伊勢物語10…第四十九段〜第五十三段

第四十九段

 むかし、をとこ、いもうとのいとをかしげなりけるを、見をりて、
    うらわかみねよげに見ゆるわか草を
     ひとのむすばむことをしぞ思ふ  
                 (八九)
ときこえけり。返し、
    はつ草のなどめずらしきことのはぞ
     うらなく物を思ひける哉  
                      (九〇)

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男が妹の魅力的であるのを、じっと見ていて、
    若々しいので共寝するのによさそうに見える若草のようなあなたを、他の男が契りを結ぶであろうことがしみじみと思われることでありますよ。
と聞こえるように言ったのである。返歌、
    春を待ち望んでいた若草のようなすばらしいお言葉を、どうして今おっしゃったのでしょうか。そんなお心を知らずに、私は心至らずも、一人でずっと恋に苦しんでいたのですよ。

※妹→昔は「姉」でも「妹」と言った。この段は「妹」
※心至らずも→思慮浅くも。単純にも。

【語釈】

※いとをかしげなるを→「声はをかしうてあはれに歌ひける」(六五段)のように、「をかし」は、魅力的だと思うこと。
※見をりて→「をり」は「をり給ふ」などと敬語がつかない動詞。「貴人の傍に控えている」という意。「人の結ばむことをしぞ思ふ」と言っているように、妹が入内など、貴人と結婚するという状況であろうか。そう見れば、「きこえけり」もよくわかる。
※うら若み→心から若く感じられるので。「うら」は「心」「心のうごき」。
※ねよげ→「ね」は「寝」と「根」を掛ける。「根」は「若草」の縁語でもある。なお、後述するように琴を弾いている場面を想定して「音(ね)をも掛けていると見ることもできる。
※人の結ばむ→「結ぶ」は「契りを結ぶ」という意だが、「若草」の「草」との縁で言えば、第八十三段の「枕とて草引き結ぶこともせじ…」と同様、草を結んで枕にするという発想で「枕」は「寝」を喚起する。縁語として「根」を想定するのが通説だが、「根」と「結ぶ」は直接つながらない。なお、「ことの葉ぞ」の「葉」は「初草」の縁語である。
※ことをしぞ思ふ→「からころもきつつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」(九段)と同じく「……をしみじみと思う」の意。
※聞こえけり→前掲「見をりて」の項で述べたように、妹がより尊い身分になっていたと見れば、受手尊敬の「聞ゆ」と解してよいが、その一方、「見ゆ」が「相手に見られる」「自然に見える」という受身や自発の意を持つのと同様に、「聞こゆ」も「相手に聞かれる」「自然に聞こえる」の意を持っているとすれば、「相手に聞かれるように言う」「自然に耳に入るように言う」という意に解することもできよう。それとなく妹に聞かせるように言ったと解するのである。
※初草の→男の歌の「若草」を「初草」に言い替え、初めていただいた歌であると言っているのである。「初草」のように「めづらしき」と続けているのである。「言の葉」の「葉」とも縁語関係。
※初草→初めて地上に姿を見せる草。
※などめずらしき言の葉ぞ→「など」は「どうして」という意の疑問副詞。「めづらし」は動詞「めづ」が形容詞化したもので、単に「珍奇な」という意だけではなく、動詞「めづ」が本来持っていた「賞翫する」「愛翫する」「すばらしいと思う」というような意と通ずる。
※うらなく物を思ひけるかな→諸注は「無心にただお兄様とのみお思いしておりましたのに」(角川文庫)、「私は今まで兄妹として、特別な気持ちもなかったことでした」(新潮古典集成)、「私はきょうだいだからと、ついうっかり、お思い申しておりましたのですよ」(小学館新編全集)、「私はこれまで安心して兄様とお慕いしてきましたのに」(岩波新大系)と訳しているが、「物を思ひけるかな」「物思ひ」はそのような意ではない。「昔、男、人知れぬ物思ひけり」(第五十七段)、「我ばかり物思ふ人はまたもあらじと思へば水の下にもありけり」(第二十七段)、「昔、の若人は、さるすける物思ひをなんしける」(第四十段)のように、「恋に苦しむ」という意であって、兄を「お思い申しあげる」や「お慕い申しあげる」という意ではない。また「うらなく」は和歌の例はないが、『源氏物語』の「我もうらなくうち語りてなぐさめ聞えてむものを」(紅葉賀)、「うらなくしもうちとけうちとけたのみ聞えたまふらむこそ心苦しけれ」(胡蝶)のように「隔意なく」「腹蔵なく」の意で用いられている場合もあるが、むしろ、「などてかう心うかりける御心を、うらなくたのもしきものに思ひ聞えけむと、あさましうおぼさる」(葵)、「かかりける事もありける世を、うらなく過ぐしけるよ、と思ひ続けて臥したまへり」(朝顔)のように、「隔意なく」「腹蔵なく」から転じて、「単純にも」「心至らずも」「思慮浅くも」の意で用いられている場合に相当するのである。このように見てくると、「うらなく物を思ひけるかな」は、「私は、心至らずも、お兄様に対する恋に思い苦しんでいたことですよ」という意と見るほかはないのではないか。

【参考】 『源氏物語』 総角巻  (新潮古典集成より)

 時雨いたくしてのどやかなる日、女一の宮の御方に参りたまへれば、御前に人多くもさぶらはず、しめやかに、御絵など御覧ずるほどなり。御几帳ばかり隔てて、御物語聞こえたまふ。限りもなくあてに気高きものから、なよびかにをかしき御けはひを、年ごろ二つなきものに思ひきこえたまひて、またこの御ありさまになずらふ人世にありなむや、冷泉院の姫宮ばかりこそ、御おぼえのほど、うちうちの御けはひも心にくく聞こゆれど、うち出でむかたもなくおぼしわたるに、かの山里人は、らうたげにあてなるかたの、劣りきこゆまじきぞかし、など、まづ思ひ出づるに、いとど恋しくて、なぐさめに、御絵どものあまた散りたるを見たまへば、をかしげなる女絵どもの、恋する男の住ひなど描きまぜ、山里のをかしき家居など、心々に世のありさま描きたるを、よそへらるること多くて、御目とまりたまへば、すこし聞こえたまひて、かしこへたてまつらむ、とおぼす。在五が物語を描きて、妹に琴教へたる所の、「人の結ばむ」と言ひたるを見て、いかがおぼすらむ、すこし近く参り寄りたまひて、「いにしへの人も、さるべきほどは、隔てなくこそならはしてはべりけれ。いとうとうとしくのみもてなさせたまふこそ」と、忍びて聞こえたまへば、いかなる絵にかとおぼすに、おし巻き寄せて、御前にさし入れたまへるを、うつぶして御覧ずる御髪のうちなびきて、こぼれ出でたるかたそばばかり、ほのかに見たてまつりたまふが、飽かずめでたく、すこしももの隔てたる人と思ひきこえましかば、とおぼすに、忍びがたくて、
    若草のね見むものとは思はねど
     むすぼほれたるここちこそすれ

 御前なりつる人々は、この宮をばことに恥ぢきこえて、もののうしろに隠れたり。ことしもこそあれ、うたてあやし、とおぼせば、ものものたまはず。ことわりにて、「うらなくものを」と言ひたる姫君も、されて憎くおぼさる。

※女一の宮→匂宮同腹の姉。母中宮とともに宮中にいる趣。六条の院南の町東の対が居所。
※御絵など→後の文によれば紙に描かれた物語絵、歌絵などである。
※御几帳ばかり隔てて→御几帳だけを隔てにして。女主人が住んでいる部分のみ畳が敷いてある。周りは几帳。
※かの山里人→あの宇治の姫君は。中の君のこと。
※在五が物語を描きて→ここから伊勢物語と関係する。
※在五が物語→在五中将(在原業平)の物語。『伊勢物語』のこと。(三巻絵合)
※妹に琴教へたる所の→昔の絵では「琴(きん)」を置いてあった絵があったのでは。
※御髪(みぐし)のうちなびきて→この場面が絵に描かれていた。
※「若草のね見むものとは思はねど むすぼほれたるここちこそすれ」→伊勢物語49段の歌を引用している。
※この宮をばことに恥ぢきこえて→相手がすばらしくてとても正視出来ない。
※「うらなくものを」→伊勢物語49段の妹の返歌を引用している。
※されて憎く→「されて」は「ざれて」「憎く」は「嫌なんだ」
 伊勢物語の女はここでは否定されている。
※総角巻→在五が物語(伊勢物語)
※絵合巻→伊勢物語の絵巻物が出てくる。「伊勢の物語」と書いてある。
※紫式部は伊勢物語をよく読んでいた。
※伊勢物語一段の歌「かすがののわかむらさきのすり衣 しのぶのみだれかぎりしられず」を使って「若紫」と言った。
※桐壷(母)ー藤壷(母似)ー紫上(愛情が移っていく)。

第五十段

 昔、をとこ有りけり。うらむる人をうらみて、
    鳥のこをとをづゝとをはかさぬとも
     おもはぬ人をおもふものかは 
                     (九一)  
といへりければ、
    あさつゆはきえのこりてもありぬべし
     たれかこの世をたのみはつべき
                    (九二)
又、をとこ、
    吹風にこぞの桜はちらずとも
     あなたのみがた人の心は
                        (九三)
又、女、返し、
    ゆく水にかずかくよりもはかなきは   
     おもはぬ人を思ふなりけり
                        (九四)
又、をとこ、
    ゆくみづとすぐるよはひとちる花と
     いづれまててふことをきくらん
                      (九五)
あだくらべかたみにしけるをとこ女の、しのびありきしけることなるべし。

※この段は歌が五首入っている。
文章は最初の一行と最後の二行のみ。これで物語と言えるのか。しかし、歌物語の基本であるから、こういう段があってもよいのでは。
千百年前の言葉が読んで解る。世界ではありえない。純粋の「大和言葉」で書かれている。江戸時代から中国の漢語が入っている。時代によって外来語が入っているが、基本は変っていないという事は伊勢物語を読んで解る。
※上田秋成は伊勢物語「良しや悪しや」でこの段は歌の順番がおかしいと言って並べ替えている。
@を受けてC、Bを受けてAとしている。

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男は、薄情さを怨んで来た人を逆に恨み返して、
    あの累卵の故事のように卵を十個ずつ十回重ねることができたとしても、私のことを思わない人を、こちらから思うことはないよ。
と言ったので、
    朝露は陽が出ても、消えないで残っている場合もあろう。しかし誰がこの二人の関係を最後まで信頼し続けられるでしょうか。あなたの御思いは必ず消えてしまうでしょうから。
また、男が、
    風が吹いても昨年の桜がそのまま散らないで残っているというようなことがもしあったとしても、ああ、やはり信頼し切れないよ、あなたの御心は。
また、女が返歌を詠む。
    すぐに消えることをわかっていながら、流れゆく水の上に数を書くよりもはかなくむなしいのは、思ってくださらぬあなたを思うことであるよ。
また、男が詠む。
    流れゆく水と過ぎて行く齢と散ってゆく花と、これらの中のどれが「待て」ということばを聞いてくれるであろうか。どれも聞いてくれはしないよ。
浮気競べをお互いにしていた男と女が、隠れて浮気をしていた話であるに違いない。

【語釈】

※うらむる人をうらみて→この「うらむる」は、上二段活用の連体形、「うらみて」はその連用形。「あなたは浮気だ」と怨み言を言って来た女に対して、お前こそ浮気だと逆に怨み言を言い返したのである。
※鳥の子をとをづつとをは〜→「鳥の子」は卵。漢の劉向の撰になる『説苑(ぜいえい)』所載の「累卵の故事」<九層台を作って人民に負担をかけるのは、卵を十重ねるより危険だと言って帝王を諫めたという故事>に依拠している。下句の「おもふものかは=「ものかは」は反語的詠嘆。「思うはがはないよ」の意。「安積山影(あさかやまかけ)さへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは」(古今集・仮名序)の末句と同じ。
「…とをづつとを…」→100個。不可能を表現。
累卵の[累」は重ねる意。
この歌の前に歌が一首あったはず。
※朝霧は消え残りても〜→「太陽が出ても朝霧が消えないで残っていることがあったとしても」と、あり得ないことの喩えにしているのである。下句の「この世」は、本来は「人の世」の意であるが、ここで男女の関係(平安時代の文学では)を言う。
※吹く風にこぞの桜は〜→『古今集』第四(522)の在原滋春(業平の息子、大和物語に出てくる)の歌の改作と見られる。
※ゆく水に数書く→『萬葉集』巻十一(2433)に「水の上に数書くごとき我が命 妹にあはむとうけひつるかも」とある。「数書く」は、数を数える時に、数え誤らないように心覚えに算木代りに線を引くこと。「水に書く」という言い方は、『涅槃経』巻第一に「是ノ身ハ無常ニシテ、念々住ラズ。……亦水ニ画ク如ク随ギテ画ケバ随ギテ合フ」による。ただし、この歌は、『古今集』恋一・522のよみ人しらず歌「ゆく水に数かくよりもはかなきは思はぬ人を思ふなりけり」を利用改作したものであろう。
涅槃経→変わりやすいもの、儚いものの喩えに使われる。
※ゆく水と過ぐる齢(よはひ)…→「ゆく水…」は、前歌を承けて物語作者が作った歌と思われるが、「散る花」は九三番歌に呼応して、この章段全体の総括の役割を果たしているとも言える。
※あだくらべ→「あだ」は、変わりやすい。変わりやすさを競うこと。反対語は「まめ(まじめ)」
※かたみに→お互いに。「たがひに」が漢文訓読など固ぐるしい場合に用いるのに対して、日常的な、やわらかい表現。
※しのびありき→隠密行動(公に出来ない)。「六条わたりの御しのびありきのころ」(げんじものがたり・夕顔巻)のように、通常は男が身分を隠して女のもとへ通うことを言う。

第五十一段

 昔、をとこ、人のせんざいに、きくうゑけるに、  
    うゑしうゑば秋なき時やさかざらん
     花こそちらめねさへかれめや
                      (九六)

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男が、ある人の前栽に菊を植えた時によんだ歌、
    しっかりと植えておいたなら、もし秋のない時は咲かないこともあろう。しかし、秋は必ずあるのだから、毎年必ず咲くよ。花は散るだろうが、根までが枯れることはないのだから。

【語釈】

※植ゑし植ゑば→「うつしうへば」(歴博本・伝民部卿局筆本)、「遷植者」(真名本)とある。ちなみに、『古今集』秋下・280番の紀貫之の歌の詞書に、「人の家なりける菊の花をうつしうゑたりけるによめる」とあり、菊の花を「移し植ゑ」ることは一般的であったことが知られる。ただし、平安末期以降、「ゑ」は「へ」と表記されることが一般的であったから、「うゑしうゑば」を「うへしうへば」と表記し、さらにそれが「うつしうへば」と書かれる可能性も実は多い。ちなみに、「植ゑし植ゑば」、すなわち[動詞連用形+強意の助詞「し」+動詞未然形]という句の形は、『萬葉集』巻十五(3766)に「うるはしと思ひし思はば下紐にゆひつけ持ちてやまず偲はせ」、同じく巻十九(4191)にも、「鵜川立ち取らさむ鮎のしが鰭は我にかき向け思ひし思はば」の「思ひし思はば」と同様に、古い形であろう。従って「植ゑし植ゑば」の場合は、「し」は強意の助詞。加えて「植ゑ」を重ねてさらに意を強めた。「植えてさえおいたならば」の意であろう。
「ゑ」→「へ」→「へ」を先を曲げると「つ」になるので「うつし」に変化したのか。
※秋なき時や咲かざらん→「や」は反語。しかし秋がないなんていうことは有り得ないので、必ず咲くと言っているのである。

【参考@】
 菊は中国渡来の花であり、『萬葉集』にはまったくよまれていなかったが、『萬葉集』とそれほど変らない時期に成立した勅撰漢詩集の『懐風藻』(宮中に菊を植えて漢詩を詠んでいる)には三例見られ、漢土から輸入された菊が和歌にはまだなじんでいなかったにもかかわらず、漢詩の世界においては既に定着していたことが知られる。『古今集』秋下には261から280まで「菊の花」が20首よまれているが、その最初の261にあるこの歌が、時代的にも最も先行する歌として注目される。

【参考A】
 『大和物語』第百六十三段
 在中将に、后の宮より菊を召しければ、奉りけるついでに、
    植ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ花こそ散らめ根さへ枯れめや
と書きつけて奉りける。
※業平は菊の歌を詠んだ最初の人である。

※大和物語→二条の后と業平の恋愛。
  伊勢物語より後に出来た。
  〇三段の後書に追加として二条の后と書いてある。
  〇七六段…おきな(業平)
  この二段(三段・七六段)を結びつけて大和物語を作り直している。

第五十二段

 むかし、をとこありけり。人のもとより、かぞりちまきおこせたりける返事に、
    あやめかり君はぬまにぞまどひける
     我は野にいでてかるぞわびしき
                    (九七)
とて、きじをなむやりける。

※この段は大和物語164段・在中将集に出ている。

【通釈】

 昔、男がいたのである。ある人のもとから、飾粽(かざりちまき)を届けて来た返事によんだ歌、
    この菖蒲を刈るべくあなたは沼にさまよっておられるのですね。私は、そんなあなたにお会いできずに、野に出て雉を狩っているのは、「刈る」と「狩る」という点では同じでも、まさにすれ違い、何ともつらいことでありますよ。
とよんだ歌に添えて、雉を贈ったのであるよ。

【語釈】

※人のもとより→「人」を「親しい友人」と解する説もあるが、思いを寄せる女性と見るべきであろう。
※飾粽→『拾遺集』巻十八・一一七二の詞書「五月五日、小さき飾粽を山菅の籠に入れて、為理(ためまさて)の朝臣の女(むすめ)に心ざすとて」の例しか知られていないが、色とりどりの糸を巻いて飾った粽のことと解されている。五月五日の節句の贈物であろう。
※あやめかり君は沼にぞまどひける→沼で菖蒲を刈るという表現は五月五日の節会を思わせるものであるが、実際に菖蒲を刈ったというわけではなく、五月五日の頃にふさわしい飾粽を贈ることを象徴する表現と見るべきであろう。なお、「まどひける」というのは、第九段の「道知れる人もなくて、まどひ行きけり」と同じく、目的、もしくは目的地を確かめられずに試行錯誤することである。菖蒲を刈ろうと思って、あちこちと沼を求め歩いたのである。
※我は野に出でて狩るぞわびしき→相手が菖蒲を取るべく沼をあちらこちら求め歩いているのに対して、自分は野で、時節はずれの狩をしていたと言っているのである。「かる」という共通点はあっても、「あやめ刈り」と「野の狩」で場所が異なっていて、出会うことがないのがつらいと言っているのであろう。
※五月→陰暦の五月は現在の八月。
※雉→秋から冬。「鷹狩り」と言って「雉」を獲ってくる。
  ちぐはぐで会うことのない気持ちを無理をして季節はずれだけれど「雉」を贈った。ちぐはぐな意を現している。
※説明不足の段でもある。

第五十三段

 むかし、をとこ、あひがたき女にあひて、物がたりなどすねほどに、鳥のなきければ、
    いかでかは鳥のなくらん人しれず
     思ふ心はまだよふかきに
                        (九八)

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男は、会うのが難しい女にやっと会って、あれこれと話をしているうちに、鶏が鳴いたので、このように詠んだ。
    どうして鶏が鳴いているのでしょうか。あなたも御存じないほどに思いつめております私の心に、まだ深く思いを秘めたままでありますのに。まだ夜は深いと思っていますのに。

※この段は和歌を中心とした段である。(五三段から五七段)

【語釈】

※むかし、をとこ→「昔、男ありけり」の省略形。
※あひがたき女にあひて→『伊勢物語』の「あふ」は、ここを除いて30例ある。その中には「すずろなるめを見ることと思ふに修行者あひたり。」(九段)のように男同士が単に「あふ」という場合にも当然あるが、「いとねんごろに言ひける人に今宵あはむ」と契りたりけるように(二四段)「これやこの我にあふ身をのがれつつ年月ふれどまさり顔なし」(六二段)などのように、男女が夫婦の関係を持って「あふ」ひとを言っている場合も多い。また「袖濡れて海人の刈りほすわたつうみの見るをあふにて止まむとやする」(七五段)を見ると、「見る」が単に顔を合わせるという程度であるのに対して、「あふ」はそれ以上の関係を言うことがわかる。加えて、同じ七五段には「大淀の浜に生ふてふみるからに心はなぎぬ語らはねども」とあって、「見る」は「語らふ」よりも前の段階であることもわかる。つまり、この五三段において「物語りなどするほどに」なっているのは、「見る」段階を通り越して、「あふ」段階であったからなのである。だから「あひがたき女にあひて」は、「容易に関係を持てない女と、やっと関係を結んで…」の意にすべきであろう。
※物語などするほどに→第九五段の「物越しにて会ひにけり。物語などして、男、 彦星に恋はまさりぬ天の川へだつる関は今はやめてよ この歌にめでて、あひにけり」の例を見れば、「会ふ」前の言葉のやりとりを言っていることするということがわかる。この段の場合も同じで、深い思いが満たされないままに、鶏が鳴いて別れねばならなくなったのである。
※物がたり→雑談。「物」がつくのは原因をぼやかす。例…ものわびしい=なんとなく辛い。もの寂しい=なんとなく寂しい。
※とりの鳴きければ→鶏明である。当時は、夕闇迫るころ女の家に出かけて、鶏が鳴き東の空が白むころに帰ってゆくのである。
※人知れず→「世間の人に知られない」という意もあるが、ここは「人知れず我が恋死なばあぢきなくいづれの神になき名おほせむ」(八九段)と同じように「相手の人に知られない」という意。相手の女にも心の奥底まで打ち明けず心の中に秘めていると言っているのである。