源氏物語6…胡蝶巻 ・ 蛍巻 ・ 常夏巻 ・ 篝火巻 ・ 野分巻

 <胡蝶巻>

第二十四回 胡蝶巻・龍頭鷁首の船、胡蝶の舞

★この巻の内容
 1 三月二十余日。依然たる春の御前の美しさ。龍頭鷁首の唐船を建造。水進式を行う。
 2 中宮方の女房を船に乗せ、紫上方に漕いで出る企画を実行。紫上の女房たちは、東の釣殿で待機。
 3 船より眺める美景。柳。桜。藤。山吹。詩歌管弦の遊び。ひねもすに及び、暮方にようやく釣殿に到着。
 4 夜。篝火のもと、夜を徹しての遊宴。門のあたりに見物の群衆あり。
 5 翌朝、秋好中宮のくやしい思い。
 6 玉鬘に思いを寄せる人多し。何も知らぬ柏木もその一人。
 7 三年前北の方を失った兵部卿、玉鬘を志す。光源氏との贈答。
 8 この日、中宮、季の御読経。正装した殿上人、全員参加する。
 9 紫上方より、仏に花を奉る。鳥と蝶の装束をした童八人、船に乗って中宮の許に漕ぎ出る。紫上の消息は、夕霧が手渡す。
10 紫上の歌は、少女巻末の中宮歌への返歌。中宮方、春に脱帽。それぞれへの禄あり。中宮より紫上に手紙が届く。
11 玉鬘の人柄よし。紫上方も花散里方もみな好意をもつ。
12 玉鬘への思い。光源氏。何も知らぬ夕霧。
13 内大臣の子息たち。玉鬘の内心。
14 衣更えの季節。玉鬘への懸想文増える。光源氏の満足。
15 兵部卿からの文を見て、光源氏の兵部評。髭黒からの文もある。「恋の山には孔子のたふれ」
16 「岩漏る水」と詠んだ文。光源氏、問うね不明。
17 光源氏、右近を呼び、懸想文にたいする理想的応対を語る。
18 はなやかな玉鬘。光源氏の忸怩たる思い。右近の思い。そして弁明。
19 先の文の主を右近に聞く。内大臣の子息・中将(柏木)と知り、柏木を褒めつつ、しげしげと文を見る。
20 光源氏、玉鬘を諭す。兵部卿の性格と問題点を述べる。髭黒家の事情を語り、自分を母代わりと思えと言う。気持ちを仄めかすも、通ぜず。
21 光源氏、玉鬘、竹の子の贈答。物語を読むにつけ、玉鬘、次第に光源氏の有難さを知るようになる。
22 光源氏、玉鬘のことを紫上に語る。紫上、玉鬘を危ぶみ同情。光源氏、反省する。
23 雨あがりの夕刻。光源氏、玉鬘を訪ねる。夕顔の俤に、たまらず手を取り、思いを語る。そい臥す光源氏に玉鬘困惑する。
24 昔恋しい慰めだという光源氏の弁明。
25 翌朝。光源氏より後朝めいた文が届く。玉鬘、文のみの返事。
26 光源氏に大事にされていると聞き、兵部卿・髭黒、さらに熱心に懸想する。柏木も、光源氏に認知されたと知り、さらに熱を入れる。

★龍頭鷁首
紫式部の時代から、池に二艘の船を浮かべ、そこで唐楽を演奏し、舞をまわせることが行われた。それぞれの船の舳先に、龍と鷁がつけられていた。鷁とは大型の水鳥である。これは水神鎮撫のための飾り、『紫式部日記』にも、この胡蝶巻とよく似た場面で龍頭鷁首の船の記述がある。

★神仙郷
紫上の世界に出たとたん、船上の中宮の女房たちは「まことの知らぬ国に来た」という感想をもつ。中宮の世界がこの世。紫上の世界は異界という発想をおさえておく必要がある。「斧の柄も朽いつべう思ひつつ、日を暮ら」した彼女たちの作った歌の一つ、「亀の上の山もたづねじ船のうちに老いせぬ名をばここに残さむ」の歌は、紫上の春が蓬莱の国、不老不死の神仙郷であるという発想である。「行く方も、帰らむ里も忘れぬべう」という中宮女房の思いも同様の発想である。「斧の柄」の発想は、松風巻に既出。六条院春の御殿が、松風巻における「大井亀山」と同じ発想で貫かれていることに注目したい。ここは、光源氏の世界の「夜光る玉」である明石姫君がいる神仙世界、つまり「都の籠宮」なのである。船の強調も、籠宮の縁語として了解すべき事柄ではないか。

★安名尊(あなとうと)
「あな尊と 今日の尊とさ や昔も はれ 昔も 斯くやありけむ や 今日の尊さ あはれ そこよしや 今日の尊さ」。
明石入道の若き日、光源氏の祖父と祖母の栄耀栄華の日々が、今復活したという光源氏の心理を、この催馬楽で表現していると考えると、六条院の意味や成立事情がよく分かろう。

★紫上の返歌
紫上が中宮に贈った歌「花園の胡蝶をさへや下草に秋まつむしはうとく見るらむ」は、同じく中宮が、去年の秋、紫上に贈った歌「心から春まつ園はわがやどの紅葉を風のつてにだに見よ」の返歌である。あれは、少女の巻。玉鬘、初音の二巻を間に置いて、スケールの大きさを感じさせる構成である。紫上は、中宮に匹敵する存在であることの強調でなくてなにか。

★柏木のクローズアップ
 みな見くらべたまふ中に、唐の縹の紙の、いとなつかしうしみ深う匂へるを、いと細く小さく結びたるあり。「これはいかなれば、かく結びたるあり。「これはいかなれば、かく結ぼほれたるにか」とてひきあけたまへり。手いとをかしうて、
    思ふとも君は知らじなわきかへり岩漏る水に色し見えねば
書きざまいまめかしうそぼれたり。「これはいかなるぞ」と問ひきこえたまへど、はかばかしうも聞こえたまはず。
 右近を召し出でて、「かやうにおとづれきこえん人をば、人選りして答へなどはせさせよ。すきずきしうあざれがましき今様の人の、便ないことし出でなどする、男の咎にしもあらぬことなり。我にて思ひしにも、あな情けな、恨めしうもと、無心なるにや、もしはめざましかるべき際は、けやけうなどもおぼえけれ、わざと深からで、花蝶につけたるたより言は、心妬うもてないたる、なかなか心だつやうにもあり。またさて忘れぬるは、何の咎かはあらむ。もののたよりばかりのなほざり言に、口疾う心得たるも、さらでありぬべかりける。後の難とありぬべきわざなり。すべて女のものづつみせず、心のままに、もののあはれも知り顔つくり、をかしきことをも見知らんなん、その積もりあぢきなかるべきを、宮、大将は、おほなおほななほざりごとをうち出でたまふべきにもあらず、またあまりもののほど知らぬやうならんも、御ありさまに違へり。その際より下は、心ざしのおもむきに従ひて、あはれをも分きたまへ。労をも数へたまへ」など聞こえたまへば、君はうち背きておはする。側目いとおかしげなり。撫子の細長に、このごろの花の色なる御小桂、あはひけ近ういまめきて、もてなしなども、さはいへど、田舎びたまへりしなごりこそ、ただありにおほどかなる方にのみは見えたまひけれ、人のありさまを見知りたまふままに、いとさまよう、なよびかに、化粧なども心してもてつけたまへれば、いとど飽かぬところなく、はなやかにうつくしげなり。他人と見なさむは、いと口惜しかべう思さる。
 右近もうち笑みつつ見たてまつりて、「親と聞こえんには、似げなう若くおはしますめり。さし並びたまへらんはしも、あはひめでたしかし」と思ひゐたり。「さらに御消息などは聞こえ伝ふることはべらず。さきざきも知ろしめ御覧じたる三つ四つは、ひき返しはしたなめきこえむもいかがとて、御文ばかり取り入れなどしはべるめれど、御返りはさらに。聞こえさせたまふをりばかりなむ。それをだに、苦しいことに思いたる」と聞こゆ。
 「さてこの若やかに結ぼほれたるは誰がぞ。いといたう書いたる気色かな」とほほ笑みて御覧ずれば、「かれは、執念うとどめてまかりにけるにこそ。内の大殿の中将の、このさぶらふみるこをぞ、もとより見知りたまへりける伝へにてはべりける。また見入るる人もはべらざりしにこそ」と聞こゆれば、「いとらうたきことかな。下臈なりとも、かの主たちをば、いかがいとさははしたなめむ。公卿といへど、この人のおぼえに、かならずしも並ぶまじきこそ多かれ。さる中にもいと静まりたる人なり。おのづから思ひあはする世もこそあれ。掲焉にはあらでこそ言ひ紛らはさめ。見どころある文書きかな」など、とみにもうち置きたまはず。

★召人
兵部卿のところに多くいると光源氏がいう召人は、世間から認知されぬ愛人。日陰者の扱いを受けていた人々で、高級貴族の家には、かなりいたものと考えられる。髭黒のところにもいる。真木柱巻に登場する木工の君である。

★玉鬘の歌
「今さらにいかならむ世か若竹の生ひはじめけむ根をばたづねむ」は、前巻の明石姫君の歌「ひきわかれ年は経れども鶯の巣立ちし松の根を忘れめや」を完全に意識して作られたものと知れよう。玉鬘の向こうに、明石姫君の教育があるという視点を忘れて、玉鬘十帖を読むべきではない。表で進行する玉鬘教育は、裏で進行している明石姫君教育の実験形なのである。

★紫上の言葉。光源氏の反省
紫上は、玉鬘とすでに出会っている。彼女の玉鬘評は「ものの心得つべくはものしたまふめる」である。知的でしっかりした女であることを認めている。しかし、紫上は光源氏の「ただにしもおぼすまじき御心ざまを見知」っているから、光源氏に玉鬘が「うらなくしもうちとけ、頼みきこえたまふこそ心苦しれ」と言った。ここで、紫上が玉鬘の迂闊さに言及しているところ、兄の柏木との血の繋がりを示す結果となっていて、おもしろい。紫上に玉鬘のことを語り、心根を見透かされた光源氏が「ひがひがしうけしからぬ」自分自身を思い知り反省する。ここは、紫上の光源氏操縦法の手並の鮮やかさが際立つ条である。朝顔の時と違って、玉鬘問題について、紫上は余裕綽々である。彼女は、この時、今の玉鬘のような状態であった昔の自分をのことを楽しく思い出しているのではないか。若紫から葵巻までの時のことである。

★初夏。雨あがりの夕方の場面
玉鬘に夕顔の面影を追う光源氏の心理は、晩年のゲーテのようにやるせない。「橘のかをりし袖によそふればかはれる身とは思ほえぬかな」。後戻りもやり直しもきかぬ中年の、分かっているのに止められない行為。ついに光源氏は玉鬘の手をにぎる。「手つきのつぶつぶと肥えたまへる、身なり、肌つきのこまやかにうつくしげ」と本文にはある。忘れられない夕顔そのままであったにちがいない。つぶつぶと肥えるという肉感的表現は空蝉巻、軒端荻に対する表現以来である。軒端荻は夕顔型の女であったことを思い出してほしい。がしかし、添い臥しながら自制する光源氏は昔の光源氏ではない。ずっと後の薫のようである。「おほろげにあまる忍ぶるにあまるほどを、なぐさむるぞや」「昔恋しきなぐさめ」が彼の本心で、この行為が、「ゆくりかにあはつけきこと」だということは、充分に自覚しているのである。作者は、草子地で「いとさかしらなる御親心なりかし」「うたてある心かな」と、終始玉鬘側にたって光源氏を糾弾すべく読者を誘導している。これは、紫上の立場である。

 <蛍巻>

第二十五回 蛍巻・物語論は源氏物語のために

★この巻の内容  
 1 六条院、御方々の安定。玉鬘のみ悩ましい日々を送る。光源氏の渡り、多くなる。
 2 兵部卿の懸想。光源氏、とりもち宰相君に代筆の返事を指示
 3 玉鬘、兵部卿にやや気持ち傾く
 4 兵部卿来訪。光源氏、宰相君の傍らに控える
 5 兵部卿の優雅な様子。光源氏見入る
 6 光源氏、玉鬘に母屋の端に出ることをすすめる
 7 光源氏、玉鬘の傍に蛍を放つ。一瞬、玉鬘の横顔が露になる。光源氏さっと去る
 8 兵部卿、臥した玉鬘の優美な姿を見る。蛍の歌の贈答をする。兵部卿、時鳥の鳴く頃、夜深く帰る
 9 光源氏の思い。自制しつつも、玉鬘のけぢかさに恋情止みがたし
10 五月五日。馬場に出たついでに、光源氏、玉鬘の許に立ち寄る
11 兵部卿について語る。光源氏の美しさ、玉鬘認識する
12 兵部卿宮より菖蒲の根に付けた歌あり。玉鬘、光源氏のすすめに応じ、宮に返歌する
13 花散里のところに顔を出し、夕霧の連れてくる客人の用意を指示する
14 馬場で騎射(五月五日の行事)あり。玉鬘方の童、下仕えなど廊の戸口で見物する。紫上方の若い人々も見つめる。光源氏は未の時出御。この日六条院は夜まで賑わう
15 光源氏、花散里の許に泊る。光源氏、兵部卿を評す。花散里も応じる。髭黒については、不満を持つ
16 別々にやすむ二人。駒の贈答あり。気の休まる花散里の世界
17 長雨の頃。六条院の御方々、絵物語に興ず。明石御方、姫君に物語を贈る
18 玉鬘、物語に夢中。住吉物語などを見、我が身と比べる
19 やってきた光源氏、物語を論じる
20 光源氏と玉鬘、親と子の贈答歌
21 光源氏、姫君教育のために、物語の扱いを紫上に注意する。紫上、宇津保物語、貴宮を批判。光源氏、女子教育を論ずる
22 光源氏、夕霧を姫君から遠ざけず。夕霧、姫君を見るにつけ、雲井雁を思う。二人の問題、依然不調。緑の袖の屈辱を忘れず
23 柏木、玉鬘に熱心。夕霧とりあわず
24 内大臣に女子少なし。女御と雲井雁、いずれも無念な状態。それにつけても夕顔の撫子を思うことしきり。柏木たちに、この件を語る
25 内大臣夢を見る。夢合わせ、他所で養女になっている可能性に言及する。内大臣、不審に思う

★大人の恋
玉鬘は「何ごともおぼし知りたる御齢」。すでに彼女は二十歳を越えている。ということは、二人の恋は、大人の恋で、かなりレベルの高いお洒落な恋であると言えよう。もっともこの玉鬘、全くの処女で、その知識は、もっぱら彼女の愛好する物語によってもたらされたものであって、彼女は、単なる耳年増にすぎない。そこがまた新鮮で、恋の場数を踏んだ光源氏にとっても、玉鬘可愛さの源泉となる。ましてや読者にとっては、実に面白い設定ということになろう。中年男そのものといった光源氏の接近を「ただ見知らぬさまにもてなしきこえたまふ」玉鬘の行為は、意識的自覚的行為なのであって、天然惚けのように何の努力もなく自然に振る舞っているのではない点、注意が肝要である。

★蛍の演出
几帳の「帷を一重うちかけたまふ」とある。几帳の帷は二重になっていて、裏の帷を横木にかけて、一重にした。おりしも夏のこととて、おもては蝉の羽のような生絹である。これで、内側に火を灯せば、玉鬘は丸見えになる。そういう演出である。光源氏にしてみれば、面食いの蛍兵部卿に是非とも玉鬘の美貌を見せたかった。そして、自分の娘であるという理由のみで、これほどまでに言い寄る兵部卿は妻戸の近く、廂間に入るのを許されたのではないか。玉鬘の歌「声はせで」も、兵部卿に対する本人による最初の歌であったと推察される。兵部卿にとっては、この日は生涯忘れられない日となったことであろう。こういう人の悪い光源氏の演出に対して、作者は批判的である。「まことのわが姫君をば、かくしも、もて騒ぎたまはじ、うたてある御心なりけり」。玉鬘に対する扱いと明石姫君に対するそれとは雲泥の差がある。これは、二人の年齢差からきているものと思われる。玉鬘は、すでにスリリングなやりとりが出来る大人であるし、姫君のほうは冗談など通じない少女である。が、露骨に展開する玉鬘の物語が、描かれぬ姫君へ教育を暗示する構成となっているという、このあたりの遠近法的物語構成は、見失わぬようにしなければならない。ここは、物語論の前座で、作者による、ちょっとした読者へのつっつきであると解釈すべきであろう。

★花散里の安心
この巻は夏の巻であるのだから、花散里の巻でもある。西の対の姫君・玉鬘に軒を貸して母屋を乗っ取られた感がある。がしかし、しっかり花散里は描写してあるのだから、彼女を無視すべきではない。事実、騎射の日、光源氏は花散里のところに泊っている。とはいえ、床も別々で、二人は完全に茶飲み友達と化している。花散里の歌「駒もすさめぬ草」は、源典侍を想起させ、老齢感覚が決定的である。「かくて見たてまつるは心やすくこそあれ」という光源氏の言葉、まんざら冗談とばかりはいえまい。花散里の人生の決断「かばかりの宿世なりける身」の帰結であろう・この日、光源氏との会話のなかで、鋭い人物批評を展開している。源氏物語を語っているのは彼女ではないか、とふと思わせるところがある。

★光源氏、物語を論ずる
 長雨例の年よりもいたくして、晴るる方なくつれづれなれば、御方々絵、物語などのすさびにて明かし暮らしたまふ。明石の御方は、さやうのことをもよしありてしなしたまひて、姫君の御方に奉りたまふ。西の対には、ましてめづらしくおぼえたまふことの筋なれば、明け暮れ書き読み営みおはす。つきなからぬ若人あまたあり、さまざまにめづらかなる人の上などを、まことにやいつはりにや、言ひ集めたる中にも、わがありさまのやうなるはなかりけりと見たまふ。住吉の姫君のさし当たりけむをりはさるものにて、今の世のおぼえもなほ心ことなめるに、主計頭がほとほとしかりけむなどぞ、かの監がゆゆしさを思しなずらへたまふ。
 殿も、こなたかなたにかかる物どもの散りつつ、御目に離れねば、「あなむつかし。女こそものうるさがらず、人に欺かれむと生まれたるものなれ。ここらの中にまことはいと少なからむを、かつ知る知る、かかるすずろごとに心を移し、はかられたまひて、暑かはしき五月雨の、髪の乱るるも知らで書きたまふよ」とて、笑ひたまふものから、また、「かかかる世の古事ならでは、げに何をか紛るることなきつれづれを慰めまし。さてもこのいつはりどもの中に、げにさもあらむとあはれを見せ、つきづきしくつづけたる、はた、はかなしごとと知りながら、いたづらに心動き、らうたげなる姫君のもの思へる見るにかた心つくかし。またいとあるまじきことかなと見る見る、おどろおどろしくとりなしけるが目おどろきて、静かにまた聞くたびぞ、憎けれどふとをかしきふしあらはなるなどもあるべし。このごろ幼き人の、女房などに時々読まするを立ち聞けば、ものよく言う者の世にあるべきかな。そらごとをよくし馴れたる口つきよりぞ言ひ出だすらむとおぼゆれどさしもあらじや」とのたまへば、「げにいつはり馴れたる人や、さまざまにさも酌みはべらむ。ただいとまことのこととこそ思うたまへられけれ」とて、硯を押しやりたまへば、「骨なくも聞こえおとしてけるかな。神代より世にあることを記しおきけるななり。日本紀などはただかたそばぞかし。これらにこそ道々しくくはしきことはあらめ」とて笑ひたまふ。
「その人の上とて、ありのままに言ひ出づることこそなけれ、よきもあしきも、世に経る人のありさまの、見るにも飽かず聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしきふしぶしを、心に籠めがたくて言ひおきはじめたるなり。よきさまに言ふとては、よきことのかぎり選り出でて、人に従はむとては、またあしきさまのめづらしきことをとり集めたる、みなかたがたにつけたるこの世の外のことならずかし。他の朝廷のさへ、作りやうかはる、同じ大和の国のことなれば、昔今のに変るべし、深きこと浅きことのけぢめこそあらめ、ひたぶるにそらごとと言ひはてむも、事の心違ひてなむありける。仏のいとうるはしき心にて説きおきたまへる御法も、方便といふことありて、悟りなき者は、ここかしこ違ふ疑ひをおきつべくなん、方等経(法華経)の中に多かれど、言ひもてゆけば、一つ旨にありて、菩提と煩悩との隔たりなむ、この、人のよきあしきばかりのことは変りける。よく言へば、すべて何ごとも空しからずなりぬや」と、物語をいとわざとのことにのたまひなしつ。
「さてかかる古事の中に、まろがやうに実法なる痴者の物語はありや。いみじくけ遠き、ものの姫君も、御心のやうにつれなく、そらおぼめきしたるは世にあらじな。いざ、たぐひなき物語にして、世に伝へさせん」と、さし寄りて聞こえたまへば、顔をひき入れて、「さらずとも、かくめづらかなることは、世語にこそはなりはべりぬべかめれ」とのたまへば、「めづらかにやおぼえたまふ。げにこそまたなき心地すれ」とて寄りゐたまへるさま、いとあざれたり。

★光源氏、紫上と物語を論じる
紫上も、姫君の御あつらへにことつけて、物語は捨てがたく思したり。くまのの物語の絵にてあるを、「いとよく描きたる絵かな」とて御覧ず。小さき女君の、何心もなくて昼寝したまへる所を、昔のありさま思し出でて、女君は見たまふ。「かかる童どちだに、いかにされたりけり。まろこそなほ例にしつべく、心のどけさは人に似ざりけれ」と聞こえ出でたまへり。げにたぐひ多からぬことどもは、好み集めたまへりけりかし。「姫君の御前にて、この世馴れたる物語などな読み聞かせたまひそ。みそか心つきたるもののむすめなどは、をかしとにはあらねど、かかること世にはありけりと見馴れたまはむぞゆゆしきや」とのたまふもこよなしと、対の御方聞きたまはば、心おきたまひつべくなむ。上、「心浅げなる人まねどもは、見るにもかたはらいたくこそ。うつほの藤原の君のむすめこそ、いと重りかにはかばかしき人にて、過ちなかめれど、すくよかに言ひ出でたる、しわざも女しきところなかめるぞ、「やうなめる」とのたまへば、「現の人もさぞあるべかめる。人々しく立てたるおもむき異にて、よきほどに構へぬや。よしなからぬ親の心とどめて生ほしたてたる人の、児めかしきわ生けるしるしにて、後れたること多かるは、何わざしてかしづきしぞ
と、親のしわざさへ思ひやらるるこそいとほしけれ。げにさ言へど、その人のけはひよと見えたるは、かひあり、面だたしかし。言葉の限りまばゆくほめおきたるに、し出でたるわざ、言ひ出でたることの中に、げにと見え聞こゆることなき、いと見劣りするわざなり。すべて、よからぬ人に、いかで人ほめさせじ」など、ただこの姫君の点つかれたまふまじくとよろづに思しのたまふ。継母の腹きたなき昔物語も多かるを、心見えに心づきなしと思せば、いみじく選りつつなむ、書きととのへさせ、絵などにも描かせたまひける。

★夕霧のこと
夕霧を紫上に近づけぬ光源氏。野分巻への伏線。源氏物語の因果律を、ここで読者に示し、紫上の不安を保留しておく処置でもある。また、今時の物語風の恋を経験したばかりである夕霧の危険性を、ここで言っている点もみのがすべきではない。その夕霧を「姫君の御方」には遠ざけない。「なからむ世を思ひやるに、なほ見つき、思ひしみぬることどもこそ、取り分きてはおぼゆれけれ」という光源氏の桐壷帝的配慮は、彼の時代が間もなく黄昏れ、夕霧の時代が到来する近未来を暗示している。彼の全盛時代に、この暗示がおかれいることは、不気味である。が、ここは、気配り目配りの光源氏らしい周到さと理解すべき条であろう。これは、野分巻でさらに強調されることになる。夕霧にしても、幼い恋から間なしの頃で、「雛遊び」感覚の残る姫君相手も違和感がない。姫君の相手をしているうちに雲井雁を思い出して涙ぐむこともあったらしい。「おおかたの心もちゐなども、いとものものしく、まめやかにものしたまふ君」。これが夕霧の人物評。これなら紫上も安心かもしれない。光源氏の男子教育はいちおう成功しているのである。

★藤原氏のこと
内大臣の描写がこの巻の最後に置かれている。内大臣は子だくさん。しかし、肝心の女子が少ない。これは王朝政治家としては致命的である。秋好中宮に圧倒された引徽殿女御。夕霧に傷物にされた雲井雁。これで全て。あと撃つ玉がない。時は藤原道長全盛時代。なのに藤原氏を衰亡させる物語を、作者はいよいよ書き始める。源氏物語の暴走の開始である。さてどうなるか。それにつけても内大臣。「かの撫子」つまり行方不明になった夕顔の遺児のことが忘れられない。あれはどうしているか。何も知らない内大臣を、全部知っている読者が余裕をもって眺める場面である。劇場的な構図であろう。光源氏に対抗して、同じように落とし胤を捜そうとしているところ。夢合わせの言葉を聞いていながら、なかなか気づかない点など。依然として内大臣は、頭中将の昔から迂闊で、光源氏の真似をしては失敗することの繰り返し。脇役から抜け出ることができそうにない。そうして、まもなく彼は、とんでもない御落胤にめぐりあうことになる。乞御期待。

 <常夏巻>

第二十六回 常夏巻・破天荒・内大臣家の玉鬘

★この巻の内容
 1 暑さの盛り。光源氏、釣殿で納涼。食事の風景。夕霧、殿上人多数。やってきた内大臣家の公達、お相伴
 2 光源氏、皆に、暑さを忘れる世間の話題を求める
 3 問われた弁少将、内大臣家に近頃出現した近江君の件について語る
 4 夕刻。光源氏、玉鬘の西対に移動。少将や侍従など公達みな付いて行く
 5 光源氏、思いがかなった由を玉鬘に言う
 6 御前の撫子を愛でつつ、公達の思い複雑
 7 光源氏と玉鬘の会話。柏木に言及し、夕霧と雲井雁の一件に対する所感を言う。玉鬘、自分の置かれた立場の難しさを思う
 8 光源氏、和琴を論ずる。内大臣は和琴の名手。玉鬘の興味募る
 9 光源氏、貫河を歌い、和琴を奏でる
10 雨夜品定めの昔を思う光源氏。玉鬘と撫子の唱和
11 たゆたう光源氏。悩ましき玉鬘への怪しからぬ思い
12 光源氏の言辞、内大臣に伝わる。内大臣、玉鬘を批評する。実の子ではないのでは、と穿つ。
13 内大臣、雲井雁を訪れる。昼寝している姿をみて、たしなめる。女の理想的処世を説く。雲井雁、反省する
14 内大臣、近江君の取り扱いに苦慮。引徽殿女御のもとに置くことを決意。女御を訪れ、依頼。女御引き受ける。それにつけても柏木のいたりなさを内大臣は思う
15 内大臣、近江君の部屋へ。簾を張り双六を打つ姿のものぐるおしさ。
16 じぶんの身の回りの世話をと言う内大臣に、近江君、「大御大壷取り」でもやると言う
17 近江君の早口の原因を本人が弁明する
18 内大臣、女御に仕える件を切り出す。近江君、これに飛びつく
19 会話法、言葉遣いの要諦を、作者が論ずる
20 近江君、内大臣の許しを得、早速に女御に手紙を出す。その文の奇怪さ
21 中納言の君、女御に代わって返事を書く。無国籍歌に、女御困惑する
22 近江君、喜び、対面の準備を急ぐ

★食事の風景
桂川から鮎。賀茂川から「いしぶし」。大御酒。氷水(ひみず)。水飯(すいはん)。真夏に氷は贅沢の極みであろう。「御前にて調じてまいらす」とあるから、料理人も近侍して調理していたものと知れる。バーベキュー感覚といったところか。こういう食事の場面は、源氏物語では珍しい。日常卑近な物語展開が予想されるところである。身も蓋もない近江君登場の予兆と考えるとよいか。

★近江君の噂
「いかで聞きしことぞや、大臣の外腹のむすめ尋ね出でてかしづきたまふなるとまねぶ人ありしは、まことにや」と、弁少将に問ひたまへば「ことごとしく、さまで言ひなすべきことにもはべらざりけるを。この春のころほひ、夢語したまひけめを、ほの聞き伝へはべりける女の、我なむかこつべきことあると名のり出ではべりけるを、中将の朝臣なむ聞きつけて、まことにさやうに触ればひぬべき証やあると尋ねとぶらひはべりける。くはしきさまはえ知りはべらず。げにこのごろめづらしき世語になむ人々もしはべるなる。かやうのことこそ、人のため、おのづから家損なるわざにはべりけれ」と聞こゆ。
 まことなりけりと思して、
「いと多かめる列に離れたらむ後るる雁をしひて尋ねたまふがふくつけきぞ。いと乏しきに、さやうならむもののくさはひ、見出でまほしけれど、名のりもものうき際とや思ふらん、さらにこそ聞こえね。さても、もて離れたることにはあらじ。ろうがはしく、とかく紛れたまふめりしほどに、底清くすまぬ水にやどる月は、曇りなきやうのいかでかあらむ」
と、ほほ笑みてのたまふ。中将の君も、くはしく聞きたまへることなれば、えしもまめだたず。少将と藤侍従とは、いとからしと思ひたり。
「朝臣や、さやうの落葉をだに拾へ。人わろき名の後の世に残らむよりは、同じかざしにて慰めむに、なでふことかあらむ」
と弄じたまふやうなり。かやうのことにてぞ、うはべはいとよき御仲の、昔よりさすがに隙ありける。まいて中将をいたくはしたなめて、わびさせたまふつらさを思しあまりて、なまねたしとも漏り聞きたまへかしと、思すなりけり。
 かく聞きたまふにつけても、「対の姫君を見せたらむ時、また侮らはしからぬ方にもてなされなむはや。いとものきらきらしく、かひあるところつきたまへる人にて、よしあしきけぢめもけざやかにもてはやし、またもて消ち軽むることも、人にことなる大臣なれば、いかにものしと思ふらむ。おぼえぬさまにて、この君をさし出でたらむに、え軽くは思さじ。いときびしくもてなしてむ」など思す。

★玉鬘の幸運
弁少将の言葉から、どうやら内大臣は、光源氏の真似を早速にして、とんでもない御落胤をつかんだらしい。当事者である近江君の方から名乗り出てきたものらしい。仲介したのは長男・柏木である。ところで、考えてみれば、六条院の玉鬘とて、その内情は充分すぎるほど「めづらしき世語り」なのである。このことは、前巻で強調されていたこと。したがって、内大臣家で露顕した不幸で「家損な」話題は、なにも近江君固有のものではなく、もし玉鬘が内大臣家に引き取られていたら、玉鬘本人がきっと陥るであろう立場の暗示である。この玉鬘と近江君との裏腹な位置関係を誤つことなく、近江君物語は読むべきであろう。

★不在の柏木の存在感
光源氏が、この場にいない「右の中将」つまり柏木に言及する。彼は、いまここにいる「有職」な兄弟たちより「有職」で、この兄弟たちより「ましてすこし静まりて、心はづかしき気まさりた」る人物である、と光源氏は玉鬘に言う。すこし的を外れた批評の感が否めないが、これも、若菜巻への伏線だろう。「いかにぞ、おとづれきこゆや。はしたなくも、なさし放ちたまひそ」。胡蝶巻における岩漏中将の強い印象は光源氏の中で健在である。若菜下巻のクライマックスへの布石である。

★和琴論
光源氏の和琴論「大切とはかなく見せて、際もなくしおきたることなり。広く異国のことを知らぬ女のためとなむおぼゆる」より判断すれば光源氏の得意とする琴(きん)は男性のもの。中国伝来の正統派の楽器であるという論理が浮き上がってくる。内大臣が和琴の名手だという光源氏の言葉は、ここで、にわかに皮肉っぽい政治的言説となる。彼は、楽器を論じているのではなく、偏狭な国粋的人物に論及しているのである。このあたりの文脈は、いかにも、文学作品が常に政治に向かっている中国文学論的展開である。

★玉鬘への怪しからぬ思い
 渡りたまふことも、あまりうちしきり、人の見たてまつり咎むべきほどは、心の鬼に思しとどめて、さるべきことをし出でて、御文の通はぬをりなし。ただこの御事のみ、明け暮れ御心にはかかりたり。なぞ、かくあいなきわざをして、やすからぬもの思ひをすらむ、さ思はじとて、心のままにもあらば、世の人の渡り言はむことの軽々しさ、わがためをばさるものにて、この人の御ためいとほしかるべし、限りなき心ざしといふとも、春の上の御おぼえに並ぶばかりは、わが心ながらえあるまじく思し知りたり。「さてその劣りの列にては、何ばかりかはあらむ。わが身ひとつこそ人よりはことなれ、見む人のあまたが中にかかづらはむ末にては、何のおぼえかはたけからむ。ことなることなき納言の際の、二心なくて思はむには、劣りぬべきことぞ」とみづから思し知るに、いといとほしくて、「宮、大将などにやゆるしてまし。さてもて離れ、いざなひ取りてば、思ひも絶えなんや。言ふかひなきにて、さもしてむ」と思すをりもあり。
 されど渡りたまひて、御容貌を見たまひ、今は御琴教へたてまつりたまふにさへことつけて、近やかに馴れ寄りたまふ。姫君も、はじめこそむくつけくうたてとも思ひたまひしか、かくてもなだらかに、うしろめたき御心はあらざりけりと、やうやう目馴れて、いとしも疎みきこえたまはず、さるべき御答へも、馴れ馴れしからぬほどに聞こえかはしなどして、見るままにいと愛敬づき、かをりまさりたまへれば、なほさてもえ過ぐしやるまじく思し返す。「さば、また、さてここながらかしづき据ゑて、さるべきをりをりにはかなくうち忍び、ものをも聞こえて慰みなむや。かくまだ世馴れぬほどのわづらはしさこそ心苦しくはありけれ、おのづから、関守強くとも、ものの心知りそめ、いとほしき思ひ入りなば、繁くとも障らじかし」と思しよる。いとけしからぬことなりや。いよいよ心やすからず、思ひわたらむも苦しからむ。なのめに思ひ過ぐさむことの、とざまかくざまにも難きぞ、世づかずむつかしき御語らひなりける。

★二心なき愛
「二心なき愛」の観念は、『楚辞』(九章T・惜誦)に由来する。原文は「事君而不貮兮」。男の論理を女の愛の論理に作者は変換しているのである。

★明石姫君教育。内大臣の証言
光源氏の明石姫君教育のポリシーを、内大臣が証言している。「よろづのことに通はしなだらめて、かどかどしきゆゑもつけじ、たどたどしくおぼめくこともあらじと、ぬるらかにこそ掟てたまふなれ」。ゆったりとした大様な女性を目指した教育。注目すべき発言だと思う。恐らく、これが紫式部の考えた理想の女子教育であろう。広い教養を身につけた女性で、個性を突出させない。「この君の人となり、宮仕へに出だし立てたまふ世のけしきこそ、ゆかしけれ」。明石姫君がどのような女性となって宮中に登場するか。これが、この時期の世の期待というものである。この本筋に沿って、このあたりの源氏物語は展開しているのである。玉鬘も近江君も、明石姫君教育の実験でしかない。そのことを忘れて玉鬘十帖を読むと訳が判らなくなる。

★野生児、近江君
「大御大壷取り」とは、大胆な発言である。近江君はねこんなことを口にすることに関して、一向に気にしない性格なのである。田舎ものの典型であろう。また、彼女最大の欠点である早口についての、彼女自身による弁明は、彼女が生まれた時の産屋に、「妙法寺の別当大徳」がいたからだということだ。この説明も滑稽である。「故母の常に苦しがり教へはべりし」より、彼女には今、母がいないことが分かる。母に早く死別し、よい乳母にも恵まれず、野生のままに育ったものと知れる。近江君は、したがって、貴族的教養の欠落した素のままの女性という設定である。「ただいと鄙び、あゆしき下人のなかに生ひ出でたまへれば、もの言ふさまも知らず」と、後文にある。

★会話はいかにあるべきか
喋り方はいかにあるべきか、についての論がある。「ことなるゆゑなき言葉をも、声のどやかに押ししづめて、言ひ出したるは、うち聞く耳異におぼえ、をかしからぬ歌語りをするも、声つかひつきづきしくて、残り思はせ、本末惜しみたるさまにてうち誦じたるは、深き筋思ひ得ぬほどの打ち聞きには、をかしかなりと耳もとまるかし」。要するに、近江君は教育の失敗なのだ。というのが作者の結論であろう。「わがままに誇りならひたる乳母の懐にならひたるさまに、もてなしいとあやしきに、やつるるなりけり」なのである。

★近江君と弘徽殿女御の贈答
「さて女御殿に参れとのたまひつるを、しぶしぶなるさまならば、ものしくもこそ思せ。夜さり参でむ。大臣の君、天下に思すとも、この御方々のすげなくしたまはむには、殿の内には立てりなんはや」とのたまふ。御おぼえのほど、いと軽らかなりや。まづ御文奉りたまふ。
 葦垣のま近きほどにはさぶらひながら、今まで影ふむばかりのしるしもはべらぬは、勿来の関をや据ゑさせたまへらむとなん。知らねども、武蔵野と言へばかしこけれども。あなかしこや、あなかしこや。
と点がちにて、裏には、
 まことや、暮にも参りこむと思うたまへ立つは、厭ふにはゆるにや。いでや、いでや、あやしきはみなせ川にを
とて、また端にかくぞ、
 草わかみ常陸の浦のいかが崎いかであひ見ん田子の浦波
大川水の
と、青き色紙一重ねに、いと草がちに、怒れる手の、その筋とも見えず漂ひたる書きざまも、下長に、わりなくゆゑばめり。行のほど、端ざまに筋かひて、倒れぬべく見ゆるを、うち笑みつつ見て、さすがにいと細く小さく巻き結びて、撫子の花につけたり。
 樋洗童(ひずましわらは)はしも、いと馴れてきよげなる、今参りなりけり。女御の御方の台盤所に寄りて、「これまゐらせたまへ」と言ふ。下仕見知りて、「北の対にさぶらふ童なりけり」とて、御文取り入る。大輔の君といふ、持て参りてねひき解きて御覧ぜさする女御ほほ笑みてうち置かせたまへるを、中納言の君といふ、近くさぶらひて、そばそば見けり。「といまめかしき御文のけしきにもはべるかな」と、ゆかしげに思ひたれば、女御「草の文字はえ見知らねばにやあらむ、本末なくも見ゆるかな」とて賜へり。「返り事、かくゆゑゆゑしく書かずは、わろしとや思ひおとされん。やがて書きたまへ」と譲りたまふ。持て出でてこそあらね、若き人は、ものをかしくて、みなうち笑ひぬ。御返り乞へば、「をかしきことの筋にのみまつはれてはべめれば、聞こえさせにくくこそ。宣旨書きめきては、いとほしからむ」とて、ただ、御文めきて書く。
 近きしるしなきおぼつかなさは うらめしく
 常陸なる駿河の海の須磨の浦に波立ち出でよ箱崎の松
と書きて、読みきこゆれば、「あなうたて。まことにみづからのにもこそ言ひなせ」と、かたはらいたげに思したれど、「それは聞かむ人わきまへはべりなむ」とて、おしつつみて出だしつ。
 御方見て、「をかしの御口つきや。まつとのたまへるを」とて、いとあまえたる薫物の香を、かへ
すがへすたきしめゐたまへり。紅といふもの、いと赤らかにかいつけて、髪けづりつくろひたまへる、さる方ににぎははしく、愛敬づきたり。御対面のほど、さし過ぐしたることもあらむかし。

 <篝火巻>

第二十七回 篝火巻・琴の枕。黒髪篝火に光る

★この巻全文
 このごろ、世の人の言ぐさに、内の大殿の今姫君と、事にふれつつ言ひ散らすを、源氏の大臣聞こしめして、「ともあれかくもあれ、人見るまじくて籠りゐたらむ女子を、なほざりのかごとにても、さばかりにものめかし出でて、かく人に見せ言ひ伝へらるるこそ、心得ぬことなれ。いと際々しうものしたまふあまりに、深き心をも尋ねずもて出でて、心にもかなはねば、かくはしたなきなるべし。よろずのこと、もてなしがらにこそ、なだらかなるものなめれ」といとほしがりたまふ。
 かかるにつけても、「げによくこそ」と、「親と聞こえがらも、馴れたてまつらましに、恥ぢがましきことやあらまし」と、対の姫君思し知るを、右近もいとよく聞こえ知らせけり。憎き御心こそ添ひたれど、さりとて、御心のままに押したちてなどもてなしたまはず、いとど深き御心のみまさりたまへば、やうやうなつかしううちとけきこえたまふ。
 秋になりぬ。初風涼しく吹き出でて、背子が衣もうらさびしき心地したまふに、忍びかねつつ、いとしばしば渡りたまひて、おはしまし暮らし、御琴なども習はしきこえたまふ。五六日の夕月夜はとく入りて、すこし雲隠るるけしき、萩の音もやうやうあはれなるほどになりにけり。御琴を枕にて、もろともに添ひ臥したまへり。かかるたぐひあらむやとうち嘆きがちにて夜ふかしたまふも、人の咎めたてまつらむことを思せば、渡りたまひなむとて、御前の篝火のすこし消え方なるを、御供なる右近大夫を召して、点しつけさせたまふ。
 いと涼しげなる遣水のほとりに、けしきことに広ごり伏したるの木の下に、打松おどろおどろしからぬほどに置きて、さし退きて点したれば、御前の方は、いと涼しくをかしきほどなる光に、女の御さま見るにかひあり。御髪の手当たりなど、いと冷やかにあてはかなる心地して、うちとけぬさまにものをつつましくと思したる景色、いとらうたげなり。帰りうく思しやすらふ。「絶えず人さぶらひて点しつけよ。夏の、月なきほどは、庭の光なき、いとものむつかしく、おぼつかなしや」とのたまふ。
    「篝火にたちそふ恋の煙こそ世には絶えせぬ炎なりけれ
いつまでとかや。ふすぶるならでも、苦しき下燃えなりけり」と聞こえたまふ。女君、あやしのありさまやと思すに、
 「行く方なき空に消ちてよ篝火のたよりにたぐふ煙とならば
人のあやしと思ひはべらむこと」とわびたまへば、「くはや」とて出でたまふに、東の対の方に、おもしろき笛の音、箏に吹きあはせたり。
 「中将の、例の、あたり離れぬどち遊ぶにぞあなる。頭中将ぞあなれ。いとわざとも吹きなる音かな」とて、立ちとまりたまふ。
 御消息、「こなたになむ、いと影涼しき篝火にとどめられてものする」とのたまへれば、うち連れて三人参りたまへり。「風の音秋になりにけりと聞こえつる笛の音に忍ばれでなむ」とて、御琴ひき出でて、なつかしきほどに弾きたまふ。源中将は、盤渉調にいとおもしろく吹きたり。頭中将、心づかひして出だしたてがたうす。
「おそし」とあれば、弁少将拍子うち出でて、忍びやかにうたふ声、鈴虫にまがひたり。二返りばかりうたはせたまひて、御琴は中将に譲らせたまひつ。げにかの父大臣の御爪音に、をさをさ劣らず、はなやかにおもしろし。「御簾の内に、物の音聞き分く人ものしたまふらんかし。今宵は盃など心してを。盛り過ぎたる人は、酔泣きのついでに、忍ばぬこともこそ」とのたまへば、姫君もげにあはれと聞きたまふ。絶えせぬ仲の御契り、おろかなるまじきものなればにや、この君たちを人知れず目にも耳にもとどめたまへど、かけてさだに思ひよらず、この中将は、心の限り尽くして、思ふ筋にぞ、かかるついでにも、え忍びはつまじき心地すれど、さまよくもてなして、をさをさ心とけても掻きわたさず。

※秋になりぬ→六条院は秋に出来上がったので秋が来て一周年。
※萩の音→秋風の萩の葉を吹く音きけばいよいよ我も物をこそ思へ(古今六帖六)
※檀(まゆみ)→弓を作木。
※三人→夕霧、柏木(笛の名人、和琴の名人)、弁少将(美声の持主)
※鈴虫→都に住んでいる。 松虫→田舎に住んでいる。

★玉鬘モラトリアム
前巻で近江君のドタバタ劇を読者に見せたうえで、再び光源氏の世界にまいもどり、光源氏の内大臣家批判を読者に聞かせる。常夏巻冒頭への回帰である。こうすれば、否応なしに読者は光源氏の言葉に耳を傾ける。「よろずのこと、もてなしからにこそ、なだらかなるものなめれ」も、説得力を増す。その先にあるものは、玉鬘は、光源氏に引き取られてよかったという発想であろう。考えてみれば、玉鬘は、近江君など問題にならぬほどの田舎者である。内大臣の「もてなしから」によっては、内大臣の世界で、近江君以上のボードビリアンたりえたかもしれないのである。したがって、近江君の存在は、もうしばらくは玉鬘を光源氏の許においておくということ。モラトリアムの保証、ということになろう。玉鬘も、近江君の噂を聞くにつけ、ダイレクトに内大臣の世界に自分が入っていたら「はぢがましきことやあらまし」と考え、右近もその発想をフォローしている。玉鬘が光源氏の世界に一旦入ったことの幸運。この側面の強調である。しかし、玉鬘はいずれ内大臣の、過酷な世界に行かねばならないということも事実である。

★背古が衣
「背古が衣もうらさびしきここち」は、「秋」「初風」の語とともに、光源氏のさびしさを一見強調しているかにみえる。が、「わがせこが衣のすそを吹きかへしうらめずらしき秋のはつ風」(古今集巻第四 秋上)を露骨に引用し、「うらめずらしき」を強調しる結果となっている。これから、ちょっと珍しい話をしますという予告とも読める。また、拾遺集巻第十三恋三にある曾禰好忠の歌「我が背子が来まさぬ宵の秋風は来ぬ人よりもうらめしき哉」は、玉鬘の心理を、この歌のように忖度する光源氏の胸の裡と考えると、参考になるかもしれない。

★琴の枕
琴を枕に、添い寝する。この琴は箏の琴に違いない場所は御簾の近く。端居であろう。篝火に揺れる玉鬘の美貌。「御髪の手のあたり」の「いと冷やかにあてはかなるここち」。といったこの巻の見せ場は、光源氏の「苦しき下燃え」を存分に表現している。と同時に、二人の閉塞した状況をも活写している。「五六日の夕月夜」とあるから、この場面は、七夕の直前の場面ということになる。したがって「添い寝」も自然な展開とみることも出来るのではないか。

★檀の木のイメージ
「檀の木」を出したのも、効果的である。次のようなイメージが拡がるからだ。
       弓に寄せき 万葉集巻第七
  陸奥の安達太良真弓弦はけて引かばや人の我を言なさむ
  南淵の細川山に立つ檀弓束巻くまで人に知らえじ
       後拾遺集巻第十七 雑三
      古今集巻第二十 神遊びの歌
  陸奥の安達のまゆみわがひかば末さへ寄り来しのびしのびに
      古今六帖 六まゆみ 紀貫之
  引き伏せて見れど飽かぬは紅にぬれるまゆみのもみぢなりけり
      小一条右大将に名簿たてまつるとてよみて添へて侍りける 源重之
  みちのくの安達野真弓ひくやとて君にわが身をまかせつるかな
       語らひける人のもとに陸奥国より弓をつかはすとてよみ侍りける 藤原実方
      後拾遺集巻第十九 雑五
  みちのくの安達の真弓君にこそ思ひためたることも語らめ
       宇治前太政大臣、白河にて、見行客といふことをよめる 
  関こゆる人にとはばやみちのくの安達のまゆみもみじしにきや

★若菜の予告
光源氏が玉鬘の許を辞去しようとした時、東対からものの音を聞く。夕霧が柏木たちと遊んでいるのだと知り、彼らを玉鬘の部屋の前に呼ぶ。この最後の場面もなかなか面白い。常夏巻ではわざと隠していたようにみえる柏木を、この巻では全面に出してきている点に注目しようではないか。柏木は、この時「頭の中将」で、父親の若き日と同じ地位にある。夕霧が「源中将」と呼ばれているのも、昔と一緒である。世代は確実に交代している。中将たちに向って、光源氏が「今宵は盃など心してを。盛り過ぎたる人は、酔ひ泣きのついでに、忍ばぬこともこそ」と言うのは、自然であろう。彼の老齢意識は、内大臣の君達を前にすれば、当然のごとく口の端にのぼる。常夏巻冒頭で馴染みのものだ。この時、光源氏は、「忍ばぬこともこそ」と、玉鬘の真相暴露の心配をしているわけであるけれども、いずれ、同じ場面で、盃を手に「さかさまにゆかぬ年月よ」と言わねばならぬ日が来ることを未だ知らない。しかし、作者は完全にその日を意識してこの条を書き、二度以上源氏物語を読んでいる読者は、このことを察知するはずである。「岩漏る中将」の胡蝶巻以来、作者は、若菜巻の中心人物である柏木を読者に印象づけようと懸命なのである。読者は、しかし、作者が期待するほどには反応しないようであるけれども。

★柏木の迂闊
玉鬘が、御簾の内側で兄弟の歌と琴の音に耳を澄まし、目をこらしているとも知らず、御簾の外側では柏木が必死になって自分の恋情を抑えている図は、近江君事件を引き起こした当人らしい姿といえよう。彼は事前にもっと「深き心をも尋ね」調査すべきなのではないか。こういう男だから事件がおこったのだよ。また起こりうるのだ。と作者は暗に言い、近い将来の大事件への布石としているのである。なお、遠く竹河巻において、柏木の子・薫の和琴を聞いて、真相を知らぬ玉鬘が柏木を偲ぶ場面がある。作者はそこまで計算して、この場面を書いているのであろうか。多分そうに違いないという気がする。

★嵐の前の静けさ
この巻はいかにも短い。同じく短い巻を源氏物語にあげれば、空蝉、花散里巻、鈴虫巻、紅梅巻などがある。いずれも、激動の前の静寂、嵐の前の静けさといった気味の巻である。この巻は、次の巻が野分であり、なおかつ、この巻の名が篝火であるから、なおさらに、「風前の灯」という印象を受ける。六条院の平和の一コマ。間もなく強烈な力が、この場面を吹き消し、六条院は激動の時代へと突入してゆくという予告。そういう機能を持たされた小さな巻なのではないかと私は考える。

 <野分巻>

第二十八回 野分巻・巌をもたげる野分の壮絶

★この巻の内容
 1 中宮御前の秋の草花の美しさ。春秋の論、秋に心移る人情の自然
 2 中宮里居。八月は故前坊の忌月。遊びままならず。おりしも強い野分発生
 3 紫上、もとあらの小萩を気にかけて端居。やってきた夕霧、紫上を目撃。その美しさに驚愕。姫君のところから帰って来た光源氏不用心をとがめる。夕霧、さりげなく声つくる。光源氏、夕霧の垣間見を疑う
 4 夕霧、大宮の様子を報告。光源氏、大宮に消息。夕霧、強風り中、大宮の三条殿へ。まめで孝行な夕霧の性格
 5 今では夕霧を頼りにする大宮。生涯最大の野分だと語る
 6 夕霧、雲居雁などものかわ、紫上への思い鮮烈。反省しつつも憧憬の念やまず
 7 暁方、風おさまるも叢雨あり。六条院被害、倒壊家屋あり。夕霧、雨の中、大宮より花散里の許に赴く。修理を指示し光源氏の所へ
 8 高欄にもたれた夕霧、春の御殿の野分の爪痕を見る。起きた光源氏、格子を上げ、夕霧に大宮愛護を指示。内大臣を批判する
 9 光源氏の消息をもち夕霧、中宮を見舞う。虫に露を飼わせる中宮御前の童たちの優美な様子。夕霧、中宮に消息。高雅な生活ぶりに夕霧の思いさまざま
10 夕霧復命。光源氏身支度して、中宮見舞いに出発。夕霧の自失ぶりに光源氏、垣間見を疑い、引き返し紫上に質す。紫上否定する
11 中宮御殿より北上。明石御方の許へ。見舞いを述べて、つれなく通過。明石御方、心痛め、独詠する
12 玉鬘の許へ。寝過ごした玉鬘、起きて化粧しているところ。光源氏の色めく言葉に、物なれた対応。酸漿を含んだような玉鬘の風貌の特徴。目のあたりはやや難ありか
13 夕霧、理解に苦しむ。二人の女郎花の贈答歌も聞く。憎らしくも面白くも思う
14 光源氏、花散里の許へ。裁縫、染色など、日常的風景。その技量は紫上に匹敵。夕霧の世話を語り、光源氏辞去
15 夕霧、明石姫君の部屋に行き、筆と紙を拝借。雲居雁に野分見舞いの歌を贈る。さらに一通、馬助に託す
16 明石姫君、紫上の許より帰る。夕霧、姫君を垣間見る。一段と生いまさる姫君の未来を思う
17 夕霧、大宮邸に行く。六条院の隆盛ぶりとの落差歴然。内大臣もやってくる。雲居雁との対面を願う大宮。女子をもつ苦労を言う内大臣。近江君のことをほのめかす

★永祚元年八月の超弩級台風
十三日辛酉。酉戌刻。大風。宮城門舎多以転倒。承明門東西廊。建礼門。弓場殿。左近陣前軒廊。日華門御輿宿。朝集堂。応天門東西廊四十間。會昌門。同東西廊卅七間。儀鸞門。同東西廊卅間。豊楽殿東西廊十四間。美福。朱雀。皇嘉。偉鑑門。達智門。真言院。並諸司雑舎。左右京人家。転倒破壊。不可勝計。又鴨河堤所々流損。賀茂上下社御殿並雑舎。石清水御殿東西廊転倒。又祇園天神堂同以転倒。一條北辺堂舎。東西山寺皆以転倒。又洪水高潮。畿内海濱河辺民煙。人畜田畝為之皆没。死亡損害。天下大災。古今無比。(日本紀略)
この時、紫式部は十五歳前後か。時刻など本文によく一致している。この時の記憶が生かされているとみるべきであろう。

★夕霧の目撃(1) 紫上
 南の殿にも、前栽つくろはせたまひけるをりにしも、かく、吹き出でて、もとあらの小萩はしたなく待ちえたる風のけしきなり。折れ返り、露もとまるまじく吹き散らすを、すこし端近くて見たまふ。大臣は、姫君の御方に
おはしますほどに、中将の君参りたまひて、東の渡殿の小障子の上より、妻戸の開きたる隙を何心もなく見入れたまへるに、女房のあまた見ゆれば、立ちとまりて音もせで見る。御屏風も、風のいたく吹きければ、押したたみ寄せたるに、見通しあらはなる廂の御座にゐたまへる人、ものに紛るべくもあらず、気高くきよらに、さとにほふ心地して、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す。あぢきなく、見たてまつるわが顔にも移り来るやうに、愛敬はにほひ散りて、またなくめづらしき人の御さまなり。御簾の吹き上げらるるを、人々押さへて、いかにしたるにかあらむ、うち笑ひたまへる、いといみじく見ゆ。花どもを心苦しがりて、え見棄てて入りたまはず。御前なる人々も、さまざまにものきよげなる姿どもは見わたさるれど、目移るべくもあらず。大臣のいとけ遠くはるかにもてなしたまへるは、かく、見る人ただにはえ思ふまじき御ありさまを、至り深き御心にて、もしかかることもやと思すなりけりと思ふに、けはひ恐ろしうて、立ち去るにぞ、西の御方より、内の御障子ひき開けて渡りたまふ。

★夕霧の思念は昔の光源氏
夕霧が、紫上を見てしまってから、「さやうならむ人をこそ、同じくは見て明かし暮らさめ。限りあらむ命のほども、今すこしはかならず延びなむかしと思ひ続け」たとある。今の夕霧は、まったくもって、桐壷巻巻末の光源氏であることが見て取れよう。このまま推移せんか、これから実現するであろう雲居雁との結婚も、光源氏と葵上の結婚と同質のものとなってしまう可能性が強い。夕霧が桐壷巻の光源氏の立場に立っているということは、光源氏の人生もまた、ある種の決着がついていることが分かる。光源氏は、桐壷の夢を実現してしまっているのである。さて、これからどうするか。

★中宮御前の風景
夕霧が見た、中宮の庭の風景は美しく華やかである。実に絵画的な描写である。事実、この場面は絵師の想像力を刺激したものとみえ、多く描かれている、台風一過の朝の風景。女房たちの衣裳。庭に下り「虫の籠どもに露飼はせたまふ」四五人の童女たち。夕霧の来訪を知るや、「けざやかにおどろき顔にはあらねど、皆すべり入」る上品な振る舞い。「気高く住みたるけはひありさま」は、理想の生活を夢想する夕霧の心にしみたことであろうと想像される。紫上の庭が、野分で相当にダメージを受けているのに比べて、中宮の庭がさほどでもないのは対照的である。この野分は、六条院の東側に甚大な被害を及ぼしたものらしい。また、この描写、人事の反映と考えると面白い。この巻で危機にあるのは中宮ではなく、紫の上である、と。「御参りのほどなど、童なりしに、入り立ち馴れたまへる」とある。中宮が斎宮女御として入内したの頃、夕霧はまだ童で、しょっちゅう女御のところに、父光源氏のあとをついて出入りしていたという記事である。光源氏が童であった時、父帝に連れられて藤壷のところにしょっちゅうそうしていたことを思い出させる。この巻は、夕霧と紫上との過ちの可能性に言及するのが目的だから、この記事も、一定の意味があるとみるべきであるかもしれない。

★光源氏の六条院巡り
今回の歴訪は、中宮が最初、次いで明石御方である。前回初音巻においては、明石御方が最後であった。今回は逆まわりで対照的に構成されている。また、前回に比較するに、明石御方に対する処遇は相当に変化している。光源氏は、「端のかたについゐたまひて、風の騒ぎばかりをとぶらひたまひて、つれなく立ち帰りたまふ」といった愛想のなさである。明石御方が「心やましげ」なのも当然であろう。が、この光源氏らしくない行為の主たる原因は、光源氏の関心が、「西の対」の玉鬘にあった故である。この時光源氏は、はやく西の対に行きたくてしかたなかったのである。明石は、そのついでに立ち寄ったのみ。

★夕霧の目撃(2)玉鬘
 中将、いとこまやかに聞こえたまふを、いかでこの御容貌見てしがなと思ひわたる心にて、隅の間の御簾の、几帳は添ひながらしどけなきを、やをら引き上げて見るに、紛るる物どもも取りやりたれば、いとよく見ゆ。かく戯れたまふけしきのしるきを、あやしのわざや、親子と聞こえながら、かく懐離れず、もの近かべきほどかはと目とまりぬ。見やつけたまはむと恐ろしけれど、あやしきに心もおどろきて、なほ見れば、柱がくれにすこし側みたまへりつるを引き寄せたまへるに、御髪のなみ寄りて、はらはらとこぼれかかりたるほど、女もいとむつかしく苦しと思ひたまへる気色ながら、さすがにいとなごやかなるさまして寄りかかりたまへるは、ことと馴れ馴れしきにこそあめれ、いであなうたて、いかなることにかあらむ、思ひよらぬ隅なくおはしける御心にて、もとより見馴れ生ほしたてたまはぬは、かかる御思ひ添ひたまへるなめり、むべなりけりや、あな疎ましと思ふ心も恥づかし。女の御さま、げにはらからといふとも、すこし立ち退きて、異腹ぞかしなど思はむは、などか心あやまりもせざらむとおぼゆ。昨日見し御けはひには、け劣りたれど、見るに笑まるるさまは、立ちも並びぬべく見ゆる。八重山吹の咲き乱れたる盛りに露かかれる夕映えぞ、ふと思ひ出でらるる。をりにあはぬよそへどもなれど、なほうちおぼゆるやうよ。花は限りこそあれ、そそけたる蘂などもまじるかし、人の御容貌のよきは、たとへむ方なきものなりけり。御前に人も出で来ず、いとこまやかにうちささめき語らひきこえたまふに、いかがあらむ、まめだちてぞ立ちたまふ。女君、
    吹きみだる風のけしきに女郎花しをれぬべき心地こそすれ
くはしくも聞こえぬに、うち誦じたまふをほの聞くに、憎きもののをかしければ、近かりけりと見えたてまつらじと思ひて、立ち去りぬ。御返り、
    した露になびかましかば女郎花あらき風にはしをれざらまし
「なよ竹を見たてまへかし」など、ひが耳にやありけむ、聞きよくもあらずぞ。

★花散里の家政学
花散里は、日常実務の女。台風一過の朝、すでに何事もないように日常に立ち返っているところが、いかにも花散里の面目である。染色裁縫といった芸は「南の上にも劣らずかし」と。光源氏の認めるところである。彼女は、六条院の庶務担当といったところか。「かばかりの宿世」という彼女の人生哲学は、家政への揺るぎない自信を起点としていることが、このあたりで理解されよう。

★忘るる間なく忘られぬ君
    風さわぐ叢雲まがふ夕べにも忘るる間なく忘られぬ君
と夕霧は雲居雁に書いた。しかし、この時彼の胸を占めていたのは雲居雁ではない。このまま推移せんか、二人の純愛は吹っ飛び、雲居雁はその昔の葵上化してしまいそうである。その時の藤壷は紫上である。時は流れ、源氏物語に因果応報の摂理が持ち込まれた印象が強い。

★交野少将に笑われる
明石姫君方の女房は夕霧をからかっている。「交野の少将は、紙の色にこそととのへはべりけれ」。交野少将は、恋文の色に凝った、という話は有名だったらしい。交野少将は、箒木巻以来の登場である。結局、光源氏は交野少将には笑われなかった。光源氏の物語は、交野少将物語を軽く超えている。しかし、この真面目な夕霧は交野少将には笑われる、という含意が紙の話になったのかもしれない。野分といい、交野少将といい、この巻は源氏物語の初期を意識して作られている。

★夕霧の目撃(3)明石姫君
夕霧による、第三の目撃は明石姫君。
その印象、「これは、藤の花とやいふべからむ。木高き木より咲きかかりて、風になびきたるにほひは、かくぞあるかし」。紫上の「桜」、玉鬘の「山吹」、そしてこの「藤」と、いずれも現在の季節に合っていない。作為的である。夕霧本人の興奮のせいかるそれはともかく、これで結局、夕霧は六条院の秘密のほとんど全てにアクセスしたことになる。いうなれば、親である光源氏の足元を見たのであり、光源氏のなかなか出さぬ尻尾を掴んだのだ、ということになろう。以後の展開を想像するに、事態は予断を許さぬところとなっているということが分かる。紫上は因果律の中に在るし、玉鬘の秘密も風前の燈火状態である。光源氏のヘゲモニーは、この巻から大きく揺らぐ。近来稀な野分という自然現象、そして秘密をにぎった「まめ心」の夕霧、という二つの小道具を使って、六条院の安定、平和を先ずはここらで揺すり始めようではないか、という作者の意図は、もはや隠しようがない。源氏物語が若菜巻というカタストロフィーに向かって、いよいよ動きだした感が深い。

★内大臣の嘆きは光源氏の嘆き
巻末は、大宮を前にした内大臣の困惑、愚痴で締めくくられる。「女子こそ、よく言はば、持ちはべるまじきものなりけれ」。「いと不調なる女まうけはべりて」。彼は、大宮の心配する雲居雁どころではないのである。近江君の処置はいかにあるべきか。彼の関心はその一点に集中している。誠に気の毒な事柄ではあるが、光源氏も、常夏巻でのように笑っていられる場合ではなくなっていることを忘れるべきではない。近江君問題は、六条院における近江君の位置にある玉鬘の処遇の問題に直接跳ね返ってくる問題である。息子に足元を見られた今となっては、光源氏よ、どうやって事態を収拾しようとするのか。早くしないと夕霧の糾弾を浴びそうである。そこで立ち往生でもしようものなら、光源氏の時代は完全に終わってしまう。早く手を打て、行動に出よ。と、今やほとんどの読者は思っているはずである。どうする、光源氏。