伊勢物語25…第百五段〜第百十段

第百五段

 むかし、をとこ「かくては、しぬべし」といひやりたりければ、女、
    白露はけなばけななんきえずとて
     たまにぬくべき人もあらじを                           (一七九)
といへりければ、「いとなまめし」と思ひけれど、心ざしは、いやまさりけり。

【通釈】

昔、男がいた。その男が、「こんな状態では死んでしまいそうです」と言い送ったところ、女は、
    白露は、消えるのなら消えてしまってほしいもの。たとえ消えないとしても、それを玉と見なして緒に通す人もいないでしょうよ。
と言ってあったものだから、「ひどく失礼だ」と思ったけれども、女への愛情はますますつのったことであるよ。

※家持集の歌。作者不明の歌を利用している。
 このような恋愛もあると言うことで伊勢物語に付け加えられている。

【語釈】

※かくては、死ぬべし→こんな状態では死んでしまうだろう。「かくては」の内容がわからないが、男の求愛を受け入れてくれない女の態度が、変らず続いている状態ならば。「べし」は強い推量。
※白露は消なば消ななん→「白露」は、女が、男の命を喩えて言った。男が自分の命を「白露」に喩えて「白露が消えるように自分も死にそうだ」という歌を送っていたのであろう。
消な→「消る」の未然形。消ななん→未然形に「なん」が付くと「…して欲しい」。
※消えずとて玉に抜くべき人もあらじを→男の歌に対して、「白玉は消えずとて」(あなたが死なないからと言って)「玉にぬくべき人もあらじを」(あなたと親しくなろうというような人なんてないでしょうよ)
※いとなめしと思ひけれど→「なめし」は、非礼だ、無礼だ、の意。
※心ざしは、いやまさりけり→「心ざし」は「心が向かってゆくこと」。「愛情」と訳してよい場合が多い。「心ざし深かかりける人」(第四段)

第百六段

 昔、をとこ、みこたちのせうえうし給ふ所にまうでて、たつた河のほとりにて、
    ちはやぶる神世もきかずたつた河
     からくれなゐに水くゝるとは
                         (一八〇)

【通釈】

 昔、男がいた。その男が、親王たちが逍遥なさっている所に従駕して、龍田河のほとりで、よんだ歌、
    神代の昔の話にも聞いたことがありませんでした。この龍田川において、水が唐紅(からくれない)色に括り染めをしているとは。

※古今集の業平の歌を利用して作ったフィクションである。

【語釈】

※親王たちの逍遥し給ふ所にまうでて→「逍遥」は、思いにまかせて、あちこち遊び歩くこと。山野に出かけて心を遊ばせること。中国『荘子』から入ってきた言葉をそのまま利用している。「昔、男、逍遥しに、思ふどちかいつらねて、和泉の国へ、きさらぎばかりに行きけり。」(第六十七段)
※龍田河のほとりにて→「龍田河」は「立田川」とも書く。奈良県生駒郡の生駒谷から発し、斑鳩町の西を通って南下し、大和川にそそぐ。
※ちはやぶる神世も聞かず→「ちはやぶる」は「神(世)」の枕詞。
※龍田河→『万葉集』では「龍田山」が詠まれていたが、『古今集』になると、『万葉集』にはなかった「龍田川」がよまれるようになり、紅葉の名所として定着した。「龍田河紅葉乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなむ」(秋下・283・よみ人しらず)など例は多い。
※からくれなゐに水くゝるとは→「からくれなゐ」は中国渡来の染料で染めたような鮮やかな紅色。「くくる」は、糸でくくった布を染料にひたし、くくった部分を模様として出す技法。「水くくる」は、川の水が絞り染め(纐纈)したように見えること。
「くる」→江戸時代までは濁点が付いている。もみぢが水の底に沈んでいる状態を詠んだ。
「くくる」→賀茂真淵・漢詩に例がある。「くくる」絞りとしている。

『古今集』秋下・294・295
     二条の后の春宮の御息所と申しける時に、御屏風に龍田河にもみぢ流れたる形をかけりけるを題にてよめる

                                          素性   
    もみち葉の流れてとまるみなとには、くれなゐ深き波や立つらむ
                                          業平の朝臣
    ちはやぶる神世もきかず龍田河からくれなゐに水くくるとは
  
※屏風歌→業平(六歌仙)の時代から盛んになった。それまでは漢詩が付けられていた。

第百七段

 むかし、あたなるをとこありけり。そのをとこの もとなりける人を、内規記に有りけるふぢはらのとしゆきといふ人、よばひけり。されど、まだわかければ、ふみもをさをさしからず、ことばも いひしらず。いはむや、うたはよまざりければ、かのあるじなる人、あんをかきて、かゝせてやりけり。めでまどひにけり。さて、をとこのよめる。
    つれづれのながめにまさる涙河
     そでのみひちてあふよしもなし
                       (一八一)
返し、れいのをとこ、女にかはりて、
    あさみこそそではひつらめ涙河
     身さへながるときかばたのまむ
                       (一八二)
といへりければ、をとこ、いといたうめでて、いままで、まきて、ふばこにいれてありとなんいふなる。
 をとこ、ふみおこせたり。えてのちの事なりけり。「あめのふりぬべきになん見わづらひ侍る。身、さいはひあらば、このあめはふらじ」といへりければ、れいのをとこ、女にかはりて、よみてやらす。
    かずかずに思ひおもはずとひがたみ  
     身をしる雨はふりぞまされる                      
 (一八三)
とよみてやれりければ、みのもかさもとりあへで、しとゞにぬれて、まどひにけり。

【通釈】

 昔、高貴な男がいたのである。その男のもとにいた女(ひと)を、内記であった藤原敏行という人が求婚したのである。しかし、女は、まだ年若いので、手紙も整った形で書けないし、言葉使いも十分に知らない。ましてや、歌はよまなかったので、先ほど紹介したあるじの男が、手紙の文案を書いて、それを女に書かせて送ったのである。その結果、相手の男は、女の歌だと思っていたので、有頂天になるほどに感激したのである。
そのように感激して、相手の男がよんだ歌、
    ぼんやりと物思いに耽って眺めている長雨にもまさるほどに水量の多い私の涙の川ですが、袖が濡れるだけで、渡ってお会いする方法もないことですよ。
返歌は、例のように、男が女に代ってよんだ。
    浅い所だから袖は濡れるのでしょうーあなたの愛情が浅いからこそ、袖は濡れるのでしょう。涙の川に、袖が濡れるだけではなく、御身までが流れるほど深いとお聞きしましたら、心から御信頼申しあげましょう。
と返事をしたものだから、相手の男は、ひどく感心して、その手紙は、巻物にして文箱に入れて今まで大切にして置いてあるということである。
その男が、手紙をよこして来た。女を自分のものにしてから後のことであった。「雨が降り出しそうだから、あなたの所に行こうか、どうしようかと空を見て悩んでいるのです。我が身に幸運がついているならば、この雨は降らないでしょう」と言って来たので、例の主人の男が、女に代ってよんで届けさせたのである。
    あれこれと私のことを思ってくださっているのか、思ってくださっていないのか、お尋ねするのも難しいものですから、それ程にしか思われていない我が身の程を知っている雨は、このようにひどく降ってくるのでしょう。
と詠んで届けたところ、男は蓑も笠も手にする余裕もないままに、ぐっしはょりと濡れて、あわてふためいてやって来たのであった。

【語釈】

※あてなる男→身分や家柄が高貴な男。
※内記にありける藤原敏行といふ人よばひけり→「藤原敏行」は、藤原南家の陸奥出羽按察使藤原富士麻呂の長男。『尊卑文脈』所収の系図によれば、母は紀名虎の女、妻は在原業平の妹とするが、『伊勢物語』の注釈・享受の中で生まれた伝承であろう。『古今和歌集目録』によれば、延喜七年(907)卒とあり、『家伝』には昌泰四年の卒とある。生年は未詳だが、貞観八年(866)内舎人から少内記、六位蔵人を経て、右兵衛佐となり、仁和ニ年(886)右少将、同四年五位蔵人、寛平六年(894)権中将、同七年に蔵人頭、従四位上右兵衛督になった。この間、二条の后宮で新年を賀す歌を詠んだ(『後撰集』巻頭歌)のは、貞観の後半から元慶の頃(869-880)であろうが、その後、寛平五年(893)頃に行われた『是貞親王家歌合』や『寛平御時后宮歌合』に出詠するまで歌人として活躍し、六歌仙時代と『古今集』時代をつなぐ和歌史的役割を果たした。
※文をもをさをさしからず→「文」は手紙。「をさをさし」は、「完成されて整っている」意。『新撰字鏡』に「了事」を「乎佐乎佐志」と読み、『黒川本伊呂波字類抄』でも「了事」のほか「治」という字を「オサオサシ」と読む。したがって「をさをさしからず」は「完成されていない」「整っていない」ということになる。
※いはむや→文頭にあって、前の文と対比する意を表わす。本来は漢文訓読に用いられたが、ここはそれから離れて、日常の文体に用いられた初期の例と言ってよかろう。
※かのあるじなる人→「かの」は「既に紹介した人」を指す。
※案を書きて書かせてやりけり→主人公の男が文案を書いて、女に文を書かせたのである。
※つれづれのながめにまさる→「つれづれ」は一人でいて気がまぎれないさま。『新撰字鏡』に「孤」という字を「比止利」「豆礼々々」と読み「単己也」「独単也」と注する。「ながめ」は、物思いに沈んで、じっと外を眺めること。「長雨」と掛けることが多い。第二段参照。
※涙河→河のように流れる涙。『万葉集』に例がないので、漢詩の影響によってできた語かと言われるが、漢和辞典などが引く「涙河東注問蒼旻」(蘇軾「和王之詩」)は後の例。
※得て後の事なりけり→女を自分のものにしてから後のことであると説明しているのである。「なりけり」は後から説明している文体。
※見わづらひ侍る→@雨が降りそうなのを見て思い悩んでいると言っているのである。A雨が降りそうなので私自身心から体全体で悩んでおります。ここでは@
※身、幸ひあらば、この雨は降らじ→我が身に幸いがあるのであれば、この雨は降らないだろうと言っているのである。
※例の男→前述した主人公の男。
※かずかずに思ひ思はず問ひがたみ→「かずかずに」は、『萬葉集』巻十三(3256)の「数々丹不思人者 有」を「しくしくに思はず人はあるらめど」と今は読んでいるが、この「数々丹(しくしくに)」を字のままに、「かずかずに我を忘れぬものならば山の霞をあはれとは見よ」の「かずかずに」は「しきりに」とは意がずれている。むしろ「あのこと、このことと」と訳した方がすっきりする。また『蜻蛉日記』中巻の「かずかずに君かたよりてひくなれば柳のまゆも今ぞひらくる」の場合は「あれやこれや」と訳した方がよく、『後拾遺集』哀傷・579の「法のため摘みける花をかずかずに今はこの世のかたみとぞ見る」(選子内親王)の場合も「花をひとつひとつ…」と訳されるが、ここの「かずかずに思ひ思はず問ひがたみ」の場合も、「私のことをあれこれと思っていらっしゃるのか、思っていらっしゃらないのか、お尋ねしにくいので」と訳せる。
※身を知る雨は降りぞまされる→「身、幸ひあらば、この雨は降らじ」を承ける。我が身が幸いであるか幸いでないかを知ることのできる雨が降りまさる。

第百八段

 むかし、女、ひとの心をうらみて、
    風ふけばとはに浪こすいはなれや
     わが衣手はかわく時なき  
                         (一八四)
と、つねのことぐさにいひけるを、きゝおひけるをとこ、
    よひごとにかはづのあまたなくたには
     水こそまされ雨はふらねど
                          (一八五)

【通釈】

 昔、女がいた。その女は、男の心を怨んで、
    風が吹くと、ずっと浪が越している岩のようなものでありましょうか、私の袖が濡れていない時とてありませんよ。
と、日常の口癖のように言っていたのを、自分の責任のように聞いた男が、
    宵毎に男蛙がたくさんやって来て鳴く田ではないが、あなたの袖には、確かに水かさは増すことでしょうよ。私を慕う涙の雨でなくても、多くの男蛙が集っているのですから。

【語釈】

※昔、女→女の紹介から始まる段に、「昔、なま心ある女ありけり」(第十八段)「昔、年ごろおとづれざりける女」(第六十二段)「昔、世心つきたる女」(第六十三段)がある。
※人の心をうらみて→「人の心」は相手の人の心。「人の心の奥も見るべく」(第十五段)
※風吹けばとはに浪越す岩なれや→「とはに」は「とばに」か。『萬葉集』巻二・183の「わがみかど千代常登婆爾ちよとことばに)栄えむと思ひてありし我しかなしも」の「とことば(常永遠)」や「これの世は移り去るとも止己止婆爾(とことばに)さ残りいませ後の世のため又の世のため」(仏足石歌)などのように、上代に用いられた「とことばに」から生まれた語と見れば、「とばに」と「は」を濁音で読むべきかも知れない。「とはに浪越す岩なれや」の「……なれや」は「……であるからだろうか」の意。
※わが衣手のかはく時なき→「衣手」は「袖」。衣の手の部分。袖が涙で濡れるのである。なお、この歌は、『貫之集』恋・561「風吹けばたえず浪越すいそなれや我が衣手のかわく時なき」(新古今集・恋一・1040「題知らず 貫之」として採られている)を利用したもの。
※常のことぐさに言ひけるを→「ことぐさ」は、口癖。「酔はぬ時も、ことぐさなれば、皆人見馴れにたらむ」(うつほ物語・蔵開下)
※聞き負ひける男→自分の責任だと思って聞いた男。「おのが歳(よはひ)を思ひけれど、若からぬ人は聞きおひけりとや」(百十四段)。
※よひごとにかはづのあまた鳴く田には→毎夜毎夜多くの男がやって来る所のあなたの袖は。「かはづ」は何を喩えているかについて諸説があるが、「あまた」とあるので、他の多くの男を「かはづ」に喩えていると見るべきであろう。
※水こそまされ雨は降らねど→「雨は降らねど」は、「私を思って涙しなくても」という意。「私を待つ涙でなくても、たくさんの男蛙が鳴くので、水は増さっいる」という意。

【参考】

 「風吹けば…」の歌、『伊勢物語』には「とはになみこす岩なれや…」とあるが、『貫之集』や『新古今集』では、「とはになみこすなれや…」とある。どちらが正しいかは決め難いが、天喜三年(1056)五月三日庚申の夜に、六条斎院媒子(ばいし)内親王の主催で行われた「物語歌合せ」(散佚物語研究の重要資料として有名)の七番の左に、
       浪越す磯の侍従
          左                    出雲
    君もゆき花もとまらぬやまざとにかすむそらをやひとりながめむ
とある。つまり、天喜三年(1056)五月三日の六条斎院媒子内親王主催の歌合に、出雲という女房が『浪越す磯』という物語を新作し、物語中で「侍従」と呼ばれている人物が詠んだ「君もゆき花もとまらぬやまざとにかすむそらをやひとりながめむ」という歌が、この物語歌合に番(つな)えられたというわけである。
 この物語歌合に出された物語に限らず、この時代の物語は、有名な古歌のことばに依拠した物語名が多いことを思えば、『浪越す磯』は、前述した『貫之集』や、『新古今集』の「風吹けばたえず浪越すいそなれや我が衣手のかわく時なき」か、『伊勢物語』第百八段の「風吹けばとはに浪越す岩なれやわが衣手の乾く時なき」によって作られた物語ではなかったかと思われる。「岩」と「磯」、漢字で書けば異なるが、仮名で書けば「いは」の「は(「者」の草体)」と「いそ」の「そ」は非常に近い。誤写も当然考えられるのである。
※散佚→今は存在しない無くなったもの。
※庚申の夜→寝ると虫が付くと言う謂れがあり、寝ないで起きて新作の文学を一晩中鑑賞する。
※「浪越す磯」の侍従→物語に出てくる侍従。
※この若い侍従は『源氏物語』の「薫」のような消極的な人物。
※逢坂越えぬ権中納言→堤中納言物語の10編の内の一つに出ている。散佚物語。

第百九段

 むかし、をとこ、ともだちの人をうしなへるがもとに、やりける。
    花よりも人こそあだになりにけれ
     いづれをさきにこひんとか見し 
                       (一八六)                 

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男が、愛する人を亡くした友達に、贈った歌、
    あの桜の花よりも、あなたの愛する人の方が先に空しくなってしまわれましたね。かっては、花と人し、どちらが先になくなって恋しく思うことになるだろうと考えていらっしゃったのでしょうか。当然、花の方ですよね。

【語釈】

※友達の人を失へるがもとにやりける→「名詞+「の」×連体形」の場合、「連体形+名詞」と同じく「人を失へる友達のもとにやりける」の意となる。
※花よりも人こそあだになりにけれ→『古今集』の詞書に見られるように、「花」は「桜」と見てよい。第十七段にも「あだなりと名こそ立てれ桜花」とあり、「桜」は「あだなる花の代表であったから、桜よりも先に散った人のことを思って詠んだのである。
※あだ→すぐ変る。あだ⇔まめ(まじめ)
※いづれをさきに恋ひむとか見し→「恋ふ」は目の前にいない人や、目の前にない物を恋しく思うこと。この場合は、「どちらが先に目の前から姿を消して恋しくなるものとして見ていたか、当然桜の方が先だと思っていただろう」と言っているのである。

【参考】

 『古今集』哀傷・850に、
      桜を植ゑてありけるに、やうやく花咲きぬべき時に、かの植ゑける人、
      身まかりにければ、その花を見てよめる           紀のもちゆき
    花よりも人こそあだになりにけれいづれをさきに恋ひむとか見し
とある。貫之作の歌を用いた前段に続いて、貫之の父、紀望行(茂行とも書く)の歌を用いて一つの章段としたのである。
※哀傷→亡くなった人を惜しむ、弔う歌を集めたもの。
※桜→平安時代は庭に植えられるようになった。

第百十段

 むかし、をとこ、みそかにかよふ女ありけり。それがもとより、「こよひ、ゆめになん見えたまひつる」といへりければ、をとこ、
    おもひあまりいでにしたまのあるならん 
     夜ふかく見えばたまむすびせよ
                       (一八七)

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男が人目を忍んでこっそりと通っている女がいたのである。その女のもとから、「今宵、あなたが夢に現れなさいました」と言って来たので、男が詠んだ。
    あなたを恋しく思う思いが余り余って出て行ってしまった魂があるのでしょう。もし、夜が深くなってから、再び夢に現れたら、魂結びのまじないをして、その魂をあなたのもとに留めておいてください。

【語釈】

※みそかに通ふ女→男がひそかに通う女。身分の高い女性。「ひそかに」が漢文訓読の際などに用いられるのに対して、「みそかに」は和文系の語彙であると言われている。しかし、第五段に「みそかなる所なれば、門よりもえ入らで、童べの踏みあけたるついひぢの崩れよりかよひけり」とあるほか、『竹取物語』に「いとかしこくたばかりて、(玉の枝を)難波にみそかに持て出でぬ」などとあって、物語では「みそかに」が一般的であることがわかる。
※今宵、夢になん見えたまひつる→「今宵」は「今日の宵」をいうのが普通であり、『伊勢物語』においても、「今宵あはむと契りたりけるに」(第二十四段)、「今日の今宵に似る時はなし」(第二十九段)、「さむしろに衣かたしき今宵もや恋しき人に逢はでのみ寝む」(第六十三段)、「今宵だに人を静めて、いととく会はむと思ふに」(第六十九段)、「今宵はここにさぶらはむ」(第七十八段)というように、すべて「今日の宵」の意で用いられている。ここも同じで、「今宵、早くあなたを夢に見た」と女が連絡して来たのに対し、男は「みそかに通う関係なので、宵にはそんなことはできないかもしれないが、もし夜深くもう一度夢に見られたら、魂結びしてあなたのもとにそのまま留めておいてほしいものだよ」と返事したのである。
※思ひあまり出でにし魂(たま)→「思ひあまり」は、第五十六段の「昔、男臥して思ひ、起きて思ひ、思ひあまりて」のように、ずっと思い続けて、なお思いが止まないこと。「思ひあまり出でにし魂」は、あなたを思う「思ひ」の強さが余ってしまって、あなたのまわりまで出掛けて浮遊している魂という意。
※夜深く見えば→「夜深く」は「玉くしげあけば君が名立ちぬべみ夜深くこしを人見けむかも」(古今集・恋三・642)のように、人に出会うことのない深夜。「宵」に対して言っている。「見えば」は「あなたの夢に見られたならば」。
※魂結びせよ→身から離れた「わが魂をとらえて」私の所に返してほしいと言っているのである。

【参考】

 ここに言う「魂結び」とは何か。清輔の『袋草紙』に見える「誦文(じゅもん)の歌」の中に、「人魂を見る歌」として、
    魂(たま)は見つぬしは誰(たれ)とも知らねども結びとどめつしたがひのつま
         三反(さんべん)これを誦して、男は左、女は右の褄を結びて、三日を経て、これを解くと云々。
とあるように、人魂(ひとだま)をとらえて、封じ込めることが「魂結び」である。「したがひとは着物の前を合せたときに下になる部分。「つま」は、裾の左右両端の部分。つまり、「人魂を確かに見た。誰の人魂か知らないけれども、着物の褄を結んで、その魂を閉じ込めておいたよ」という歌である。浮遊する魂を結び留めるための呪(まじな)いの歌であって、これを誦して、その褄を三日間結ぶことによって、魂を閉じ込めてほしいと言っていることになる。
※袋草紙→袋綴じにしたもので、名前を付けるほどでもない謙遜した気持ちで作ったもの。
和紙を折って紙の端を閉じる。書き損じたら裏に書き綴じなおす。
質が悪い紙を使用。
※綴(てつ)葉装、又は、列帖装→良質の紙を用いた物。天皇への献上品。和紙を折った部分(輪)を綴じる。