夢浮橋巻ではなく、この巻にあるのも何か含むところがありそうである。もしかして、作者の構想のなかで、すでに源氏物語は終わっているのではないか。結局、源氏物語という物語は、二葉の松が巨大な松に成長する物語なのであってみれば、その松の始発点に終点の語句を置くということは、軽からぬ寓意があるとみてよいのではないか。

★藤壷、光源氏に礼を言う
「院の御遺言にかなひて、内裏の御後見仕うまつりたまふこと、年ごろ思ひ知りはべること多かれど、何につけてかはその心寄せことなるさまをも漏らしきこえむとのみ、のどかに思ひはべりけるを、いまなむあはれに口惜しく」とほのかにのたまはするもほのぼの聞こゆるに、御答へも聞こえやりたまはず泣きたまふさまいといみじ。などかうしも心弱きさまにと人目を思し返せど、いにしへよりの御ありさまを、おほかたの世につけてもあたらしく惜しき人の御さまを、心にかなふわざならねばかけとどめきこえむ方なく、言ふかひなく思さるること限りなし。「はかばかしからぬ身ながらも、昔より御後見仕うまつるべきことを、心のいたる限りおろかならず思ひたまふるに、太政大臣の隠れたまひぬるをだに世の中心あわただしく思ひたまへらるるに、またかくおはしませば、よろづに心乱れはべりて世にはべらむことも残りなき心地なむしはべる」と聞こえたまふほどに、灯火などの消え入るやうにてはてたまひぬれば、いふかひなく悲しきことを思し嘆く。

★燈火の比喩
光源氏に見取られて死ねた藤壺は幸せであったのではあるまいか。「燈などの消え入るやうに」死んだという記述は、仏の入滅に準じた表現だから、最大級の敬意が払われていることが分かる。「かがやく日の宮」と呼ばれた人に応しい死である。光源氏と藤壷、世の中には二つの光があったのだが、一方が消えたという設定である。光源氏の火が消える時、無明長夜が開始するという構想だろうか。

★薄雲の歌
光源氏の独詠。「入り日さす峰にたなびく薄雲はもの思ふ袖に色やまがへる」の「薄雲」がこの巻の巻名となっている。藤原定家の代表歌「春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空」は、源氏物語の終章、「夢浮橋」巻末における薫の気持ちを詠んだものではなく、この巻の、この時の光源氏の気持ちを詠んだものと考えるほうがよいのではないか。実際、「夢の浮橋」はこの巻にある言葉である。

★夜居の僧都
夜居の僧都の紹介。「この入道の宮の母后の御世より伝はりて、次々の御祈りの師にてさぶらひれる僧都」で、「年七十ばかり」。「今は終りの行ひをせむとて」つまり、藤壷のために最後の祈?をすべく山から出てきた男。故太政大臣や明石入道、あるいは北山僧都と同世代。先帝の時代の生き証人である。光源氏の年齢が現在三十二歳くらい。彼は三十代から藤壷の「祈りの師」であったわけだ。こういう人物をここに出したのは、藤壷の意味を、もっと違う、遠い視点から引いて眺めるという発想ではないか。この視点は、源氏物語の本質に関わるものと考えられないか。藤壺の時代は、夜居の僧都の年齢七十の範囲内である。母后の時代は先帝の時代でもあるから、先帝の時代は、そう遠い過去ではない。藤壷は、その先帝の時代を今の時代にら伝えた人。光源氏もまた、先帝の正統。二人は先帝の正統である帝を生んだ。この帝は、一代で絶えてしまうが、光源氏が明石に生ませた姫君は、以後、長く皇統を正しく伝える国母として君臨する。ということではないのか。天照大神、山彦、豊玉姫、そして天智・天武両帝の争い、そして志貴皇子のことなどが思い起こされようというものだ。

★帝の調査
上は、王命帰にくはしきことは問はまほしう思しめせど、「今さらに、しか忍びたまひけむこと知りにけりとかの人にも思はれじ。ただ大臣に、いかでほのめかし問ひきこえて、さきざきのかかることの例はありけりやと聞かむ」とぞ思せど、さらについでもなければ、いよいよ御学問をさせたまひつつさまざまの書どもを御覧ずるに、唐土には、顕れても忍びても乱りがはしきこといと多かりけり。日本には、さらに御覧じうるところなし。たとひあらむにても、かやうに忍びたらむことをば、いかでか伝へ知るやうのあらむとする。一世の源氏、また納言、大臣になりて後に、さらに親王にもなり、位にも即きたまひつるも、あまたの例ありけり。人柄のかしこきに事よせて、さもや譲りきこえましなどよろづにぞ思しける。

★譲位騒動
光源氏への譲位騒動の記事は、読者に桐壺巻、高麗の相人の予言を思い起こさせる。光源氏は帝となるべき人だか、帝になると「乱れ憂ふることやあらむ」。つまりは天下大乱となるということだった。「ただもとの御おきてのままに、朝廷につかうまつりて」という光源氏の辞退は当然の結果ということになろう。しかし、ここで、こういう操作をするということは、読者に、光源氏の人生の意味を考えさせようという作者の意図が透けて見えるではないか。そうすることが、この巻で死んだ藤壺の人生の問い直しになるからである。前述したように、藤壷と光源氏の錯誤は正統なものであったのだ。という追認の雰囲気作り、である。これは、藤壷の人生に対する最大のはなむけではないか。と同時に、源氏物語そのもので作者が作り上げたかったそのものなのではないかと思うが、いかが。

★春秋の論
天皇の内大臣藤原朝臣に詔して、春山万花の艶きと、秋山千葉の彩れるとを競ひ憐ましめたまひし時に、額田王の、歌を以てこれを判めし歌
 冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山をしみ入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆くそこし恨めし 秋山そ我は
    (万葉集 巻第一 16)
この歌を春秋優劣論に単純化すべきではない。この歌の二つ前には、中大兄皇子の大和三山の歌がある。
 香具山は 畝傍を惜しと 耳梨と 相争ひき 神代寄りかくにあるらし 古も 然にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき
反歌 
 香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に来し印南国原
    (万葉集 巻第一 13・14)
また、二つ後ろには、有名な蒲生野遊猟の歌がある。
 天皇の蒲生野に遊猟したまひし時に、額田王の作りし歌
 あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖降る
皇太子の答へし御歌
 紫のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも
    (万葉集巻第一 20・21)
前後の歌に挟撃されて、額田王の春秋優劣歌は、天智天皇天武天皇優劣論に還元され政治化されてしまうように見える。紫式部は、ここで春秋論をもちだし、天智天武の皇統問題を読者の脳裏にかきたて、古代神話を巧妙にまぶしながら、光源氏と藤壷の関係を、正統のものとして位置づけようと目論んでいるように見えるが如何。

 <朝顔巻>

第二十回 朝顔巻・しづやしづ、しづの苧環

★この巻の内容
 1 朝顔斎院、父の喪で辞任。光源氏しきりに消息。朝顔応ぜず
 2 九月。朝顔、里の桃園宮へ移る。女五宮そこに住む。光源氏、女五宮の見舞いにかこつけ朝顔を訪問する
 3 女五宮との対面。簀子で、ひとしきり昔語りをする。
 4 朝顔の御殿に移動。廂間で宣旨を介した対面
 5 贈答。朝顔、世づかず。光源氏空しく帰る
 6 帰邸の朝、光源氏朝顔の花を見る。折らせて朝顔に歌を贈る
 7 朝顔の返歌。あるかなきかにうつる朝顔
 8 朝顔の光源氏に対する姿勢。世をはばかりうちとけず。しかし、いつしか二人の関係は世の噂になる
 9 紫上、光源氏の真剣さに不安増大する
10 夕刻。光源氏、女五宮を見舞う。出発にあたり、紫上に事情を説明する。紫上、姫君の世話を装いつつ、嫉妬歴然。光源氏、慰めるも見捨てて雪の中出発する。紫上、嘆く。女房たち、光源氏の軽挙を批評する
11 桃園邸の荒廃ぶり。西門、錠錆びてなかなか開かず
12 対面した女五宮の欠伸と鼾
13 源典侍の登場。光源氏、辟易としつつも「親の親」の贈答
14 西面。朝顔との対面。朝顔に変化なし
15 朝顔の胸の内
16 二条院に帰った光源氏、紫上をなぐさめる。朝顔とのことを弁明する
17 雪の夕暮。童をおろし雪まろばしをさせる
18 懐旧の情にふける光源氏、女性論に及ぶ。藤壷のこと。紫上のこと。朝顔のこと
19 紫上、朧月夜に言及。光源氏、彼女を論ず。明石御方、花散里について語る
20 藤壷の面影、紫上との贈答
21 藤壷、光源氏の夢枕に立ち、恨む。光源氏、藤壷の供養。阿弥陀仏を念ずる

★朝顔の復習
朝顔は皇族の最高位・式部卿の娘。帚木巻では、空蝉の女房たちの噂話で、まず語られる。光源氏が朝顔の花を贈った場面は源氏物語に書かれていないが、大向こうを唸らせる当時格好の話題であったらしい。葵巻では、六条御息所の陥った恋の泥沼を嫌い、プラトニックな恋を選択する。「逢わない愛」の確立である。賢木巻では、賀茂斎院就任。神聖にして浸すべからざる神域の人となった。その朝顔との文通をやめようとしない光源氏の行為は、政治問題化し、須磨落ちの理由の一つにもなっている。前巻・薄雲では、父・式部卿が死んでいる。彼女が斎院を辞める時がきたことを意味する。以上が彼女について語られた全てである。

★桃園というところ
桃園というのは、一条大路の北、洛北の地にある。文人たちが住む、文化の香りただよう場所である。一条摂政伊尹、その孫・行成。光源氏のモデルともいわれる源高明。代明親王一族。問題を起こし斎院を廃されたと思われる斎院・韶子もここに住んでいたらしい。また、源氏物語に縁の深い大斎院選子の住まいもここにあった。紫式部が、朝顔の住まいとして、この地を選んだのは、そういう文化・政治の影をちらつかせると同時に、「桃」の語の発する、浮世離れした桃源郷、時の流れぬ神仙世界のイメージも必要であったからだと考えられる。この巻の光源氏は、昔のままの朝顔を期待している。

★儚きありし世の夢
久し振りに対面した朝顔は言う。「ありし世は皆夢に見なして、今なむ、さめてはかなき」。「さめてはかなき」は現在の朝顔のテーマ。逆に「ありし世の夢」を見ようとするのが、今の光源氏の立場である。彼の歌「人知れず神のゆるしを待ちしまにここらつれなき世を過ぐすかな」は、はからずも時の流れを強調している。朝顔が斎院に卜定してから、今日まで九年。致命的な時の流れ。朝顔の言葉には切ない説得力がある。彼女には葵上や藤壷と同世代であるから、現在三十代の後半であろうかと推測される。光源氏の年齢は、藤壷巻から逆算すると、この巻では三十二歳である。朝顔に拒まれて帰る光源氏のシーンに、落ち葉の音をかぶせた作者の演出は心憎い。

★昔の再現、朝顔のシーン
心やましくて立ち出でたまひぬるは、まして寝ざめがちに思しつづけらる。とく御格子まゐらせたまひて、朝霧をながめたまふ。枯れたる花どもの中に、朝顔のこれかれに這ひまつはれてあるかなきかに咲きて、にほひもことに変れるを折らせたまひて奉れたまふ。源氏「けざやかなりし御もてなしに、人わろき心地しはべりて、後手もいとどいかが御覧じけむとねたく。されど、
見しをりのつゆわすられぬ朝顔の花のさかりは過ぎやしぬらん
年ごろの積もりも、あはれとばかりは、さりとも思し知るらむやとなむ、かつは」など聞こえたまへり。おとなびたる御文の心ばへに、おぼつかなからむも見知らぬやうにやと思し、人々も御硯とりまかなひて聞こゆれば、
秋はてて霧のまがきにむすぼほれあるかなきかにうつる朝顔
似つかはしき御よそへにつけても、露けく」とのみあるは、何のをかしきふしもなきを、いかなるにか、置きがたく御覧ずめり。青純の紙のなよびかなる墨つきはしもをかしく見ゆめり。人の御ほど、書きざまなどにつくろはれつつ、そのをりは罪なきことも、つきづきしくまねびなすにはほほゆがむこともあめればこそ、さかしらに書き紛らはしつつおぼつかなきことも多かりけり。

★朝顔の花
朝顔は秋の花。本文に即せば、朝顔は落ち葉の頃に咲いていることになる。ちょっと遅い気がする。この花は、牽牛子と呼ばれ、七夕の頃に花をつけるのが普通である。ここは、末期の朝顔か。光源氏の歌。「花の盛りは過ぎやしぬらむ」に符合する。朝顔の花を観賞するようになるのは江戸時代から。本来は漢方薬。種を粉末にし下剤として利用した。日本に伝えられたのは奈良時代との説もあるが、『古今集』時代との説もあるが、『後撰集』にあるから、十世紀の中頃ではないかと推察される。有名になったのは、『源氏物語』のせいだと考えておいたほうがよいと思う。

★紫上の危うさ
二人の秘密が露顕した時の世間の反応に注目したい。「似げなからぬ御あはひならむ」。朝顔は光源氏の正妻として相応しい女だというのである。となると、紫上とはどういう世間的評価の女であるのか、という素朴な疑問がおこる。彼女は光源氏の愛人で、愛がなくなれば捨てられる女なのではないのか。「対の上」という呼称も、なにやら意味ありげだ。と、読者を一瞬でもそう思わせれば、この時点ではよかったかもしれない。朝顔は、かくして、物語の女主人公・紫上の絶対的神聖不可浸性を破り、彼女を相対化する存在となる。これは、若菜巻で登場し、その身分によって紫上を圧倒することになる女三宮の、軽い先触れということであろう。あるいは、こうも考えられる。この巻で、紫上を揺すり、彼女の絶対性を破ってみせるのは、今彼女が抱いてあやしている明石姫君の絶対性を強調するためなのではないか。完全無欠なのは紫上ではなく、明石姫君なのだ。という発想である。この発想に立てば、源氏物語のヒロインは紫上ではなくなる。紫上は、明石姫君に、絶対性を転移させるために、この巻で傷つくのだ。桐壺更衣から藤壷。藤壷から紫上を経て、絶対性はより純粋化され、明石姫君に結晶するという見方は、この巻で芽生えるのではないか。この時、紫上は姫君の乳母。古代神話風にいえば、玉依姫なのである。

★源典侍の登場
源典侍の年齢は、紅葉賀巻に「五十七八」とあった。あの頃、光源氏は「二十の若人」であった。今は、藤壷が三十七歳で死んでから間もない頃というのだから、紅葉賀の時点から十数年くらい経っていることが容易に分かるように作者がわざわざ書いていることが了解されよう。であるからして、現在、源典侍は七十歳ぐらいの老婆である。「いたうすげみたる口つき思ひやらるる声づかひ」になっていて当然である。朝顔は、藤壷と同時代の女だから、「入道の宮などの御齢よ」と惜しまれつつ退場するとなれば、今しかないわけである。馬齢を重ねれば、女五の宮や源典侍の未来を待つばかりということになる。朝顔退場のための環境つくりが、女五の宮と源典侍の役目であろう。

★聖徳太子のイメージ
光源氏が源典侍にかけた言葉「親なしに臥せる旅人とはぐくみたまへかし」は、聖徳太子の歌と伝えられる「しなてるや片岡山に飯に飢ゑて臥せる旅人あはれ親なし」をふまえている。この太子歌は『拾遺集』の最後一つ前に載せられている。聖徳太子は「紫上の御衣を脱」いで片岡山の飢人にかけた。この飢人は「頭をもたげて」感謝の歌を詠む。これが『拾遺集』最後の歌。「いかるがや富緒河の絶えばこそ我が大君の御名を忘れめ」である。これからすると、光源氏は、方岡山の飢人のように、絶対に源典侍の名前を忘れないという意味になる。ただし、源典侍が聖徳太子のように情けをかけてくれたら、という条件つきだけれども。冗談のレベルがかなり高いやりとり。

★朝顔の心底
げに人のほどのをかしきにもあはれにも思し知らぬにはあらねど、もの思ひ知るさまに見えたてまつるとて、おしなべての世の人の、めできこゆらむ列にや思ひなされむ、かつは軽々しき心のほども見知りたまひぬべく、恥づかしげなめる御ありさまをと思せば、なつかしからむ情もいとあいなし、よその御返りなどはうち絶えで、おぼつかなかるまじきほどに聞こえたまひ、人づての御答へはしたなからで過ぐしてむ、年ごろ沈みつる罪うしなふばかり御行ひをとは思したてど、にはかにかかる御事をしも、もて離れ顔にあらむも、なかなかいまめかしきやうに見え聞こえて、人のとりなさじやはと、世の人の口さがなさを思し知りにしかば、かつはさぶらふ人にもうちとけたまはず、いたう御心づかひしたまひつつ、やうやう御行ひをのみしたまふ。

★冬の賛美
「冬の夜の澄める月に雪の光りあひたる空こそ、あやしう、色なきものの身にしみて、この世のほかのことまで思ひ流され、おもしろさもあはれさも残らぬをりなれ」。冬の美の発見は、六条院四季絵巻の予行である。前巻で春秋が強調されていた。その連続で理解すべき箇所ではないか。さても、童女による、楽しげな月夜の雪のまろばしの場は、紫上の世界の素晴らしさを語り、と同時に朝顔事件の終りを印象ずける。

★不可解な世界の存在
藤壷のことについて紫上に語る光源氏。彼の言葉は表面的で、その虚飾は、読者の充分に知るところである。朝顔のことといい、藤壷のことといい、光源氏は紫上の承知しない独自の世界を持ち、その世界の中で激しく動いたのがも薄雲・朝顔の両巻であった。これは、中年初期の、光源氏の、中年であることへの、いわば抵抗・反乱であったのかもしれない。しかしながら、光源氏の世界は、もはや衰亡に瀕していて、わずかに残っていた過去そのものであった朝顔に接近するのだけれども、その醜悪な現実とともに、強烈な朝顔の意思に出会って、その過去世界から光源氏は厳しく拒絶されてしまう。彼はもはや、紫上のいる美しい現実の世界に舞い戻るほかない。しかし、彼の、この時期のこの行為が、舞い戻る現実世界を取り仕切る女主人公紫上の心に与えた疵の深さは無視できるレベルではない。今後確実に尾を引くことが予測される。今回の朝顔事件は、紫上にとっては、明石御方などとは質の違う不可解な事件であったはずである。が、この事件によって彼女は、自分が陥る奈落の淵を覗いた実感をもったことは事実であろう。後の女三宮事件でもって、この事件の意味をようやく紫上は知るところとなる。その時は、もう取り返しがつかぬことになる。紫上の悲しみの在り処を明確に示す意味で、この巻は、源氏物語の構想上きわめて重要な巻である。

★紫上の歌
「氷閉じ石間の水はゆきなやみ空澄む月のかげぞながるる」は絶品である。これからの彼女の人生を語って余りある歌だと思う。紫上は、この瞬間凍りつき、閉塞し、孤独化する印象は避けがたい。彼女は今、漠然たる不安を感じているのである。若菜巻は、実は、この紫上の閉塞感を破る巻なのだという考え方も可能である。

★藤壷の夢
光源氏の夢に現れた藤壷に注目しよう。彼女は往生していない。「いみじく恨みたまへる御けしき」「苦しき目を見る」がその証拠である。このことが、源氏物語の今後に藤壷の影をひきずらせる結果となる。光源氏と藤壷の犯した罪は根強く残り、源氏物語を突き動かしてゆく原動力になる。「憂き名の隠れなかりければ」、は決して紫上に藤壷を語ったそのことを指しているのではないだろう。冷泉院の秘密が漏洩してしまったことをいっていると考えるべきである。「このひとつことにてぞ、この世の濁りをすすいたまはざらむ」。その意味で、この巻は前巻にしっかりと連続している。さて、うなされた光源氏におどろいた紫上の声で、光源氏の夢は破れる。起きた光源氏は夢を紫上に語らなかった。藤壺は、かくして光源氏の胸の中にとどまって、紫上に流れ出ることはない。光源氏は、藤壷の世界の人なのではないか。と読者は再び思うはずである。この時、紫上の孤独感はさらに深まる。

★女を背負って三途の川を渡る
おなじ蓮にとこそは、なき人をしたふ心にまかせても影見ぬ三の瀬にやまどはむとおぼすぞうかりけるとや。
この巻のこの閉じ方も、光源氏の心は藤壷にあり、紫上の孤独はもはや決定的であるという印象をもたないか。この巻は、藤壷追悼の巻なのである。朝顔もその方向で考察しなければ、遠近法を過つことになろう。

 <少女巻>

第二十一回 少女巻・恋の夢を散らすのは大人

★この巻の内容
 1 年改まる。葵祭の頃、喪中朝顔のつれづれ。光源氏より文あり。朝顔返歌する。
 2 朝顔、喪があける。光源氏、朝顔にも女五宮にもしきりに文を送る。
 3 女五宮、故父宮の意思に言及、葵上亡き今、結婚を勧める。朝顔いまさら動かず。光源氏、強いず。
 4 夕霧元服。母の三条殿で。予想に反して六位となる。
 5 大宮の不満に、光源氏、夕霧の教育方針を語る。大学の意義について。
 6 東院で「字(あざな)をつくる」儀が行われる。さま異なる博士、大学の衆のありさま。
 7 後の宴。人々漢詩を作る。
 8 東院に曹司を作り、夕霧の学問始まる。大宮への外出は月三回のみ許可。
 9 夕霧、不満ながらも勉学にいそしむ。四五月で『史記』読破。
10 寮試受験のための模擬試験を行なう。完璧な出来ばえ。光源氏の喜び。師匠の大内記面目をほどこす。
11 受験のために大学へ。昔の復活。大学の栄える頃。
12 六条御息所の娘・斎宮女御、大納言の娘・王女御、中宮位を争う。光源氏の推す斎宮女御が中宮に就任した。
13 光源氏、太政大臣になる。大納言は内大臣になって、実務をとる。内大臣の子供は十余人。うち女子は弘徽殿女御と雲居雁のみ。
14 雲居雁の紹介。皇族の血をひく母は今、按察使大納言の北の方。大宮に育てられる。
15 同じ所に育った夕霧と雲居雁。筒井筒の恋のめばえ。夕霧の募る思い。
16 内大臣、大宮訪問。雲居雁琴を弾く。内大臣の琵琶論。明石の女のこと、藤原家の現状と将来の嘆き。大宮、励ます。
17 雲居雁、大宮、内大臣の演奏。
18 夕霧来訪。笛を吹く。
19 内大臣、夕霧と雲居雁の噂を立ち聞く。聞かれた女房、困惑しきり。
20 内大臣忸怩たる思い止み難し。
21 二日後、内大臣再び大宮邸を訪問。
22 内大臣、夕霧と雲居雁の一件で大宮を詰問、なじる。
23 乳母の弁明。内大臣の心を抑える。雲居雁、なにも分からず。
24 大宮の思い。夕霧可愛さが優先する。
25 やってきた夕霧に、大宮の忠告。徹底せず。
26 夕霧、雲居雁の許に行く。いつものように逢えず。「雲居雁ね我がごとや」と女君ひとりごつ。以後、音信もままならぬ状態となる。
27 内大臣、中宮参内を機に弘徽殿女御を里下がりさせる。女御のつれづれを慰める口実で、自邸に雲居雁を呼ぶことにする。
28 一族を引き連れ迎えに来た内大臣、大宮に事情を説明する。大宮の不満。
29 夕霧来訪、内大臣一族の大勢の出迎えを見て、自室に引き籠もる。
30 内大臣が宮中に出向いた時、大宮が雲居雁を呼ぶ。なごりを惜しむ。夕霧乳母の忠告。「殿のいうことを聞いて、他の男に嫁ぐな」。
31 乳母の計らいで、夕霧と雲井雁別れを惜しむ。
32 迎えに来た雲居雁乳母、ふたりの屏風の後で「めでたくとも、もののはじめの六位宿世よ」とつぶやく。二人。血の涙の贈答をして、別れる。
33 夕霧、召す大宮を振り切り、二条東院の曹司に帰る。
34 光源氏、五節の舞姫を出す準備をする。良清の娘。惟光娘も五節舞姫となる。
35 懊悩の夕霧、学問に打ち込めず、二条院をさまよう。舞姫を垣間見、歌をよみかける。
36 夕霧、宮中参内。五節参上を見る。光源氏方の五節の美しさ際立つ。
37 光源氏、五節の姿を見て昔を思い出す。筑紫五節に文を贈る。筑紫五節、心のこもった返歌をする。
38 夕霧、「つらき人の慰め」に五節、惟光の娘を得たいと願う。彼女は典侍となる予定と聞く。
39 夕霧、五節の弟を語らい、文をやる。文、惟光に見つかるが、夕霧からと知って破顔一笑。明石入道になろうと思うが、家族はとりあわない。
40 夕霧、思い出の三条殿へ行かず。東院にふさぎ込む。光源氏、花散里に後見役を命ずる。
41 優しいが不器用な花散里を見た夕霧の複雑な思い。
42 年末。大宮、夕霧の正月参内の装束を調える。夕霧の嘆き。大宮、励ましつつも、ともに涙に暮れる。
43 正月。二条院、宮中に異ならず。
44 二月二十日過ぎ、朱雀院行幸あり。帝と光源氏、同じ赤の衣裳。放島の試み。楽の船。春鶯囀の舞。光源氏、朱雀院、兵部卿、冷泉帝の歌。管弦の宴。兵部卿の琵琶、内大臣の和琴。箏の朱雀院、琴(きん)の光源氏。
45 夜更けて、帝と光源氏、弘徽殿大后の感慨、宿世と痛憤、尽きぬ思い。朧月夜への消息、光源氏未だ止めず。
46 夕霧進士になる。合格者三人の内。秋の除目で侍従となる。雲居雁との一件、いぜんとして不調。
47 光源氏、六条京極に四町を占める六条院を造営する。紫上の父・式部卿の五十賀を挙行するのが最初の目的であった。
48 新年。賀の準備を紫上始める。
49 式部卿の忸怩たる思い。北の方、女御、光源氏への不満隠さず。
50 八月。六条院完成。四町を区分して、未申の町は秋好中宮、辰巳は光源氏と紫上と明石姫君。丑寅は花散里、戌亥は明石御方と定める。それぞれ、秋、春、夏、冬の御殿とした。
51 彼岸の頃、紫上移る。花散里も一緒に。
52 五六日経て、中宮移る。
53 九月。六条院の見事な紅葉の季節。秋好中宮、紫上に紅葉を贈る。紫上の返歌。春秋の争いは来春に持ち越す。
54 十月、明石御方、大堰から六条院に移る。

★光源氏の教育方針
 四位になしてんと思し、世人もさぞあらんと思へるを、まだいときびはなるほどを、わが心にまかせたる世にて、しかゆくりなからんもなかなか目馴れたることなりと思しとどめつ、浅葱にて殿上に還りたまふを、大宮は飽かずあさましきことに思したるぞ、ことわりにいとほしかりる。御対面ありて、このこと聞こえたまふに、「ただいま、かうあながちにしも、まだきにおひつかすまじうはべれど、思ふやうはべりて、大学の道にしばし習はさむの本意はべるにより、いまニ三年をいたづらの年に思ひなして、おのづから朝廷に仕うまつりぬべきほどにならば、いま人となりはべりなむ。みづからは、九重の中に生ひ出ではべりて、世の中のありさまも知りはべらず、夜昼御前にさぶらひて、わづかになむ、はかなき書なども習ひはべりし。ただ、かしこき御手より伝へはべりしだに、何ごとも広き心を知らぬほどは、文の才をまねぶにも、琴笛の調べにも、音たへず及ばぬところの多くなむはべりける。はかなき親に、かしこき子のまさる例は、いと難きことになむはべれば、まして次々と伝はりつつ、隔たりゆかむほどの行く先、いとうしろめたなきによりなむ、思ひたまへおきてはべる。高き家の子として、官爵心にかなひ、世の中さかりにおごりならひぬれば、学問などに身を苦しめむことは、いと遠くなむおぼゆべかめる。戯れ遊びを好みて、心のままなる官爵にのぼりぬれば、時に従う世人の、下には鼻まじろぎをしつつ、追従し、気色とりつつ従ふほどは、おのづから人とおぼえてやむごとなきやうなれど、時移り、さるべき人に立ちおくれて、世おとろふる末には、人に軽め侮らるるに、かかりどころなきことになむはべる。なほ、才をもととしてこそ、大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ。さし当たりては心もとなきやうにはべれども、つひの世の重しとなるべき心おきてをならひなば、はべらずなりなむ後もうしろやすかるべきによりなむ。ただ今ははかばかしからずながらも、かくてはぐくみはべらば、せまりたる大学の衆とて、笑ひ侮る人もよもはべらじと思うたまふる」など聞こえ知らせたまへば……。 

★史記
史記の内容。本紀(歴代王朝の年代記)12編、表(列国の年表)10編、書(国家ノ制度・文化・技術)8編、世家(諸侯の年代記)30編、列伝(個人の伝記)70編。全百三十編に及ぶ。これを四五ヵ月で読破するのは尋常の沙汰ではない。おそらく紫式部の体験をいっているりではないかと思われる。全巻の六国史全巻通暁と同じ発想か。

★大学論
大学とは、「つひの世のおもしとなるべき心おきてを習」うところであった。三善清行の『意見十二箇条』の第三『請加給大学生徒食料事」に「国を治むるの道は賢能を源となす。賢を得るの方は学校を本となす」とある。「せまりたる大学の衆」というのが、当時の大学人に対する世間の認識であったものと知れる。貧乏、偏屈といった印象である。実際、ここに見える大学教授の装束は借り着である。彼らの作法も、失笑を買うほど変わっていた。大学をでても仕官できず、あたら白頭の老人となる現実を見て、親は子に大学を勧めなくなったという現実が、同じく三善清行の『意見十二箇条』の第三「請加給大学生徒食料事」に描かれている。これは、貴族社会の自殺行為であるという認識が作者にあったのではないか。学者の娘に生れた紫式部の、自然な認識である。

★斎宮女御立后の強行
斎宮女御立后の一件は、光源氏のゴリ押し人事。先帝の内親王・藤壷、そして前坊の王女である前斎宮と「源氏のうちしきり后にゐたまはむこと」は問題である。「弘徽殿の、まづ人より先に参りたまひしもいかが」などと世の人が思うのも当然のことである。また、帝と一番血の繋がりの強い式部卿の娘・王女御が中宮になっても不思議ではない。本文も、そこのところを意識して、王女御の記事にページ数を割いている。本来的にいえば、光源氏が一番血の繋がりが濃いのであるが、それは絶対の秘密。帝が、その秘密を知っているということが、光源氏の政治権力の源泉である。前巻で、夜居僧の密奏が必要であった理由であろうるこのことは、式部卿家にとっては、よもやのことである。したがって光源氏の行為は、藤原氏や式部卿家、そして貴族全体にとって、不可解以外のなにものでもなかったのではないか。「御幸ひの、かく引きかへすぐれたまへりけるを、世の人おどろききこゆ」。

★藤壷初期の風景
光源氏と藤壷の筒井筒の恋の風景が描かれなかったのは、夕霧と雲居雁の幼い恋を描く、この巻とのバランスを考えたためであろう。これは、前巻で朝顔に朝顔を贈るシーンを、ようやく描いたのと同工異曲。「はかなき花紅葉につけても」という記述など桐壷巻の記述を意識したもので、これはその暗示だと考えられる。雲居掛雁は現在十四歳。藤壷が光源氏に深入りしたのも、この頃であったと推測されよう。

★内大臣の思いは紫上の思い
夕霧と雲居雁の実体を知った内大臣の思いに注目。夕霧と雲居雁の結婚自体は悪いことではない。「めづらしげなきあはひに世人も思ひ言ふべきこと」が問題なのだ。「めづらしげなきあはひ」ということであれば、紫上と光源氏の結婚も、ずるずるといったもので、この若い二人と大差ない。このことは、後、女三宮の結婚の時、紫上の心理的負い目となっている。この紫上の心理的負い目は、前巻で覚醒し、ここでさらに強調され、若菜巻への繋ぎとなっているわけである。

★やんぬるかな筑紫五節
五節の参る儀式は、いづれともなく心々に二なくしたまへるを、舞姫の容貌、大殿と大納言殿とはすぐれたりとめでののしる。げにいとをかしげなれど、ここしううつくしげなることは、なほ大殿のにはえ及ぶまじりかりけり。ものきよげにいまめきて、そのものとも見ゆまじうしたてたる様体などのありがたうをかしげなるを、かうほめらるるなめり。例の舞姫どもよりはみなすこしおとなびつつ、げに心ことなる年なり。殿参りたまひて御覧ずるに、昔御目とまりたまひし少女の姿思し出づ。辰の日の暮つ方つかはす。御文の中思ひやるべし。
   をとめごも神さびぬらし天つ袖ふねき世の友よはひ経ぬれば
年月の積りを数へて、うち思しけるままのあはれをえ忍びたまはぬばかりのをかしうおぼゆるもはかなしや。
   かけていへば今日のこととぞ思ほゆる日かげの霜の袖にとけしも
青摺の紙よくとりあへて、紛らはし書いたる濃墨、薄墨、草がちにうちまぜ乱れたるも、人のほどにつけてはをかしと御覧ず。

★朱雀院への行幸
二月二十日余り。朱雀院の行幸とは、昔懐かしい響き。あれは桐壷時代最大の行事であった。光源氏が青海波を舞った日。が、これは季節からして、紅葉賀というより「昔の花の宴のほどおぼし出でて」とあるごとく、花宴巻と照応する構成にずらしている。光源氏の歌に注目したい。「鶯のさへずる声は昔にてむつれし花の蔭ぞかはれる」。「世代交代」。この巻はこのキーワードで全てが解釈できそうである。

★六条院の成立
「六条京極のわたりに、中宮の御古き宮のほとりを、四町を占めて造らせたまふ」。六条御息所の家をとりかこむかたちで、光源氏は六条院を造ったことが知れる。例の夕顔を死なせた某院もその中に含まれるのではないか。桐壷族の夢の跡。今、光源氏は過去の夢を、さらに拡大して復活させたのだと読みたい。また、その位置・規模からして、六条院は、源融の六条河原院の面影を宿す。天皇になりたくて天皇になれず、しかたなく天皇のように生きた融のイメージを援用して作者は光源氏の栄華を語っている。そして、河原院が海をもつ結構であったという事実も、源氏物語上においては重大であろう。これによって、松風巻で籠宮の秘宝「夜光る玉」と表現された明石姫君が生活する場として、六条院は実に相応しい施設となる。四季を取り込む構想も、「都の龍宮」という作者からのメッセージであろう。なお、この六条院建設の動機が、紫上の父・式部卿の五十賀のためであるとされているのは、紫上がこの世界の主宰者であるということ。朝顔巻で揺らいだ紫上の補強工作ともなっている。彼女は、しばらくは大丈夫と思ってよい。

 <玉鬘巻>

第二十二回 玉鬘巻・筑紫から来た夕顔の面影

★この巻の内容
 1 光源氏、夕顔を忘れられず。右近、生きていたらと無念の思い。
 2 忘れ形見・玉鬘、四歳の時、乳母の夫少弐となる。つれられて筑紫に下る。
 3 その折の乳母の思い。夕顔の事、父君・内大臣のこと。
 4 海路。大島、金の岬。
 5 乳母、夕顔の夢見が悪く、観念する。
 6 少弐任期満了するも帰京適わず。病気になり、息子達に玉鬘帰京のことを遺言する。
 7 少弐死亡。帰京のことままならず。玉鬘成長。夕顔以上の美形、品性のある女性となる。
 8 玉鬘へ求婚するもの多し。片端と偽り、帰京のこと焦燥する。娘たち土地に居つく。
 9 玉鬘、二十歳。肥前に住む。
10 肥前の豪族・大夫監、玉鬘に求婚する。次郎と三郎、賛成する。
11 大夫監、やって来る。乳母とのやりとり。歌の贈答あり。田舎びた振る舞い。四月廿日の結婚を目論む。
12 太郎・豊後介、身を棄てて玉鬘を上京させる。あてき(兵部君)同道。姉は現地に残る。
13 早船で上京。豊後介、後悔無きにしも非ず。
14 九条の仮住まい。生活不如意。従者、九州に逃げ帰る者続出。
15 石清水八幡宮に祈る。
16 初瀬へ徒歩による参詣の旅に出る。四日かかり椿市に到着。宿をとる。
17 同じ日、同じ所に右近到着。
18 右近、玉鬘一行に気付く。旧知の三条を呼ぶ。
19 右近、乳母と対面。夕顔の死を告げ、涙にくれる。立派に成長した玉鬘に感動する。
20 混み合う御堂で、右近、席に招く。三条の田舎びた祈りを右近笑う。
21 右近、玉鬘の美しさを、紫上に匹敵すると思う。
22 父君との対面を願う乳母。光源氏の話をする右近。かみ合わず。
23 右近、玉鬘と贈答。夕顔に勝る玉鬘の不思議。
24 後会を約束して、帰京。
25 右近、六條院へ。
26 光源氏、右近をからかう。右近、玉鬘発見をほのめかす。
27 右近、紫上の美しさに、「幸い」を思う。
28 光源氏の問に、右近、玉鬘発見のことを言う。紫上も聞く。
29 光源氏、玉鬘を六条院に引き取り、花形にしようと思う。
30 光源氏、玉鬘に消息。贈り物数多。紫上からも。
31 ためらう玉鬘を右近説得する。玉鬘、返歌。光源氏、これを見て安堵する。玉鬘を、花散里のすむ丑寅の町の西の対とすることに決定。
32 光源氏、紫上に夕顔の思い出を語る。生きていれば明石御方並にはと語る光源氏に、紫上、反論する。
33 十月。玉鬘、六条院に入る。
34 光源氏、花散里に玉鬘の世話を依頼する。花散里、喜んで引き受ける。
35 光源氏、玉鬘に対面する。夕顔に似た声に感慨を覚える。
36 光源氏、紫上に玉鬘の今後を語る。六条院の花形構想。紫上、夕顔への光源氏の思いの深さを思う。
37 夕霧にも事情を語る。真面目な夕霧、姉の世話をする決意。
38 玉鬘周辺の仕合わせ。三条の喜び。大夫監の疎ましさ。豊後介、家司となり満足する。
39 年末。紫上と光源氏、御方々に正月用の晴着を用意する。明石姫君。花散里。玉鬘。末摘花。明石御方。空蝉。
40 東院の末摘花より、返礼の衣裳と歌が届く。
41 光源氏、古代の歌よみを批評する。あわせて女子教育の要諦を述べる。

★巻々の流れ
玉鬘、二十歳の登場。これは、玉鬘が母、夕顔の年齢に達したということ。彼女の空白の年代、つまり北九州に封印された時代は、玉鬘が夕顔になるための秘儀ともいうべき時間なのだと理解したい。玉鬘は夕顔巻で途切れた夕顔の時間を繋ぐ存在なのである。光源氏の心理に則して言えば、彼はまもなく、玉鬘という夕顔の忘れ形見に遇うのではなく、夕顔本人に出会うことになる。過去の再現。これは、過去でありながら過去でなかった朝顔とは、様相を異にし、事態をより深刻にする。玉鬘は夕顔だが、光源氏はあれから二十年老いていて、光源氏ではない。光源氏が前々巻の朝顔になっている。否も応も無い世代交代。この巻が朝顔巻に心理的に連続し、世代交代の印象が鮮烈であった前巻・少女の次に位置するというところ、絶妙の構成といえよう。

★地方豪族・大夫の監
大夫の監と描写。徹底して、田舎者を馬鹿にする視点でもって貫かれている。が、細部に注目すると、無視できない点がかなりある。玉鬘と結婚したら「私の君」と思う。これは、空蝉と結婚した伊予介の感情と同じである。数多くの女を囲っている。これは、ミニ六条院の趣である。さしずめ言えば、大夫の監は「田舎の光源氏」なのだ。「なにがしら、田舎びたりといふ名こそはべれ、くちをしき民にははべらず。都の人とても、何ばかりかあらむ。みな知りてはべり。なおぼしあなづりそ」という自信。これは陳渉的自信である。「王侯将相寧有種乎」。端倪すべからざるものではないか。「国のうちの仏神は、おのれになむ靡きたまへる」。紫式部は、こういう地方の侮りがたい実力、『史記』や『今昔物語』的世界を充分に意識して源氏物語を描いていて、これから『源氏物語』で華やかに展開することになる王朝貴族の夢舞台・六条院を相対化し、手放しの礼賛を避けようとしている。近い将来、ここに描かれた大夫の監的世界が、貴族社会を滅亡させるのだという予感があったのではないか。

★長谷寺。観音信仰
熊野信仰がまだ始まっていなかった紫式部時代は、長谷寺が観音霊場として、もっとも効験のあるところであった。京都から門前の椿市まで、徒歩で四日。御籠りの日数をいれると約十日の往還である。現世の願いを叶えてくれる観音信仰は絶対の人気があり、初瀬詣ではひきもきらなかった。『源氏物語』においては、この玉鬘巻が有名であるが、浮舟が登場する宇治十帖後半においても、殷賑振りは随所に見られる。ちなみに、長谷寺にまつわる和歌を紹介しておこう。
 初瀬に詣ずるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、程経て至れりければ、かの家の主、かく定かになむ宿りはあると、言い出だして侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りて、よめる
     ひとはいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける     古今集巻第一春歌上
 かくいひていれたれば、思ひのほかにいたせる
     花だにもおなじ香ながらさくものを植ゑたる人の心しらなむ    貫之集第十雑
 題しらず     よみ人知らず
     初瀬川ふる河の辺に二本ある杉年をへて又もあひ見む      古今集巻第十九雑体 藤原兼輔
     祈りつつ頼みてわたる初瀬川うれしき瀬にも流れ合ふやと    古今六帖

★右近の祈り
「この人をいかで尋ねきこえむと申しわたりつるに、かつがつかくて見たてまつれば、今は思ひのごと、大臣の君の、尋ねたてまつらむ御心ざし深かめるに、知らせたてまつりて、幸いあらせたまへ」。

★三条の祈り
 国々より、田舎人多く詣でたりけり。この国守の北の方も詣でたりけり。いかめしく勢ひたるをうらやみて、この三条が言ふやう、「大悲者には、他事も申さじ。あが姫君、大弐の北の方ならずは、当国の受領の北の方になしたてまつらむ」と額に手を当てて念じ入りてをり。右近、いとゆゆしくも言ふかな、と聞きて、「いと、いたくこそ田舎びにけれな。中将殿は、昔の御おぼえだにいかがおはしましし。まして、今は天の下を御心にかけたまへる大臣にて、いかばかりいつかしき御仲に、御方しも、受領の妻にて品定まりて
おはしまさむよ」と言へば、「あなかま、たまへ。大臣たちもしばし待て。大弐の御館の上の、清水の御寺観世音寺に参りたまひし勢ひは、帝の行幸にやは劣れる。あなむくつけ」とて、なほさらに手をひき放たず拝み入りてをり。

★紫上の年令
紫上の年齢。二十七八歳。紫上の年齢が明確に書いてあるのは珍しい。以後彼女は、若菜下巻で一旦死ぬ三十七歳まで年齢は書かれていない。若菜上巻で、彼女の美しさは頂点に達するように書かれているから、この時も、彼女の美しさは上昇の一途をたどっていることが分かる。光源氏は、紫上より五歳くらい年上であったから、光源氏の年齢も三十代前半だと心得てこのあたりを読むといい。玉鬘との年齢差は十数歳である。

★玉鬘との対面
 その夜、やがて、大臣の君渡りたまへり。昔、光源氏などいふ名は聞きわたりたてまつりしかど、年ごろのうひうひしさに、さしも思ひきこえざりけるを、ほのかなる大殿油に、御几帳の綻びよりはつかに見たてまつる、いとど恐ろしくさへぞおぼゆるや。渡りたまふ方の戸を、右近かい放てば、「この戸口に入るべき人は、心ことにこそ」と笑ひたまひて、廂なる御座についゐたまひて、「灯こそいと懸想びたる心地すれ。親の顔はゆかしきものとこそ聞け、さも思さぬか」とて、几帳すこし押しやりたまふ。わりなく恥づかしければ側みておはする様体など、いとめやすく見ゆれば、うれしくて、「いますこし光見せむや。あまり心にくし」とのたまへば、右近かかげてすこし寄す。源氏「面なの人や」とすこし笑ひたまふ。げにとおぼゆる御まみの恥づかしげさなり。いささかも他人と隔てあるさまにものたまひなさず、いみじく親めきて、「年ごろ御行く方を知らで、心にかけぬ隙なく嘆きはべるを、かうて見たてまつるにつけても、夢の心地して、過ぎにし方のことども取り添へ、忍びがたきに、えなむ聞こえられざりける」とて、御目おし払ひたまふ。まことに悲しう思し出でらる。御年のほど数へたまひて、源氏「親子の仲のかく年経たるたぐひあらじものを、契りつらくもありけるかな。今は、ものうひうひしく若びたてまふべき御ほどにもあらじを、年ごろの御物語なども聞こえまほしきに、などかおぼつかなくは」と恨みたまふに、聞こえむこともなく恥づかしければ、「脚立たず沈みそめはべりにける後、何ごともあるかなきかになむ」とほのかに聞こえたまふ声ぞ、昔人にいとよくおぼえて若びたりける。ほほ笑みて、「沈みたまへりけるを、あはれとも、今はまた誰かは」とて、心ばへ言ふかひなくはあらぬ御答へと思す。右近に、あるべきことのたまはせて、渡りたまひぬ。 
 めやすくものしたまふを、うれしく思して、上にも語りきこえたまふ。「さる山がつの中に年経たれば、いかにいとほしげならんと侮りしを、かへりて心恥づかしきまでなむ見ゆる。かかるものありと、いかで人に知らせて、兵部卿宮などの、この籬の内好ましうしたまふ心乱りにしがな。すき者どもの、いとうるはしだちてのみこのわたりに見ゆるも、かかるもののくさはひのなきほどなり。いたうもてなしてしがな。なほうちあはぬ人の気色見あつめむ」とのたまへば、「あやしの人の親や。まづ人の心励まさむことを先に思すよ。けしからず」とのたまふ。源氏「まことに君をこそ、今の心ならましかば、さやうにもてなして見つべかりけれ。いと無心にしなしてしわざぞかし」とて笑ひたまふに、面赤みておはする、いと若くをかしげなり。硯ひき寄せたまうて、手習に、
「恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなるすぢを尋ね来つらむ
あはれ」とやがて独りごちたまへば、げに深く思しける人のなごりなめりと見たまふ。
(注)
かぞいろはあはれとみずや蛭の子はみとせになりぬ足たたずして
  蛭の子のことかみに見えたり。
  かぞいろは父母をいふなるべし         
     日本紀竟宴和歌天慶六年
中将にて内にさぶらひける時、相知りたりける女蔵人の曹司に、壷やなぐひ・老懸を宿し置きて侍りけるを、俄に事ありて、遠き所にまかり侍りけり。この女のもとより、この老懸をおこせて、あはれなる事など言ひて侍りける返事に
      源善朝臣
いづくとて尋ね来つらむ玉かづら
   我は昔の我ならなくに
              後撰集巻第十八雑四

★新春のための衣裳を配る
陣容の整った六条院。王朝貴族の黄金の日々が開始する。手始めは、豪華絢爛たる新春のための衣裳が、紫上から配られる。衣裳は、御方々の人柄と風貌に配慮してある。列挙すれば、
紫上=紅梅のいと紋浮きたる葡萄染の御小袿、今様色のいとすぐれたる
明石姫君=桜の細長に、つややかなる掻練取り添へ
夏の御方(花散里)=浅縹の海賦の織物、織りざまなまめきたれど、にほひやかならぬに、いと濃き掻練具して
西の対(玉鬘)=曇りなく赤きに、山吹の花の細長
末摘花=柳の織物の、よしある唐草を乱れ織れる
明石御方=梅の折枝、蝶、鳥、飛びちがひ、唐めいたる白き小袿に、濃きがつややかなるを重ねて
空蝉の尼君=青鈍の織物、いと心ばせあるを見つけたまうて、御料にある梔子の御衣、聴し色なる添えて

★末摘花の健在
型通りお礼をする末摘花の律儀さは、昔のまま。彼女の歌、「唐衣」好きも千編一律である。こうなると、彼女の人生も、ある種の凄味を帯びる。彼女の目からすれば、光源氏の歌など軽佻浮薄の見本であろう。彼女は、一世代前の文化を今に伝える貴重な存在である。その文化こそ、光源氏の親の世代の栄華の名残。末摘花の存在理由もそこにある

★光源氏の女子教育論
すべて女は、たてて好めること設けてしみぬるは、さまよからぬことなり。何ごともいとつきなからむは口惜しからむ。ただ心の筋を、漂はしからずもてしづめおきて、なだらかならむのみなむ、めやすかるべかりける
これは、末摘花批判として述べられたものであるが、現在進行中の、紫上による明石姫君教育の方針をはからずも露呈したものといえる。前巻で強調された夕霧教育論とも矛盾しないし、遠く雨夜品定めの議論と比較しても、そのポリシーは不変である。

 <初音巻>

第二十三回 初音巻・六条院は生ける仏の御国

★この巻の内容
 1 新春の晴れやかさ。言葉の追いつかぬ六条院の情景
 2 紫上の御殿。さながら「生ける仏の御国」
 3 歯固、鏡餅。正月の行事
 4 光源氏と女房のやりとり。新春の祈願と寿詞
 5 夕方。御方々へ、光源氏の参座
 6 光源氏から紫上への寿詞。「めでたき御あはひ」。この年の元旦は子の日
 7 明石姫君の許へ。小松を引く風景。母よりの文あり。光源氏、姫君に返事を書かせる
 8 花散里を訪問。静かなたたずまい。盛りを過ぎた花散里。心の重さを光源氏評価する
 9 次いで、玉鬘の許へ。美しく華やかな雰囲気。光源氏、春の御殿訪問を勧める。玉鬘喜ぶ
10 暮れ方。明石御方訪問。本人姿見えず。あたりの気高い様子。草子。唐の東京錦。琴。侍従と衣被の香
11 光源氏、明石御方の手習を見る。姫君のへの返歌あり
12 明石御方の登場。なまめかしくなつかしい。光源氏、ここに泊る
13 あけぼのの頃、光源氏、紫上の許に帰る。いぎたなきうたた寝と弁解。紫上不興
14 二日。上達部、親王など全員参賀に訪れる。光源氏に匹敵する者皆無。若い上達部、玉鬘を意識して緊張する。管弦の遊び。
15 六条院の蓮の咲く世界と蕾の世界。東院は、「世のうきめ見えぬ山路」
16 光源氏、東院訪問。末摘花の様子。光源氏の優しい心遣い
17 白髪。鼻の色。皮衣は醍醐の阿闍梨に取られる。光源氏の「世のつねならぬ花」の歌
18 空蝉を訪れる。仏道三昧の日常。光源氏、往時を語り、宿縁を思う
19 光源氏、東院におけるその他の方々を訪れ、なぐさめる
20 男踏歌あり。内裏から朱雀院を経、六条院に夜明け方到着
21 御方々、対渡殿に局して見物。玉鬘、寝殿の南に渡る。姫君に対面、紫上に挨拶する
22 夕霧や内大臣の子息の華やかな歌舞
23 日高いころに起きた光源氏、紫上に歌舞を評し、夕霧の自慢をする。「なさけだちたる筋」は今が昔を凌駕している
24 光源氏、集まった女君たちに後宴を提案。女楽が行われた模様

★生ける仏の御国
光源氏に釈迦のイメージがあることは、これまで度々指摘してきた。作者がこの巻で、落成した光源氏の六条院を「生ける仏の御国」と表現したことは、いよいよもって光源氏イメージを釈迦とする処置を露骨に表示したといえなくもない。光源氏が釈迦なら、光源氏に出会った人はみな救われる。六条院にいる人は当然として、二条東院に収容されている人も、光源氏、つまり仏の世界にいるのであるから間違いなく救済された人々ということになろう。なお、この「仏」は文字通り仏と解釈すべきで、阿弥陀仏と考え、六条院を極楽浄土と考えるのは、慎重にしたほうがよいと思う。仏がいなくなった後の物語としての宇治十帖の把握や、浄土教の恵心僧都源信の面影がある横川僧都の、腰のくだけた人物造形を考えると、その思いを深くする。

★鶯の初音
姫君の御方に渡りたまへれば、童、下仕など御前の山の小松ひき遊ぶ。若き人々の心地ども、おき所なく見ゆ。北の殿よりわざとがましくし集めたる髪籠ども、破子など奉れたまへり。えならぬ五葉の枝にうつる鶯も思ふ心あらんかし。
  「年月をまつにひかれて経る人にけふ鶯の初音きかせよ
音せぬ里の」と聞こえたまへるを、げにあはれと思し知る。事忌もえしたまはぬ気色なり。「この御返りは、みづから聞こえたまへ。初音惜しみたまふべき方にもあらずかし」とて、御硯取りまかなひ、書かせたてまつらせたまふ。いとうつくしげにて、明け暮れ見たてまつる人だに、飽かず思ひきこゆる御ありさまを、今までおぼつかなき年月の隔たりけるも、罪得がましく心苦しと思す。
 ひきわかれ年は経れども鶯の巣だちし松の根をわすれめや
幼き御心にまかせてくだくだしくぞある。

★かばかりの宿世・花散里の実体
夏の御住まひを見たまへば、時ならぬけにや、いと静かに見えて、わざと好ましきこともなく、あてやかに住みなしたまへるけはひ見えわたる。年月にそへて、御心の隔てもなく、あはれなる御仲らひなり。今は、あながちに近やかなる御ありさまも、もてなしきこえたまはざりけり。いと睦ましく、ありがたからむ妹背の契りばかり聞こえかはしたまふ。御几帳隔てたれど、すこし押しやりたまへば、またさておはす。縹(紫色の衣裳)は、げににほひ多からぬあはひにて、御髪などもいたく盛り過ぎにけり。やさしき方にあらねど、葡萄鬘(えびかつら)してぞつくろひたまふべき。我ならざらん人は見ざめしぬべき御ありさまを、かくて見るこそうれしく本意あれ、心軽き人の列(れい)にて、我に背きたまひなましかば、など、御対面のをりをりには、まづわが御心の長さも、人の御心の重きをも、うれしく思ふやうなりと思しけり。こまやかに古年の御物語などなつかしう聞こえたまひて、西の対へ渡りたまふ

★明石に泊る
暮れ方になるほどに、明石の御方に渡りたまふ。近き渡殿の戸押し開くるより、御簾の内の追風、なまめかしく吹き匂はかして、ものよりことに気高く思さる。正身は見えず。いづら、と見まはしたまふに、硯のあたりにぎははしく、草子どもとり散らしたるを取りつつ見たまふ。唐の綺のことごとしき縁さしたる茵(しとね)に、をかしげなる琴うちおき、わざとめきよしある火桶に、侍従をくゆらかして、物ごとにしめたるに、えび香の香の粉へるいと艶なり。手習どもの乱れうちとけたるも、筋変り、ゆゑある書きざまなり。ことごとしう草がちなどにもざえがらず、めやすく書きすましたり。小松の御返りをめづらしと見けるままに、あはれなる古言ども書きまぜて、
   「めづらしや花のねぐらに木づたひて谷のふる巣をとへる鶯
声待ち出でたる」などもあり。「咲ける岡辺に家しあれば」など、ひき返し慰めたる筋など書きまぜつつあるを、取りて見たまひつつほほ笑みたまへる。恥づかしげなり。筆さし濡らして、書きすさみたまふほどに、ゐざり出でて、さすがにみづからのもてなしはかしこまりおきて、めやすき用意なるを、なほ人よりは異なりと思す。白きに、けざやかなる髪のかかりのすこしさはらかなるほどに薄らぎにけるも、いとどなまめかしさ添ひてなつかしければ、新しき年の御騒がれもやと、つつましけれど、こなたにとまりたまひぬ。なほ、おぼえ異なりかしと、方々に心おきて思す。南の御殿には、ましてめざましがる人々あり。まだ曙のほどに渡りたまひぬ。かくしもあるまじき夜深さぞかしと思ふに、なごりもただならず、あはれに思ふ。待ちとりたまへる、はた、なまけやけしと思すべかめる心のうち憚られたまひて、「あやしきうたた寝をして、若々しかりけるいぎたなさを、さしもおどろかしたまはで」と御気色とりたまふもをかしく見ゆ。ひとなる御答へもなければ、わづらはしくて、空寝をしつつ、日高く大殿籠り起きたり。

★三グループの位置取り
@ 蓮の花が開いた
 紫上・明石姫君
A 蓮がまだ開いていない
 花散里・玉鬘・明石御方
B 世の憂さの無い山路
 末摘花・空蝉など二条東院の人々
光源氏というこの世の仏に繋がった人々の実体。東院グループにしても、たとえ不満はあっても、仏に会える限り、救われているという構図であろう。極楽往生の階位は、大きく上品・中品・下品の三段階に分かれ、それぞれがまた上中下に区分され、全体で九段階に分けられる。この三グループは、上品・中品・下品に対応するという発想であろう。この巻は、光源氏というこの世の世界の全容を読者に開示したということであろう。

★末摘花の現在
唯一の美点であった黒髪は滝の淀みのような白髪になっている。鼻は霞に隠れず華やかに赤い。黒貂の皮衣は、彼女が世話をしている兄・醍醐の阿闍梨に取られた。この兄の鼻も赤い。光源氏の歌、
    ふるさとの春の梢にたづね来て世の常ならぬ花を見るかな
末摘花の徹底した道化ぶりは、六条院の花形・玉鬘の田舎振りを消す作用がある。末摘花の存在によって玉鬘は
六条院の近江君となにないで済んだ。かって末摘花の風貌が、光源氏の中の夕顔イメージを粉砕したことに思いを致せば、彼女と夕顔母子の因縁も浅いものではない。

★空蝉の尼衣
光源氏の仏のイメージで覆われるこの巻で、尼姿で登場する空蝉の意味は重い。光源氏は、敬虔な仏教徒である空蝉を通路として仏になる可能性があるからである。また、逆に、空蝉こそ光源氏の使徒であるという読みも可能であろう。源氏物語最後のヒロイン・浮舟の最後の姿を空蝉とする恣意的操作を理解する鍵もまた、この巻にありそうである。

★男踏歌
今年は男踏歌あり」とある。男踏歌は円融天皇の天元六年(983)以降絶えている。紫式部時代には無かった行事。これをわざわざ使用したのには理由があるのだろうか。大陸伝来の「世離れたるさま」の踏歌であるから、光源氏文化に
ふさわしい行事だと判断したためであろうか。この男踏歌が、春の御殿の前、つまり紫上の前で行われる。六条院の御方々が皆招かれて、「左右の対、渡殿などに、御局しつつ」見物したということは、紫上を頂点とした六条院のオールキャスト、光源氏の参座以来二度目の顔見せという意味合いがあろう。紫上の栄華、ここに極まるの図であろう。男踏歌の見物という機会を利用して、早速に、玉鬘は明石姫君と対面している。紫上とも几帳ごしに挨拶を交わしている。明石御方も招かれ、すぐ近くまで来ているはずだが、作者がそのことに全く触れようとしないのも、にくらしい構成である。これで、いよいよ明石御方は哀れを醸す。

★夕霧の成長。光源氏の親馬鹿
「中将の声は、弁少将にをさをさ劣らざめるは。あやしく有識ども生ひ出づるころほひにこそあれ。いにしへの人は、まことに賢き方やすぐれたることも多かりけん、情だちたる筋は、このごろの人にえしもまさらざりけんかし。中将などをば、すくすくしき公人にしなしてんとなむ思ひおきてし。みづからのあざればみたるかたくなしさをもて離れよと思ひしかど、なほ下にはほのすきたる筋の心をこそとどむべかめれ。もてしづめ、すくよかなるうはべばかりは、うるさかめり」など、いとうつくしと思したり。

★私の後宴。女楽の省筆
「私の後宴」を催すために秘蔵の琴を光源氏がとりだす。この場面で、作者はこの巻を閉じている。この後、居残った女君を集めて六条院女楽が行われたことが想像される。作者は、この場面を省略している。若菜下巻の、絢爛たる女楽を書くために、わざとそうしたのだろうと思われる。