源氏物語8…若菜巻上1 ・ 上2 ・ 上3 ・ 下1 ・ 下2 ・ 下3 

 <若菜巻上1>

第34回 若菜巻上(1) 女三宮問題発生す

★この巻の粗筋
 1 朱雀院不例。出家の準備に入る
 2 先帝の源氏・藤壷腹の女三宮の気がかり。十四五歳。裳着の支度。朱雀院の宝物、この宮のもとに
 3 東宮、母女御と同道して朱雀院を見舞う
 4 東宮に女三宮の後見を依頼。母女御、気すすまず
 5 歳暮。朱雀院の病、いよいよ重し
 6 夕霧、見舞う。朱雀院、光源氏への感謝を語り、来訪を要請する
 7 夕霧、光源氏の過去と現状を語る。麗しい夕霧を見て、朱雀院、太政大臣の婿となったのを無念に思う
 8 朱雀院、女房たちと光源氏を絶賛する
 9 朱雀院、乳母と女三宮の結婚問題を語る。光源氏が紫上を育てた例を思ひ願う。乳母、光源氏をすすめる。朱雀院の心傾く
10 乳母の兄・左中弁は、光源氏に近侍。乳母、左中弁に朱雀院の意向を伝える。左中弁、懸念を言いつつ光源氏に相応しい結婚でもあるという
11 乳母、光源氏が承諾する可能性が高いと報告する。懸念をも述べ候補者は多い故よく思案すべきと言う
12 朱雀院、女の宿世の危うさを語り、乳母に注意をうながす
13 朱雀院の婿候補者評。光源氏、文句無し。蛍兵部卿は軽い。藤大納言は一筋な点が面白くない。柏木は将来有望だがまだ若く軽い
14 太政大臣、柏木の後押し。朧月夜を通じ、運動する。兵部卿、玉鬘の失敗の名誉回復を期す。藤大納言、院の別当として、後見の継続を願う
15 夕霧、心動くも、雲居雁を思って自制する
16 東宮、光源氏をすめる。朱雀院、意を強くし、光源氏との縁組を進める
17 弁より内意を聞いた光源氏。辞退の意向を述べる。さらに詳細を語る弁に、光源氏、帝を推薦する
18 光源氏、二人の藤壷を思い、縁続きの女三宮のことを思う
19 年末、女三宮の裳着が盛大に行われる。腰結役は太政大臣。大臣、親王、上達部参加。内裏東宮、光源氏より進物多数。
20 秋好中宮、進物に昔の御髪上げの具を進呈。朱雀院返歌する
21 三日後、朱雀院出家。朧月夜とも別れ。世こぞりて惜しむ
22 光源氏、朱雀院を見舞う。朱雀院、女三宮のことを依頼する。光源氏承諾する
23 夜になり饗宴。光源氏、雪の中を帰る。藤大納言送る
24 その夜、光源氏、紫上に女三宮の件を語れず
25 翌日、雪。光源氏、紫上に、承知せざるをえなかった事情を語る。紫上、同情し、卑下した返答をする。光源氏、対処を諭す
26 紫上、心の底の屈辱を表に出すまいとする
27 新年。光源氏四十歳となる

★巨大な若菜巻の始まり
 朱雀院の帝、ありし御幸の後、そのころほひより、例ならずなやみわたらせたまふ。もとよりあつしくおはします中に、このたびはもの心細く思しめされて、「年ごろ行ひの本意深きを、后の宮のおはしましつるほどは、よろず憚りきこえさせたまひて、今まで思しとどこほりつるを、なほその方にもよほすにやあらん、世に久しかるまじき心地なんする」などのたまはせて、さるべき御心まうけどもせさせたまふ。
 御子たちは、春宮をおきたてまつりて、女宮たちなむ四ところおはしましける。その中に、藤壷と聞こえしは、先帝の源氏にぞおはしましける、まだ坊と聞こえさせしとき参りたまひて、高き位にも定まりたまふべかりし人の、とりたてたる御後見もおはせず、母方もその筋となくものはかなき更衣腹にてものしたまひければ、御まじらひのほども心細げにて、大后の、尚侍を参らせたてまつりたまひて、かたはらに並ぶ人なくもてなしきこえたまひなどせしほどに、気おされて、帝も御心の中にいとほしきものには思ひきこえさせたまひながら、おりさせたまひにしかば、かひなく口惜しくて、世の中を恨みたるやうにて亡せたまひにし、その御腹の女三宮を、あまたの御中にすぐれてかなしきものに思ひかしづききこえたまふ、そのほど御年十三四ばかりにおはす。「今は、と背き棄て、山籠りしなむ後の世にたちとまりて、誰を頼む蔭にてものしたまはむとすらむ」と、ただこの御事をうしろめたく思し嘆く。
 西山なる御寺造りはてて、移ろはせたまはんほどの御いそぎをせさせたまふにそへて、またこの宮の御裳着のことを思しいそがせたまふ。院の内にやむごとなく思す御宝物、御調度どもをば、さらにもいはず、はかなき遊び物まで、すこしゆゑあるかぎりをば、ただこの御方にと渡したてまつらせたまひて、その次々をなむ、他御子たちには、御処分どもありける。

★東宮の母・承香殿の女御
東宮の見舞い。母の承香殿女御の同道。この幸せそうな母子の姿が女三宮の悲運を際立たせる。しかし、承香殿女御とて、朧月夜の陰で泣いた女三宮の母・藤壷と同じ過去をもっている。しかし、今、東宮の母女御という地位で救われているのみである。彼女は、藤壷に耐え、朧月夜に耐えて今日の地位を得たのである。男宮を生んだのが彼女一人であったというのが彼女の運の強さ。さの彼女が、ライバルであった藤壷腹の女三宮を頼むという朱雀院の申し出に、気乗りがしないのも人情の自然だろう。彼女は紫上ではない。こうしてまず、女三宮は、東宮母子で躓く。これがケチのつきはじめである。失敗は失敗を呼ぶものだ。

★朱雀院の善意
朱雀院が光源氏の訪問を、あらためて夕霧に要請したのは、初めから女三宮を光源氏と結婚させる意思があったことを想像させる。彼の心理に則していえば、これは、朱雀院の、これまでの光源氏に対する感謝のしるし。須磨・明石の復讐を覚悟していたにもかかわらず、光源氏はついにこれを「忍び過ぐし」たばかりか「東宮などにも心を寄せ」てくれた。なんという有り難さ。朱雀院は、その他大勢の候補者を振り切り、誰もが願う女三宮を、彼の意思で光源氏に与えたのである。明石・澪標以来の朱雀院の「政治」であろう。これは、全くもって朱雀院の善意から発したものである。しかし、善意ほど始末におえないものはないということを、朱雀院は意識していない。善意の人の善意の人たる所以である

★乳母の政治
朱雀院の相談にのる乳母。彼女はなかなか聡明で、朱雀院の心中を読み切り、話の落とし所を心得ている。最有力候補者・夕霧は雲居雁一筋で、他の女には関心がない。一方、光源氏は「やむごとなき御願ひ深くて、前斎院などをも、今に忘れがたくこそ聞こえたまふなれ」と言上する。光源氏は、自分の地位に相応しい妻を求めている。この情報、信頼に足る情報だろうか。言った乳母本人も、忸怩たるものがあろう。これは、朱雀院の心情を慮った乳母のリップサービス。なのに、疑うことを知らぬ善意の人・朱雀院は、この情報に飛びつく。かくて悲劇が始まる。乳母は、光源氏に仕える兄・左中弁の意見を聞き、さらに朱雀院に言う。光源氏は必ず引き受ける。これは光源氏の宿願が叶う結婚である。が、「年ごろの御本意おぼしぬべきこと」などと光源氏が思っているわけがない。これは、左中弁の個人的意見にすぎない。乳母は、ここで政治的に動いたのである。乳母はまた、朱雀院の面前で、女三宮の幼稚性についての言及している。乳母は姫君の教育係でもあるわけで、こんな姫君にした責任の大半は乳母にあるはず。自己矛盾の論理。「おほかたの御心おきてに従ひきこえて、さかしき下人もなびきさぶらふこそ、たよりあることにはべらめ」は、なかなかいい言葉であるけれども、十三四歳の女三宮は、女房たちに大枠を指示するまでの実力を身につけていない。頼りない主人であったわけである。だから、「取り立てたる御後見」が是非必要である。と乳母は論理展開し、暗に光源氏と結婚すべしといっているのである。この乳母、なかなかの政治家である。

★当世姫君気質
「ほがらかに、あるべかしくて、世の中を御心と過ぐしたま」ふ。自立した女の例が随所にみられたということか。バーバリズムの横行。源氏物語は、こういう飛んでる女性の目を意識して書かれたものと思われる。この朱雀院の言葉は、後われわれが聞くことになる宇治八宮の訓戒と同一である。皇女が誇り高く生きることが難しくなっている現実がある。社会秩序の乱れ。こういう社会への反抗、あるいは逆願望として、光源氏の世界があったのだということが今更ながらに分かるだろう。女三宮を光源氏の世界に入れるということは、最高貴族の保護である。しかし、現実は、光源氏の力をはるかにこえて、「なき親の面を伏せ、影をはづかし」め、「女の身にはますことなき疵」を印すことになる。こうなってはいけないと考えたのに、そうなってしまう。恨みはいっそうつのるのみ。という展開だ。現実社会の攻撃が、光源氏の保塁が破壊されれば、もはや朱雀院の理想はもってゆく場所がなくなる。大袈裟にいえば、貴族社会の崩壊である

★「二心なき愛」の否定
二心なき愛の代表者として藤大納言が描かれている。「ただひとへにまたなく持ちいむかたばかりを、かしこきことに思ひ定めむは、いと飽かずくちをしかるべきわざになむ」。光源氏的世界の称揚である。二心無き愛より花心の愛。朱雀院も古代なる親なのだ。この、藤大納言の延長線上に柏木がいる。藤大納言は朱雀院の別当。朱雀院の出家後、引き続き女三宮の世話をしたいと思っている。忠義な男という印象が強い。この二心ない男に任せた方が、絶対よかったはずだ、と後に読者に思わせるための、これは人物設定か。二心ない世界は、源氏物語の後半のメインテーマとなる。

★東宮の推薦は光源氏
「人柄よろしとても、ただ人は限りあるを」と光源氏を朱雀院に薦める東宮。これが決め手となる。光源氏は、ただ人ではない。前巻で、准太上天皇になったのだったということをいまさらながら反芻せねばならぬ東宮の立言である。あの瞬間、紫上は、光源氏の正妻の座から墜落したのだ、と考えるのが正解である。しかし、この東宮の発言は、政治的発言とみるべきであろう。彼は、自分の立場をさらに固めたいのである。このあたり、皆、自分のことを思い、女三宮のことなんか何も考えていないように見える。この時、東宮の年齢は十三歳。女三宮とほぼ同じ年齢である。頼りない女三宮と、すでに老成した観のある東宮。著しい差を見せつけているのに注意したい。

★光源氏の心の底は
この宮の御事、かく思しわづらふさまは、さきざきもみな聞きおきたまへれば、「心苦しき御事にもあなるかな。さはありとも、院の御代の残り少なしとて、ここにはまたいくばく立ち後れたてまつるべしとてか、その御後見のことをば承けとりきこえむ。げに次第をあやまたぬにて、いましばしのほども残りとまる限りあらば、おほかたにつけては、いづれの皇女
たちをも、よそに聞き放ちたてまつるべきにもあらねど、またかくとりわきて聞きおきたてまつりてむおば、ことにこそは後見きこえめと思ふを、それだにいと不定なる世の定めなさなりや」とのたまひて、「ましてひとへに頼まれたてまつるべき筋に睦び馴れきこえむことは、いとなかなかに、うちつづき世を去らんきざみ心苦しく、みづからのためにも浅からぬ絆になむあるべき。中納言などは、年若く軽々しきやうなれど、行く先遠くて、人柄も、つひに朝廷の御後見ともなりぬべき生ひ先なめれば、さも思しよらむに、などかこよなからむ。されど、いといたくまめだちて、思ふ人定まりにて
ぞあめれば、それに憚らせたまふにやあらむ」などのたまひて、みづからは思し離れたるさまなるを、弁は、おぼろげの御定めにもあらぬを、かくのたまへば、いとほしくも口惜しくも思ひて、内々に思し立ちにたるさまなどくはしく聞こ
ゆれば、さすがにうち笑みつつ、「いとかなしくしたてまつりたまふ皇女なめれば、あながちにかく来し方行く先のたどりも深きなめりかしな。ただ内裏にこそ奉りたまはめ。やむごとなきまづの人々おはすといふことは、よしなきことなり。それにさはるべきことにもあらず。かならず、さりとて、末の人おろかなるやうもなし。故院の御時に、大后の、坊のはじめの女御にていきまきたまひしかど、むげの末に参りたまへりし入道の宮に、しばしは圧されたまひにきかし。この皇女の御母女御こそは、かの宮の御はらからにものしたまひけめ、容貌も、さしつぎには、いとよしと言はれたまひし人なりしかば、いづ方につけても、この姫宮おしなべての際にはよもおはせじを」など、いぶかしくは思ひきこえたまふべし。

★圧倒的な裳着
年末、女三宮の裳着がある。腰結役は、太政大臣。腰結役までやって、柏木の一件が不発に終るというのは、屈辱だろう。彼の父・左大臣は、光源氏の加冠役をやり、娘・葵上を光源氏の添臥とすることに成功している。左右大臣、上達部全員。親王八人。殿上人は、内裏のも東宮のも残らず参加。貴族は全員、この裳着に参列した。女三宮の圧倒的権威を見せつける場面である。この女性が、もし、六条院に降嫁したとしたら、いかな紫上とて吹っ飛ぶだろうという感想を、読者は皆もつはずである。秋好中宮からのお祝いは、朱雀院へのはなむれであろう。二人の思い出の品を贈る。よい場面である。二人は、光源氏の政治の犠牲者であったことをここで読者に再確認させる。そうしておけば、負い目をもつ光源氏が、朱雀院の申し出を拒みきれない環境が成立するからである。

★光源氏の承知
光源氏が見舞いに来る。そして朱雀院と会談する。朱雀院の出家の後で、また、朱雀院は命が「今日か明日かとおぼえ」るような心細い状態であったのだから、もはや後のない状況下での会談である。光源氏は退路を塞がれている。可哀想な朱雀院のために、朱雀院最後の願いは聞き届けてあげねばならない。そういう状況に光源氏は追い込まれる。床の辺で、末期の願いを聞くのと同じである。拒否すれば、男がすたる。承知したのは、光源氏の優しさだろう。が、優しさというものは、とかくその場その場を取り繕うためだけのものであったりするものだ。が、女三宮に関して、光源氏の心の中に、好き心がなかったわれではない。「御心のうちにも、さすがにゆかしき御ありさまなれば」。藤壷に似た人を見てみたい。紫上に似ているのであれば、よいではないか。光源氏は、女三宮の一件を非常に軽く考えている。それにしても、光源氏は何故、結婚を承知してしまったのだろうか。「病は重りゆく、また取り返すべきにもあらぬ月日の過ぎゆけば、心あはただしくなむ」と言う、間もなく死にそうな朱雀院への同情。忘れられない藤壷への思い。やはり、自分にかなう男はこの世にはいないという置屋のかみさん的自負。出家への懐疑。などいろいろあるが、やはり三十九歳年末の決断だから、老いることへの抵抗感というのが、心理的動機としては一番強いと考えるべきかもしれない。ちなみに、『古今集』巻七「賀歌」にある、在原業平の歌を引用する必要がある。
  堀川の大臣の賀、九条の家にてしけるときによめる
    桜花散りかひくもれ老いらくの 
     来むといふなる道まがふがに

 <若菜巻上2>

第35回 若菜上(2) 光源氏は、四十賀

★この巻の粗筋
 1 新年。女三宮六条院降嫁の準備。求婚者たちの残念。帝も。帝、四十賀宴を志すも光源氏辞退する
 2 正月二十三日、子の日。玉鬘、突然来訪。髭黒とともに四十賀を主催する
 3 子供二人つれた玉鬘、光源氏と若菜の贈答
 4 式部卿遅参。忸怩たる思い
 5 太政大臣、柏木親子、和琴を演奏。蛍兵部卿、名代の琴を弾く。継いで光源氏が弾く
 6 暁方、玉鬘帰る。名残を惜しむ光源氏
 7 二月十余日。女三宮六条院に降嫁。入内に準ずる儀式。光源氏牛車のもとに行き女三宮を下ろす異例の行動をする
 8 三日の程、光源氏通う。紫上の思い。光源氏、幼いばかりの女三宮に、かっての紫上の可憐を思う
 9 第三日。出発。見送る紫上との贈答
10 紫上の思い。中務、中将たち女房らの予測。紫上、たしなめるが、不満鎮まらず。他の御方々よりも心配の声届く
11 紫上の独り寝。須磨の別れを思う。空寝の苦しさ
12 光源氏、紫上の夢を見る。夜深く帰る。雪の朝、少し待たされる。光源氏、紫上をなぐさめ、終日彼女のもとですごす
13 光源氏、女三宮に淡雪の歌を贈る。紫上と梅と桜の話をする。届いた女三宮の返歌の幼さ。安堵せよと光源氏が言う。
14 五日目。光源氏、女三宮を昼訪問。幼いだけの姿に、朱雀院の教育を思い、自分の育てた紫上の魅力を思う
15 朱雀院、西山の御寺(仁和寺)に移る。光源氏に消息。紫上にも女三宮の後見依頼の手紙あり。紫上、思いを述べた返事をする。筆跡をみた朱雀院の心配つのる
16 朱雀院の入山にともない、朧月夜二条の宮に帰る。光源氏、昔を今にの気持になり中納言やその兄弟の和泉前守を語らう。朧月夜、あるまじき由を言う
17 光源氏、強引に朧月夜を訪問する。紫上には、末摘花の病気見舞いと言う。紫上、推察しつつもあらがわず
18 対面。朧月夜、心強くふるまえず。藤の宴の昔を思い出す。二人の「身を投」げる別れの贈答
19 嫉妬せぬ紫上に、光源氏、罰を懇願。皆うちあける仕儀となる
20 夏。懐妊の明石女御、ようやく里帰りする。紫上、この機に中の戸を開け女三宮と対面することを光源氏に申し出る。紫上、宮より明石御方を気にする。光源氏、聞き困惑する女三宮に助言する
21 紫上の自負。その美しさと悲しみと。
22 光源氏、対面に立ち会わず、朧月夜の許へ行く
23 紫上、女御と対面の後、女三宮と対面する。女三宮、紫上に懐く。二人の交流始まり、世間の噂、鎮静
24 十月。紫上、嵯峨野御堂で光源氏の四十賀を催す。薬師仏の供養。上達部多数参加
25 十月二十三日。紫上、二条院で精進落とし。明石女御、御方々、大臣、式部卿以下参上せぬ貴族なし。音楽、その昔の朱雀院行幸を髣髴させる。楽人帰参の後、管絃の遊び、光源氏、感激し藤壷を思う
26 帝、行幸の志。光源氏辞退する
27 十二月二十余日。秋好中宮、里下がりして、光源氏の四十賀を祝う。奈良七大寺、京四十寺に誦経さす。自らの未申町の御殿で盛大な賀宴を挙行
28 帝の内意を受けた夕霧、丑寅の町の御殿で、賀宴を張る。太政大臣以下全員参加の盛儀。帝直筆の屏風あり。兵部卿の琵琶、光源氏の琴、太政大臣の和琴に、歓楽を尽くす
29 花散里、夕霧にひかれて晴れやかに満足する

★玉鬘の、押しかけ四十賀
正月二十三日、若菜を持った玉鬘の登場。久し振りという感じがする。世をあげての祝いの申し出を固辞する光源氏の意思などものかわ、内々で準備を進め、おしかけ同然の格好で祝賀をやってしまうところ、光源氏に愛され許されているのだという玉鬘の絶対の自信に裏付けられた行動である。本文より察するに、これまで玉鬘は、うちつづいた出産・育児に忙殺されていたものとみえる。髭黒に促され、わざわざ二人の子供を連れてくる。光源氏のことなど思い出さぬほどに幸せであったのだろう。髭黒も、この機会をとらえ、今や光源氏の側近中の側近になった自分自身を満天下に示そうと目論んでいるようだ。しかし、この玉鬘は、光源氏にとって苦い思い出の女であり、こういう女を、めでたい四十賀の最初に登場させ、祝わせるというのも、底意ある構成であると思う。この玉鬘の手になる若菜が、この巨大な巻の巻名となっているという事実を考えれば、なおさらのことである。若菜は齢をのべるものであるけれども、玉鬘の若菜は、光源氏を老人にしてしまう機縁となる。朝帰ってゆく玉鬘に光源氏が言う。「かう世を捨つるやうにて明かし暮らすほどに、年月の行方も知らず顔なるを、かう数へ知らせたまへるにつけては、心細くなむ。時々は、老いやまさると見たまひくらべよかし」。光源氏の、年月の流れぬ六条院という神仙世界を無邪気に破ってみせた玉鬘の役割が、はからずも露呈していると思わぬか。

★移ればかはる世の中
三日がほどは、世離れなく渡りたまふを、年ごろさもならひたまはぬ心地に、忍ぶれどなほものあはれなり。御衣どもなど、いよいよたきしめさせたまふものから、うちながめてものしたまふ気色、いみじくろうたげにをかし。「などて、よろづのことありとも、また人をば並べて見るべきぞ。あだあだしく心弱くなりおきにけるわが怠りに、かかることも出で来るぞかし。若けれど中納言をばえ思しかけずなりぬめりしを」と、我ながらつらく思しつづけらるるに、涙ぐまれて、「今宵ばかりはことわりゆるしたまひてんな。これより後のとだえあらんこそ、身ながらも心づきなかるべけれ。またさりとて、かの院に聞こしめさむことよ」と思ひ乱れたまへる御心の中苦しげなり。すこしほほ笑みて、紫の上「みづからの御心ながらだに、え定めたまふまじかなるを、ましてことわりも何も。いづこにとまるべきにか」と、言ふかひなげにとりなしたまへば、恥づかしうさへおぼえたまひて、頬杖をつきたまひて寄り臥したまへれば、硯を引き寄せて、
    目に近く移ればかはる世の中を行く末とほくたのみけるかな
古言など書きまぜたまふを、取りて見たまひて、はかなき言なれど、げに、とことわりにて、
    命こそ絶ゆとも絶えめさだめなき世のつねならぬなかの契りを
とみにもえ渡りたまはぬを、紫の上「いとかたはらいたきわざかな」とそそのかしきこえたまへば、なよよかにをかしきほどにえならず匂ひて渡りたまふを、見出だしたまふもいとただにはあらずかし。

★二人の須磨・明石
三日目。須磨の別れを思い出す紫上。須磨の「近き別れ」こそ、光源氏と紫上との夫婦愛の確立であった。死に別れより生き別れ。あの試練を越えてこそ、二人の愛は確固不動のものとなったはずなのに。と、紫上は思う。「さてそのまぎれに、われも人も命堪へずなりなましかば、いふかひあちまし世かは」。この紫上の思いは、須磨明石以降今にいたるまでの二人の人生の価値を肯定するものである。価値を肯定すればするほど、価値を破壊する現在が恨めしい、といった心境だろう。紫上の夢を見、あわてふためき帰ってきた光源氏が、簀子でしばらく待たされる。彼が庭の雪を眺める場面。彼がその時つぶやいた「なほ残れる雪」は、『白氏文集』巻十六「叟楼暁望」の一節。この詩は、白楽天が江州司馬に左遷されて、かの地の城で四方を眺めて作ったものである。光源氏も、彼の生涯における江州であった須磨・明石を、この時思っていたとすれば、紫上と光源氏の二つの心は、同じ思いを共有していたことになる。紫上への、せめてもの救いである。明石の日記の段以来のテレパシー。この詩を持ち出した作者の狙い
も、そこにあるというべきだろう。部屋に入り、光源氏が紫上の「御衣ひきやりなどしたまふ」と、紫上が「すこし濡れたる御単の袖をひき隠し」た場面。光源氏にとって生涯忘れられない痛恨の場面となる。

★紫上、美しさと悲しみと
 対には、かく出で立ちなどしたまふものから、我より上の人やはあるべき、身のほどなるものはかなきさまを、見えおきたてまつりたるばかりこそあらめなど思ひつづけられて、うちながめたまふ。手習などするにも、おのづから、古言も、もの思はしき筋のみ書かるるを、さらばわが身には思ふことありけりとみづからぞ思し知らるる。
 院、渡りたまひて、宮、女御の君などの御さまどもを、うつくしうもおはするかなとさまざま見たてまつりたまへる御目うつしには、年ごろ目馴れたまへる人の、おぼろけならんがいとかく驚かるべきにもあらぬを、なほたぐひなくこそはと見たまふ。ありがたきことなりかし。あるべき限り気高う恥づかしげにととのひたるにそひて、はなやかにいまめしくにほひ、なまめきたるさまざまのかをりも取りあつめ、めでたき盛りに見えたまふ。去年より今年はまさり、昨日より今日はめづらしく、常に目馴れぬさまのしたまへるを、いかでかくしもありけむと思す。
 うちとけたりつる御手習を、硯の下にさし入れたまへれど、手などの、いとわざとも上手と見えで、らうらうじくうつくしげに書きたまへり。
    身にちかく秋や来ぬらん見るままに青葉の山もうつろひにけり
とある所に、目とどめたまひて、
    水鳥の青羽は色もかはらぬを萩のしたこそけしきことなれ
など書き添へつつすさびたまふ。ことに触れて、心苦しき御気色の、下にはおのづから漏りつつ見ゆるを、事なく消ち給へるもありがたく、あはれにおぼさる。

★朧月夜は焼け木杭に火なのか
光源氏が、出家した朱雀院の許を離れ里に帰った朧月夜との交渉を復活させるのは、俗にいう「焼け木杭に火」なのであるけれども、女三宮への失望感が、光源氏の心を、藤壷がいた時代に向わせるというのは自然な流れなのではないか。女三宮の中に期待した藤壷がいなかったのだから。朧月夜は、そういう光源氏の心の底の欲求に応える存在であったにちがいない。いうなれば、朝顔巻の朝顔が、若菜巻の朧月夜なのだ。また、こうも考えられないか。女三宮ごとき出来損ないを自分に押しつけた朱雀院に対する光源氏の意趣返し。が、これはいささか考えすぎか。ままよ、光源氏と朧月夜との関係復活は、この若菜巻の場に、須磨・明石の時間を復活し、朝顔巻と同じく、紫上の存在の意味を問うという意図がからんでいるということであろう。須磨・明石を否定する結果となった現在の自分の行為を取り消したい。という光源氏の深層心理が、須磨・明石の象徴である朧月夜に走らせたのだ。と考えるのもうがった解釈だと思う。さて、朧月夜の件に対する紫上の反応。「姫宮の御ことののちは、何ごとも、いと過ぎぬるかたのやうにあらず、すこし隔つる心添ひて、見知らぬやうにておはす」。女三宮事件は、確実に彼女を変えた。彼女は光源氏からすこしずつ離れていっている。少なくとも彼女にとって光源氏は全てではなくなっている。紫上が、諦めと孤独の道を歩みはじめているのである。

★紫上の政治、対面の場
 いと幼げにのみ見えたまへば心やすくて、おとなおとなしく親めきたるさまに、昔の御筋をも尋ねきこえたまふ。中納言の乳母という召し出でて、「おなじかざしを尋ねきこゆれば、かたじけなけれど、分かぬさまに聞こえさすれど、ついでなくてはべりつるを。今よりは疎からず、あなたなどにもものしたまひて、怠らむことはおどろかしなどもものしたまはむなむうれしかるべき」などのたまへば、「頼もしき御蔭どもにさまざまに後れきこえたまひて、心細げにおはしますめるを、かかる御ゆるしのはべめれば、ますことなくなむ思うたまへられける。背きたまひにし上の御心隔てきこえたまはず、まだいはけなき御ありさまをも、はぐくみたてまつらせたまふべくぞはべめりし。内々にもさなむ頼みきこえさせたまひし」など聞こゆ。「いとかたじけなかりし御消息の後は、いかでとのみ思ひはべれど、何ごとにつけても、数ならぬ身なむ口惜しかりける」と、やすらかにおとなびたるけはひにて、宮にも、御心につきたまふべく、絵などのこと、雛の棄てがたきさま、若やかに聞こえたまへば、げにいと若く心よげなる人かなと、幼き御心地にはうちとけたまへり。

★紫上主催、光源氏四十賀
光源氏などものかは、自力で女三宮を鎧袖一触した紫上が主催した光源氏四十賀は、彼女の自己確立、勝利の宴である。ここが、紫上の人生的頂点といえよう。先ず十月に「嵯峨野の御堂にて、薬師仏供養」を行い、その後二十三日に精進落としの宴ほ「私の殿とおぼす二条の院」で催した。この祝賀は、明石女御も参加した盛儀で「南の廂に、上達部。左右の大臣、式部卿の宮をはじめたてまつりて、次々はまして参りたまはぬ人なし」とある。玉鬘の時とは違い、楽人も今度は参加している。二条院は、いうまでもなく、桐壷更衣の里邸であったわけで、紫上の役目も現在宮中桐壷にいる明石女御同様、桐壷更衣の夢を里において実現していることを暗示している。

★光源氏の夢想
彼は藤壷を思っている。藤壷が生きていれば、自分もこのようにして祝ってやったろうに。三十七歳の死が惜しまれる。紫上主催の賀宴は、残酷にも、この光源氏の夢想で閉じられる。紫上の生涯は一体なんだったのだと読者はおそらく思うだろう。紫上が自己確立を遂げたことは、すでに触れた。光源氏のこの夢想は、紫上の人生選択を側面から強く支持する結果となる。紫上の独立は、正解だったのだ。哀れ光源氏は、藤壷の夢を実現した感慨でもある。藤壷の生前は、ともに東宮の安泰をはかり、即位まで仕上げた。今、自分は、かっての絵合巻の藤壷の立場にたっているという感慨である。この、政治的感慨に紫上の入る余地がない。光源氏と紫上、それぞれが孤立している印象が強い。

★四十賀の釣瓶打ち
年末、秋好中宮主催になる賀宴が行われ、さらに夕霧主催に名を借りた冷泉帝執念の四十賀が実現する。この宴は「親王たち五人、左右の大臣、大納言二人、中納言三人、宰相五人、殿上人は、例の、内裏、東宮、院、残る少なし」というのだから、貴族ほぼ全員参加である。ハイライトは、太政大臣の参加であろう。彼は太り、「今盛りの宿徳」に見える。蛍兵部卿が琵琶、光源氏が例によって琴(きん)、太政大臣が得意の和琴。正月の、玉鬘主催の賀宴の再来である。三者とも、「昔の御物語どもなど出で来て」「御酔ひ泣きどもえとどめず」、とある。光源氏は、嫌だ嫌だと言いながら、結局、この一年は、みんなに四十賀を祝われて、むりやり四十歳の現実を押しつけられてしまう。この時、光源氏の目のき前には、老いらくの道しかないのである。それをとことん知らしめる一年である。と、このめでたい一年は総括できる。

 <若菜上3>

第36回 若菜巻上(3) 遺言と運命の蹴鞠

★この巻の粗筋
 1 新年。明石女御の出産近づく。不例を按じた光源氏、陰陽師の意見を入容れ、女御を明石町中の対へ移す
 2 明石尼君、喜びの対面。女御に昔を語る。女御、出自の詳細を知り、反省の思い
 3 明石御方、驚き咎める。尼君老耄の体
 4 明石尼君、女御、明石御方、三者の歌。明石を想う
 5 三月十余日。女御、男御子出産。光源氏安心する
 6 産養の儀続く。紫上渡り、若君を抱き祖母として終始する。明石御方、湯殿役を勤める。東宮宣旨典侍、明石御方に感銘する
 7 六日目。女御、春の御殿に帰る。七日の産養の盛儀。帝、朱雀院、秋好中宮からも奉仕。世こぞって祝う 
 8 光源氏、事そがせず。若宮を抱き満悦する
 9 明石御方の謙譲、褒めぬ人無し。紫上、若君で融和、いつくしみに日をくらす。離れた明石尼君は無念の思い
10 明石入道、喜ぶ。かねての用意通り、家を寺にし、三月十四日に深き山に移る
11 明石入道、御方に最後の文を送る。彼の人生を決定した「夢」を明かす。尼君にも簡単な文あり
12 尼君、使いの法師に、詳細を聞く
13 知らせを聞いた明石御方、南の町より来たり、文を見る。入道の心を知り涙とどまらず
14 尼君、入道の事を語って、御方と夜もすがら歎きあかす。暁方、御方、尼君を慰め、文箱をもち女御の許に帰る
15 東宮より、お召し、しきり。紫上、光源氏賛同。女御は里心のためらい。御方、女御に同情する
16 明石御方、紫上の去った夕方、入道の文を女御に見せる。母として処世の訓戒をする。紫上の恩を語る
17 女三宮のところにいた光源氏、若宮を見に来る。紫上の許にあると聞き、軽口を叩き、御方にたしなめられる
18 光源氏、入道の文に気付く。読んで、入道の人となりをかたり、一族の運命に言及する
19 光源氏、女御に紫上への恩を説き、なさぬ仲の難しさを語る
20 明石御方、紫上の有り難さを語る。光源氏、御方の処世を褒める。御方、卑下した自分の幸せを思う
21 明石御方、紫上を思い、女三宮の現状を思い、自分の宿世の高さを思う
22 夕霧、表面はともかく内面の頼り無い女三宮周辺に軽い失望を感じる。光源氏は、広い心でおおらかにみているが、本人にはよく教えている
23 夕霧、紫上を絶賛する。女三宮にたいする光源氏の愛は「人目を飾」る愛だと思う
24 柏木、女三宮をなおも諦めず。小侍従を語らい、情報を蒐集する
25 三月。つれづれをなぐさめるべく、光源氏、蹴鞠を催す。蛍兵部卿見物。柏木、夕霧、頭弁など桜の花の下で、蹴鞠を楽しむ。柏木の伎倆際だつ
26 唐猫とび出し、紐で御簾が上がる。柏木と夕霧、女三宮をあらわに見る。柏木、放たれた猫を抱く
27 東対の南面で酒宴始まる。夕霧女三宮の軽さを思う。柏木、目撃の僥倖を思い、忘れられず
28 光源氏、柏木と語る。柏木、身の及ばぬ程を思い、胸ふさがって退下
29 帰途、同車の夕霧に、女三宮の不幸を語る柏木。夕霧反論する
30 柏木、思い募り、小侍従のもとに文をやる
31 小侍従、柏木の文を女三宮に見せて笑う。女三宮、光源氏の注意を思い、恐懼。小侍従、柏木に厳しい返事を書く

★明石尼君の存在
明石尼君がこの時まで生きていて、自分の町に皇子を産みに来た孫・女御にようやく再会する。夢の心地は、当然だろう。そして、何も知らぬ女御に、昔の物語を語る。「ほけ人」明石尼君の話は露骨だが、これこそが、何も言わない母・明石御方の心の底に秘めた一族の意志である。という構想であろう。可愛い姫君、つまり今の明石女御を紫上のところに差し出すよう娘の明石御方を言葉を尽くして説得した薄雲巻の流れがここまで届いている。また、これは、藤壷が死んだ時、冷泉院出生の秘密を夜居の僧が語った場面と対になる構想であろうかとも思われる。明石の栄華も、傷をもった栄華なのであって、完全無欠のものではない。手放しの幸福への作者の嫌悪、という一面も確かにある。しかし、ここは、冷泉院が密奏をうけることによって、藤壷と光源氏との罪を引き継いだように、明石女御は、今一族の秘密を尼君からとことん聞いたことによって、これより明石の意志を引きずって生きることになる。明石一族の夢は、こうして今、明石女御に繋がったのである。女御が出産をする前に、秘密を聞いている点も、細かい芸である。明石姫君は、「明石の御町」で明石になって明石の夢をこの世に産み出した、と読めるではないか。しかし、この秘密も、後に語られる明石入道の夢の前座にすぎない。作者は、二段構えで、明石の夢を女御と読者に押しつけるのである。明石御方に叱られた尼君がこの時歌った歌もよい。
    老いの波かひある浦に立ち出でてしほたるあまを誰かとがめむ

★明石入道の文
 この近き年ごろとなりては、京に、ことなることならで、人も通はしたてまつらざりつ。これより下したまふ人ばかりにつけてなむ、一行にても、尼君にさるべきをりふしのことも通ひける。思ひ離るる世のとぢめに、文書きて、御方に奉れたまへり。
 この年ごろは、同じ世の中のうちにめぐらひはべりつれど、何かは、かくながら身をかへたるやうに思うたまへなしつつ、させることなきかぎりは聞こえうけたまはらず。仮名文見たまふるは目の暇いりて、念仏も解怠するやうに益なうてなむ、御消息も奉らぬを。伝にうけたまはれば、若君は、春宮に参りたまひて、男宮生まれたまへるよしをなん、深くよろこび申しはべる。そのゆゑは、みづからかくつたなき山伏の身に、今さらにこの世の栄えを思ふにもはべらず、過ぎにし方の年ごろ、心ぎたなく、六時の勤めにも、ただ、御事を心にかけて、蓮の上の露の願ひをばさしおきてなむ、念じたてまつりし。わがおもと生まれたまはむとせしその年の二月のその夜の夢に見しやう、みづから須弥の山を右の手に捧げたり、山の左右より、月日の光さやかにさし出でて世を照らす、みづからは、山の下の蔭に隠れて、その光にあたらず、山をば広き海に浮かべおきて、小さき舟に乗りて、西の方をさして漕ぎゆくとなむ見はべし。夢さめて、朝より、数ならぬ身に頼むところ出で来ながら、何ごとにつけてか、さるいかめしきことをば待ち出でむと心の中に思ひはべしを、そのころより孕まれたまひにしこなた、俗の方の書を見はべしにも、また内教の心を尋ぬる中にも、夢を信ずべきこと多くはべしかば、賎しき懐の中にも、かたじけなく思ひいたづきたてまつりしかど、力及ばぬ身に思うたまへかねてなむ、かかる道におもむきはべりにし。またこの国のことに沈みはべりて、老の波にさらにたち返らじと思ひとぢめて、この浦に年ごろはべりしほども、わが君を頼むことに思ひきこえはべしかばなむ、心ひとつに多くの願を立てはべし。その返申し、たひらかに、思ひのごと時に逢ひたまふ。若君、国の母となりたまひて、願ひ満ちたまはむ世に、住吉の御社をはじめ、はたし申したまへ。さらに何ごとをかは疑ひはべらむ。このひとつの思ひ、近き世にかなひはべりぬれば、遥かに西の方、十万億の国隔てたる九品の上の望み疑ひなくなりはべりぬけば、今は、ただ、迎ふる蓮を待ちはべるほど、その夕まで、水草清き山の末にて勤めはべらむとてなむまかり入りぬる。
    ひかり出でん暁ちかくなりにけり今ぞ見し世の夢がたりする
とて、月日書きたり。
 命終はらむ月日もさらにな知ろしめしそ。いにしへより人の染めおきける藤衣にも何かやつれたまふ。ただわが身は変化のまのと思しなして、老法師のためには功徳をつくりたまへ。この世のたのしみに添へても、後の世を忘れたまふな。願ひはべる所にだに至りはべりなば、かならずまた対面ははべりなむ。娑婆の外の岸に至りて、とくあひ見むとを思せ。
 さて、かの社に立て集めたる願文どもを、大きなる沈の文箱に封じ籠めて奉りたまへり。
 尼君には、ことごとにも書かず、ただ、「この月の十四日になむ、草の庵まかり離れて深き山に入りはべりぬる。かひなき身をば、熊、狼にも施しはべりなむ。そこにはなほ思ひしやうなる御世を待ち出でたまへ。明らかなる所にて、また対面はありなむ」とのみあり。

★明石御方の訓戒
明石御方が、入道の文を明石女御に見せて教訓する場面はよい。実母の感覚がよく出ていてゆきとどいている。「思ふさまにかなひ果てさせてたまふまでは、取り隠して置きてはべるべけれど」のあたり、明石御方の心の底の思いが滲み出ている。彼女には、「かばかりと見たてまつりおきつれば」という自信があっての行為である。見るべきものは見た、あとは出家のみ。この発想は後の紫上のものであるが、明石御方は、すでにここで紫上より先に紫上になっている。明石御方の勝利宣言であろう。「対の上の御心、おろかに思ひきこえさせたまふな」と言う明石御方。義母が継子を苛めぬばかりか、実の子以上に育て上げた、「世の常」ならぬ美しい物語の帰結である。これまで「世の常に思うたまへわたりはべりつる」明石御方も、この点に思いをはせている。しかし、明石御方にこう言われてみると、いまさらながらに、紫上の立場の弱さが印象的である。

★明石一族の「たがひ目」
「年の積もりに、世の中のありさまを、とかく思ひ知りゆくままに、あやしく恋しく思ひ出でらるる人の御ありさまなれば、深き契りの仲らひはいかにあはれならむ」などのたまふついでに、この夢語も思しあはすることもやと思ひて、「いとあやしき梵字とかいふやうなる跡にはべめれど、御覧じとどむべきふしもやまじりはべるとてなむ。今はとて、別れはへりにしかど、なほこそあはれは残りはべるものなりけれ」とて、さまよくうち泣きたまふ。とりたまひて、「いとかしこく、なほほれぼれしからずこそあるべけれ。手なども、すべて何ごとも、わざと有職にしつべかりける人の、ただこの世経る方の心おきてこそ少なかりけれ。かの先祖の大臣は、いと賢くありがたき心ざしを尽くして朝廷に仕うまつりたまひけるほどに、ものの違ひ目ありて、その報いにかく末はなきなりなど人言ふめりしを、女子の方につけたれど、かくていと嗣なしといふべきにはあらぬも、そこらの行ひの験にこそはあらめ」など、涙おし拭ひたまひつつ、この夢のわたりに目とどめたまふ。「あやしく、ひがひがしく、すずろに高き心ざしありと人も咎め、また我ながらも、さるまじきふるまひを仮にてもするかなと思ひしことは、おぼつかなくこそ思ひわたりつれ、さらば、かかる頼みありて、あながちには望みしなりけり。横さまにいみじき目を見、漂ひしも、この人ひとりのためにこそありけれ。いかなる願をか心に起こしけむ」とゆかしければ、心の中に拝みてとりたまひつ。「これは、また具して奉るべきものはべり。今また、聞こえ知らせはべらむ」と、女御には聞こえたまふ。

★明石御方、卑下の総括
光源氏は、紫上を常にたて、自らは決してでしゃばらない明石御方の謙譲精神を褒める。この時の、明石御方の思いに注目したい。「さりや、よくこそ卑下しにけれ」。この時、読者は、彼女の謙譲精神が生来のものではないことを知るだろう。その昔より、彼女は誇り高く、六条御息所タイプの女性であった。己を殺した努力が、たまたま吉と出たのみであって、そうする戦略が彼女にあったわけではない。人生は偶然なのだ。紫上とて、昔から明石御方を許していたわけではない。「さばかりゆるしなくおぼしたりしかど」と、作者は、前にしっかり書いている。これも、若菜巻の厳しさである。ともあれ、「すべて今はうらめしき筋もなし」。明石御方の人生はこのように総括される。「わが宿世は、いとたけくぞおぼえたまひける」。彼女も、花散里のように、「かばかりの宿世」意識で、人生の決着をつけた感が深い。

★猫
時は夕方。蹴鞠の場所は「寝殿の東面」。女三宮がいたところが「階より西の二の間の東のそば」だから、彼女は逆光の中にいたことが分かる。彼女は横を向いていて、蹴鞠見物に夢中の様子。「夕影になれば、さやかならず、奥暗きここちする」。柏木に、顔をよく見られなかったことが逆に柏木の想像力を刺激する結果となり、悲劇の呼び水となったと考えられる。猫がはげしく鳴いたので、猫の方を女三宮が振り向く。猫の方は、綱で御簾が開いていて丸見えの方角である。夕霧と柏木とは、絶好の位置にいて、それまで「髪のかかりたまへる側目」、つまり横顔しか見えなかった女三宮の、髪にかくれた顔を正面からまともに見る機会に恵まれたわけである。逆光の位置にいたのが女三宮のわずかな救いである。夕霧の「しはぶき」ではじめて、そのことに気付き奥に入っていった彼女の振る舞いは、いかにも軽率。「いと端近なりつるありさまを、かつは軽々し」と夕霧が思うのも当然である。柏木の女三宮に関する第一印象は「いとおいらかにて、若くうつくしの人」である。柏木は完全に誤解している。これが彼の、女三宮に対する期待であった、と思っておいたほうがよいのかもしれない。ものは、期待どおりに見えるものなのである。解き放たれた唐猫を柏木が招きよせて抱く。猫は女三宮の香りがした。猫が小道具としてうまく使われている。御存知の通り、ペルシャ猫の子猫は、ことのほか人懐っこい。

 <若菜巻下1>

第37回 若菜巻下(1) 四年空白。 住吉詣

★この巻の粗筋
 1 柏木、不埒の思いを抱く
 2 三月末日。六条院で競射。柏木も参加する。夕霧、柏木の様子を見、心配する
 3 柏木、光源氏を畏怖。せめて猫を得ようと思う
 4 柏木、弘徽殿女御を訪れ、その慎み深さを知る。ついで東宮を訪問
 5 内、東宮に猫多し。柏木、六条院の唐猫を語る。猫好きの東宮、桐壷女御を通じ、女三宮の猫を得、気に入る
 6 数日後、再訪した柏木、東宮より言葉巧みに女三宮の猫を預かることに成功する
 7 柏木、猫を溺愛する
 8 玉鬘の近況。実の兄弟たちより夕霧と親しむ。男君ばんりの玉鬘、真木柱姫君を引き取りたく思うが、実家の反対で果たせず。真木柱は玉鬘を慕う
 9 祖父式部卿、真木柱を柏木にとこころざすが、柏木興味を示さず
10 蛍兵部卿、求婚する。すぐに許可され、兵部卿拍子抜けする。式部卿、後見に全力を尽くす
11 兵部卿、亡き妻を忘れられず、真木柱に不満。周囲の者たちの慨嘆しきり。玉鬘、往時を思う。男御子たちに後見をさせる。宮、ほだされる
12 祖母・大北の方、憤懣を吐露する。宮、不満をもちつつも、真木柱との結婚生活を維持する
13 月日経過。冷泉帝譲位。東宮即位。太政大臣、致仕。黒髭、右大臣となって権力を握る。帝の母腹の一の宮、東宮になる。夕霧、大納言就任
14 光源氏、冷泉院皇統の断絶を密かに惜しむ。罪のかくれる宿世を思う
15 明石女御御腹の御子多数。立后疑いなし。秋好中宮、光源氏に感謝の思い。冷泉院、外出の自由を楽しむ
16 紫上、出家の思いを語る。光源氏、たしなめる
17 明石御方の卑下の振る舞いと尼君の幸せ
18 十月中旬。源氏、願果たしと明石女御の将来のために住吉詣でを決意。入道の箱を開け、改めて入道の凄さを実感。権現の思い
19 紫上の同道。上達部、大臣以外は皆お供をする。選び抜かれた一行の空前の盛儀
20 女御、紫上同車。次の車に明石御方と尼君、女御乳母。紫上の牛舎五台、女御五台、明石三台。目もあやなる車の装束
21 十月二十日。住吉社頭の東遊びのおもしろさ
22 光源氏、往時を思い、致仕の大臣を恋しく思う。昔を知る尼君と贈答する
23 一晩中の神楽。紫上、女御などの歌。千夜を一夜にしたい夜
24 帰途、逍遥をつくす。明石尼君の幸い。近江君、双六の呪文に、「明石尼君、明石尼君」
25 朱雀院勤行の日々。女三宮の心配は依然。内意を受けた帝、二品を授ける。女三宮の勢力増す
26 女三宮、紫上に並ぶ。紫上、女一宮らの養育に無聊をなぐさめる
27 花散里、夕霧の典侍腹の君をひきとり孫扱いをする。光源氏の子孫ひろがる
28 髭黒、いまや光源氏の側近。玉鬘も六条院へよく顔を出し、紫上に親しむ。光源氏、女三宮を思いはぐくむ
29 朱雀院、女三宮との対面を望む
30 源氏、女三宮主催の、朱雀院五十賀を企画する
31 賀の舞楽の準備。舞人は髭黒や夕霧、兵部卿その他の子供たちを選抜する
32 源氏、朱雀院や帝の所望やみがたく、琴の秘曲を女三宮に伝授する。ここのところ、夜は女三宮にかかりきりとなる
33 明石女御、六条院へ里下がり。琴の伝授をうらやみ、ゆかしがる
34 歳末、月の夜、光源氏の教授盛ん。紫上も女三宮の琴をゆかしがり、新春の演奏会を期待する        

★弓の名手
柳の葉を百度あてつべき舎人どもの、うけばりて射取る、無心なりや」と、この下巻の冒頭で光源氏が養由基の話を持ち出したことに何か底意があるか。百歩はなれた地点から柳の葉を百発百中させ、やんやの喝采をうけた養由基を見た或る男が、いい加減に止めぬと失敗して評価を台無しにするぞと言った。ということが史記周本紀に記してある。この或る男の発想が、若菜巻のこれからの展開に微妙な影を落とすと読むべきではないか。

★柏木、猫を溺愛する
 つひにこれを尋ねとりて、夜もあたり近く臥せたまふ。明けたてば、猫のかしづきをして、撫で養ひたまふ。人げ遠かりし心もいとよく馴れて、ともすれば衣の裾にまつはれ、寄り臥し、睦るるを、まめやかにうつくしと思ふ。いといたくながめて、端近く寄り臥したまへるに、来てねうねうといとらうたげになれば、かき撫でて、うたてもすすむかなとほほ笑まる。
「恋ひわぶる人のかたみと手ならせばなれよ何とてなく音なるらん
これも昔の契りにや」と、顔を見つつのたまへば、いよいよらうたげになくを、懐に入れてながめゐたまへり。御達などは、「あやしくにはかなる猫のときめくかな。かやうなるもの見入れたまはぬ御心に」と咎めけり。宮より召すにもまゐらせず、とり籠めてこれをこれを語らひたまふ。

★二心なき愛
本音の人・大北の方の意見。本文では「さがな者」と呼び、罵倒している。その大北方の意見は、「親王たちは、のどかに二心なくて見たまはむをだにこそ、はなやかならぬなぐさめには思ふべけれ」と、厳しい。これに対して、「いと聞きならはぬことかな」と蛍兵部卿が強く反発している。親王こそは、花心の人であるはずだと彼は思っていて、大北の方発言は心外の発言であると彼は思う。だが、大北の方の意見に着目すると、親王の経済的不如意が、こういう愛の世界を成立させている姿が透けて見える。兵部卿の反発も、そこに根ざしているのかもしれない。さて、ここは、大北の方の言葉を通して、二心ない愛の世界の提示が、確然としてここにあるという事実が重要である。これは、明らかに反光源氏的世界の提示である。また、この二心ない愛は、かって、玉鬘の結婚問題に際し、光源氏の脳裏をかすめた想念でもあった。これが、蛍兵部卿にも適用されようとしているところに、貴族世界の黄昏が暗示されているといえよう。光源氏の世界は、いうなれば、貴族の夢の、最後の砦なのである。これから、光源氏世界のカタストロフィーを語る前に、これを語った作者の意図を、われわれは決して見逃すべきではない。

★皇統の断絶
光源氏が、冷泉院に後継ぎがいないということに不満をもっていることは注目される。普通なら、罪を隠しおおせた幸せをかみしめるところだけれども、彼の場合、「末の世まで」自分と藤壷との血脈を「え伝ふまじかりける御宿世」が「くちをしくさうざうし」いのである。盗人たけだけしい発想ではないかと一応考えられる。彼は増上慢におちいっている。まもなく、鉄槌がくだされるのは、けだし当然といえようかと。養由基に忠告した或る男のイメージが生かされる時が来たというべきかもしれない。なお、それはそれとして、光源氏がこう思う正当な理由があるらしいことも、考慮しておくべき事項かもしれない。先帝の時代まで逆上って、この光源氏の思念は考究されるべき思念だろうかもしれないから。「人にのたまひあはせぬことなれば」とある。藤壷が生きていれば、分かってもらえた、という文脈ではないか。これは、天智・天武の昔まで遡らないと分からぬ話なのかもしれないが。

★紫上、出家の思い
 姫君の御事は、帝、御心とどめて思ひきこえたまふ。おほかたの世にも、あまねくもてかしづかれたまふを、対の上の御勢ひにはえまさりたまはず。年月経るままに、御仲いとうるはしく睦びきこえかはしたまひて、いととか飽かぬことなく、隔ても見えたまはぬものから、「今は、かうおほぞうの住まひならで、のどやかに行ひをもとなむ思ふ。この世はかばかりと、見はてつる心地する齢にもなりにけり。さりぬべきさまに思しゆるしてよ」とまめやかに聞こえたまふをりをりあるを、「あるまじくつらき御事なり。みづから深き本意あることなれど、とまりてさうざうしくおぼえたまひ、ある世に変らん御ありさまのうしろめたさによりこそ、ながらふれ。つひにそのこと遂げなん後に、ともかくも思しなれ」などのみ妨げきこえたまふ。
 女御の君、ただ、こなたを、まことの御親にもてなしきこえたまひて、御方は隠れ処の御後見にて、卑下しものしたまへるしもぞ、なかなか行く先頼もしげにめでたかりける。尼君も、ややもすれば、たへぬよろこびの涙、ともすれば落ちつつ、目をさへ拭ひただして、命長き、うれしげなる例になりてものしたまふ。

★恋しい昔
光源氏は、住吉の社頭で、須磨明石の昔を「目の前のやうに」回想している。そして、「致仕の大臣をぞ、恋しく思ひきこえたまひける」とある。昔を語れる人が、もう彼以外いない現実の表示か。それとも、親友を圧倒しさり、失意に追い込んだ慚愧の思いの表示であろうか。もう一人の昔を語れる人・明石尼君は、光源氏と贈答したあと、「昔こそまづ忘れられね住吉の神のしるしを見るにつけても」とひとりごちた。彼女は、光源氏よりさらに一昔前を回想している。作者がその内容に触れないのは憎い処置である。彼女は、同世代の人であった桐壷更衣の夢、さらには更衣の母の、見果てぬ夢、挫折した一族の夢をいま見ているものと推察される。

★千夜を一夜になさまほしき夜
 夜一夜遊び明かしたまふ。二十日の月遥かに澄みて、海の面おもしろく見えわたるに、霜のいとこちたくおきて、松原も色まがひて、よろづのことそぞろ寒く、おもしろさもあはれさもたち添ひたり。対の上、常の垣根の内ながら、時々につけてこそ、興ある朝夕の遊びに耳ふり目馴れたまひけれ、御門より外の物見をさをさしたまはず。ましてかく都のほかのありきはまだならひたまはねば、めづらしくをかしく思さる。
    住の江の松に夜ぶかくおく霜は神のかけたる木綿鬘かも
篁朝臣の、「比良の山さへ」と言ひける雪の朝を思しやれば、祭の心うけたまふしるしにやと、いよいよ頼もしくなむ。女御の君、
    神人の手にとりもたる榊葉に木綿かけ添ふるふかき夜の霜
    祝子が木綿うちまがひおく霜はげにいちじるき神のしるしか
次々、数知らず多かりけるを、何せむにかは聞きおかむ。かかるをりふしの歌は、例の上手めきたまふ男たちもなかなか出で消えして、松の千歳より離れていまめかしきことなければ、うるさくてなむ。
 ほのぼのと明けゆくに、霜はいよいよ深くて、本末もたどたどしきまで、酔ひ過ぎにたる神楽おもてどもの、おのが顔をば知らで、おもしろきことに心はしみて、庭燈も影しめりたるに、なほ「万歳、万歳」と榊葉をとり返しつつ、祝ひきこゆる御世の末、思ひやるぞいとどしきや。よろづのこと飽かずおもしろきままに、千夜を一夜になさまほしき夜の、何にもあらで明けぬれば、返る波に競ふも口惜しく若き人々思ふ。

★明石の尼君、明石の尼君
明石御方のことが、この盛大な住吉詣での場面でほとんど語られていないという点も注目されよう。彼女は彼女らしい卑下の生き方をしつづけているということか。澪標巻で、とことん知らしめられた光源氏との身分的落差。いま、彼女は、その光源氏の栄華のレベルに達しているのであるから、感慨ひとしおであったろうと想像される。なのに作者は、彼女に焦点を合わせようとしない。紫上への配慮かもしれない。しかし、「めざましき女の宿世かな」と陰で皆噂する明石尼君の幸福を書いておけば、彼女の幸せは推して知るべしということであろう。皆まで言うのは下根の沙汰だということであろうか。双六を打つ時、「明石の尼君、明石の尼君」と念じる近江君の言葉で、この住吉詣での盛儀は閉じられる。近江君は正直にして本音の人で、決して嘘をつかない人である。ここに、まぎれもなく「幸ひ人」明石尼君のイメージが確定する。桐壷更衣の母の、見果てぬ夢の完結である。

★紫上の不安
明石一族の栄華、そして女三宮の成長。紫上の不安は募る。出家願望の強まりは当然であろう。「わが身はただ一所の御もてなしに、人には劣らねど、あまり年積もりなば、その御心ばへもつひにおとろへなむ、さらむ世を見果てぬさきに、心と背きにしがな」。これが、紫上の悲しい現状である。しかし、彼女は、自分から言い出すのは「さかしきやうにや」と遠慮している。そして、ついに運命の時が来る。朱雀院への配慮故とはいえ、光源氏が女三宮のところへ「わたりたまふこと、やうやうひとしきやうになりゆく」時がやって来た。紫上は、女三宮に並ばれたのである。このまま推移せんか。抜き去られるのは、年齢からいって時間の問題であろう。四年の空白の設定は、実に、この二人の女の差を一挙に無くしてしまう仕掛けであったと知れる。女盛りに向かう女と、衰亡に瀕する女。女一宮の世話で「つれづれなる御夜がれのほどもなぐさめたまひける」紫上の姿は、哀れをかもす。養由基の影は、ここにも及んでいる。

★朱雀院五十賀
朱雀院の願望をいれ、朱雀院で、親子対面をする計画がなされる。その対面にかこつけて五十賀をする。「若菜など調じてや」と光源氏は考える。第二の若菜である。光源氏の四十賀の時の玉鬘のように、女三宮が朱雀院に押しかけて、五十賀を祝う。その計画であったのだ。したがって、若菜巻の玉鬘登場の場面は、この日の盛儀の前座、予告であったと考えておくとよい。「遊びのかたに御心とどめさせたまへ」る朱雀院のために、光源氏が舞楽の準備に忙殺されている様子は、かって朱雀院の行幸の準備に天下がわきたっていた時と同じである。あの時は、若菜巻や末摘花巻で徐々に鳴り物を響かせ、紅葉賀で一挙に展開した。光源氏青春時代の最大のイベントであった。あの時、準備の様を、噂ばかりで具体的に描かなかったのは、ここで描くためにわざわざ描かなかったのだろうか。だとすれば、作者の構想のスケールは、ただごとではない。

★琴(きん)の伝授
女三宮に琴を伝授する。光源氏にとって、琴は特別の楽器である。明石女御にも紫上にもまだ教えていない。朱雀院は、女三宮に琴を教えていた。琴の名手である光源氏のもとにいる女三宮の琴が聞きたい、という朱雀院の思い。これが帝に伝わり、光源氏に伝わる。帝も興味を持っている。自分も朱雀院に参上して、女三宮の琴を聞きたい。光源氏としても、たとえにわかであっても、本格的に琴を伝授せざるをえない情況となる。明け暮れ女三宮の側にいて、秘曲を伝授する光源氏。女三宮への愛が最高点に達したのは、この時である。紫上には「御暇聞こえたまひて」と本文にある。


 <若菜巻下2>

第38回 若菜巻下(2) 女楽。紫上発病す

★この巻の粗筋
 1 新年。朱雀院の五十賀、帝に配慮し二月十余日に順延。六条院、準備に忙しい。光源氏、女三宮への琴伝授に満足。女楽を企画する
 2 女三宮二十一、二歳。ねびまさる
 3 正月二十日。寝殿で女楽。紫上、明石女御、明石御方、女三宮、それぞれ着飾った童女を伴い集る
 4 光源氏を中央。玉鬘腹の三郎、笙の笛。夕霧の太郎、横笛を担当、簀子に控える
 5 光源氏秘蔵の琴を取り出す。明石御方、琵琶。紫上、和琴。明石女御、箏の琴。女三宮は、弾き慣れた琴を使用
 6 箏の琴の長節と拍子をとるため、夕霧召される。夕霧、緊張して参上
 7 光源氏、和琴にやや心配を残す
 8 梅の香ただよう夕刻。夕霧、調弦し、光源氏の懇望に負けいささか掻き合わす
 9 演奏はじまる。琵琶、神さびたる技。和琴、名人の域に達する出来ばえに夕霧驚嘆、光源氏安心する
10 箏の琴、なまめかしく、琴、たどだとしからず。優雅なひびきに夕霧感銘する
11 夕霧と光源氏拍子とりつつ唱歌。心ひかれる夜の遊び
12 月無く、燈籠の明りの中、光源氏、四人を垣間見て、花に譬える
13 女三宮、青柳。明石女御、藤の花。紫上、桜。明石御方、花橘
14 夕霧の思い。女三宮のこと、紫上へ静心なき思い
15 臥待月出る。光源氏と夕霧、春秋の論を展開する。夕霧、和琴の出来ばえを褒める。光源氏、弟子の成果に満悦
16 光源氏の音楽論。琴を語る
17 明石女御、箏の琴を紫上に譲る。光源氏、東琴(和琴)を弾き、葛城を歌う
18 紫上の箏の琴の素晴らしさ。女三宮、胡茄の調べに面目をほどこす
19 女楽修了。それぞれに禄を賜る。三郎に光源氏の御衣、太郎には紫上から細長。夕霧には女三宮より装束ひとくだり。禄を欲しがる光源氏に笛。光源氏と夕霧、笛を吹き合わせて別れる
20 帰途、夕霧、紫上の箏の琴を恋しく思うにつけ、子育てに忙しく風雅に遠い妻・雲居雁を思う
21 紫上居残り、女三宮と語る。先に帰った光源氏の待つ東対に暁方帰る
22 翌日。光源氏、紫上に女三宮の琴の感想を聞く。紫上、成果を褒める。光源氏、紫上の琴に面目をほどこした事を語る
23 光源氏、紫上の人間性に舌を巻く。紫上、今年三十七の厄年。慎むように光源氏言う。北山僧都、すでに死亡している
24 光源氏、人生を回顧し、紫上の幸福に言及する
25 紫上、出家を願う。光源氏許さず
26 光源氏、女性を回想する。葵上のこと
27 六条院御息所を語る
28 明石御方を褒める。紫上も同意する
29 光源氏、紫上に似る人物はいない、と語る
30 夕刻。光源氏、女三宮の許へ。琴を弾いている女三宮
31 物語を読む紫上。二心ある男に関わった女の物語、我が身の寄る辺無さを思う。夜更けて眠る。暁方、胸を病み重態となる
32 光源氏、中宮よりの知らせで紫上の発病を知り、急ぎ帰る。紫上、起き上がれず
33 光源氏、紫上の看病に没頭。朱雀院五十賀延期となる
34 紫上、二条院に移る。人々、皆移行。六条院、火の消えた如き有様
35 明石女御、光源氏とともにつききりで看病。光源氏、励まし祈る
36 紫上の病状。四五日間隔で好転しつつ、衰弱に向かう。物怪の気配見えず

★二月十余日の意味
光源氏は帝に先を譲り、女三宮による朱雀院の五十賀は、二月十余日と決定する。読者は覚えているだろうか。この日は、光源氏と女三宮の結婚記念日である。このあたりにも、光源氏の女三宮に対するさりげない愛情、さらには朱雀院への配慮のほどがうかがえる。女三宮は現在、二十一二歳。女盛りに向かう頃である。

★女楽
正月二十日。六条院で女楽がおこなわれる。紫上が女三宮の琴(きん)を聞きたがっているためにおこなわれた催しである。「試楽めきて人言ひなさむ」と、光源氏はいみじくも言った。この女楽こそ、かっての紅葉賀巻の試楽に異ならない。あの時は、行幸に参加できぬ藤壷のために催した試楽であった。いま、紫上はかっての藤壷の位置にいる、というべきか。あの時は秋。今回は春。春は紫上の季節であった。この女楽こそ、六条院最後の栄光の時となる。このことは、誰も知らない。

★光源氏の見た御方々
女三宮=二月の中の十日ばかりの青柳の、わづかにしだりはじめたらむここちして、鶯の羽風にも乱れぬべく、あえかに見えたまふ。
明石女御=よく咲きこぼれたる藤の花の、夏にかかりて、かたはらに並ぶ花なき朝ぼらけのここち。
紫上=あたりににおひ満ちたるここちして、花といはば桜にたとへても、なほものよりすぐれたるけはひことにものしたまふ。
明石御方=五月待つ花橘、花も実も具しておし折れるかをりおぼゆ。
この、光源氏の目による女方の紹介は、野分巻で、夕霧が六条院の方々を垣間見た時の印象を彷彿
させるものである。紫上と明石女御の印象が、あの時と連続している。夕霧がすぐ側にいるということも、野分巻のイメージを喚起させよう。
また、光源氏の印象は、含蓄が深いというべきである。女三宮の「鶯の羽風にも乱れぬべく」は、今後の展開の不気味な暗示となっている。明石女御の権勢ならびなき現状は、「かたはらに並ぶ花なき」におしこめ、明石御方の神仙的雰囲気も、橘で十分フォローしている。花も実もある彼女の人生そのままであろう。

★光源氏の琴論
「よろづのこと、道々につけて習ひまねばば、才といふもの、いづれも際なくおぼえつつ、わが心地に飽くべき限りなく習ひとらんことはいと難けれど、何かは、そのたどり深き人の、今の世にをさをさなければ、片はしをなだらかにまねび得たらむ人、さる片かどに心をやりてもありぬべきを、琴なむなほわづらはしく、手触れにくきものはありける。この琴は、もことに跡のままに尋ねとりたる昔の人は、天地をなびかし、鬼神の心をやはらげ、よろづの物の音のうちに従ひて、悲しび深き者も、よろこびに変わり、賎しく貧しき者も、高き世にあらたまり、宝にあづかり、世にゆるさるるたぐひ多かりけり。この国に弾き伝ふるはじめつ方まで、深くこのことを心得たる人は、多くの年を知らぬ国に過ぐし、身をなきになして、この琴をまねびとらむとまどひてだに、し得るは難くなむありける。げに、はた明らかに空の月星を動かし、時ならぬ霜雪を降らせ、雲雷を騒がしたる例、上がりたる世にはありけり。かく限りなきものにて、そのままに習ひとる人のありがたく、世の末なればにや、いづこのその昔の片はしにかはあらむ。されど、なほ、かの鬼神の耳とどめ、かたぶきそめにけるものなればにや、なまなまにまねびて、思ひかなはぬたぐひありける後、これを弾く人よからずとかいふ難をつけて、うるさきままに、今は、をさをさ伝ふる人なしとか。いと口惜しきことにこそあれ。琴の音を離れては、何ごとをか物をととのへ知るしるべとはせむ。げに、よろづのこと、衰ふるさまはやすくなりゆく世の中に、独り出で離れて、心を立てて、唐土、高麗と、この世にまどひ歩き、親子を離れむことは、世の中にひがめる者になりぬべし。などか、なのめにて、なほこの道を通はし知るばかりの端をば、知りおかざらむ。調べひとつに手を弾き尽くさむことだに、量りもなき物ななり。いはんや、多くの調べ、わづらはしき曲多かるを、心に入りし盛りには、世にありとあり、ここに伝はりたる譜といふものの限りをあまねく見あはせて、後々は師とすべき人もなくてなむ、好み習ひしかど、なほ上がりての人には、当たるべくもあらじをや。まして、この後といひては、伝はるべき末もなき、いとあはれになむ」などのたまへば、大将、げにいと口惜しく恥づかしと思す。「この皇子たちの御中に、思ふやうに生ひ出でたまふものしたまはば、その世になむ、そもさまでながらへとまるやうあらば、いくばくならぬ手の限りもとどめたてまつるべき。二の宮、今より気色ありて見えたまふを」などのたまへば、明石の君は、いと面だたしく、涙ぐみて聞きゐたまへり。

★紫上の年齢表示
紫上の年齢、三十七歳。厄年である。若紫巻の登場時が「十ばかりにやあらむ」であった。玉鬘巻に二十七八歳とあった。あれから十年が経過しているのである。三十七歳では、いかな紫上の美貌とて、そろそろ限界情況を呈するのではないか。それにしても、この年齢は、藤壷の死の年齢である。もし、この歳で紫上が死ねば、紫上は藤壷のイミテーションということになる。はたとてそうなるか。北山僧都の死も確認される。無気味である。

★光源氏の女人回想
「多くはあらねど、人のありさまの、とりどりに口惜しくはあらぬを見知りゆくままに、まことの心ばせおいらかに落ちゐたるこそ、いと難きわざなりけれとなむ思ひはてにたる。大将の母君を、幼かりしほどに見そめて、やむごとなくえ避らぬ筋には思ひしを、常に仲よからず、隔てある心地してやみにしこそ、今思へばいとほしく悔しくもあれ、また、わが過ちにのみもあらざりけりなど、心ひとつになむ思ひ出づる。うるはしく重りかにて、そのことの飽かぬかなとおぼゆることもなかりき。ただ、いとあまり乱れたるところなく、すくすくしく、すこしさかしとやいふべかりけむと思ふには頼もしく、見るにはわづらはしかりし人ざまになむ。中宮の御母御息所なむ、さまことに心深くなまめかしき例にはまづ思ひ出でらるれど、人見えにくく、苦しかりしさまになむありし。恨むべきふしぞ、げにことわりとおぼゆるふしを、やがて長く思ひつめて深く怨ぜられしこそ、いと苦しかりしか。心ゆるびなく恥づかしくて、我も人もうちたゆみ、朝夕の睦びをかはさむには、いとつつましきところのありしかば、うちとけては見おとさるることやなど、あまりつくろひしほどに、やがて隔たりし仲ぞかし。いとあるまじき名を立ちて、身のあはあはしくなりぬる嘆きを、いみじく思ひしめたまへりしがいとほしく、げに、人柄を思ひしも、我罪ある心地してやみにし慰めに、中宮を、かく、さるべき御契りとはいひながら、とりたてて、世の誹り、人の恨みをも知らず心寄せたてまつるを、かの世ながらも見なほされぬらん。今も昔も、なほざりなる心のすさびに、いとほしく悔しきことも多くなむ」と、来し方の人の御上、すこしづつのたまひ出でて、「内裏の御方の御後見は、何ばかりのほどならずと侮りそめて、心やすきものに思ひしを、なほ心の底見えず、際なく深きところある人になん。うはべは人になびき、おいらかに見えながら、うちとけぬ気色下に籠りて、そこはかとなく恥づかしきところこそあれ」とのたまへば、「他人は見ねば知らぬを、これは、まほならねど、おのづから気色見るをりをりもあるに、いとうちとけにくく、心恥づかしきありさましるきを、いとたとしへなき裏なさを、いかに見たまふらんとつつましけれど、女御はおのづから思しゆるすらむとのみ思ひてなん」とのたまふ。さばかり、めざましと心おきたまへりし人を、今は、かくゆるして見えかはしなどしたまふも、女御の御ための真心なるあまりぞかしと思すに、いとありがたければ、「君こそは、さすがに隈なきにはあらぬものから、人により事にしたがひ、いとよく二筋に心づかひはしたまひけれ。さらに、ここら見れど、御ありさまに似たる人はなかりけり。いと気色こそものしたまへ」とほほ笑みて聞こえたまふ。
「宮に、いとよく弾きとりたまへりしことのよろこび聞こえむ」とて、夕つ方渡りたまひぬ。我に心おく人やあらん、とも思したらず、いといたく若びて、ひとへに御琴に心入れておはす。「今は、暇ゆるして内休ませたまへかし。物の師は心ゆかせてこそ。いと苦しかりつる日ごろのしるしありて、うしろやすくなりたまひにけり」とて、御琴ども押しやりて大殿籠りぬ。

★寄る辺なき紫上
女房に昔物語を読ませて無聊をなぐさめる紫上。彼女が物語らせた物語とは何か。「あだなる男、色好み、二心ある人にかかづらひたる女」の運命を描いた物語である。この物語が何か、もはや考えるまでもなかろう。あだなる男、色好み、二心ある人とは、つまり光源氏。その人にかかずらわった女こそ、紫上そのもの。二人が登場し絡み合う物語こそ、『源氏物語』。そして若菜巻そのものではないか。劇の中の劇。源氏物語という虚構のなかの、これは、現実と虚構の接触である。

★賀の順延
紫上の病気によって、朱雀院の五十賀が順延になる。女三宮が主催する晴れの賀宴を、紫上が身を挺して阻止した。という深層心理的解釈は、この場合まったくの正解であると思う。しかし、これを悪意をもって眺めれば、紫上は、みずからの命を賭けなければ光源氏を取り戻せない立場に追い込まれたということであり、紫上が最終局面にまで後退したことを意味する。彼女とて、これが最後の手段となるのではないか。何回も死ぬわけにはいかないから。

★弱る紫上、励ます光源氏
女御の君も渡りたまひて、もろともに見たてまつりあつかひたまふ。紫の上「ただにもおはしまさで、物の怪などいと恐ろしきを、早く参りたまひね」と、苦しき御心地にも聞こえたまふ。若宮のいとうつくしうておはしますを見たてまつりたまひても、いみじく泣きたまひて、紫の上「おとなびたまはむを、え見たてまつらずなりなむこと。忘れたまひなむかし」とのたまへば、女御、せきはへず悲しと思したり。源氏「ゆゆしく。かくな思しそ。さりとも、けしうはものしたまはじ。心によりなむ、人はともかくもある。おきて広き器ものには、幸ひもそれに従ひ、狭き心ある人は、さるべきにて、高き身となりても、ゆたかにゆるべる方は後れ、急なる人は久しく常ならず、心ぬるくなだらかなる人は、長き例なむ多かりける」など、仏神にもこの御心ばせのありがたく罪軽きさまを申しあきらめさせたまふ。


 <若菜巻下3>

第39回 若菜巻下(3) 発覚。因果めぐる

★この巻の粗筋
 1 二月も過ぎ、二条院へ移る。紫上は出家を願うが許されない。
 2 明石女御も二条院へ来て看病する。紫上は若宮を見て悲しむ。
 3 柏木は、中納言となり、女二宮と結婚するが、女三宮を忘れられない。
 4 柏木は、小侍従を呼んで、手引きを依頼する。小侍従は、断りきれずに承諾する。
 5 四月十余日、賀茂祭の御禊の前日、小侍従は、柏木を女三宮の御帳に導く。
 6 柏木は、女三宮を御帳台の下に抱きおろし、心情を訴える。女三宮は、柏木と気づく。
 7 柏木は、仮寝に猫を夢みる。女三宮は、源氏を思い、幼げに泣くばかりである。
 8 明けぐれ、柏木は、格子を上げて女三宮の顔を見、歌を詠みかけて去る。宮も返歌する。
 9 柏木は、大殿(致仕大臣邸)でわがあやまちを思い、源氏を恐れる。女三宮は、一途におびえ明るい所にも出ない10 源氏は、病気と聞いて女三宮を見舞う。何も気づかない源氏の様子に、女三宮は涙する。
11 柏木は、祭の見物にも出かけずもの思いに沈む。女二宮は冷たい仲を嘆いてひとり琴を弾く。
12 紫上絶え入るとの知らせに、源氏は急いで二条院へ行く。すでに修法の僧の帰る所であった。
13 源氏は、僧を静め、不動明王に延命を祈らせる。もののけ表れ、紫上は蘇生する。
14 現れた六条御息所の死霊は、源氏に愛執を語り、追善の供養を懇願し、秋好中宮に修善を怠らぬよう伝言することを依頼する。
15 紫上死去の噂が流れ、弔問する人もいる。
16 柏木は、二条院へ見舞いに寄り、夕霧の涙にその心中をおしはかり、源氏の挨拶に動揺する。
17 源氏は、六条御息所の死霊を忌まわしく思い、秋好中宮の世話をさえものうく思う。
18 紫上は、出家を強く希望しており、その功徳も期待されるので、五戒ばかりを受けさせる。
19 死霊は、追善供養を続けるけれども去らない。五月を過ぎ六月になって、紫上はやっと小康を得る。源氏は、六条院に出向けずにいる。
20 女三宮は懐妊する。柏木が夢のように逢いに来るけれども、耐えがたいことと思っている。
21 源氏は、病気と聞いて女三宮を見舞う。紫上と源氏は、池の蓮の花を見て、歌を唱和する。
22 源氏は、懐妊とは考えず、ただ女三宮をいたわる。すぐにはもどれず、二、三日逗留する。
23 柏木は、源氏の見舞いに嫉妬し手紙をよこす。
24 源氏と女三宮は、ひぐらしの声を聞いて、歌を唱和する。宮をいとおしみ、その夜もとまる。
25 源氏は、朝の涼しいうちにもどろうとして、褥の下に柏木の手紙を見つける。
26 小侍従は、女三宮の不用意、幼さを責める。宮はただ泣くばかりである。
27 源氏は、柏木の手紙を見返し、あからさまな書きぶりの不用意さを軽蔑する。
28 源氏は、自分を無視した女三宮のあやまちを許せないと思うが、人に知られてはならないと思う。昔日の父帝の気持を思い、あってはならないあやまちであったと思い知るにつけて、恋心を一概に非難できまいという気持もまじる。
29 源氏は、二条院にとどまって、六条院へ行かない。紫上は、女三宮の心中を気づかう。
30 女三宮は、源氏、朱雀院を思い憚り、柏木は、密事露顕を知り、身の破滅を思う。
31 源氏は、不快であるけれども女三宮に対していとおしさも格別で、祈祷などさまざまにさせる。高貴な女性のおっとりした欠点を思う。
32 源氏は、あらためて玉鬘の賢明さを思う。
33 源氏は、二条宮に住む朧月夜の出家を聞いて見舞う。これを最後と心をこめた返書が届く。
34 源氏は二条院で、出家した朧月夜・朝顔を惜しみ、女子養育のむずかしさを語る。紫上は、人々の出家をうらやむ35 十月、女二宮主催の朱雀院の御賀が行われ、柏木も病をおして参上した。
36 朱雀院は、最近女三宮を訪れることの稀な源氏の様子を聞いて憂慮し、手紙で女三宮を諭す。
37 源氏は、自分の落度と思われることを不本意に思い、女三宮に浮き名を漏らすことのないように訓戒する。言葉を教えて返書を書かせる。
38 源氏は、女三宮の妊娠の身を気づかいながら、御賀の期日を思案する。
39 十二月になり、御賀を十余日と決めて、試楽が行われることになる。紫上ももどり、明石女御も男子を出産して、里下がり中である。源氏に召された柏木は、断りきれずに参上する。
40 源氏は、柏木を女三宮の相手として不足はないと思うけれどあやまちは許せない。とはいえ、さりげなく舞の童の指導を頼む。柏木は恐れつつしんで退出し、夕霧を助けて指導する。
41 試楽の当日、装束は、御賀のものとは変えて用意される。孫の君たちが次々に舞い、その美しさに人々は涙を流す。
42 源氏は、酔いのざれ言と見せて、柏木に痛烈な皮肉を浴びせ、盃を強いる。
43 柏木は惑乱し、中座して帰り、そのまま病に臥す。致仕大臣、母北の方は、柏木を引き取る。
44 柏木は、母の言葉をいなみがたく、女二宮を残して去る。残された宮は、言いようもなく思い焦がれる。
45 柏木を惜しみ、帝、朱雀院、源氏からも見舞いがある。仲のよい夕霧は、絶えず訪れる。
46 十二月二十五日、女三宮が、朱雀院の御賀に参る。源氏は、その心中を気の毒に思う。(新日本古典文学体系 源氏物語三より)

★柏木の突撃
「四月十余日ばかり」と、作者は月日を記す。葵祭りの頃、御禊の前日。なにかと慌ただしい日である。紫上の発病は、正月二十一日あたりであった。重態のまま「二月も過ぎ」、二条院に移ったわけである。この間、光源氏は紫上につきっきりであった。という事実を明確にしておいて、女三宮懐妊の場面に入ってゆく。若紫巻でとった手法と同じ。女三宮の子供が、光源氏の子供ではありえないことを、読者に明示するためである。また、光源氏と藤壷の事件と時間を意図的に重ねている点にも注意して欲しい。今の事件は、昔の事件と二重写しで了解せよという作者からのメッセージであろう。

★猫
事の終った頃、柏木は少しまどろんでいる。リアルな描写であろう。その時、彼は猫の夢をみる。例の猫が、可愛らしく鳴いてやってくるという夢である。彼は思う。猫を宮に返そうと思って、猫を連れてきたはずだ。なぜ自分は、この猫を彼女に返したのだろうか、と。この時、猫は猫ではなく、猫は何かの象徴となる。猫はかって綱を引いて女三宮を柏木に見せた。柏木の策略で、猫は女三宮のところから東宮を経由して柏木のところにやって来た。寝よう寝ようと鳴いて彼に抱かれつづけた。今また、不思議にも女三宮のところにいて、寝よう寝ようと鳴いて彼のところに擦り寄ってきたのである。柏木は、猫にあやつられているのではないか、彼が交わったのは、女三宮ではなく、猫なのではないか。こういう小説が中国にあるのか。古注は、この夢の中の猫は懐妊の象徴と説く。これも、出典があるはず。

★六条御息所の死霊、紫上を一旦殺す
「さりとも物の怪のするにこそあらめ。いと、かく、ひたぶるにな騒ぎそ」としづめたまひて、いよいみじき願どもを立て添へさせたまふ。すぐれたる験者どものかぎり召し集めて、「限りある御命にてこの世尽きたまひぬとも、ただ、いましばしのどめたまへ。不動尊の御本の誓ひあり。その日数をだにかけとどめたてまつりたまへ」と、頭よりまことに黒煙をたてて、いみじき心を起こして加持したてまつる。院も、「ただ、いま一たび目を見あはせたまへ。いとあへなく限りなりつらんほどをだにえ見ずなりにけることの悔しく悲しきを」と思しまどへるさま、とまりたまふべきにもあらぬを見たてまつる心地ども、ただ推しはかるべし。いみじき御心の中を仏も見たてまつりたまふにや、月ごろさらにあらはれ出で来ぬ物の怪、小さき童に移りて呼ばひののしるほどに、やうやう生き出でたまふに、うれしくもゆゆしくも思し騒がる。
 いみじく調ぜられて、「人はみな去りね。院一ところの御耳に聞こえむ。おのれを、月ごろ、調じわびさせたまふが情なくつらければ、同じくは思し知らせむと思ひつれど、さすがに命もたふまじく身をくだきて思しまどふを見たてまつれば、今こそ、かくいみじき身を受けたれ、いにしへの心の残りてこそかくまでも参り来たるなれば、ものの心苦しさをえ見過ぐさでつひに現はれぬること。さらに知られじと思ひつるものを」とて、髪を振りかけて泣くけはひ、ただ、昔見たまひし物の怪のさまと見えたり。

★発覚
昨夜、運命的に落とした「かはほり」を光源氏が捜す。「昨日うたたねしたまへりし御座のあたり」。浅緑の薄様。光源氏が、一見して柏木の文だと見破ったのは、かって玉鬘のもとに岩漏中将・柏木が寄越した手紙を念入りに見て、柏木の筆跡を脳裏に焼き付けていたからである。このことは、胡蝶巻に、入念に書いてあった。光源氏に柏木の手紙だと見破られた原因の一つに、柏木が「二重にこまごまと」書いた不用意さがある。長い手紙は、筆跡鑑定をして下さいといわんばかり。浅緑の薄様を見ている光源氏を、鏡持ちの女房と小侍従が見つける。女房は読むべき文だと思って気にもとめない。小侍従は、紙の色を見、色を失い胸がつぶつぶと鳴る。傍らで、当の女三宮は、ぐっすりと寝ている。

★光源氏の想像
光源氏は思い到る。「故院の上も、かく御心には知ろしめしてや、知らず顔つくらせたまひけむ」と。しかし、本文で見るかぎり、桐壷帝が、光源氏と藤壷の秘密を了解していた節はない。この条、現在の光源氏の心境が言わせた台詞にすぎない。が、作者が、ここで、光源氏にこう思わせたということは、光源氏が、これから、光源氏が今思った桐壷帝と同じように振る舞う可能性を示したことになる。言い換えれば、光源氏の、これ以後の行為は、光源氏が考えた桐壷帝の紅葉賀以降の行為によって、不断に相対化されるということである。はたして、光源氏は父・桐壷帝になりうるか。これを超えうるか。それとも、父にはるかに及ばぬ子の運命を生きるのか。

★柏木の想像力
「さして重き罪には当たるべきならねど」。柏木と女三宮との不義は、さほどの罪ではない。特に、光源氏と藤壷の不義に比較すれば、天地の差があるのだということを、作者は冷静に書いている。光源氏は天皇ではない。不義によって生まれた子が天皇になるのでもない。こういう例は、世間にはザラにある。なのに、柏木は「身のいたづらになりぬるここち」するのである。光源氏が、天皇以上の存在であるからである。少なくとも柏木にとっては、という発想である。柏木の、女三宮をこの上ない女性だと想像した想像力の強さが、いまや光源氏の権威とて、彼が想像した通りのものなのか、はなはだ疑問なのに。哀れ柏木は、自分の強靭な想像力で自分自身を殺傷してゆくことになる。

★五十賀の順延
紫上の発病で、当初の予定はついえていた。次に女三宮事件で、さらに延びる。葵上の忌月(八月)、弘徽殿大后の忌月(九月)など、理由をつけて、延びる。十月の予定が、女三宮の不調のために、また延びる。こう順延が続くと、祝意は萎える。さしもの女楽の腕も鈍っていることだろう。善意の人・朱雀院、果たしてこの事態にどのように反応するのか。十月は、盛儀であった女二宮主催の五十賀と比べられるのを嫌って順延。十一月は桐壷院の忌月という理由で見送られる。結局、もはや後のない十二月ということになる。いやいやしぶしぶの御義理立て、という印象は隠しようがない。最後もさらに十日ほど延びて、実際に行われたのは十二月二十五日である。

★光源氏、柏木を揶揄する
 主の院、「過ぐる齢にそへては、酔泣きこそとどめがたきわざなりけれ。衛門督心とどめてほほ笑まるる、いと心恥づかしや。さりとも、いましばしならむ。さかさまに行かぬ年月よ。老は、えのがれぬわざなり」とてうち見やりたまふに、人よりけにまめだち屈じて、まことに心地もいとなやましければ、いみじきことも目もとまらぬ心地する人をしも、さし分きて空酔ひをしつつかくのたまふ、戯れのやうなれど、いとど胸つぶれて、盃のめぐり来るも頭いたくおぼゆれば、けしきばかりにて紛らはすを御覧じ咎めて、持たせながらしらたびたび強ひたまへば、はしたなくてもわづらふさま、なべての人に似ずをかし。

★玉手箱開く
上達部たちが全員笑って、光源氏の冗談に満足したとしても、読者は決してそうしない。これは冗談でもなんでもなく、光源氏の心からの叫びなのだ。「さかさまに行かぬ年月よ」は、いうなれば、玉手箱をあけた浦島の台詞であろう。六条院しいう巨大な装置は、光源氏の時間を止める玉手箱であったことが、この瞬間に判明する。時間の意識を喪失させる神仙境、それが六条院であったのだ。思いおこせば、この装置の蓋は、光源氏の四十賀という、取り返しのつかない「老いらくの来る」時間を告げたこの若菜巻の開始とともに、ギシギシと音をたてて開きはじめ、ついにここ、巻末に来て、ようやく開ききった感が深い。源氏物語の一割を占める巨大な若菜巻は、この絶対秘密の箱を開けてみせる巻なのである。開けた結果、どうなったか。光源氏がただの老人になった。これのみ、である。しかし、光源氏は、ただで老人となったわけではない。柏木の死、まだ死んでいないが間もなく死ぬ柏木の死と引き換えに老人となった。彼は、にっくき柏木に止めを確かに刺した。が、柏木によって逆に止めをも刺された。壮絶な仇討ちというべきではないか。相手が、光源氏相応の相手であったかどうか。それはこの際問題にすべきではないかもしれない。えてして世代交代というものは、不足な相手によって行われるものなのである。それが、世の冷たさなのだ。と、作者は言いたかったのかもしれない。