源氏物語9柏木巻 ・ 横笛巻 ・ 鈴虫巻 ・ 夕霧巻 ・ 御法巻 ・ 雲隠巻

 <柏木巻>

第40回 柏木巻・柏木散花。思いは届くか

★この巻の粗筋
 1 柏木衛門督の病勢が衰えぬまま年は返る。だれのせいでもない自分の所業ではないか。死ねば源氏からの許しもあろうか、と想いをめぐらす柏木。
 2 柏木はひそかに女三宮へ手紙と「燃えむ煙」の歌とを送る。
 3 小侍従は、女三宮に返状を書かせ、忍んで柏木のもとを訪れる。
 4 父致仕大臣は葛城山の行人に依頼して加持をさせる。その陀羅尼の声を逃れて柏木は小侍従と語らう。
 5 父の行人との会話を聞きながら、柏木は小侍従を相手に、女三宮への執念のために自分の魂がかの院をさ迷うかもと語る。
 6 女三宮の様子を思いやって柏木は悲嘆にくれる。宮からの「煙くらべ」の返歌と返状とをかたじけなく思う。
 7 鳥の足跡のような字の「空の煙」の歌と手紙とを託して柏木は小侍従を帰らせる。父らの悲嘆は一通りでない。
 8 女三宮が若君(薫)を出産する。源氏は男君誕生と聞いてわが人生における応報を感じる。
 9 当日の産屋の儀式に続いて、産養が五日は中宮(冷泉院)より、七日は帝よりと盛大に続くも源氏は楽しまない。
10 女三宮は産後のやつれにこのまま死にたいと思い、また源氏が若君をだいじにしないと知って、訪ねて来た源氏に尼になりたいと訴える。源氏は許さない。
11 が、心内に源氏は女三宮を出家させるのがよいのではないかと迷い、過ちを許す思いにもなる。
12 会いたいという女三宮の意向を知り、心配のあまり下山してきた朱雀院を源氏は驚いて迎える。黒染の姿を源氏はうらやましく思う。
13 女三宮は父朱雀院に尼にしてくれと訴える。娘に同情する朱雀院はためらう源氏に対して強く言い返す。
14 朱雀院は源氏への不満を心にしまって、処分の広くおもしろき宮を娘にと考える。出家させるという朱雀院に対して、あわてた源氏は女三宮に直接説得を試みる。女三宮首を振り意思を貫く。
15 夜明け方、朱雀院は娘に忌む事(戒)の作法を施して出家させると、見捨てることのないようにと源氏に依頼して帰還する。
16 物の怪があらわれて、一人(紫上)を取り返したことがねたましかったので女三宮を尼姿にしたのだと言って立ち去る。
17 柏木は病状が進み、女三宮(落葉宮)に会いたいと希望するも許されない。落葉宮の母御息所、柏木の母らの嘆きのなか、権大納言となる。
18 夕霧が祝いに来訪して柏木と対面する。烏帽子で迎える柏木。励ます夕霧。
19 柏木は源氏に対し謹慎すべきことがあって、許されぬと知ると心が騒ぎだしてそのまま病に臥したと告白し、とりなしを夕霧に依頼する。
20 後悔の念にかられる夕霧に、柏木は一条にいる宮(落葉宮)のことを依頼する。
21 落葉宮に会えぬまま柏木は泡の消えいるように死去し、人々は悲嘆にくれる。落葉宮、幸せだった往時を思い、女三宮も心細くて泣く。
22 三月になって若宮の五十日の祝いが南面である。源氏はやってきては未練心に女三宮を恨む。
23 尼姿の髪を見つつ嘆く源氏に、女三宮はもののあわれを自分は知らぬと答える。
24 目元のかおる若君に源氏は柏木の面影を認めて、白居易「自嘲」の詩を誦詠する。
25 源氏は子が柏木の胤であると確信し、女三宮に「たが世にか種はまきし」と詠みかける。
26 夕霧は二条の上(紫上)が出家せぬのに女三宮は出家したことを不思議に思い、密通の事実を推測する。柏木の父母は涙にくれている。
27 一条宮はさびしくなってゆく。思いやって宮を訪ねてきた夕霧は、応対する母御息所にお悔やみを言う。
28 御息所は落葉宮が皇女として柏木と結婚することに反対であったと述べ、弔問に謝する。
29 夕霧は柏木について批評し、御息所と歌を交わして辞去する。
30 その足で夕霧は致仕の大殿(致仕大臣邸)を訪ね、大臣に一条宮の様子を知らせる。大臣、夕霧、弁の君が和歌を唱和する。
31 一条宮を、四月、夕霧は再訪する。葉守の神を詠む夕霧の歌に落葉宮が初めて返歌をする。
32 御息所が出て来て応対する。落葉宮に興味を持つ夕霧の親しげなさまを侍女たちは評価する。
33 「右将軍が墓に草初めて青し」と夕霧は口ずさむ。「あはれ、衛門督」と言わない人がなく、源氏もまた「あはれ」と思い出す。秋つ方に若君は這い出したりする。
(粗筋は、新日本古典文学大系本に拠ったが、一部改変してある)

★昔の例
柏木は小侍従に言う。「さてもおほけなき心ありて、さるまじきあやまちを引き出でて、人の御名をも立て、身をもかへりみぬたぐひ、昔の世にもなくやはありける」。昔の例は、なにも歴史社会上に求める必要は何もなく、源氏物語上に歴然としてある。光源氏が藤壷と「おほけなき心」で「さるまじきあやまちを引き出でて」、あまつさえ、その子供が即位してしまったという実例である。そして、罪人・光源氏は罰を受けぬばかりか、罪を正当化しようとさえしている。なんたる不埒。この時、柏木の映像は、光源氏の陰画としてフラッシュバックする。柏木は、その昔、光源氏が陥ったであろう事例の表示なのである。作者の、この巻を書いた意図も、このあたりにあったのではないか。かくして、光源氏の罪は、柏木の背に担わされ、源氏物語の世界の外に出てゆく。光源氏は、この柏木の犠牲行為、あるいは柏木を殺す影響力の両面によって、剥がれ落ちた神性を回復してゆく。というのが、これからの作者の目論見なのではないか。

★相思相愛 おくるべうやは
 紙燭召して御返り見たまへば、御手もなほいとはかなげに、をかしきほどに書いたまひて、
 心苦しう聞きながら、いかでかは。ただ推しはかり。「残らむ」とあるは、
    立ちそひて消えやしなましうきことを思ひみだねね煙くらべに
 おく後るべうやは
とばかりあるを、あはれにかたじけなしと思ふ。
 「いでや、この煙ばかりこそはこの世の思ひ出ならめ。はかなくもありけるかな」と、いとど泣きまさりたまひて、御返り、臥しながらうち休みつつ書いたまふ。言の葉のつづきもなう。あやしき鳥の跡のやうにて、
    行く方なき空の煙となりぬとも思ふあたりを立ちは離れじ
 夕はわきてながめさせたまへ。咎めきこえさせたまはむ人目をも、今は心やすく思しなりて、かひなきあはれをだにも絶えずかけさせたまへ
など書き乱りて、心地の苦しさまさりければ、「よし。いたう更けぬさきに、帰り参りたまひて、かく限りのさまになんとも聞こえたまへ。今さらに、人あやしと思ひあはせむを、わが世の後さへ思ふこそ苦しけれ。いかなる昔の契りにて、いとかかることしも心にしみけむ」と、泣く泣くゐざり入りたまひぬれば、例は、無期に迎へ据ゑて、すずろ言をさへ言はせまほしうしたまふを、言少なにても、と思ふがあはれなるに、えも出でやらず。

★朱雀院の行動
突然やってきて、だしぬけに女三宮を出家させてしまう朱雀院の行動が、彼の内面を雄弁に物語っている。彼は、光源氏から娘を奪還したのだ。結婚による幸せの放棄。いま朱雀院は、血の倫理をかざさざるをえない。これは、一番寂しい愛の形の提示である。恩愛。女三宮の出家願望を聞いた朱雀院が、本人にはたしなめた後、光源氏に出家させてやりたいと言う。光源氏は、「邪気」を理由に問題にしない。そういう光源氏の意思に従わず、反論し、強引に出家させてしまう朱雀院に注目。さらに朱雀院は、女三宮に対する光源氏の冷たい処置を充分承知しつつも、光源氏と訣別せず、「おほかたの後見」として光源氏を利用する道を選ぶ。この場面の朱雀院は、これまでの朱雀院とは違う。情に流されず冷静に情況を読み、政治的行為を選択している。善意の人の変貌である。これが、彼の修行の成果なのだろうか。朧月夜から秋好中宮、そして女三宮。彼の善意、人の良さもこれまで、ということではないか。朱雀院の自立。朱雀院のにまで、こう思われるようになった光源氏の悲劇性には、もっと注意が払われてよい。紫上、女三宮、
そして朱雀院の分離独立。光源氏の孤独はここに極まった感が深い。

★物の怪出現
 後宮の御加持に、御物の怪出で来て、「かうぞあるよ。いとかしこう取り返しつと、一人をば思したりしが、いとねたかりしかば、このわたりにさりげなくてなむ日ごろさぶらひつる。今は帰りなむ」とてうち笑ふ。いとあさましう、さは、この物の怪のこにも離れざりけるにやあらむと思すに、いとほしう悔しう思さる。宮、すこし生き出でたまふやうなれど、なほ頼みがたげに見えたまふ。さぶらふ人々も、いと言うかひなうおぼゆれど、かうてもたひらかにだにおはしまさば、と念じつつ、御修法、また延べて、たゆみなく行はせなど、よろづにせさせたまふ。

★柏木、泡の死
泡のような死をめぐって、『古今集』の友則の恋歌が引用されるが、いささかしっくりこない。ここは、『後撰集』巻第十五雑一の、大江千里歌をふまえていると解釈したらどうか。
    「世の中の心にかなはぬ」など申しければ、「ゆくさきたのもしき身にて、かゝる事あるまじ」と人の申し侍りければ
流れての世をもたのまず水の上の泡に消えぬるうき身と思へば「世の中の心にかなわぬ」が、柏木の人生の総括である。「あはれ衛門督」の発想である。この方がよいのではないか。なお、『千載集』巻十九釈教に藤原公任の歌がある。
   維摩経十喩、この身は水の泡のごとしといえる心をよみ侍りける
    ここにきかえかしこにむすぶ水の泡のうき世にめぐる身にこそありけれ(公任辞世の歌)
これも参考になろう。

★汝が爺に似ることなかれ
   予与微之老而無子。 発於言歎。
   著在詩篇。 今年冬各有一子。
   戯作二什。 一似相賀。 一似自嘲
   〔一〕
   (略)
   〔二〕
五十八翁方有後 静思堪喜亦堪嗟
一珠甚小還慙蚌 八子雖多不羨鴉
秋月晩生丹桂実 春風新長紫蘭芽
持盃祝願無他語 慎勿頑愚似汝爺
         (白楽天詩後集巻十)
 あはれ、はかなかりける人の契りかなと見たまふに、おほかたの世の定めなさも思しつづけられて、涙のほろほろとこぼれぬるを、今日は事忌すべきを、とおし拭ひ隠したまひて、「静かに思ひて嗟くに堪へたり」とうち誦じたまふ。五十八を十とり棄てたる御齢なれど、末になりたる心地したまひて、いとものあはれに思さる。「汝が爺に」とも、諫めまほしう思しけむかし。「この事の心知れる人、女房の中にもあらむかし。知らぬこそねたけれ。をこなりと見るらん」と安からず思せど、「わが御
咎あることはあへなむ。「一つ言はむには、女の御ためこそいとほしけれ」など思して、色にも出だしたまはず。いと何心なう物語して笑ひたまへる、まみ口つきのうつくしくも、「心知らざらむ人はいかがあらむ、なほ、いとよく似通ひたりけり」と見たまふに……。 

★夕霧の安全装置化
夕霧は、確度の高い推測によって事件のあらましをほぼ正確に把握している。あとは、光源氏に確認する作業が残っているのみである。そして、この一件に関しては、「いみじうとも、さるまじきことに心を乱りて、かくしも身に代ふべきことにやはありける、人のためにもいとほしう、わが身はいたづらにやなすべき、さるべき昔の契りといひながら、いと軽々しう、あじきなきことなりかし」と批判的である。この夕霧の思念は、源氏物語の構想を考える上で重要である。この時、紫上が女三宮となることはないという点が、確認されるからである。夕霧は紫上の安全装置だということが、分かろう。また、光源氏に「かかることをなむかすめしと申し出でて、御けしきも見まほしかりけり」とあるから、玉鬘の時と同様、夕霧が光源氏を詰問する場面があるかもしれない。光源氏はこの詰問には耐えられぬと夕霧が判断して、詰問を止める場合も考えられる。そうなったら、完全な世代交代である。同情される光源氏は、もはや夕霧の相手ではない。

★夕霧のスタンス
夕霧は、落葉宮のことをかなり知っている様子。「容貌ぞいとまほにはえものしたまふまじけれど」。柏木から、おりにふれ情報は得ていたのではあるまいか。「などて、見る目により人をも思ひ飽き、また、さるまじき心をもまどはすべきぞ、あさましや、ただ心ばせのみこそ、言ひもてゆかむには、やむごとなかるべけれ」。夕霧の処世訓である。形より内容。いかにも手堅い。しかし、この彼が恋の主人公たりうるやいなや。

★藤原氏の衰亡
「右将軍が墓に草はじめて青し」。夕霧が、「いと近き世」の藤原時平の長男の死に言及したのは、父から子へと衰亡してゆくイメージを暗示していて、この巻のタッチと矛盾しない。光源氏に翻奔された致仕大臣、光源氏によって死に追い込まれた長男柏木。最後に、秋、這いはじめた運命の子・薫の姿でこの巻は閉じられる。柏木の意思が、源氏物語のなかに這って出てくる趣は秀逸である。父の運命を背負った薫がそろりと出てくる。光源氏に「汝が爺に似ること勿れ」と吹き込まれた三代目が果たして藤原氏を復活できるやいなや、はなはだ心もとない。

 <横笛巻>

第41回 横笛巻・横笛は、君にはあげない

★この巻の粗筋
 1 故柏木権大納言を惜しむ人は多い。光源氏も愛惜する。
 2 一周忌。無邪気な若君をあわれび、ことさらに黄金百両、誦経料とする。夕霧、兄弟も及ばぬ世話。一条宮にも。父致仕大臣感激する。
 3 朱雀院、女二宮の不幸、女三宮の出家を悲しみつつ耐える。文通しきり。
 4 朱雀院、女三宮に筍、ところ(野老)を贈る。「同じところ」の歌あり。
 5 来合わせた光源氏、女三宮の返歌「あらぬところ」を見、かこって見せる。
 6 かわいらしい女三宮の尼姿。後悔する光源氏、うとましい態度をやわらげ、心ひかれるようになる。
 7 はいはいをする元気な薫の際立った姿。柏木にも女三宮にも似ず、むしろ自分に似ていなくもないと光源氏は思う 8 薫を抱き、薫の未来を思う。薫、雫もよよと筍に噛み付く。光源氏、「憂き節も忘れずながら竹のこは捨てがたき」の歌を詠む。
 9 この子の生まれる運命のために、思いのほかのことがあったのだと考えはじめる光源氏。女三宮の無念を思う。
10 夕霧、柏木の最後の言葉を、なかなか光源氏に話せない。
11 秋の夕べ。夕霧、一条宮を訪れる。琴の調べ、子供の喧騒に慣れた眼に新鮮に映る。夕霧、御息所と語り、柏木遺愛の琴を弾く。
12 月と雁の哀れに誘われて、落葉宮、奥で筝を弾く。夕霧、琵琶を取り寄せ想夫恋を合奏する。
13 辞去する夕霧に、御息所、柏木遺愛の横笛を贈る。
14 夕霧夜ふけて帰宅。雲居雁、此の頃の夕霧に悋気。寝ているふりをし、構わない。夕霧、格子を上げ御簾を上げ、横笛を吹き、落葉宮についてあれこれ思う。
15 夕霧眠る。柏木の亡霊、夢枕に立ち、笛を取って見、歌を詠み、「思ふ方異に侍りき」という。伝えたいのは夕霧ではないらしい。若君の泣き声で目が覚める。
16 乳母、雲居雁起き騒ぎ、ぐずる若君に乳を与える。格子を上げた夕霧の風流が原因であると雲居雁が言う。夕霧、辟易として嫌味を返す。
17 執念を留め「長き夜の闇にも まどふ」柏木のために、夕霧、愛宕などに誦経する。笛を持ち、六条院に赴く。
18 三宮(匂宮)夕霧に飛びつき抱いて光源氏のいる女御の方へゆけと命じる。
19 女御の部屋。二宮、三宮と夕霧の奪い合いをする。光源氏三宮をたしなめつつ、満悦の態。光源氏、薫を若宮たちと同列に扱うことに抵抗があるが、女三宮を憚り、おくびにも出さず。
20 夕霧、薫を招く。飛んできた薫。夕霧、柏木の俤を認める。そして、知っているであろう光源氏のこと、何も知らない致仕大臣のことを思う。
21 対の屋に移る。長い物語。光源氏、想夫恋に言及し、女のたしなみを言う。夕霧、強く反論する。
22 夕霧、柏木の夢を語る。光源氏、その笛の由来を語り、ここに置くべきものだと言い、夕霧が既に事情を知っていると考える。
23 夕霧、柏木の最期の言葉を伝える。光源氏、身に覚えがないと述べ、夢は夜語らずと言って、話を打ち切る。夕霧の不審晴れず。

★黄金百両
柏木の一周忌に光源氏が特別に「黄金百両」を贈る。この記事はね源氏物語のタッチからすれば露骨な感じがする。光源氏漸愧の念を黄金に換算すると百両ということか。が、本文に則して理解すれば、この百両は「よろづも知らず顔に、いはけなき」薫に対する光源氏の愛情の量ということになる。一周忌という時の経過が、光源氏の心境に変化をもたらしつつあることも、事実である。罪のない子供への愛。また、ずっと後の蜻蛉巻に、浮舟の四十九日に、匂宮が右近のところに「白銀の壷に黄金」をいれて贈った記事がある。『河海抄』所引の『吏部王記』天慶十年の記事とともに、参考になろう。

★際立つ薫
 若君は、乳母のもとに寝たまへりける、起きて這ひ出でたまひて、御袖を引きまつはれてまつりたまふさま、いとうつくし。白き蘿に唐の小紋の紅梅の御衣の裾、いと長くしどけなげに引きやられて、御身はいとあらはにて、背後のかぎりに着なしたまへるさまは、例のことなれど、いとらうたげに、白くそびやかに、柳を削りて作りたらむやうなり。頭は露草
してことさらに色どりたらむ心地して、口つきうつくしうにほひ、まみのびらかに恥ずかしうかをりたるなどは、なほいとよく思ひ出でらるれど、かれはいとかやうに際離れたるきよらはなかりしものをいかでかからん、宮にも似たてまつらず、今より気高くものものしうさまことに見えたまへる気色などは、わが御鏡の影にも似げなからず見なされたまふ。
 わづかに歩みなどしたまふほどなり。この筍(たかうな)の櫑子(らいし)に何とも知らず立ち寄りて、いとあわたたしう取り散らし食ひかなぐりなどしたまへば、「あならうがはしや。いと不便なり。かれとり隠せ。食物に目とどめたまふと、ものいひさがなき女房もこそ言ひなせ」とて笑ひたまふ。かき抱きたまひて、「この君のまみのいとけしきあるかな。小さきほどの児をあまた見ねばにやあらむ、かばかりのほどはただいはけなきものとのみ見しを、今よりいとけはひことなるこそわづらはしけれ。女宮ものしたまふめるあたりにかかる人生ひ出でて、心苦しきこと誰がためにもありなむかし。あはれ、そのおのおのの老いゆく末までは、見はてんとすらむやは。花の盛りはありなめど」と、うちまもり聞こえたまふ。「うたて。ゆゆしき御事にも」と人々は聞こゆ。
 御歯の生ひ出づるに食ひ当てむとて、筍をつと握り持ちて、雫もよよと食ひ濡らしたまへば、「いとねぢけたる色ごのみかな」とて、
    うきふしも忘れずながらくれ竹のこは棄てがたきものにどありける
と、率て放ちてのたまひかくれど、うち笑ひて、何とも思ひたらず。いとそそかしう這ひ下り騒ぎたまふ。
 月日にそへて、この君のうつくしう、ゆゆしきまで生ひまさりたまふに、まことに、このうきふしみな思し忘れぬべし。「この人の出でものしたまふべき契りにて、さる思ひの外のこともあるにこそはありけめ。のがれがたかなるわざぞかし」とすこしは思しなほさる。みづからの御宿世も、なほ飽かぬこと多かり。あまた集へたまへる中にも、この宮こそは、かたほなる思ひまじらず、人の御ありさまも思ふに飽かぬところなくてものしたまふべきを、かく思はざりしさまにて見たてまつることと思すにつけてなむ、過ぎにし罪ゆるしがたく、なほ口惜しかりける。

★想夫恋
夕霧と女二宮との「想夫恋」合奏がこの巻の山場。筝の琴をひく女二宮と琵琶をひく夕霧。柏木遺愛の和琴を弾かなかったところ、恋が一歩進んだ印象がある。さて、この想夫恋だが、もともとは「相府蓮」で、晋の大臣王倹が蓮の花を愛して作った曲。亡き夫を偲ぶ意はない。このことを紫式部は知らなかったのか。あるいは、知っていてわざとそうしたのか。あるいは、日本に伝わってきた当時から、同音異義の「想夫恋」と誤解されていたもものなのか。この時「秋の夕のものあはれなる」ころ。夏の早朝に花咲く睡蓮とは考えられない。紫式部は、誤解しているのではないか。

★落葉宮は醜女かもしれない
夕霧の思念。柏木は「ただおほかたの心ばへは、やむごとなくもてなしきこえながら」、女二宮をそれほど深く愛していたわけではない。ひょっとして彼女は美人でないのかもしれない。「おほかたの世につけても、限りなく聞くことは、かならずさぞあるかし」。この、美人でないのかもしれないという認識が、この夕霧の恋を日常性へひきもどし、うら悲しくやるせない、格の落ちた恋の情景にしてしまう。これも、光源氏第二世代の恋を語るに際した作者の目論見であろう。この世代にはロマンはない。作者は、この筍にかぶりついた若君・薫が活躍する第三世代へと急いでいるのではないか。

★柏木、夢枕に立つ
 すこし寝入りたまへる夢に、かの衛門督、ただありしさまの袿姿にて、かたはらにゐて、この笛を取りて見る。夢の中にも、亡き人のわづらはしうこの声をたづねて来たると思ふに、
    笛竹に吹きよる風のことならば末の世ながら音に伝へなむ
思ふ方異にはべりき、と言ふを、問はんと思ふほどに、若君の寝おびれて泣きたまふ御声にさめたまひぬ。
 この君のいたく泣きたまひて、つだみなどしたまへば、乳母も起き騒ぎ、上も御殿油近く取り寄せさせたまて、耳はさみしてそそくりつくろひて、抱きてゐたまへり。いとよく肥えて、つぶつぶとをかしげなる胸をあけて乳などくくめたまふ。児も、いとうつくしうおはする君なれば、白くをかしげなるに、御乳はいとかはらかなるを、心をやりて慰めたまふ。

★竹の縁語
このあたりで、読者は恐らく、この巻が竹の縁語によって構成されていることに気付くだろう。筍、横笛。そして、薫が筍に食らいついた場面が、決して無邪気な子供の行為を笑うためだけのものではなかったことを知るに違いない。

★匂宮(二の宮)の紹介
三歳。これが、後の匂宮である。若菜下巻で生まれた皇子である。薫とのバランスからいって、このあたりで、印象的登場をさせないと不自然であろう。薫は、現在二歳であるから、匂宮の方が一歳年長ということになる。この三宮が」「こなたにぞ、またとり分きておはしまさせ給ひける」とある「こなた」は紫上を指す。紫上に可愛がられている三宮のイメージは、御法巻の遺言の場のために是非必要である。ここは、その小さな用意。「御簾の前」は、紫上の御簾である。紫上の信仰者・夕霧にとって前渡りは緊張する行為でなくてなにか。さても夕霧の取り合いに、大騒ぎする二宮と三宮。無邪気な喧騒のなかに光源氏がいる。
日常的世界である。夕霧の世界と大差ない。世の常なる世界。このあたりは主人公の空白地帯といえようか。光源氏の翁的印象も拭いがたい。

★夕霧の見た薫
大将は、この君をまだえよくも見ぬかなと思して、御簾の隙よりさし出でたまへるに、花の枝の枯れて落ちたるを取りて、見せたてまつりて招きたまへば、走りおはしたり。二藍の直衣のかぎりを着て、いみじう白う光りうつくしきこと、皇子たちよりもこまかにをかしげにて、つぶつぶときよらなり。なま目とまる心も添ひて見ればにや、まなこゐなど、これはいますこし強う才あるさままさりたれど、目尻のとぢめをかしうかをれるけしきなどいとよくおぼえたまへり。口つきの、ことさらにはなやかなるさましてうち笑みたるなど、わが目のうちつけなるにやあらむ、大殿はかならず思しよすらんと、いよいよ御気色ゆかし。宮たちは、思ひなしこそ気高けれ、世の常のうつくしき児どもと見えたまふに、この君は、いとあてなるものから、さまことにをかしげなるを、見くらべたてまつりつつ、「いであはれ。もし疑ふゆゑもまことならば、父大臣のさばかり世にいみじく思ひほれたまて、子と名のり出でくる人だになきこと、形見に見るばかりのなごりをだにとどめよかしと泣き焦がれたまふに聞
かせたてまつらざらむ罪得がましさ」など思ふも、いで、いかでさはあるべきことぞと、なほ心得ず思ひよる方なし。心ばへさへなつかしうあはれにて、むつれ遊びたたまへば、いとらうたくおぼゆ。

★夕霧、光源氏を圧倒する
光源氏の、夕霧を前にした女性論。「女はなほ、人の心移るばかりのゆゑよしをも、おぼろげにては漏らすまじうこそありけれと、思ひ知らるることどもこそ多かれ」。さりげない女二宮批判である。想夫恋なんて男の前で軽々に弾くべきではない。女はすきをみせてはいけないのだと、暗に言っている。これは、明らかに女三宮批判をも滲ませている。思い知らされたというところ、気持がこもっているではないか。その時の夕霧の心中。「さかし、人の上の御教へばかりは心強げにて、かかる好きはいでや」。足もとを見ている男の強みである。光源氏の効力はかくまで衰えているのである。哀れ柏木は、このことを知らなかった。夕霧の反論は、堂々として、光源氏を圧倒している。「何ごとも、人により、ことに従ふわざにこそはべるべかめれ」。一般論の無力を彼は言っているのである。こう言われると光源氏もかたなしである。この光源氏のていたらくを見るに、もはや世代交代を言うレベルではないのかもしれない。

★笛の由来
笛についての光源氏の見解。「その笛は、ここに見るべきゆゑあるものなり」。これで、恐らく夕霧は、確信がもてたのではないか。それにしても、この笛を「陽成院の御笛」とした意図は何か。陽成院は、もの狂いの帝のイメージ。その子、元良親王は、みをつくしても逢はんという破滅型の人物のイメージ。これらの要素が、この笛にまとわりついているというのは考え過ぎか。光源氏によれば、この笛は、陽成院→故式部卿の宮→柏木という経路をへてきたものていう。故式部卿の宮とは、朝顔の父のことか。朝顔の父が死んだには、薄雲巻。そのころ柏木は、童であった。「かの衛門の督は、童よりいと異なる音を吹き出でしに感じて、かの宮の萩の宴せられける日、贈り物に取らせるへるなり」という光源氏の説明に符合する。なお、この笛は薫に渡る。遠く宿木巻。女二宮と結婚した薫が、宮中で催された藤花の宴で、この笛を吹いている。柏木の夢は実現したのである。

★夢は夜語らず
光源氏に柏木の最期の言葉を伝えた夕霧。「たどたどしげに聞こえたまふ」とある。光源氏に逃げ道を与えながらの質問である。夕霧は、光源氏にこのような態度で接せられるほど大人になっている。もはや光源氏の時代ではない。もちろん光源氏は、それにたいして正面から答えようとはしない。夢は「夜語らず」と言うのみ。しかし、もはや疑うところはない。夕霧は事態を正確に把握したというべきである。光源氏の秘密は、かくて夕霧に受け継がれた。光源氏は、これで少し身軽になったのではないか。光源氏の終末は徐々にだが、確実に近づいてきている。


 <鈴虫巻>

第42回 鈴虫巻・君達は鈴虫でいてほしい

★この巻の粗筋
 1 夏。女三宮の持仏開眼供養。光源氏と紫上、念誦堂を豪華に飾る。
 2 宮の持経は、光源氏自ら書く。
 3 講師参上。宮の居る西廂の雑踏振り。光源氏注意する。
 4 光源氏、宮「蓮」歌の贈答。
 5 儀式の盛儀。親王の参加。御方々、院や帝の供物。講師の説教に涙する。
 6 光源氏、女三宮に愛情戻る。三条宮に蔵を建て増し、院の遺産に加え、自らの財物も限りなく収める。
 7 秋。西の渡殿の前を野に作り、虫を放し、閼伽棚などを整備する。女三宮の女房、選ばれて十余人尼となり宮に伺候する。
 8 女三宮、光源氏の態度に困惑しつつ、人離れた住まいを思う。
 9 八月十五夜。念誦する宮の許に光源氏来る。野に鳴く鈴虫を聞きながら、松虫と比較。宮と鈴虫の贈答歌。光源氏、久し振りに琴を弾く。
10 蛍兵部卿来訪。内裏の月見宴中止もあり、上達部なども来訪、鈴虫の宴となる。光源氏、柏木を追想しつつ琴を弾く。
11 冷泉院より消息届く。来訪の要請。光源氏、応ず。
12 全員、冷泉院に移動する。漢詩や和歌の宴、明け方に及ぶ。
13 光源氏、ついでに秋好中宮を見舞う。自分の出家後を話題にする光源氏に、中宮出家の思いを語る。光源氏、たしなめる。
14 中宮、悪所に落ちたらしい母御息所のことを語り、かさねて出家の許可を願うも、光源氏、目連の例を出し、再度たしなめる。
15 光源氏、やって来た上達部たちに見送られ帰る。光源氏、東宮の女御よりも、夕霧よりも冷泉院を思う気持強し。冷泉院も同じ。
16 中宮、母を思って止まず。出家の思い強まる。

★持仏開眼供養。掛けられた法華曼荼羅
「法華の曼荼羅」は、法華変相図の可能性もあるが、ここは恐らく法華経「見宝塔品 第十一」を絵画化した曼荼羅のことだろう。見宝塔品にしたがって解説すると、次のようになる。釈迦が法華経を説く現場に、突然壮麗巨大な塔が湧出する。中から法華経を賛嘆する不思議な声が響く。中に誰がいるのか。塔の扉をあける条件として、三千世界に展開説法する釈迦の分身諸仏が一堂に集められる。一堂の眼前で、宝塔の扉を釈迦があける。中には多宝如来がいた。多宝如来は、法華経が説かれる所に必ず湧き出すという大誓願を前世でもって入滅した仏であった。半座を譲られて釈迦如来が塔に入り、多宝如来と並び坐って、宣言する。私は間もなく死ぬ。この法華経を、御前たちに委ねる。という劇的瞬間を絵画化したものである。曼荼羅は本来密教のもので、真言密教では、ご承知の通り、金剛界・胎蔵界の両界曼荼羅が有名で、信仰の中心は大日如来である。密教に後れを取った天台においては、伝教大師死後、慈覚大師・智証大師によって教義の密教化が大胆におしすすめられ、金剛界大日如来を釈迦如来に、胎蔵界大日如来を多宝如来とし、宝塔の中で両者が説法する曼荼羅を完成している。「理智不二」の教説であるといわれる。この鈴虫巻持仏供養の場面は、その天台密教の具体的表示として注目されるのではないか。なお、法華経をここで強調しているのは、「提婆達多品」に娑喝蘿竜王の娘が、一旦男となり、たちまちに成仏した説法を載せていることと無関係ではないだろう。女三宮の成仏への暗示、あるいは飾りとしてこの「法華の曼荼羅」は掛けられているのだろう。

★紫上の世話振り
「七僧の法服など、すべておほかたのことども」は皆、彼女がした。「綾のよそひにて、袈裟の縫目まで、見知る人は、世になべてならずとめでけりとや」。作者はこれを、「むつかしうこまかなることどもかな」と記した。そう書きながら、これが、こまかなどうでもよいことなのではなく、この「見知る人」の眼こそ、このあたりを読む読者の眼であってほしいと願って書いているのではないか。紫上は、いま、女三宮の陰に隠れてみえないけれども、見る人、あるいは見える人には見えるはずた。もはや完全に出家の用意が整っているところ。是非にも見てほしいと願って書いているのではないかと思う。

★松虫鈴虫の論
 十五夜の夕暮に、仏の御前に宮はおはして、端近うながめたまひつつ念誦したまふ。若き尼君たち二三人花奉るとて、鳴らす閼伽坏の音、水のけはひなど聞こゆる、さま変りたる営みにそそきあへる、いとあはれなるに、例の渡りたまひて、「虫の音いとしげう乱るる夕かな」とて、我も忍びてうち講じたまふ阿弥陀の大呪いと尊くほのぼの聞こゆ。げに声々聞こえたる中に、鈴虫のふり出でたるほど、はなやかにおかし。「秋の虫の声いづれとなき中に、松虫なんすぐれたるとて、中宮の、遥けき野辺を分けていとわざと尋ねとりつつ放たせたまへる、しるく鳴き伝ふるこそ少なかなれ。名には違ひて、命のほどはかなき虫にぞあるべき。心にまかせて、人聞かぬ奥山、遥けき野の松原に声惜しまぬも、いと隔て心ある虫になんありける。鈴虫は心やすく、いまめいたるこそろうたけれ」などのたまへば、宮、
    おほかたの秋をばうしと知りにしをふり棄てがたき鈴虫の声
と忍びやかにのたまふ、いとなまめいて、あてにおほどかなり。
「いかにとかや。いで思ひのほかなる御言にこそ」とて、
    心もて草のやどりをいとへどもなほ鈴虫の声ぞふりせぬ
など聞こえたまひて、琴の御琴召して、めづらしく弾きたまふ。宮の御数珠引き怠りたまひて、御琴になほ心入れたまへり。月さし出でていとはなやかなるほどもあはれなるに、空をうちながめて、世の中さまざまにつけてはかなく移り変るありさまも思しつづけられて、例よりもあはれなる音に掻き鳴らしたまふ。

★松虫は鈴虫、鈴虫は松虫
松虫と鈴虫とは現在のものとは逆である。どうして、どういう事情で入れ代わったのか。はるかな山野に松虫、身近な世界に鈴虫というイメージが源氏物語にはある。壬生忠峯「新和歌序」によれば、山→松虫→松風→琴の音。野辺→鈴虫→谷の水音という観念連合が認められる。(『夫木和歌抄』)。これに従えば、昔の松虫はリリリンと鳴く今の鈴虫。昔の鈴虫はチンチロリンと鳴く今の松虫であめと推定される。現在は、その鳴き声によって逆転しているのであって、この逆転現象は、江戸時代から始まったと思われる。しかし、専門に虫を扱っている店では、正しく呼ばれ、売られていたことが、『花月草紙』の一文で確認される。

★あはれ衛門督
六条院月見の宴。光源氏の言葉「今宵のあらたなる月の色には、げになほわが世のほかまでこそ、よろづ思ひ流さるれ」は、湖月抄が指摘したように、白氏文集巻十四「八月十五日禁中独直対月憶元九」のなかのの有名な一節「三五夜中新月色 二千里外故人心」を踏まえた表現であると思われる。だとすれば、柏木は元九、つまり「広陵」の元慎に相当する。この場合、光源氏は白楽天で、白楽天と元慎が無二の親友であることはいうまでもない。ここで、柏木を光源氏が元慎だと認めていることになる。柏木・横笛と続いた柏木評価のだめ押し。あはれ衛門督である。そして、「こよひは鈴虫の宴にてあかしてん」。これが、この巻のテーマ。あるいは、光源氏の願望だといえよう。あらゆることは恩讐の彼方に。すべて許そうという心境を、「心やすく、今めいたる」鈴虫に託しているのではないか。

★六条院から冷泉院へ
冷泉院からの突然のお誘い。それを受け、鈴虫の宴を捨てて、全員を引き連れて冷泉院に出向く光源氏。親子の絆、血の連続性は、人を素直にする。「恩愛」のテーマである。さても、光源氏は今や准太政天皇。出掛けるのは行幸に準ずる。実は大変な事であったはずである。が、「いにしへのただ人ざまにおぼしかえりて」突然の訪問となった。柏木巻の朱雀院の突然の六条院訪問を彷彿させる場面である。人々も直衣に「下襲ばかりたてまつり加え」て、略式ながら威儀を正している。源氏物語絵巻に描かれたような格好になったわけである。「ねびととのひたまへる御容貌、いよいよことものならず」という冷泉院の登場は、女三宮と対になる構想であろう。罪を持ち、あるいは持たされた、運命の人という関わりである。「いみじき御盛りの世を、御心とおぼし捨てて、静かなる御ありさまに、あはれ少なからず」は、持仏開眼供養の日の女三宮評価そのままではないか。冷泉院を後半に登場させる心理的必然性が、ここにある。

★秋好中宮訪問
冷泉院の月見の宴が果てた明け方、光源氏は秋好中宮を訪問する。「われよりのちの人々に、かたがたにつけて後れゆくここちしはべる」と光源氏は言った。この時期の、正直な感想であろう。死に別れもあるし、出家という生き別れも含め、彼はいま孤独への恐怖を感じ取っているというべきか。女三宮、柏木。朧月夜、朝顔。そしてまもなく紫上、さらにはこの秋好中宮。光源氏は、前々から、出家後のことを秋好中宮に託していた特に残る女性たちの世話は、中宮
という実力者の庇護が必要と考えていた。紫上のことなど、夕霧に依頼するわけにもいかない。依頼したら女二宮になるばかりであろう。「春宮の女御」とて、秋好中宮の後ろ楯を必要とする。そんなこんなで、光源氏としては、秋好中宮が出家することは、断然反対しなければならない個人的事情があった。

★中宮、出家の志。光源氏許さず
 御息所の、御身の苦しうなりたまふらむありさま、いかなる煙の中にまどひたまふらん、亡き影にても、人に疎まれたてまつりたまふ御名のりなどの出で来けること、かの院にはいみじう隠したまひけるを、おのづから人の口さがなくて伝へ聞こしめしける後、いと悲しういみじくて、なべての世の厭はしく思しなりて、仮にても、かののたまひけんありさまのくはしう聞かまほしきを、まほにはえうち出できこえたまはで、ただ、「亡き人の御ありさまの罪軽からぬさまにほの聞くことのはべりしを、さるしるしあらはならでも、推しはかりつべきことにはべりけれど、後れしほどのあはればかりを忘れぬことにて、物のあなた思うたまへやらざりけるがものはかなさを。いかで、よう言ひ聞かせん人の勧めをも聞きはべりて、みづからだにかの炎をも冷ましはべりにしがなと、やうやう積もるになむ、思ひ知らるることもありける」など、かすめつつぞのたまふ。
 げにさも思しぬべきこととあはれに見たてまつりたまうて、「その炎なむ、誰のものがるまじきことと知りながら、朝露のかかれるほどは思ひ棄てはべらぬになむ。目蓮が、仏に近き聖の身にてたちまちに救ひけむ例にも、え継がせたまはざらむものから、玉の簪棄てさせたまはんも、この世には恨み残るやうなるわざなり。やうやうさる御心ざしをしめたまひて、かの御煙はるくべきことをせさせたまへ。しか思ひたまふることはべりながら、もの騒がしきやうに、静かなる本意もなきやうなるありさまに、明け暮らしはべりつつ、みづからの勤めにそへて、いま静かにと思ひたまふるも、げにこそ心幼きことなれ」など、世の中なべてはかなく厭ひ棄てまほしきことを聞こえかはしたまへど、なほやつしにくき御身のありさまどもなり。

★恩愛のテーマ
秋好中宮の出家意識のよってきたるところは、明確に書れている。母・六条御息所の霊の噂を聞き、悪道に落ちている母の霊を救う為であって、本人自身の為ではない。餓鬼道に落ちていた母を救った目蓮の行為を彼女は実現したいのである。ここに、強烈な血の脈絡がある。これは、さりげないが確実に流れていた。この巻の地下伏流が、巻軸において一気に地上に噴出した趣であろう。女三宮ー薫、光源氏ー冷泉院、秋好中宮ー六条御息所。「恩愛」のテーマである。釈迦とて涅槃の時、息子ラゴラとの対面に拘った。恩愛は決して仏法の正道から外れているものではない。考行な娘や息子が仏果を得る話は『今昔物語』などに多く記されている。目蓮の母恋いイメージの提出も、血の脈絡の強調である。愛が血のレベルにあることに注意したい。これは、もっとも寂しい愛であり、ぬきさしならぬ愛の形でもある。源氏物語後半のメインテーマ。

★孟蘭盆
目蓮になりたいという秋好中宮にたいして、それは出来ないことだという光源氏の言葉は、実に冷たい。その理由として、「目蓮が仏に近き聖の身」であったことをあげているのでなおさらその感がある。あなたは五障の女。ましてや神通第一の目蓮とは違うのだ。この件は私に任せなさい。「みづからの勤めに添へて、今静かに」。この条はこの理解でいいのかもしれない。しかし、もうすこし目蓮に接近すると、いささか事情が違ってくるのではないかと思う。『三宝絵詞』二十四「孟蘭盆」によれば、目蓮は自力で母は救えず仏の力を借りて逆さに吊るされた炎の中の母を救ったのである。このことを、紫式部は知らず、「たちまちに救ひけむ」と言ったのか。あるいは、わざわざ光源氏にそう言わせて、光源氏の無知を暗示し、秋好中宮の理解されぬ悲しみを強調しようとしたのか。また、こうも考えられる。光源氏を目蓮になぞらえて、目蓮がそうしたように、仏に頼んであげると光源氏に言わせたのかもしれない。この方が、成功の見込みからいえば確率は高い。こっちの発想に立てば、作者は孟蘭盆のことを知悉していたことになる。

★目蓮になる秋好中宮
最後に、秋好中宮の母・六条御息所を思う気持を点出する。今は「ただ人の仲のやうに並びおはします」という傍目には仲睦まじい夫・冷泉院ではなく、「ただかの御息所の御ことをおぼしやりつつ、行ひの御心進みにたる」心境にある。母への回帰である。これも恩愛。血脈に問題は帰着する。秋好中宮が「功徳のことを立てておぼしいとなみ、いとど心深う、世の中をおぼし取れるさまになりまさりたまふ」ということは、彼女が目蓮になって、孟蘭盆供養をしているということであろう。


 <夕霧巻>

第43回 夕霧巻・女ほどつらいものはない

★この巻の粗筋
  1 落葉宮の母・一条御息所病気のため小野の山荘に移る。夕霧ゆきとどいた世話をするも、雲居雁をはばかりすぐには行けず。
 2 八月中旬、夕霧小野を見舞う。宮、応対する。夕霧意中を述べる。
 3 宮と霧の贈答歌。泊まる決意をした夕霧。宮に近づき捕らえて思いを語る。宮を慮りそれ以上進まず。濡れ衣の贈答歌。夕霧、朝露のなかを帰る。
 4 夕霧、六条院の花散里の下許に。
 5 宮、憶悩する。夕霧から文が届いたが無視する。
 6 御息所、小康を得る。阿闍梨(律師)、夕霧を話題にし、宮との関係を断定的に語り反対する。御息所驚く。
 7 宮、女房の小少将を呼び、真偽を問う。夕霧が宮に近づいた事実を知り、御息所の嘆きは深い。宮を呼ぶ。
 8 夕方、ようやく母娘の対面。御息所、なかなか切り出せず。そこに夕霧の文が届く。来ない風情に、御息所不興。体調乱れるも、返書を必死の思いで書く。そのまま病臥。
 9 夕霧、昼ごろ三条邸に移る。
10 宵過ぎる頃、御息所よりの手紙とどく。判読に苦しむ夕霧。雲居雁、後から手紙を奪う。夫婦の問答。夕霧、すぐに奪いかえさず。雲居雁の寝た後捜すも見付からず。朝を迎える。昼、問うもはぐらかされ、日も暮れる。
11 宵、手紙をようやく発見。事情を知る。坎日(かんにち)のため行けず。弁明の手紙を早馬で送る。
12 その日の小野。御息所、宮に最後の教訓。夕霧を恨んで危篤状態になる。
13 夕霧より文届く。今夜も来ないことを確認し、御息所絶命する。
14 弔問多し。夕霧、光源氏、致仕大臣。朱雀院の手紙に宮返事する。
15 葬儀。夕霧異例の来訪。小少将より事情を聞き、葬儀万端の手配をして帰る。
16 宮、山を下りず。九月になる。
17 夕霧世話を続ける。宮、御息所の死の顛末を思い心ひらかず。夕霧合点いかず。雲居雁、夕霧の心を問う。
18 九月十日過ぎ、夕霧小野へ。野山の気色のもの悲しさ。夕日に扇をかざす夕霧。
19 小少将と語らう。鹿の音の贈答。夕霧、空しく帰る。途中、一条宮を通りかかり柏木を偲ぶ。
20 雲居雁の嘆き、深し。
21 夕霧、早朝、宮に文を送る。小少将の返事の中に、宮の手習いの紙片あり。
22 光源氏、案ずるも口出しせず。夕霧に対面してさらにその思いを深める。
23 紫上、無言太師子の思い。
24 御息所四十九日の法要。朱雀院、宮の出家の意向を諫める。
25 夕霧、宮を一条に迎える用意。この結婚は御息所の意思であると世間を繕う決意をする。
26 帰京を嫌がる宮。大和守の説得。女房たちに促され、宮一条邸に帰る。浦島の心境。
27 夕霧、小少将を責めるも、宮塗籠に閉じこもり逢わず。
28 夕霧、六条院に行き、花散里に心情を吐露する。光源氏と対面。光源氏、夕霧に同情する。
29 夕霧、三条邸に行く。雲井雁と鬼問答をし、夕暮に一条邸に帰る。
30 宮の拒否は依然たるものであったが、条理を尽くす夕霧に負け、小少将、夕霧を塗籠に導く。宮、泣き嘆く。
31 朝を迎え、夕霧の美しさに我が身を恥じる。この日より、宮常の居間に。二人の生活始まる。
32 雲居雁、方違えと称し、姫君など子供を連れ実家に帰る。
33 夕霧、夕方迎えに行くも不調。一泊し、子供たちに教訓する。
34 致仕大臣、宮に文を送る。使者蔵人少将、嫌味な振る舞い。
35 藤典侍、同情して雲居雁と贈答する。
36 夕霧の子供たちの紹介。合計十二人。

★阿闍梨の言葉
阿闍梨の「頭ふりて、ただ言ひに言ひ放」つ力説ぶり。かって北山僧都が光源氏に説いた光景が彷彿されよう。あれは、もっと上品で厳格であったけれども、内容は同じである。「女人のあしき身をうけ、長夜の闇にまどふは、ただかやうの罪によりてなむ、さるいみじき報いをも受くるものなる」。「かやうの罪」とは不倫愛欲のこと。六条御息所が落ちた地獄である。仏教的に見れば、源氏物語は「長夜の闇にまどふ」物語なのだということがこれで明確になる。この阿闍梨の観念、ここでは完全に浮いているけれども、この思念の間近に紫上が、かなたに宇治の大君がいて、その遥か彼方の最果てに浮舟がいる。源氏物語において、この阿闍梨は宇治への道を開拓した人だと位置づけられようか。北山僧都からこの夕霧の律師を経由して横川僧都に及ぶ流れに留意すべき時である。そして、六条御息所に作者がこだわったのも、こういう発想に根を張っていたのであることが、いまさらながらに了解されよう。その意味で、この律師の言葉は、源氏物語の本質に根ざした重要な証言である。夕霧巻の重要性もここにある。

★雲居雁、手紙を奪う
 宵過ぐるほどにぞこの御返り持て参れるを、かく例にもあらぬ鳥の跡のやうなれば、とみにも見解きたまはで、御殿油近う取り寄せて見たまふ。女君、もの隔てたるやうなれど、いととく見つけたまうて、這ひ寄りて、御背後より取りたまうつ。夕霧「あさましう。こはいかにしたまふぞ。あな、けしからず。六条の東の上の御文なり。今朝風邪おこりてなやましげにしたまへるを、院の御前にはべり出でつるほど、またも参でずなりぬれば、いとほしさに、今の問いかにと聞こえたりつるなり。見たまへよ、懸想びたる文のさまか。さてもなほなほしの御さまや。年月にそへていたう侮りたまふこそうれたけれ。思はむところをむげに恥ぢたまはぬよ」とうちうめきて、惜しみ顔にもひこじろひたまはねば、さすがにふとも見で、持たまへり。「年月にそふる侮らはしさは、御心ならひなべかめり」とばかり、かくうるはしだちたまへるに憚りて、若やかにをかしきさましてのたまへば、うち笑ひて、「そはともかくもあらむ。世の常のことなり。またあらじかし、よろしうなりぬる男の、かくまがふ方なくひとつ所を守らへてもの怖ぢしたる鳥のせうやうの物のやうなるは。いかに人笑ふらん。さるかたくなしき者に守られたまふは、御ためにもたけからずや。あまたが中に、なほ際まさりことなるけぢめ見えたるこそ、よそのおぼえも心にくく、わが心地もなほ古りがたく、をかしきこともあはれなる筋も絶えざらめ。かく翁のなにがし守りけんやうに、おれまどひたれば、いとぞ口惜しき。いづこのはえかあらむ」と、さすがに、この文の気色なくをこつり取らむの心にて、あざむき申したまへば、いとにほひやかにうち笑ひて、「もののはえばえしさ作り出でたまふほど古りぬる人苦しや。いといまめかしくなり変れる御気色のすさまじさも、見ならはずなりにけることなれば、いとなむ苦しき。かねてよりならはしたまはで」とかこちたまふも憎くもあらず。「にはかにと思すばかりには何ごとか見ゆらむ。いとうたてある御心の隅かな。よからずもの聞こえ知らする人ぞあるべき。あやしう、もとよりまろをばゆるさぬぞかし。なほかの緑の袖のなごり、侮らはしきにことつけて、もてなしたてまつらむと思ふやうあるにや。いろいろ聞きにくきことどもほのめくめり。あいなき人の御ためにも、いとほしう」などのたまへど、つひにあるべきことと思せば、ことにあらがはず。大輔の乳母いと苦しと聞きて、ものも聞こえず。

★リンドウの花
九月は秋の終わり。草むらの虫も「よりどころなげに鳴き弱」る頃。「枯れたる草の下より、竜胆の、われひとりのみ心長うはひ出でて、露けく見ゆる」。とある。竜胆を弱った虫と同じレベルでクローズアップして、落葉宮の現在の心象風景としている。枕草子六十四段には、竜胆の記事がある。「竜胆は、枝ざしなどもむつかしけれども、異花どもの、皆霜枯れたるに、いと花やかなる色あひにてさし出でたる、いとおかし」。落葉宮は、夕霧の人生の晩秋に咲いた竜胆
の花なのである。

★先に続きを書いたのか
小少将の君に語る夕霧。「よろづのこと、さるべきにこそ。世にあり経じとおぼすとも、従はぬ世なり」。この言葉、源氏物語最後の場面。薫が浮舟に言うであろう台詞ではないか。ならば、この巻は、夢の浮橋の実質的続編ということになる。先に続きを書いておいて、作者は続きを書かなかったのである。大和守をここで出した意味、手習巻でわざわざ大和守を出した訳は、そういう仕掛けのサインであったと理解すべきではないか。

★紫上の述懐
 紫の上にも、来し方行く先のこと思し出でつつ、かうやうの例を聞くにつけても、亡からむ後、うしろめたう思ひきこゆるさまをのたまへば、御顔うち赤めて、「心憂く。さまで後らかしたまふべきにや」と思したり。「女ばかり、身をもてなすさまもところせう、あはれなるべきものはなし。もののあはれ、をりをかしきことをも見知らぬさまにひき入り沈みなどすれば、何につけてか、世に経るはえばえしさも、常なき世のつれづれをも慰むべきぞは。おほかたものの心を知らず、言ふかひなき者にならひたらむも、生ほしたてけむ親も、いと口惜しかるべきものにはあらずや。心にのみ籠めて、無言太子とか、小法師ばらの悲しきことにする昔のたとひのやうに、あしき事よき事を思ひ知りながら埋もれなむも言ふかひなし。わが心ながらも、よきほどにはいかでたもつべきぞ」と思しめぐらすも、今はただ女一の宮の御ためなり。

★若菜を挟んで真木柱と釣合う
夕霧は、話の内容から、真木柱巻を呼び起こすように作られている。真面目な夫が新しい妻に走る。古い妻は子供を連れて実家に帰る。火取を投げたり、手紙を奪って隠すという異常な行為も、読者への誘導だろう。この誘導は、さらに両巻の中間点にある若菜巻の問い直しへと読者を導くことになる。信じていた夫に裏切られた古い妻。火取も投げず、手紙も隠さず、つれて帰る子供も実家も無い女の悲しみ、源氏物語が真木柱と夕霧を額縁として、確然として紫上の悲劇図を掲示している、ということに読者は気がつくはずだ。この動かしようの無い紫上の構造的悲劇性。ここから、どうやって彼女を救出するのか、これが当面の注目点である。あるいは、このまま終るのか。終るとすれば、この「女ばかり、身をもてなすさまもところせう、あはれなるべきものはなし」という紫上の述懐は、源氏物語の結論ということになる。もう一波乱ありそうな気もするが果たしてどうか。

★夕霧、雲居雁の鬼問答
 日たけて、殿には渡りたまへり。入りたまふより、若君たちすぎすぎうつくしげにて、まつはれ遊びたまふ。女君は、帳の内に臥したまへり。入りたまへれど目も見あはせたまはず。つらきにこそはあめれと見たまふことわりなれど、憚り顔にもてなしたまはず、御衣を引きやりたまへれば、「いづことておはしつるぞ。まろは早う死にき。常に鬼とのたまへば、同じくはなりはてなむとて」とのたまふ。「御心こそ鬼よりけにもおはすれ、さまは憎げもなければ、え疎みはつまじ」と、何心もなういうひなしたまふも心やましうて、「めでたきさまになまめいたまへらむあたりにあり経べき身にもあらねば、いづちもいづちも失せなむとす。なほかくだにな思し出でそ。あいなく年ごろを経けるだに、悔しきものを」とて、起き上がりたまへるさまは、いみじう愛敬づきて、にほひやかにうち赤みたまへる顔いとをかしげなり。「かく心幼げに腹立ちなしたまへればにや、目馴れて、この鬼こそ、今は、恐ろしくもあらずなりにたれ。神々しき気を添へばや」と、戯れに言ひなしたまへど、「何ごと言ふぞ。おいらかに死にたまひね。まろも死なむ。見れば憎し、聞けば愛敬なし、見棄てて死なむはうしろめたし」とのたまふに、いとをかしきさまのみまされば、こまやかに笑ひて、「近くてこそ見たまはざらめ、よそにはなどか聞きたまはざらむ。さても契り深かなる瀬を知らせむの御心ななり。にはかにうちつづくべかなる冥途の急ぎは、さこそは契りきこえしか」と、いとつれなく言ひて何くれとこしらへきこえ慰めたまへば、いと若やかに心うつくしうらうたき心、はた、おはする人なれば、なほざり言とは見たまひながら、おのづから和みつつものしたまふを、いとあはれと思すものから、心は空にて、「かれも、いとわが心をたてて強うものものしき人のけはひには見えたまはねど、もしなほ本意ならぬことにて尼になども思ひなりたまひなば、をこがましうもあべいかな」と思ふに、しばしはと絶えおくまじうあわたたしき心地して、暮れゆくままに、今日も御返りだになきよと思して、心にかかりていみじふながめをしたまふ。

★過去および未来の変更
若菜巻が光源氏と藤壷の事件が発覚したらどうなっていたかを、柏木と女三宮で描いて見せた。つまり、過去を現在において変更して見せたわけである。この巻では、紫上の未来を、現在の落葉宮によって変更して見せたのである。つまり、紫上の陥る最も悪い可能性の表示である。しかし、彼女はそうならなかった。人生は偶然。悲しみは甘受し、僥倖は喜ぶしかないのだよ。こう言っておいてから作者は次の紫上の死の巻に入っていくのである。かくして巨大な夕霧巻は、短い御法巻の飾りとなる。

★恋はこりごり
恋の道で苦労した夕霧の感想。「いかなる人、かうようなることをかしうおぼゆらむ、など、物懲しぬべうおぼえたまふ」。彼は物語の主人公たりえない。この瞬間、夕霧が光源氏となる道は完全に断たれたというべきである。姫君に、お母ちゃんのようになっちゃいけないと諭す。どこの家庭にもありそうな日常の物語。この巻がホームドラマであるという面目が遺憾なく発揮された場面であろう。光源氏の物語は、こういう世俗的世界とは次元のことなった世界である。世の常ならざる物語。

★家庭劇の駄目押し
最後に夕霧の十二人の子供たちの紹介がある。雲居雁腹に「太郎君、三郎君、五郎君、六郎君、中の君、四の君、五の君」の七人。典侍腹に「大君、三の君、六の君、次郎君、四郎君」の五人。いちいち紹介するところ、いかにも家庭劇のこの巻らしい。律儀ものの子沢山を地で行っている。典侍の突然の登場は、夕霧と雲居雁との「二心なき愛」をあまり読者に評価させまいとする作者の操作であろう。夕霧は、昔も今も世の中によくいる貴族の一人にすぎなかったと位置づけているのである。ままよ、雲居雁も典侍も落葉宮もそれぞれ不満をもちつつ現実と妥協し、「世の常の人」としてなんとかうまくやってゆくのではないかという終わり方である。そして、夕霧の母親役の花散里は、孫の世話をやいている。「三の君、二郎君」は藤典侍腹で、花散里はとりわけ、この二人を可愛がっている。典侍腹の君達は皆「かたちをかしう、心ばせ、才ありて」優れていたという。劣り腹の子供はとかくそうなるものだ。これも、なかなか教訓的である。


 <御法巻>

第44回 御法巻・紅梅と桜、大事にしてね

★この巻の粗筋
 1 紫上、病状好転せず。衰弱する。出家を願うが光源氏許さず。
 2 紫上と別れられない光源氏の胸の内。紫上の嘆きは深い。
 3 紫上、法華経千部供養を二条院で行う。光源氏の手伝い。夕霧衷心よりのお世話。帝、東宮、秋好中宮、明石中宮より誦経捧物あり。
 4 花散里、明石御方二条院にやってくる。
 5 三月十日。当日の盛儀。仏のいます所に異ならず。
 6 紫上、匂宮を使いにして明石御方、紫上の長寿を寿ぐ。
 7 紫上、疲労に耐えられず臥す。この世の名残の思いつきせず。
 8 散会。紫上、花散里に別れの歌を贈る。花散里の優しい返歌。
 9 夏になり紫上、さらに衰弱する。
10 中宮、見舞いに二条院へ。紫上、東対に赴き対面。明石御方も来る。紫上、事後を中宮に依頼する。
11 紫上、匂宮に紅梅と桜の遺言をする。
12 秋。内裏に帰参する中宮、対に赴き紫上を見舞う。痩せた紫上の美しさ。
13 紫上、光源氏、中宮「露」の贈答をする。
14 紫上の病状急変。中宮に手を取られて「露」のように亡くなる。
15 周囲、茫然自失。光源氏、夕霧に命じて、紫上を出家させる。
16 夕霧、大殿油をかかげ、涙に暮れる眼を「しぼりあげて」紫上の最後の姿を見る。魂を留めたい夕霧の思い。
17 八月十四にち死亡、十五日の暁、火葬に付す。光源氏、空を歩む心地。出家をしたく思うも、世の思いを考え我慢する。
18 忌に籠る夕霧、昔の野分の朝の「明けぐれの夢」を思う。
19 光源氏、阿弥陀仏を念じつつ、「仏などのすすめたまひける身」を思う。
20 帝をはじめ処方よりの弔問。光源氏、己を強くもとうとする。
21 致仕大臣、蔵人少将を使者として弔問。葵上の死の頃の思い出を詠みかわす。
22 紫上の世にも希な素晴らしさ。出家する女房も出た。
23 秋好中宮よりの弔問。秋を好まれなかった意味が今ようやく分かりました。
24 光源氏、自失し、人聞きをはばかり、女房に身を隠す。勤行に専念する。雑事は夕霧に一任する。明石中宮、紫上追慕の思い止まず。

★二人の心
 紫の上、いたうわづらひたまひし御心地の後、いとあつしくなりたまひて、そこはかとなくなやみわたりたまふこと久しくなりぬ。いとおどろおどろしうはあらねど、年月重なれば、頼もしげなく、いとどあえかになりまさりたまへるを、院の思ほし嘆くこと限りなし。しばしにても後れきこえたまはむことをばいみじかるべく思し、みづからの御心地には、この世に飽かぬことなく、うしろめたき絆だにまじらぬ御身なれば、あながちにかけとどめまほしき御命とも思されぬを、年ごろの御契りかけ離れ、思ひ嘆かせたてまつらむことのみぞ、人知れぬ御心の中にもものあはれに思されける。後の世のためにと、尊きことどもを多くせさせたまひつつ、いかでなほ本意あるさまになりて、しばしもかかづらはむ命のほどは行ひを紛れなくと、たゆみなく思しのたまへど、さらにゆるしきこえたまはず。さるは、わが御心にも、しか思しそめたる筋なれば、かくねむごろに思ひたまへるついでにもよほされて同じ道にも入りなんと思せど、一たび家を出でたまひなば、仮にもこの世をかへりみんとは思しおきてず、後の世には、同じ蓮の座をも分けんと契りかはしきこえたまひて、頼みをかけたまふ御仲なれど、ここながら勤めたまはんほどは、同じ山なりとも、峰を隔ててあひ見たてまつらぬ住み処にかけ離れなんことをのみ思しまうけたるに、かくいと頼もしげなきさまになやみあついたまへば、いと心苦しき御ありさまを、今はと行き離れんきざみには棄てがたく、なかなか山水の住み処濁りぬべく、思しとどこほるほどに、ただうちあさへたる思ひのままの道心起こす人々には、こよなう後れたまひぬべかめり。御ゆるしなくて、心ひとつに思し立たむも、さまあしく本意なきやうなれば、このことによりてぞ、女君は恨めしく思ひきこえたまひける。わが御身をも、罪軽かるまじきにやと、うしろめたく思されけり。

★法華経千部供養
紫上の死の前に、法華経を置いた意味は。すでに鈴虫巻で触れたように、法華経には女人成仏の章がある。提婆達多品第十二である。釈迦は王だった時代、提婆達多仙人に出会い、水を汲み薪を拾い千年仕えて法華経を伝授して貰い仏になった。また、釈迦の弟子である文殊菩薩は海龍王国に赴き法華経を説いた。結果、竜王の八歳の娘が仏になった。釈迦の弟子舎利弗が疑義をとなえる。女の身には五障があって、成仏はありえない。すると竜王の娘は、自分が男子に変成し仏になった様を一瞬のうちに舎利仏に示して見せた。という内容である。法華経は女人成仏を説く教典でもあるのだ。この法華経が紫上の手に依って千部供養されるということは、釈迦の千年の奉仕と響あい、紫上の成仏の可能性を提示していることになろう。紫式部は、紫上の保全のためにもう一仕事するのであるが、それは後で触れたい。

★天人五衰
紫上の病状は、激烈な痛みをともなうものではなかった。「むつかしげに所狭くなやみたまふことなし」。しかし、日を追って確実に衰弱している。このまま、静かに消えてゆく感覚である。天女の死の予兆、「天人五衰」を考えるべき時か。ちなみに天人五衰とは、「(1)頭上の花飾りが萎れる。(2)天の羽衣が塵や垢で汚れる。(3)腋の下に汗をかく。(4)目がしばしば眩む。(5)居るところが楽しくなくなる。である。さしずめ今の紫上は第1項あるいは第4項に相当するか。第5項は、若菜巻以来のことである。天人は、かかる予兆を示した後、一族は去り、雑草のように見捨てられて死ぬ。『往生要集』によれば、この苦しみは地獄の十六倍。相当苦しそうである。しかし、紫上の死を天人の死に厳密に準えるのは無理かもしれない。死の予兆を借りたのみ、ということか。

★紫上、匂宮に遺言する
三の宮は、あまたの御中に、いとをかしげにて歩きたまふを、御心地の隙には前に据ゑたてまつりたまひて、人の聞かぬ聞に、「まろがはべらざらむに、思し出でなんや」と聞こえたまへば、「いと恋しかりなむ。まろは、内裏の上よりも宮よりも、母をこそまさりて思ひきこゆれば、おはせずは心地むつかしかりなむ」とて、目おしすりて紛らはしたまへるさまをかしければ、ほほ笑みながら涙は落ちぬ。「大人になりたまひなば、ここに住みたまひて、この対の前なる紅梅と桜とは、花のをりをりに心とどめてもて遊びたまへ。さるべからむをりは、仏にも奉りたまへ」と聞こえたまへば、うちうなづきて、御顔をまもりて、涙の落つべかめれば立ちておはしぬ。とりわきて生ほしたてたてまつりたまへれば、この宮と姫君とをぞ、見さしきこえたまはんこと、口惜しくあはれに思されける。

★紫上の子孫
「まろは、内裏の上よりも宮よりも、ははをこそまさりて思ひきこゆれ」の「はは」は「婆々」である。あるいは母である中宮の口ぶりを真似たのかもしれない。子供の言葉は純真である。匂宮は、紫上が祖母であることに関して一点の疑いもはさんでいない。ここに、紫上ー明石中宮ー三宮の系譜が源氏物語上に確定する。こうして、天涯孤独な紫上は、皇統に結び止められる。最高のはなむけではないか。彼女は子供を生まなかったけれども、子孫は残したのである。明石御方が紫上となり、紫上が明石御方になる源氏物語の秘儀はここに成就している。

★紫上、光源氏、明石中宮の贈答。そして紫上死す
 風すごく吹き出でたる夕暮に、前裁見たまふとて、脇息によりゐたまへるを、院渡りて見たてまつりたまひて、源氏「今日は、いとよく起きゐたまふめるは。この御前にては、こよなく御心もはればれしげなめりかし」と聞こえたまふ。かばかりの隙あるをもいとうれしと思ひきこえたまへる御気色を見たまふも心苦しく、つひにいかに思し騒がんと思ふに、あはれなれば、
    おくと見るほどぞはかなきともすれば風にみだるる萩のうは露
げにぞ、折れかへりとまるべうもあらぬ、よそへられたるをりさへ忍びがたきを、見出だしたまひても、
    ややもせば消えをあらそふ露の世におくれ先だつほど経ずもがな
とて、御涙を払ひあへたまはず。宮、
    秋風にしばしとまらぬつゆの世をたれか草葉のうへとのみ見ん
と聞こえかはしたまふ御容貌どもあらまほしく、見るかひあるにつけても、かくて千年を過ぐすわざもがなと思さるれど、心にかなはぬことなれば、かけとめん方なきぞ悲しかりける。
「今は渡らせたまひね。乱り心地いと苦しくなりはべりぬ。言ふかひなくなりにけるほどといひながら、いとなめげにはべりや」とて、御几帳ひき寄せて臥したまへるさまの、常よりもいと頼もしげなく見えたまへば、「いかに思さるるにか」とて、宮は御手をとらへたてまつりて泣く泣く見たてまつりたまふに、まことに消えゆく露の心地して限りに見えたまへば、御誦経の使ども数も知らずたち騒ぎたり。さきざきもかくて生き出でたまふをりにならひたまひて、御物の怪と疑ひたまひて夜一夜さまざまのことを尽くさせたまへど、かひもなく、明けはつるほどに消えはてたまひぬ。

★紫上を見る夕霧
 「ほのぼのと明けゆく光もおぼつかなければ、大殿油を近くかかげて見たてまつる」というのだから、凝視に近い。それも「涙にくれて、目も見えたまはぬを、しひてしぼりあけて見たてまつる」とあるから、彼の凝視は尋常のものではない。野分巻以来、持してきた彼の感情の表現は鮮烈である。「死に入る魂の、やがてこの御骸にとまらなむ」は、紫上に対する夕霧の最大の愛の表現である。これは、紫上が、光源氏に先立たれるという展開になったなら、紫上が落葉宮の運命に確実に陥ったであろうことを示す条と考えられる。南方熊楠は、夕霧が死んだ紫上を賛嘆して見る。この場面が「ややローマ帝ネロが生母アグリッピナの屍の美をほめたのと似ておる」と言っている。(「屍愛について」東洋文庫 南方熊楠文集2)。夕霧の見た紫上の姿は、まさに天女に異ならない。「御色は、いと白く、光るやうにて」。幻巻の最後の光源氏の「光るイメージ」と響き合っている表現であろう。

★八月十五日
紫上を焼く煙が天に昇っていったのが、中秋満月の十五日の暁。つまり、これは、かぐや姫の感覚である。紫上が、一旦地上にいた。天女であるという記号的表現と考えるべきであろう。なぜここで作者が紫上を、天に送ったかといえば、都卒天にいる未来仏・弥勒菩薩の許に紫上を届けたということにほかなるまい。先に、法華経千部供養で女人成仏の可能性を表示していたが、ここで釈迦の母・摩耶夫人の例にならい、天界の未来仏の弟子にすることによって、女人成仏を、確固不動のものにするという発想ではないかと考えたい。

★明けぐれの夢
野分めいた夕暮れ、紫上を思い出す夕霧。野分巻の意味がこれによって確定する。彼の歌。
    「いにしへの秋の夕のこひしきにいまはと見えし明けぐれの夢」
だったということか。この言葉、紫式部の好きな言葉だが、最後の「夢の浮橋」にかかってゆく言葉なのだと思う。夢の最後。最後の夢。それが紫上だった、ということではないか。夢浮橋巻では、夢の対象は、紫上に光源氏が加わる。その意味でいえば、夕霧の存在は、世の常の人々にとって、光源氏と紫上の「世の常ならざる人」の世界は「明けぐれの夢」にほかならない。

★光源氏、人生の総括
紫上の死という最大の悲しみに遭遇した光源氏の、自己の人生の総括。「悲しく常なき世を思ひ知るべく、仏などのすすめたまひける身」。光源氏の人生は、仏の掌の上の宇宙にすぎなかったのではないかと思わせる記述。こう発想せねば、光源氏は、紫上の死の広大な悲しみに対処できなかった。つまり、この発想の重さこそ紫上の存在の重さだったのだ。ということを語りたかったのではないか。しかし、この発想で源氏物語を締め括ると、源氏物語は、仏道への方便ということになる。はたして、作者がそうするか否か。けだしみものである。

★秋好中宮の弔問
 冷泉院の后の宮よりも、あはれなる御消息絶えず、尽きせぬことども聞こえたまひて、
     「枯れはつる野辺をうしとや亡き人の秋に心をとどめざりけん
今なんことわり知られはべりぬる」
とありけるを、ものおぼえぬ御心にも、うち返し、置きがたく見たまふ。言ふかひありをかしからむ方の慰めには、この宮ばかりこそえはしけれど、いささかのもの紛るるやうに思しつづくるにも涙のこぼるるを、袖の暇なく、え書きやりたまはず。
    のぼりにし雲居ながらもかへり見よわれあきはてぬ常ならぬ世に
おし包みたまひても、とばかりうちながめておはす。
 すくよかにも思されず、我ながら、ことのほかにほれぼれしく思し知らるること多かる紛らはしに、女方にぞおはします。仏の御前に人しげからずもてなして、のどやかに行ひたまふ。千年をももろともにと思ししかど、限りある別れぞいと口惜しきわざなりける。今は蓮の露も他事に紛るまじく、後の世をと、ひたみちに思し立つことたゆみなし。されど人聞きを憚りたまふなん、あぢきなかりける。御わざのことども、はかばかしくのたまひおきつることなかりければ、大将の君なむとりもちて仕うまつりたまひける。今日やとのみ、わが身も心づかひせられたまふをり多かるを、はかなくてつもりにけるも、夢の心地のみす。中宮なども、思し忘るる時の間なく、恋ひきこえたまふ。


 <幻、雲隠巻>

第45回 幻、雲隠巻・紫上のいない月日は

★この巻の粗筋
 1 春の光を迎えて年が改まってもくれまどうばかりだ。兵部卿宮が訪ねて来たので、挨拶の歌をやり取りする。源氏は旧夫人のもとに行かず、女房からも距離をとって独り寝である。
 2 故紫上が源氏の女性関係を心配したことをいま思うと、源氏はたまらない気持ちになる。女三宮へ通い初めたころの雪の朝(若菜上巻)を思い起こし、独詠歌を詠む。外は雪。
 3 中納言君、中将君を相手に、源氏は出家の前の未練などを語る。中将君には特に親しみがある。
 4 源氏は兄弟の宮たちとも対面せず、心変わりしたみたいだ。匂宮が紅梅を大切にしているのを見て源氏は「花のあるじもなき宿」の歌を詠む。
 5 春が深まり、桜を匂宮が大切にしているさまはほほえましい。自分の出家ののちは春の垣根を荒れさせるのかという歌を源氏は詠む。
 6 女三宮方に源氏が渡ると、彼女は読経していた。花について話題を出すと、「谷には春も」という心ない返事が女三宮から帰って来るので、こういうときに紫上なら、と源氏は思う。
 7 明石の御方に源氏は渡ると、のどかに昔の思い出話をする。絆が多いことを源氏が述べると、明石君は自分たちの一統のために出家しないてほしいと訴える。
 8 源氏は藤壷宮や紫上について述懐ののち、明石君のもとに泊まることなく帰還して、翌朝、歌の贈答がある。
 9 夏の御方(花散里)から更衣の衣替えの歌があり、源氏は空蝉の世を悲しむ歌を返す。祭の日は居残る中将と葵(逢う日)の歌の贈答をする。中将君だけを源氏は見捨てぬらしい。
10 さみだれのひまの十余日の月がさして、夕霧が控えていると、花橘の香りがする。源氏は夕霧を相手にして、心は空を眺めている。
11 果て(一周忌)の準備を相談などしていると、待っていたほととぎすが鳴くので、源氏と夕霧とは歌を交わす。
12 暑いころ、池の蓮の盛りに、蜩を詠む歌、蛍を詠む歌、七月七日は星逢いを見る人もなくて七夕の歌を、源氏は独詠する。
13初句は法事でいそがしく、正日は曼荼羅の供養を行う。源氏は中将君の扇の歌に対して「残りおほかる涙」と返歌をする。
14 九月九日、綿を覆う菊を見ての白露の歌、神無月の時雨のころに雁を見て「大空をかよふまぼろし」の歌、ついで五節など世の中がいまめかしいころの豊の明の歌がある。
15 世を去る日が近づき、源氏の周囲は年が暮れ行くのも心細い。故紫上の手紙類を見つつ感うという歌などがある。
16 お仏名(仏名会)は雪になって源氏は、導師の髪が白いのもあわれに思え、杯を与えて歌の贈答がある。「年もわが世もけふや尽きぬ」という歌を残し、ついたち(正月ごろ)のことは格別にと定めて、引き出物など計画してある、という。
                               (新古典文学大系『源氏物語』四より)

★紫上追悼
冒頭「春の光」は、紫上の象徴。彼女のいない春・正月から語り始める。前巻も、春から秋にかけての一年間を描いたものであるし、この巻も同じく一年間を描く。これは、同じ一年間を描いて、唯一の相違点である「紫上の不在」を強調するという手法であろう。紫上のいない一年、春夏秋冬を丁寧に記し、紫上の不在がいかなる意味をもつかを描く。したがって、この巻は、紫上の追悼の巻ということになる。光源氏は一年間、紫上の喪に服する。光源氏は「御簾のうちにのみ」いて、巻末まで、その姿を現さない。妻の服喪は三ヶ月。紫上の死は八月十五日であったから、今は完全に喪があけている。なのに、喪に服している。これは、紫上の喪が、帝や中宮に相当するという示唆であろう。

★雪の朝の思い出
 入道の宮のわたり始めたまへりしほど、そのをりはしも、色にはさらに出だしたまはざりしかど、ことにふれつつ、あぢきなのわざやと、思ひたまへりしけしきのあはれなりしなかにも、雪降りたりし暁に立ちやすらひて、わが身も冷え入るやうにおぼえて、空のけしきはげしかりしに、いとなつかしうおいらかなるものから、袖のいたく泣き濡らしたまへりけるをひき隠して、せめてまぎらはしたまへりしほどの用意などを、夜もすがら、夢にても、またはいかならむ世にか、とおぼし続けらる。曙にしも、曹司におるる女房なるべし、「いみじうも積りにける雪かな」と言ふを聞きつけたまへる、ただそのをりのここちするに、御かたはらのさびしきも、いふかたなく悲し。
    憂き世にはゆき消えなむと思ひつつ思ひのほかになほぞほどふる
例の、まぎらはしには、御手水召して行ひたまふ。

★仏などのおきてたまへる身
「この世につけては、飽かず思ふべきことをさをさあるまじく、高き身には生まれながら、また人よりことに、くちおしき契りにもありけるかな、と思ふこと絶えず。世のはかなく憂きを知らすべく、仏などのおきてたまへる身なるべし」
という文章から、光源氏のイメージを、出家直前の釈迦のイメージに近接させようとする作者の意図がうかがえる。光源氏の出家以後の物語は、源氏物語の世界から欠落している。したがって、この源氏物語は、光源氏が出家する以前の、此岸、この世の煩悩の物語なのだ。そういう設定・意図でもって源氏物語は作られているのだということが、ここで理解されよう。その意味で、この条文は、源氏物語の秘密の一端を作者が露骨に見せた瞬間なのだと了解すべきであろう。さらにまた、完全にして理想的な光源氏の出家という事実を通して、作者は源氏物語をして、出家者の広大無辺な世界、つまり大蔵経の世界に接続せしめようとしているのだと考えるのはどうか。この連結が成功すれば、源氏物語は、大蔵経が不滅であるかぎり、永遠の生命を得ることが可能である。そのように作者は多分考えているにちがいない。この「世のはかなく憂きを知らすべく、仏などのおきてたまへる身なるべし」は、前巻にも、「悲しく常なき世を思ひ知るべく、仏などのすすめたまひける身」とあって、二度にわたって同様の趣旨が強調力説されている点も見逃すべきではない。それほど、重要な立言であるということを、作者自らが強調しているのである。これは、この物語の最後の二巻で強調される薫の思念とともに、源氏物語の本質を示唆したものではないかと考えたい。

★仮の世は常世ではないー明石御方との贈答
 夜ふくるまで、昔今の御物語に、かくても明かしつべき夜を、とおぼしながら、帰りたまふを、女もものあはれにおぼゆべし。わが御心にも、あやしくもなりにける心のほどかなと、おぼし知らる。
 さてもまた、例の御行ひに、夜中になりてぞ、昼の御座に、いとかりそめに寄り臥したまふ。つとめて御文たてまつりたまふに、
    なくなくも帰りにしかな仮の世はいずこもついの常世ならぬに
昨夜の御ありさまはうらめしげなりしかど、いとかく、あらぬさまにおぼしほれたる御けしきの心苦しさに、身の上はさしおかれて、涙ぐまれたまふ。
    雁がゐし苗代水の絶えしよりうつりし花のかげをだに見ず
古りがたうよしある書きざまにも、なまめざましきものにおぼしたりしを、末の世には、かたみに心ばせを見知るどちにて、うしろやすきかたにはうち頼むべく、思ひかはしたまひながら、またさりとてひたぶるにはたうちとけず、ゆゑありてもてなしたまへりし心おきてを、人はさしも見知らざりきかし、などおぼし出づ。せめてさうざうしき時は、かやうにただおほかたにうちほのめきたまふをりをりもあり。昔の御ありさまには、名残なくなりにたるべし。

★可愛い中将
賀茂祭。うたた寝の中将が可愛い。出家前、この世の名残りのひと花といった感じ。光源氏も、最後の罪を犯しそう、という場面。ここで作者は光源氏の「残んの色香」を書いたものと思われる。一世の風流人・光源氏のはなむけを、ここでこうしてさりげなく。彼は枯れ果て草臥れ果てて出家したのでは断じてないのだ。光源氏は光源氏のまま彼岸に渡ったのだということか。うたた寝の場面は、『紫式部日記』の「弁の宰相の君」の場面を意識していると思う。あるいは逆に、源氏物語の場面を現実に発見して面白がっているのか。常夏巻でも、雲居雁の可愛いうたた寝の場面があった。

★紫上は正しい天女
夕霧は光源氏に、紫上に子供がなかった無念さを言う。紫上の孤独は、考えてみれば、彼女の存在そのものが奇跡であったことの証明であると思えばよいのかもしれない。「この世にはかりそめの御契りなりけり」。紫上という天女は、子供を残さず昇天するという点で、通常の本朝羽衣伝説とは異質である。しかし、本来の発想からすれば、天女が地上の人し交わって子をなすという発想はない。紫上は正しい天女であったということだろう。「そこにこそは、門はひろげたまはめ」と光源氏は夕霧に言う。子沢山の夕霧は、明石御方と同じく地上の人なのである。夕霧巻末の記事がここで生きる。時鳥を聞いた光源氏の歌、
    なき人をしのぶる宵の村雨に濡れてや来つる山ほととぎす
あの世、この世、時鳥、花橘。橘は常世の入口にある木。時鳥は異界とこの世を往還する鳥であった。紫上はいま常世にいる。それにしても、夕霧の歌、
    ほととぎす君につてなんふるさとの花たち花はいまぞ盛りと
は、良い歌ではないか。親思いの夕霧は光源氏の寝所の近くで寝てやっている。が、彼は、紫上の残り香のなかで陶然として寝ているのである。光源氏はそれを知らない。

★夕殿に蛍飛んで
猛暑のころ、飛び交う蛍を見て光源氏が言う。「夕殿に蛍飛んで」。この長恨歌の引用でもって、桐壷巻へと回帰する。ここに至って光源氏は、父桐壷帝の運命を甘受しているのではないか。父帝は、藤壷を得て運命から脱出したが、光源氏は、長恨歌の中に封じ込められる。「天長地久有事尽 此恨綿々無絶期」で長恨歌が終わるように、光源氏の物語も終わるのである。思えば、源氏物語は長恨歌の終わりから始まったのであったが、今、ここで終わりに終わっている。愛の無理、愛の絶望の表示とみるべきか。しかし、この巻最後に見せる光源氏の神仙性は、この長恨歌状況を破り、ひょいと紫上のいる常世・蓬莱宮へ移行するように見える。しかし、事実は違う。紫上は天上に帰り、光源氏は仏界に赴く。その意味では、二人は永遠に離れ離れとなって、長恨歌の終わりと結果的に同じことになる。ただ、そのことを光源氏が恨んだかどうか。恨むことはなかったのではないか。ならば、源氏物語は長恨歌を超えている。

★あはれ筑紫五節
十一月。五節はあいかわらずの賑やかさ。光源氏はふと「いにしへあやしかりし日蔭のをり」を思い出す。筑紫の五節のことだ。彼女は、親のすすめる縁談など見向きもせず、光源氏のことだけを思う人生を選択した。澪標巻のことだ。あれから二十四年の歳月が流れている。光源氏の訪れを待って待って待ち続けて、いまごろは多分生涯を終えているはずである。むなしい愛、夢のような若い日の思い出の一駒に生涯をかけた女。最後に、こうして光源氏に思い出されただけでもよかったというところであろうか。「日かげもしらで暮らしつるかな」。いくら嘆いても昔は帰らない。残酷な話である。しかし、報われぬからこそ彼女の誠実な愛は本物となったのだ。筑紫の五節は、光源氏の広大無辺な愛の世界で、末摘花よりももっと最果てに咲いた可憐な花なのである。

★紫上の文を焼く
 落ちとまりてかたはなるべき人の御文ども、「破れば惜し」と思されけるにや、すこしづつ残したまへりけるを、もののついでに御覧じつけて、破らせたまひなどするに、かの須磨のころほひ、所どころより奉りたまひけるもある中に、かの御手なるは、ことに結ひあはせてぞありける。みづからしおきたまひけることなれど、久しうなりける世のことと思すに、ただ今のやうなる墨つきなど、げに千年の形見にしつべかりけるを、見ずなりぬべきよと思せば、かひなくて、疎からぬ人々二三人ばかり、御前にて破らせたまふ。
いと、かからぬほどのことにてだに、過ぎにし人の跡と見るはあはれなるを、ましていとどかきくらし、それとも見分かれぬまで降りおつる御涙の水茎に流れそふを、人もあまり心弱しと見たてまつるべきがかたはらいたうはしたなければ、おしやりたまひて、
    死出の山越えにし人をしたふとて跡を見つつもなほまどふかな
さぶらふ人々も、まほにはえひきひろげねど、それとほのぼの見ゆるに、心まどひどもおろかならず。この世ながら遠からぬ御別れのほどを、いみじと思しけるままに書いたまへる言の葉、げにそのをりよりもせきあへぬ悲しさやらん方なし。いとうたて、いま一際の御心まどひも、女々しく人わるくなりぬべければ、よくも見たまはで、こまやかに書きたまへるかたはらに、
    かきつめて見るもかひなし藻塩草おなじ雲居の煙とをなれ
と書きつけて、みな焼かせたまひつ。

★光る源氏
雪の降る仏名の日。老いた導師の風貌を強調しておいた後、作者ははじめて光源氏を外に出す。宮達や上達部、その他大勢の貴族の目に、その日の光源氏は、「御容貌、昔の御光にもまた多く添ひて、ありがたくめでたく見えた」。導師は、この光源氏を見て泣いた。光源氏はいま、吹っ切れたのであろうか。光源氏本来の姿に返っている。年をとらない神仙の人という感覚である。これで、光源氏は紫上のいる常世にゆけそうな気がしないでもない。が、なんどもいうようだが、光源氏の行く先は、仏界。紫上がいる天界ではない。『三宝絵』は仏名経を引用して言う。「もし仏の御名をきかば、心を一つにして拝みたてまつれ。たがひにあやまたむ事を恐れざれ。無量阿僧祇劫に集めたる所の諸々の罪を消つ」と。今、仏名を通過した光源氏は、罪を完全無欠に濯いで、光源氏になったと考えられる。その照明の「光り」であろう。

★終わりの美学
走り回る匂宮を最後に出したのも、この巻のよい括りになっている。新しい生命と消えてゆく生命の対照である。光源氏最後の歌
    もの思ふと過ぐる月日も知らぬまに年もわが世もけふや尽きぬる
から、次巻「雲隠」への接続の呼吸が実によい。すっといなくなる感じである。蝉脱というべきか。