百人一首 1…1〜2

一  秋の田のかりほのいほの苫を荒みわが衣手は露に濡れつゝ

【出典】
『後撰和歌集』秋中・302(岩波書店刊「新日本古典文学大系」による)

題しらず                                天智天皇御製(天帝…あまのみかど)
302 秋の田のかりほのいほの苫を荒みわが衣手は露に濡れつゝ

万葉集・巻十「秋田刈る仮庵を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける」の異伝(伝わっている間に変わる)ないしは改作であろう。
天智天皇の歌となったのは、平安時代の天皇が天武天皇方ではなく天智天皇の子孫であり、民とともに農耕にたずさわり、粗末な小屋で袖を濡らす聖帝のイメージが作られていたからであろう。
百人一首の巻頭歌として有名。
政治が上手くいかない嘆きを掛けている。

【現代語訳】
秋の田を守るための仮小屋の、苫で葺いた屋根の目が荒いので、私の袖は露にしとどに濡れていることであるよ。

【校異】
*天智天皇御製ーあめのみかどの御製(中院本)ーあめのみかど(雲州本・烏丸切)
*かりほのいほのーかりほのいねの(二荒山本・片仮名本)ーかりほのうへの(雲州本)ーかりほすいねの(白河切・堀河本)

【語釈と用例】
※秋の田の仮盧ー収穫時に稲を守るための夜警に泊まる仮小屋。
  秋田刈る借り盧(ほ)のやどりにほふまで咲ける秋萩見れどあかぬかも(『萬葉集』巻十・2100)
   巻十→平安時代に巻十が一番影響を与えている。
  秋田刈る旅の借り盧に時雨降り我が袖濡れぬ干す人なしに(『萬葉集』巻十・2235)
  秋の田を借り盧つくり盧してあるらむ君を見むよしもがも(『萬葉集』巻十・2248)
   君→女性が使う言葉。男を指す。
  秋田刈る借り盧もいまだ壊(くぼ)たねばかりがね寒し霜置きぬがに(『萬葉集』巻八・1556)
   借り盧→すぐ壊す物と前提して歌っている。
 *秋田刈る借り盧をつくり我をれば衣手寒し露おきにける(『萬葉集』巻十・2171)
   2174→百人一首に影響を与えている。旧番号。
※苫(とま)ー菅(すげ)や茅(かや)などを薦(こも)のように編んで屋根を葺くのに用いる物。『類聚倭名抄』には「苫 度方 編菅茅以覆屋也(菅や茅を編んで、もって屋をおおうなり)」とある。屋→家。
※衣手→衣の手のあたり。袖。

【天智天皇】  (新版 百人一首 島津忠夫=注釈 角川ソフィア文庫による)。
 推古三十四年(626)ー天智十年(671)。第三十八代天皇。在位四年(668-671)。
舒明天皇の皇子。母は皇極天皇。葛城皇子、後に中大兄皇子という。
蘇我氏討滅・大化改新・近江遷都・近江令制定などの業績がある。
歌人としては、『万葉集』13.14.15の、大和三山をよまれた長歌ならびに反歌が有名。
孫の光仁天皇が即位、平安時代の天王の祖先として敬愛された。
『古今集』以下の勅撰集に四首入集するが、『万葉集』と重複する二首のほかは天皇の真作とはいえない。

二  春すぎて夏来にけらし白妙のころもほすてふあまのかぐ山

【出典】
『新古今和歌集』夏・175(岩波書店刊「新日本古典大系」による)

題しらず                              持統天皇御歌
175 春すぎて夏きにけらししろたへの衣ほすてふ天の香具山

万葉集の第四句は実景を写すのに止まるが、ここでは実景に伝承が重なり、現在と過去が結び合う。そこにむしろ強く時代の共感をよぶものがあった。夏山の青と白衣の取合わせも新古今集にふさわしい。
参孝「雲はるる雪のひかりや白妙の衣ほすてふ天の香具山」(千五百番歌合・冬三・藤原良経)。

【現代語訳】
春が過ぎて夏が来ると真白な衣を干すと聞く天の香具山に今それが見える。
*原歌は万葉集一・四句「ころもさらせり(ほしたり)」。
 古来風体抄、ニ・四句「なつぞきぬらしろ…ころもかわかず」。

【参孝】
『萬葉集』巻一・28
      天皇御製歌
    (ハルスギテ) (ナツキニケラシ) (シロタヘノ)(コロモサラセリーホシタリ)(アマノカグヤマ)
  28 春過而     夏来良之      白妙能   衣乾有             天之香来山
     はるすぎて なつきたるらし しろたへの ころもほしたり あめのかぐやま
『家持集』78
  春過ぎて夏来にけるしろたへの衣ほしたりあまのかごやま

【語釈と用例】
※来にけらしー大空に雲のかりがね来にけらしおのが常世は夏の宿りに(『敏行集』19)
         我が宿に春こそおほく来にけらし咲ける桜の限りなければ(『貫之集』175)
         夜半(よは)を分け春暮れ夏は来にけらしと思ふまもなく替わる衣手(『曾禰好忠集』495)
※けらし→「けり」の意。
※衣ほすてふー雲晴るる雪の光やしろたへの衣ほすてふあまのかぐ山(藤原良経『秋篠月清集』867)
          白雲の衣ほすてふ山がつのかきつの谷は日影やはさす(家隆『壬二集』3023)
          白妙の衣ほすてふ夏の来てかきねもたわに咲ける卯の花(定家『拾遺愚草』1987)
※てふ→「といふ」に同じ。この訓の本集以前の出所未詳。
【参孝】『定家八代集』夏歌・198に「題知らず   持統天皇御歌」とある。

【持統天皇】   (新版 百人一首 島津忠夫=注釈 角川ソフィア文庫による)
大化元年(645)ー大宝ニ年(702)第四十一代天皇。在位八年(690-697)。
天智天皇の第ニ皇女。天武天皇の皇后。天皇崩御、称制。草壁皇太子没(689)後、即位。
藤原宮造営。697年譲位。
吉野をはじめ諸所に巡遊され、その旅を契機として、柿本人麿のすぐれた長歌が多く生れ、万葉歌風の最盛期が現出した。
天武天皇の崩御を悼んでのすぐれた挽歌(万葉集・159、160、161)などがある。
勅撰集に二首見えるが、『新勅撰集』のは天皇の真作ではない。