伊勢物語13…第六十二段〜第六十五段

                        第六十二段

 むかし、年ごろおとづれざりける女、心かしこくやあらざりけん、はかなき人の事につきて、人のくになりける人につかはれて、もと見し人のまへにいできて、物くはせなどしけり。「よさり、このありつる人たまへ」と。あるじにいひければ、おこせたりけり。をとこ、「我をばしらずや」とて、
    いにしへのにほひはいづらさくら花こけるからともなりにける哉            (一一一)
といふを、「いとはずかし」と思ひて、いらへもせでゐたるを、「など、いらへもせぬ」といへば、「なみだのこぼるゝに、めも見えず、ものもいはれず」といふ。
    これやこの我にあふみをのがれつゝ年月ふれどまさりがほなき             (一一二)
といひて、きぬぬぎて、とらせけれど、すててにげにけり。いづちいぬらんともしらず。  

                           『通釈』 
 昔、男がいたのである。その男が数年間訪ねて行かなかった女は、心が尊敬すべきものではなかったのであろうか、いいかげん人の言葉に従って、地方住まいの人に使われていて、偶然やって来た元の夫の前に出てきて、食事の世話などをしたのである。「夜になる頃、この先刻の人を私の部屋へよこしてくれ」と、男が主人に言ったので、主人は女を来させたのである。男は、「私を知らないのか」と言って、
   昔の輝きはどこへ消え去ってしまったのか。桜の花のように美しいお前だったが、今は花をしごき落とした殻のようになってしまったことだな。
と言うのを聞いて、たいそう恥ずかしいという気持ちで返事もしないで座っているのを見て、「どうして返事もしないのだ」と男が言うと、「涙がこぼれるゆえに、目も見えません。物も言われません」と女は言う。男は、また、
   これがまあ、私と結婚している身であるのに、逃れよう逃れようとして年月を経たものの、以前よりすぐれた点は見られない女の姿なのだなあ。
と言って、男は、自分が着ていた衣を脱いで、女に与えたのであるが、女はそれを捨てて逃げて行ってしまったのである。どこへ行ったのだろうかということもわからないことよ。

                           『語釈』
※年ごろおとづれざりける女→男が何年も訪ねて行かなかった女。
※心かしこくやあらざりけん→「心かしこし」は、心の持ちようが尊敬される。
※はかなき人の言につきて→「はかなき」は「人の言(こと)」を修飾。「はかなし」は、「一定しない」「すぐ変わる」という意であるから、「人の無責任な言葉」と訳してよい。
※もと見し人→「見る」は男女の関係はあるが、完全な夫婦にはなっていない段階を言う。「あふ」とは違う。「見る」→「あふ」→「住む」
第七十五段の「見るをあふにてやまむとやする」参照。多くの注釈書は誤っている。夜さり=夜がやって来る頃。「春されば」の「され」と同じ。「夜さり」を地の文にして、<夜になってから、「このありつる人給へ」と言った>とする解釈もあるが、「夜さり」は会話文のほうがふさわしい。「ありつる」(熟語)は「先刻の」という意。
※いにしへのにほひ→「桜」の場合の「にほひ」は、臭覚ではなく、視覚的な美しさ。「おもしろかりける桜につけて、
  桜花今日こそかくはにほふともあなたのみがたあすの夜のこと」(第九十段)参照。
※こけるから→「こく」は「稲を扱(こ)く」と同じく、花や実を枝から落とすこと。「から」は、花や実をとった後の「穀」。この場合は「枝」に相当する。
※はづかし→「恥に思って近づきがたい」というのが原義。面目ない。気がひける。
※これやこの→「これやこのゆくも帰るも別れつつ(ては)知るも知らぬも逢坂の関」(後撰集・雑一・蝉丸)が「これがまあ、その名のとおり、行く者も帰る者も、何度も別れつつ、また知っている者も知らない者も、やはりここで逢うという逢坂の関なのだなあ」という意であるのと同じく、「これがまあ、……なのだなあ」の意。
※我にあふみ→「我と逢う身」、すなわち「私と夫婦になる身」。本来は「近江(あふみ)」と掛けた表現であったと思われる。
※きぬぬぎてとらせけれど→着ている着物を脱いで直接与えるのは、目下の者への対応としては厚い対応である。
※この段は男が中心に描かれている。正妻ではない。きつい言い方をしている。女性蔑視、地方蔑視している。
※この段は六十段に近い。六十段は正妻になっている。昔の人の袖の香を懐かしく思う。
※人の国→他国、地方。
※当時の制度は一夫一妻制。財産分与は正妻にのみ与えられる。
※使人、召使は召使の関係でありながら、夫婦関係ももっていた。
※更衣→身の回りの世話をする召人。
※古活字→木で活字で一字づつ彫る。ヨーロッパ・ポルトガルから宣教師がやって来て伝えた。同じ字でも、同じ字体とは限らない。

【参孝】
 『今昔物語集』巻第三十・第四「中務大輔娘、近江郡司ノ婢ト成ルコト」がこの段と深く関係していると思われるが、非常に長いので、その大筋だけを紹介しておく(以下、片桐洋一著『鑑賞日本古典文学第五巻 伊勢物語・大和物語』による)。

 今は昔、中務の大輔某には男子はなくて一人の娘だけがあった。家は貧しかったが、兵衛佐を婿にして、いちおう幸せに過していた。そのうち娘の両親が相次いでなくなり、家勢は次第に衰えてゆく。娘は兵衛佐に、自分と過していると生活の面倒も見られないので宮仕えも十分にできない。ここを離れて他と結婚せよと再三言う。男ははじめその申し出を断っていたが、ついにはそのことばに従う。
 男が去ってから、女はひとりわびしく暮らす。衣食も不十分な有様で荒れ果てた邸に一人わびしく暮らしているのである。近所に住んでいる尼が見かねてときどき食物などをさし入れる。折しも近江の国から郡司の子が公務で出張していた。この尼にとり入って女を世話せよと言う。尼はこの女の幸福を考えてこの荒れた邸へ郡司の子を導く。はじめは拒否していた女も次第に男になびき近江の国にへ伴われる。しかし近江には本来妻である人がいた。召使のような待遇でわびしい毎日を女は過す。
 そのうち、近江守に新しい人物が任ぜられた。新しい守を迎えた館では郡司の指揮のもとに下男下女が接待の準備をしている。その中に優美な女がいる。近江守はちらとそれを見て、今夜あれを我が寝所へと命じて会う。会っていろいろと語るうちに、互いに昔の仲を思い出す。新しい近江守は、昔、この女の夫であった兵衛佐だったのである。その男の歌、
   これぞこのつひにあふみをいとひつつ世にはふれどもいけるかひなし
と言って泣く。女は心底から恥じて涙を流しつつ姿をくらましてしまう。
というストーリーである。男は近江守、場所も近江だから、「つひにあふみをいとひつつ」と「近江」を響かせることができる。しかし、『伊勢物語』の場合は近江は全く関係ない。もちろん「人の国」を近江と解することもできるが、宇佐の使いに関する第六十段や「昔、男筑紫まで行きたりけるに」で始まる第六十一段に並べると、やはり西国という感じになる。『伊勢物語』生成の段階で、関係のない話を利用してここに加えたのであろう。なお、『今昔物語集』は平安末期の成立だが、『竹取物語』との関係について見られるように(拙著、小学館版日本古典文学全集8『竹取物語』参照)、話としては古い形のものを伝えている場合が多い。この場合も、『伊勢』の話そのものではないが、その原話の異伝と目すべき物語をここにこのように伝えていると思うのである。

                        第六十三段

 むかし、世ごゝろづける女、「いかで、心なさけあらむをとこに、あひえてしかな」とおもへども、いひいでむもたよりなさに、まことならぬ夢がたりをす。子三人をよびて、かたりけり。ふたりのこは、なさけなくいらへてやみぬ。さぶらうなりける子なん、「よき御をとこぞいでこむ」とあはするに、この女、けしきいとよし。「こと人は、いとなさけなし。いかで、この在五中将にあはせてし哉」と思ふ心あり。かりしありきけるに、いきあひて、みちにて、むまのくちをとりて、「かうかうなむ思ふ」といひければ、あはれがりて、きてねにけり。さて、のち、をとこ見えざりければ、女、をとこの家にいきて、かいまみけるを、をとこ、ほのかに見て、
    もゝとせにひとゝせたらぬつくもがみ我をこふらしおもかげに見ゆ             (一一三)
とて、いでたつけしきを見て、むばら・からたちにかかりて、家にきてうちふせり。をとこ、かの女のせしように、しのびてたてりて、見れば、女、なげきて、ぬとて、
    さむしろに衣かたしきこよひもやこひしき人にあはでのみねむ               (一一四)
とよみけるを、をとこ、あはれと思ひて、その夜はねにけり。世の中のれいとして、おもふをばおもひ、おもはぬをばおもはぬ物を、この人は、おもふをも、おもはぬをも、けぢめ見せぬ心なんありける。

                           『通釈』
 昔、男女間のことに熱心な心を持っている女がいた。その女は、「何とか心と情をそなえた男と結ばれたい」と思うが、言い出す便宜もないので、実際は見てもいない夢の内容を語る。その夢語りは、子三人を呼んで語ったのである。上の二人の子は、情がない態度で答えてそのまま終わってしまった。三男であった子が「それは、よい御男が出現するという予兆です。と夢合せをすると、この女はたいそう機嫌がよい。「他の人は、まったく情がない。何とか、この在五中将に結婚させたい」と思う心が三男にはある。在五中将に道中で、馬の口を取って配下となることを誓い、「こうこう思っています」と言ったので、男はかわいそうに思って、やって来て、共寝をしたのである。
 そのようにしてから、後、男は現れなかったので、女は、男の家に行って、垣の間から覗いているのを、男は、かすかに見て、
   百歳に一歳足らないとかいうつくも髪の女が私を恋い慕っているらしい。面影となって、目の前にちらちらすることであるよ。(伊勢物語の中で謎解きの歌。「百」引く「一」=白)
と詠んで、出立するする様子を見て、女はあわてて薔薇やからたちの棘に引っかかるようにして家に帰って来て横になっている。
 男はその女がしていたように、外にこっそりと立って見ると、女は溜息をついて、「寝る」と言って、
   筵の上に片側だけ衣を敷いて、今宵もまた恋しいあの人に逢うことさえないままに寝ることでありましょうよ。
と詠んだのを聞いて、男はかわいそうに思って、その夜は、女のもとで寝たのであった。
 世間一般の例としては、愛する人を愛し、愛したくない人を愛さないものだが、この人は、愛する人をも愛さない人をも、差別しない心があったのである。

※この段は後から加えられた。女の紹介から始まっている。

                           『語釈』
※よごころつける女→「よごころ」の例は他にない。普通「世」を「男女の間」という意にとって、「異性に対する関心」「好色心」と解しているが、「林園無世情」(陶潜「辛丑歳七月赴仮還紅陵詩」)などに見られる漢語の「世情」の意と見ることも可能である。
※心なさけあらむ男→心があり、情がある男。
※いひいでむもたよりなさに→その気持ちを素直に言い出す手掛かりもないゆえに。
※まことならぬ夢語り→真実に夢を見たのではなく、いつわりの夢の話をするのである。
※よき御男ぞいでこむと合わするに→「合わす」は、夢を判断をすること。
※けしきいとよし→「けしき」は「気色」、気持ちが顔色などに表われること。機嫌。
※この在五中将→『伊勢物語』の中で「在五中将」などと、明らかに在原業平を指す呼称は、第六十五段の「殿上にさぶらひける在原なりける男」とここだけ。
※道にて馬の口をとりて→「馬の口をとる」ということは従者になるということ。
※かいまみけるを→「垣間見けるを」第一段参照。
※つくも髪→「つくも」は『倭名抄』に「江浦草 豆久毛、一云太久万毛」、『黒川本 色葉字類抄』にも「江浦草タクマモ 又ツクモ」とあるが、「江浦草」は「カヤツリ草科の多年草で沼や沢に生える「太藺(ふとゐ)」のことというが、適していない。「百年に一年足らぬつくも髪」と言っているのは、「百」の字の第一画の「一」を取ると「白」という字になるからであって、見事な修辞というほかない。むばら・からたちにかかりて→「むばら」は「うばら」。「いばら(茨)」と同じ。『枕草子』第一四八段の「名恐ろしきもの」の段に「むばら、からたち」とある。
※おもかげ→実体がないが幻になって見える。
※ながい息→なげき→溜息。


                 第六十四段

 昔、をとこ、みそかにかたらふわざもせざりければ、いづくなりけん、あやしさによめる。
   吹風にわが身をなさば玉すだれひまもとめつゝいるべきものを               (一一五)
返し、
   とりとめぬ風にはありとも玉すだれたがゆるさばかひまもとむべき           (一一六)
   

                      【通釈】
 
昔、男がいたのである。その男は、女がこっそりと語らうこともしなかったので、何処に行ったのであろうかという不審さから詠んだ歌。
   もし我が身を吹く風にすることができるのであれば、簾のすき間を探し求めて何度も中に入って会うことが出来るだろうに…。
返歌
   たとえあなたが、とりおさえておくことの出来ない風であっても、いったい誰が許したら、簾のすき間を求めて入ることが出来るのでしょうか。少なくとも私は許しはいたしませんよ。

                      【語釈】

※昔、おとこ→多くの伝本では、「むかし、おとこ、女」とある。その場合は「男と女が」の意となる。
※玉すだれ→「簾」の美称。歌語。
※とりとめぬ風にはありとも→「とりとむ」は「つかまえて止める」の意。
 「とりとめぬものにしあらねば年月をあはれあなうと過ぐしつるかな」(『古今集』雑上・八九七)参照。
※この段は歌が先にあって言葉を後から付けたので歌と文章が合っていない。
※女の返しの歌は「風」「玉すだれ」「ひま」と相手の言った言葉をオームのように言い返して、突き放している。つれない歌。

                 第六十五段

 むかし、おほやけおぼしてつかうたまふ女の、色ゆるされたるありけり。おほみやすん所とていますがりけるいとこなりけり。殿上にさぶらひける在原なりけるをとこの、まだいとわかゝりけるを、この女、あひしりたりけり。をとこ、女がたゆるされたりければ、女のある所にきて、むかひをりければ、女、「いとかたはなり。身もほろびなん。かくなせそ」といひければ、
    思ふにはしのぶることぞまけにけるあふにしかへばさもあらばあれ           (一一七)
といひて、ざうしにおりたまへれば、れいの、このみざうしには人の見るをもしらで、のぼりゐければねこの女、思ひわびて、さとへゆく。されば、「なにの、よきこと」と思ひて、いきかよひければ、みな人きゝてわらひけり。つとめて、とのもづかさの見るに、くつはとりて、おくになげいれて、のぼりぬ。
 かく、かたはにしつゝありわたるに、身もいたづらになりぬべければ、「つひにほろびぬべし」とて、このをとこ、「いかにせん。わがかゝる心やめたまへ」と、ほとけ・神にも申しけれど、いやまさりにのみおぼえつゝ、猶、わりなくこひしうのみおぼえければ、陰陽師・かむなぎよびて、「こひせじ」といふはらへのぐ、ぐしてなむいきける。はらへけるまゝに、いとゞかなしきことかずまさりて、ありしより、けにこひしくのみおぼえければ、
    こひせじとみたらし河にせしみそぎ神はうけずもなりにけるかな              (一一八)
といひてなんいにける。
 このみかどは、かほかたちよくおはしまして、ほとけの御名を、御心にいれて御こゑはいとたうとくて申したまふを、きゝて、女は、いたうなきけり。「かゝるきみにつかうまつらで、すくせつたなくかなしきこと、このをとこにほだされて」とてなん、なきける。かゝるほどに、みかど、きこしめしつけて、このをとこをばながしつかはしてければ、この女のいとこのみやすどころ、女をばまかでさせて、くらにこめて、しをりたまうければ、くらにこもりてなく。
    あまのかるもにすむむしの我からとねをこそなかめ世をばうらみじ              (一一九)
と、なきをれば、このをとこ、人のくにより、夜ごとにきつゝ、ふえをいとおもしろくふきて、こゑはをかしうてぞあはれにうたひける。かゝれば、この女は、くらにこもりながら、それにぞあなるとはきけど、あひ見るべきにもあらでなんありける。
    さりともと思ふらんこそかなしけれあるにもあらぬ身をしらずして                (一二〇)
とおもひおり。をとこは、女しあはねば、かくしありきつゝ、人のくににありきて、かくうたふ。
    いたづらに行きてはきぬる物ゆゑに見まくほしさにいざなはれつゝ              (一二一)
水の尾の御時なるべし。おほみやすん所もそめどのの后也。五条の后とも。

                      【通釈】
 昔、帝がお心をかけられて、お傍に置いて使い人のようになさっていらっしゃって、禁色を許されている女がいたのである。その女は大御息所と呼ばれていらっしゃる方の従姉妹なのであった。殿上の間にお仕えしている在原氏である男で、まだたいそう若いのを、この女は知り合ってしまったのである。男は女の方に出入りすることが許されていたので、女のいる所にやって来て向かい合っているものだから、女は「まったく具合の悪いことです。こんなことをしていると、あなた自身も破滅してしまうでしょう。こんなことはしないように」と言ったところ、男は、
    あなたを思う気持ちに比べると、抑える気持ちの方が負けてしまっていますよ。逢うということに変えられるならば、わたしの命なんか、どうなってもよいのです。
と言って、女が私室にお下りになっていらっしゃると、この男は、いつものように、このお部屋には、他人が見ているのも意識しないで、出仕して控えていたので、この女は、困り果てて実家へ帰る。そうすると、「何ということがあろうか。かえって都合がよい」と思って通って行ったので、誰もが聞いて笑ったのである。翌朝、主殿司の役人が見ると、後からやって来たのに、沓は手にとって奥に投げ入れ、早くからいたように見せかけるようにして殿上の間に出仕している。
 このようにまともでない行動をしつつ日を過ごしている間に、こんな状態でいると、我が身も空しくなってしまいそうだと思って、この男は、「こんなことをしていると、最後には恋死にしてしまうに違いないと思って、「どうしよう。私のこのような心は断ち切ってください」と仏神にもお祈り申しあげたのだが、思いはますます募るように思われて、どうしようもなく恋しく思われるばかりであったので、陰陽師やこうなぎを招いて、「もう恋はしないでおこう」というお祓いをする道具を持ってお祓いに出掛けたのである。お祓いをするにつれて、いとおしい気持ちがいっそう勝って来て、以前よりも、さらにその女が恋しく思われるばかりであったので、
    もう恋はすまいと思って御手洗川にした禊であったのだが、神様は受けつけなさらないままと言って、去って行ってしまったのである。
 この帝お顔やお姿がすばらしくていらっしゃって、「南無阿弥陀仏」と仏の御名を一心に念じ、御声もたいそう尊くお唱え申しあげなさるのを聞いて、女はひどく泣いたのであった。「このような主君お仕えせずに、前世の宿縁拙く、ほんとうに悲しいことです。こんな男につなぎ留められてしまって」と言って泣いたのであった。
 こうしているうちに、帝が、この二人の関係をお聞きつけなさって、この男を流罪に処しなされたので、この女の従姉妹の御息所も、この女を退出させて、倉に閉じ込めて折檻なさったので、女は倉の中に閉じこもったままで泣いている。
    海人が刈る藻に住んでいる虫の割殻虫ではないが、すべては我から起こったことだと思って、声をあげて泣きましょう。しかし、世間を恨んだりはしないでおこうと思います。
と泣いていると、この男は流された他国から毎夜のようにやって来て、笛をたいそう上手に吹いて、声は魅力的に、しみじみと歌うのであった。
 このような情況であったから、この女は、倉に閉じこもったままで、「男がそこに来ているようだ」と思って聞くのであるが、互いに顔を合わすこともできずにいたのであった。女は、
    このような状態であっても逢えると思ってあの人が来ているようなのが悲しいことでありますよ。生きているようでいて、生きているようでもない状態の私の身のことを知らずにいて。
と思っている。
 男は、女の方が逢わないので、このように毎夜通って来つつ、他国を行き来しながら、このように歌う。
    むなしく行っては帰って来るだけではあるけれども、お逢いしたいばかりに、またまた誘われるように足が向いてしまうのです。
清和天皇の御代のことであるに違いない。大御息所も染殿の后のことに違いない。別説では、五条の后のことだとも言う。

※写本時代の文学は誤写もあり書き換えもある。読者と作者が同じ地盤にいる。
※この段は特種である。
※伊勢物語で一番長い段。
※伊勢物語の他の段を意識して書かれている。六段の後書を利用して書かれている。作り物めいている。
※歌物語ではなく、古今集の歌を利用して作られている。ストーリーがあって出来ている。

                          【解釈】
※おほやけ→「おほやけ」は「わたくし」の反対。「おほやけの宮仕へ」(第八十三段)のように朝廷でのことを言うのが普通であるが、ここでは、「おほやけの御けしきあしかりけり」(第一一四段)と同じように、その朝廷の中心をなす天皇のことを言っている。
※使うたまふ女→「召し人」「使い人」ともいう。召使のように身の回りの雑事をさせられながら、主人と男女の関係を持っている女。妻としての待遇ではない。二条后を意識した書き方とすれば、貞観八年(八六六)に女御になる前をイメージしている。
※色ゆるされたる→禁色を許された人。「色許されたる人」とも言う。女房の禁色。朝廷の儀式で用いる赤と青や織物の豪華な衣裳を日常生活で着ることは禁じられていたのであるが、いつも帝に近侍しているこの人は特別にそれを許されていたのである。
※大御息所→皇太后のこと。ここは第六段の後書き「二条の后の、いとこ女御の御もとに仕うまつるやうにてゐたまへりけるを」を意識して、染殿の后を思わせる表現。
※殿上にさぶらひける在原なりける男のまだいと若かりける→殿上童とする説もあるが、殿上童は公卿の子弟で、殿上人になる見習いのために未成年でありながら殿上の間に列するのであるから、ここには該当しない。これは、いわゆる小舎人童で、清涼殿に上がって雑役をする少年。後宮殿舎にも自由に出入り出来たのである。
※女方許されたれば→当時は後宮殿舎や清涼殿の女房の詰所である台磐所は原則として普通の男子は入れなかった。女のいる場所は別扱いになっていたのである。「女方よりいだすさかづきのさら」(第六九段)「女方より、そのみるを高杯に盛りて」(第八七段)などという表現があるのはそのためである。
※あひしりたりける→顔をあわせて知っていた。関係をもっていた。
※女方→女ばかりがいる場所。
※いとかたはなり→「かたはなり」は、欠陥がある。見苦しい。「この大臣は色めきたまへるなむ、少しかたはに見えける。」(『今昔物語』巻二二ー八)
※「…な…そ」→…してはいけない。禁止の意をあらわす。
※身もほろびなむ→「身」を「女の身」とする説もあるが如何。「身も」と言っているのであるから、「あなたの身も」と言ったと見るのが自然であろう。「私だけでなく、あなたの身も」と言っているのである。「ほろぶ」は「死ぬ」こと。「からくして帰りまうで来たるに、父母ほろびて、むなしき宿をのみ見る」(『うつほ物語』俊蔭の巻)
※曹司におりたまへれば→「たまへ」と敬語が用いられているのは主語が女であることをわかられるためだが、第三段〜第六段では敬語がついていないので、ここは異例。敬語を用いているのは、この女を二条の后を意識させるように描いているということであって、後代的なものを感じさせる。次の「御曹司」の「御(み)」も同じ。
※曹司→宮中で個室をもっている。
※なのに→「何のことかあらむ」の略。「何の問題があろうか。ありはしない」という意。
※沓はとりて、奥に投げ入れて上がりぬ→前夜から出仕していいたように見せるために奥の方に投げ入れたのであろう。
※わりなく→理屈で説明できぬほど。どうしようもなく。
※陰陽師→陰陽寮に仕え「天文・歴数・風雲・気色」などを占う役人。神主一体化している。
       陰陽(おんみょう)→連声(れんじょう)現象
連声現象→「ん」がつくと「ま行」が後に残って陽(よう)が「みょう」になる。次の音が連続して残る。
※天文→星の運行、月の運行を調べる。それに従って暦をつくる。太陰暦は4〜5年に1度十三ヶ月の月を作る。
※風雲→台風など調べる現代の気象庁のようなもの。
※気色→色(暖冬・寒い…目に見えるもの)・気…目に見えないものを占った。
※かむなぎ→本来は「神なぎ」。「巫」という字をあてる。「巫女」のことである。『倭名抄』には「巫、加牟奈岐、祝女也。こうなぎ、乎乃古加牟奈岐。男祝也」とあって、「かむなぎ(巫)」は女の神おろしであることがわかる。神の心を静める仕事。なぎ…静かになる事。
※かなしきことかずまさりて→「かなしき」は「声をだに聞かで別るる魂よりも亡き床に寝む君ぞかなしき」(『古今集』哀傷・八五八)の「かなしき」と同様に、「悲しい」よりも「いとおしい」に近い。
※禊→幣に穢れを移して川に流す。
※夏払→夏越の祓い六月(現在の八月)に伝染病が流行るので流す。
※宿世つたなく→前世から定まっている宿命。「つたなし」は「恵まれない」の意。「いと幸ありと思ひ給ふるを、宿世つたなき人にや侍らむ、思ひはばかること侍りて」(『源氏物語』玉鬘)
※世間→宿世の世。
※宿世の思想→三世思想ともいう。前世と後世が一緒になっている。本来に宿している運命。前世の報いが現在にある。現在うまくしていれば後世が良いのでは…と考える思想。
※ほだされて→つなぎとめられて。有名な「世の憂きめ見えぬ山路に入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(『古今集』雑下九五五)
※流しつかはしてければ→『類聚国史』によれば、当時の流罪は伊豆・安房(千葉県南)・常陸・佐渡・隠岐・土佐が遠流(罪が一番重い)と決められ、諏訪・伊予が中流、越前・安芸が近流と決められていた。
※他の国より夜毎に来つつ→「ひとの国」は他国。すなわち山城の国以外。前条の「近流」であっても、越前・安芸であり、「夜毎に」来られるはずがない。
※それにぞあなる→「なる」は「音」を聞いて推定する場合に用いられる事が多い。
※かくしありきつつ→「ありく」は「歩く」に限らない。移動すること一般について言う。
※水の尾の御時→清和天皇の御時。墓所があったので、後に「水の尾のみかど」と呼ばれた。なお、水の尾は清和天皇の墓所がある京都市右京区嵯峨水尾。JR山陰本線保津峡駅から北へ四キロメートル。
※染殿の后→父である藤原良房邸の染殿院を里邸にしていたので染殿の后と呼ばれた。『古今集』春上・五二の「染殿の后の御前に花がめに桜の花をささせ給へりけるを見てよめる」という詞書で、父藤原良房の歌が見える。
※五条の后とも→「五条の后とも言ふ」の略。五条の后は、左大臣冬嗣の娘。東宮正良親王(後の仁明天皇)の後宮に入り、天長四年道康親王(後の文徳天皇)を生む。東五条を里邸としていたので、五条の后と呼ばれた。第六段の後書によって「大御息所とていますかりける従姉妹」は染殿の后のこととしながらも、別の伝承として五条の后説をあげているのであるが、この場合は第四段の「昔、東の五条に、おほきさきの宮おはしましける、西の対に住む人ありけり」によっているのである。しかし、五条の后ならば、二条の后の従姉妹ではなく、叔母になる。