伊勢物語…第二十四段〜第三十一段

                         【第二十四段】


 むかし、をとこ、かたゐなかにすみけり。をとこ、「宮づかへしに」とて、わかれをしみてゆきにけるまゝに、三とせこざりければ、まちわびたりけるに、いとねむごろにいひける人に、「こよひあはむ」とちぎりたりけるに、このをとこきたりけり。「このとあけたまへ」とたゝきけれど、あけで、うたをなんよみていだしたりける。
     あらたまの年のみとせをまちわびて
       たゞこよひこそにひまくらすれ   
                          (五一)
といひいだしたりければ、
     あづさゆみま弓つき弓年をへて
       わがせしがごとうるはしみせよ 
                            (五二) 
といひて、いなむとしければ、女、
     あづさ弓ひけどひかねど昔より  
        心はきみによりにし物を  
                              (五三)
といひけれど、をとこかへりにけり。女、いとかなしくてしりにたちておひゆけど、えおひつかで、し水のある所にふしにけり。そこなりけるいはに、およびのちして、かきつけける。
     あひおもはでかれぬる人をとゞめかね  
         わが身は今ぞきえはてぬめる  
                         (五四)
とかきて、そこにいたづらになりにけり。

【通釈】

昔、男(と女)が片田舎に住んでいた。その男が「宮仕えしに行く」と言って、別れを惜しんで出て行ったままで、三年間帰って来なかったので、女は、つらい思いで待っていたのだが、ある時、たいそう心を込めて求婚して来た人に対して「今夜お逢いしましょう」と約束していたところ、この元の男が帰って来たのである。「この戸を開けて下さい」とこの元の男は戸を叩いたのだか、女は開けないで、歌を詠んで外にいる男に聞こえるように言ったのである。
    三年間をつらい思いで待ち暮らして、まさに今宵新しい結婚をしようとしているところなのですが…。
と外の男に対しして言ったので、男は、
    あまたの年月にわたって私がしたように、新しい男を大切にしてあげてくださいよ。
と言って、行ってしまおうとしたので、女は、
    弓の弦のように、あなたが手もとにお引き寄せになっても、お引き寄せにならなくても、私の心はずっとあなたに寄り添っておりましたのに…。
と言ったのであるが、男は帰ってしまった。
 女はたいそう悲しくなって、後から追いかけて行ったが、追いつくことができなくて、清水のある所で倒れてしまった。そこにあった岩に、指の血で書きつけた、その歌は、
    お互いに思い合えないで離れて行ってしまう人を留めることができないで、私の身は今まさに消え果ててしまいそうでありますよ。
と書いて、そこでそのまま空しくなってしまったのである。

【語釈】

※昔、男→「昔、男女」とある本の方が「(その)男が、宮仕へしに…」に続きやすい。
※片田舎→田舎の中でも特に中央から離れた辺鄙な所。
※三年来ざりければ→『戸令(こりょう)』に「外蛮ニ没落シテ…三年帰ラザル時…」には他の男と結婚してよいという条文があるが、この男は宮仕えのために片田舎から都へ行ったのであって、外蛮へ行ったわけではないから、これと関係づける解釈に従う必要はない。「石の上にも三年」という気持ちで三年を区切りにしていると考えてよい。
※いとねんごろに言ひける人→たいそう心をこめて求婚して来た人。
※あらたまの→「年」にかかる枕詞。「あらたまの 年の五とせ しきたへの たまくらまかず…」(萬葉集・巻十八4113)などの例がある。
※年のみとせ→「年」と「三年」が重複しているが、語調を整えるために用いているのである。前項「あらたまの 年の五とせ」の例参照。
※梓弓ま弓槻弓年を経て→「梓弓」は梓の丸木で作った弓。「槻弓」は槻の丸木で作った弓。だが、ここは神楽歌の「弓といへば品なきものを梓弓ま弓槻弓品も求めず」のことばを借りて「弓」を並べ、「槻弓」の「槻」に「月」を掛け、「年」に続けた序詞にする点に眼目がある。
※うるはしみせよ→「うるはし」は最高の美しさ。「うるはしみす」は、最高に待遇すること。「さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ今のまさかもうるはしみすれ」(萬葉集・巻十八・4088)。
※梓弓ひけどひかねど→「梓弓」は「引く」の枕詞になっている。また「引く」は、「寄りにしものを」と対応して縁語になっている。あなたが手もとに引いても引かなくても。あなたの御意志は別として。
※および→指(ゆび)。『和名抄』に「指 由比。俗云於由比。手指也」「指 オヨビ」とある。「秋の野に咲きたる花をおよび折りかき数ふれば七くさの花」(萬葉集・巻八・1537)「萩の花尾花葛花撫子の花女郎花また藤袴朝顔の花」(同1538)
※いたづらになりにけり→空しく死ぬこと。はかなくなること。「この事(出産が遅れていること)により身のいたづらになりぬべきこと」(源氏物語・紅葉賀)。

【第二十五段】

 むかし、をとこ有りけり。「あはじ」ともいはざりける女の、さすがなりけるがもとに、いひやりける。
     秋ののにさゝわけしあさの袖よりも
        あはでぬる夜ぞひちまさりける 
                           (五五)
色ごのみなる女、返し、
     みるめなきわが身をうらとしらねばや
         かれなであまのあしたゆくくる 
                           (五六)

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男が、「結婚する気はない」とも言っていない女で、そうはいうものの、かかわりを断つというわけでもない人のもとに言い送った歌。
     秋の野に生えている笹を分けて露に濡れながら帰って来た後朝(きぬぎぬ)の袖よりも、会わずに独り寝している夜の方が、袖はしとどに濡れまさっておりますよ。会えないつらさゆえの涙で。
色好みである女が返した歌、
     顔を合わす機会のない私を、憂き身であるともご存じないからでしょうか、あなたは、足がだるくなるほど頻繁に通ってかよっていらっしゃることですよ。

【語釈】

※「あはじ」とも言はざりける女の、さすがなりける→「連体形」+「名詞」+「の」+「連体形」の形。「……で……」というように、「の」の前と後は同格になる。「さすが」は、「そうは言うものの……だ」のように上述のことと反対の意を表す。
※秋の野にささ分けし朝の袖よりも→露が多く置いている秋の笹を分けて濡れながら帰宅した時の袖よりも。この表現は業平の独創か。先行する例はない。【研究と評論】参照。
※あはで寝る夜ぞひちまさりける→「ひち」は濡れること。「袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つ今日の風や解くらむ」(古今集・春上・二)参照。会うことができずに寝る夜だから、「ひちまさる」のは当然涙のせいである。
※色このみなる女→前述の「あはじとも言はざりける女の、さすがなりける」状況を物語作者は「色このみ」ととらえたとも考えられるが、『古今集』の小町の歌を付加したために、「色このみなる女」と記したとも考えられる。【研究と評論】【注釈史・享受史の論点】参照。
※みるめなき我が身をうらと知らねばや→「みるめ」は、海藻の海松布と「男女が共に住む機会」の意の「見るめ」を掛ける。「海松布なき浦」なら海人が来る必要はない。また「男女が顔を合せる機会」がないのなら、たゆまず通って来ても、それ以上進まないから無駄だと言っているのである。「会ふ」は、男女が夫婦の生活をすることだが、「見る」はその前の段階である。「我が身を」については、「私自身(女自身)」ととる説と「あなた御自身(男自身)」ととる説があるが、「我が身」は歌の詠者自身のこととするのが自然だし、「知らねばや」は「あなたが(私の憂き状態を)御存じないからか…」と言っているのであるから、詠者自身のこととすべきであろう。「浦」の「う」と「う(憂)し」の「う」を掛ける。「わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり」(古今集・雑下・983)の「う」と同じ。以前は「恨む」を掛けると考えていたが、「我が身(女の身)を」に続かないし、「知らねばや」にも続かない。なお、我が身を憂きものとする発想は平安時代の女性の歌に多い。「かれなで」の「かれ」は、海松(みる)が「枯れないで」の意と男女が「離(か)れないで」の意を掛ける。「海松布(みるめ)と「枯れ」、「浦」と「海人」は縁語である。

【余説】

『古今和歌集』巻十三・恋三(622・623)に「題しらず」として偶然並んでいる在原業平と小野小町の歌を利用して作られた章段である。
            (題しらず)                      業平の朝臣
    秋の野に笹分けし朝の袖よりもあはで来し夜ぞひちまさりける
                                         小野小町
    みるめなきわが身をうらと知らねばやかれなで海人の足たゆく来る
 なお、小野小町の歌を利用した章段は、他に第百十五段があるが、これは小野陸奥流浪説話に影響を与えている。また定家本などの普通本では、この第二十五段と第百十五段しか小野の歌の利用はないが、異本系統の国立歴史民俗博物館本では、
◆むかしありけるいろこのみなりける女、あきがたになりにけるおとこのもとに、
     いまはとて我にしぐれのふりゆけばことの葉さへぞうつろひにける   (古今集・恋五・782・小野小町)
 かへりごと、
     ひとをおもふ心の花にあらばこそかぜのまにまにちりもみだれめ    (古今集・恋五・783小野貞樹)
※小野貞樹→小町の親戚・恋人関係
また宮内庁書陵部の阿波国文庫旧蔵本では、
◆むかし、いろこのみ、たえにし人のもとより、
     おもひつつぬればやひとのみえつらんゆめとしりせばさめざらましを   (古今集・恋二・552・小野小町)

【第二十六段】

むかし、をとこ、五条わたりなりける女をええずなりにけることとわびたりける、人の返ごとに、
     おもほえず袖にみなとのさわぐ哉
         もろこし舟のよりしばかりに
                             (五七)

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男は、五条付近に住んでいた女を自分のものに出来なかったよとつらがっていたのであるが、ある時届いたその女の歌に対する返事としてよんだ歌、
     思いもかけぬお便りを、あなたからいただき、涙が袖にあふれ、水門に浪が立ち騒いでいるようですよ。唐土の大きな船がやって来たほどに。

【語釈】

※五条わたりなりける女をえ得ずなりにけることとわびたりける人の返りごとに→句読点の打ち方によって解釈がさまざまに変わる。物語の主人公の男が、「五条わたりなりける女」を得ることのできなかった別の男の訴えに対して、返事によんだのだというような解釈もあったが、「五条わたりなりける女」と言えば、この物語においては、「昔、東(ひんがし)の五条に大后の宮おはしましける、西の対に住む人ありけり」(四段)や「東の五条わたりに、いとしのびて行きけり」(五段)と記されている女のことを言うとしか考えられない。その女を「う得ずなりにける」とは、六段の「えうまじかりける」「からうして盗み出で」たものの、女の兄によって、「とゞめてとりかへ」された物語の主人公の「男」を言うとしか考えられない。とすれば、「五条わたりなりける女をえ得ずなりにける」結果、「わびた(がっくりした、つらく思った)」のは、主人公の男(業平らしき人物)とするほかないし、物語文の文脈から見て、歌をよんだのも、「男」自身とするほかあるまい。とすれば、「五条わたりなりける女をえ得ずなりにけることとわびたりける人の」というように「人」を続けてしまうと、「昔、男」と主格提示しながら、「人の」と言い直すことになって続かなくなるばかりか、「返ごとに」が誰に対する返事かわからなくなる。このような考えから、「昔、男、五条わたりなりける女をえ得ずなりにけることとわびたりける、人の返ごとに」と句読点を打ち、「五条わたりの女を得ることができなかったことよと悲しがったその男が、ある人に対して返事によんだ歌」という試解をしたことがあったが(『校注古典叢書 伊勢物語』1971年3月初版、明治書院刊)、今では通説になっている。しかし、今の私は、自分の説にいささかの疑問を感ぜざるを得ないのである。その解釈では、「おもほえず」や「袖にみなとのさわぐかな」が大袈裟に過ぎ、空虚な表現と言う感じになるからである。「人の返ごと」は、その人、つまり「え得ずなった五条わたりの女」から、あきらめていたのに、思いもかけず届けられて来た歌に対する返歌として男が詠んだものではなかったか、そのように解すれば、初句に「おもほえず」し言い切った理由がよくわかるし、「袖にみなとのさわぐかな」も、「もろこし舟のよりしばかりに」も、大袈裟な表現ではあっても、納得されるのである。
※袖にみなとのさわぐかな→まったく予想もしないあなたのお慰めのお手紙をいただいたばかりに。「私の涙はあふれ出て、袖に湊が出来たように浪がさわいでいることですよ」と言っているのである。
※もろこし舟の寄りしばかりに→「唐土の大きな船が来たほどに大きな浪が湊に立った」と言っているりである。
※五条のわたりなりける女→二条の后。

【第二十七段】

 昔、をとこ、女のもとに、ひと夜いきて、又もいかずなりにければ、女の手あらふ所に、ぬきすをうちやりて、たらひのかげに見えむるを、みづから、
     我ばかり物思ふ人は又もあらじと
          おもへば水のしたりにも有りけり 
                       (五八)
とよむを、こざりけるをとこ、たちきゝて、
     みなくちに我や見ゆらんかはづさへ
          水のしたにてもろごゑになく 
                          (五九)

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男は、女のもとに一夜だけ行って、二度と行かなくなったので、女が手洗う所で、貫簀(ぬきす)を抛(ほう)り出して盥(たらい)に自分の影が映って見えるのを見て、その本人が独りごとのようによむ。
     わたくしほど恋の苦しみに悩む人はほかにあるまいと思っていると、なんとまぁ、水の下にもいたことでありますよ。
とよんだのを、来なかった当事者の男が立ち聞きしていて、
     水の下にもう一人いるとおっしゃいますが、それは、端の方に私が映っているのが見えているのでしょうか。あの蛙さえも、水の下で雌雄が声を合わせて鳴いているのですよ。私も恋に苦しんで、あなたと声を合わせて鳴いているのですよ。

【語釈】

※貫簀→手洗いの盥のふたの役割をしている簀。手を洗う時、水が飛び散るので半分蓋をしたままで洗うらしい。この場合は、男が来ないので、ヒステリックになって、そばに抛り出すように簀を置いたのであろう。
※盥の影に見えけるを→盥の水に女の影が見えたのを。
※みづから→映っている影の本人が。
※物思ふ→悩むことだが、恋の苦しみをいう場合が多い。「昔、男、人知れぬ物思ひけり。つれなき人のもとに」(五十七段)。

【第二十八段】

 昔、いろごのみなりける女いでていにければ、
      などてかくあふごかたみになりにけん 
          水もらさじとむすびしものを 
                             (六〇)

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男が、色好みであった女が家を出て行ったので、詠んだ歌、
      どうしてこのように、会う機会を求めるのが難しくなったのでしょう。水も漏らさない関係でいようと固く契りましたのに。

【語釈】

※昔、色好みなりける女、出でていにければ→「男」がないと歌の詠み手がなくなる。「男ありけり。その男…」が省略されているとして補って読むべきであろう。
※あふごかたみ→「会ふ期(ご)」と「仂(天秤棒」を「難(かた)み」と「籠(かたみ)」を掛ける。天秤棒を肩でかついで水を運ぶことが多いので「水」に続けたのであるが、「籠(かたみ)」に水を入れると漏るので、「あふごかたみとなりにけん」と言ったのである。
※むすびしものを→「契りを結(むす)ぶ」と「水を掬(むす)ぶ(手ですくうこと)」を掛ける。

【第二十九段】

 むかし、春宮の女御の御方の花の賀に、めしあげられたりけるに、
      花にあかぬなげきはいつもせしかども
          けふのこよひににる時はなし
                          (六一)

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男が東宮の母女御の御方で催された花の賀に、召人として参加した時に、よんだ歌、
      「花に飽きることがなく、もっと見ていたいのに……」と溜息をつくことは、いつもしていることですが、今日の、まさに今宵の気持ちに似た思いをした時はありませんでした。

【語釈】

※春宮の女御の御方の花の賀→「春宮の女御」は皇太子の母の女御。『古今集』の詞書に「二条の后の春宮の御息所ときこえる時…」(春上・八)「二条の后の春宮の女御と申しける時に…」(秋下・293)「二条の后、春宮の御息所と申しける時に…」(物名・445)「二条の后のまだ東宮の御息所と申しける時に…」(雑上・871)のように、二条の后を「東宮の女御」「春宮の御息所」と呼んでいる例は多く、最後の例は、古今集』に依拠して作られた『伊勢物語』第七十六段にもそのまま踏襲されているから、この段の「春宮の女御」も二条后を連想させるように書いたのであろう。「御方」は「高貴な女性のいる所」の意。「御」がついていない場合だが、「女方より、その海松(みる)を高坏(たかつき)に盛りて、柏をおほひて出だしたる」の「女方(おんなかた)」も同じく「女の所」の意である。
※花の賀→「賀」は四十歳から10年毎に年寿を祝う通過儀礼と解されるのが一般的。たとえば『源氏物語』の「紅葉の賀」は桐壺の帝が朱雀院に住む先帝の四十の賀か五十の賀を祝うために十月十余日に行幸したゆえにつけられた巻名。「花の賀」は桜が咲く頃に催された賀であろうが、二条の后が「春宮の(母)御息所」と呼ばれたのは、陽成天皇が立太子した貞観十一年(869)から受禅した同十八年(876)までの間で、二条の后の二十一歳から二十八歳の間となる。鎌倉時代の注釈書である『冷泉家流伊勢物語注』が二条の后の二十の賀とか三十の賀の時というような注を記しているが、算賀は四十賀から始まるので、こじつけである。この段は歴史的事実に基づいているのではなく、虚構と考えるべきであろう。二条后をイメージした賀宴の運営を一任されたのである。
※花にあかぬ嘆き→花に満足せずに、もっともっと見ていたいという嘆き。「嘆き」は「長息」の約と言われるように「ため息をつく」の意。
※春宮→春は東から来る。東宮=春宮(とうぐうと読む)

【第三十段】

 むかし、をとこ、はつかなりける女のもとに、
      あふことはたまのをばかりおもほえて  
          つらき心のながく見ゆらん 
                             (六二)

【通釈】

昔、男がいたのである。その男が、わずかな時しか会えなかった女のもとに贈った歌、
      お会いすることは、玉の緒のように短く思われますのに、貴女のつれないお心は、どうしてそんなに長く続くように見えるのでしょうか。

【語釈】

※はつかなりける→物の一端だけがちらりと見えるさま。「春日野の雪間を分けて生ひ出で来る草のはつかに見えし君はも」(古今集・恋一・忠岑)
※玉の緒ばかり→玉をつなぐ糸は目に触れる部分が短いので、短い物の喩えに用いられた。「死ぬる命生きもやすると試みに玉の緒ばかり逢はむと言はなむ」(古今集・恋二・藤原興風)
※つらき心→「つらし」は現代語と異なって「つれない」という意。
◆むかし、おとこ、きてかへるに、あきのよもむなしくおぼえければ、
      あきのよもなのみなりけりあふとあへばことぞともなくあけぬるものを(古今集・恋三・635・小野小町)
とあり、『古今集』の小町の歌を利用して章段が作られる場合が多かったことがわかる。

【第三十一段】

 昔、宮の内にて、あるごたちのつぼねのまへをわたりけるに、なにのあたにか思ひけん、「よしや、くさ葉にならんさが見む」といふ。をとこ、
     つみもなき人をうけへば忘草
        おのがうへにぞおふといふなる
                             (六三)
といふを、ねたむ女もありけり。

【通釈】

 昔、男がいた。その男がある御達(ごたち)の局(つぼね)の前を素通りした時に、この男を、何をもって讐仇(あたかたき)だと思ったのだろうか、「もうどうでもよい。あなたは、どうせ草のようなもの。すぐ枯れてしまいますよーすぐ離(か)れてしまいますよ。そのようになってゆく、つまり私から離れてゆくあなたの本性を、じっくり観察しようと思っています」と言う。それに対して、男は
     何の罪もない人を呪うと、草葉は草葉でも、忘れ草があなた御自身に生えるということですよ。あなた自身が忘れられるということですよ。
と言うのを聞いて、いまいましく思った女もいたということなのである。

【語釈】

※昔→「昔、男ありけり。その男」が省略されている。「その男」が「局の前をわた」ったのである。
※宮の内にて→后宮や東宮に仕えている御達と見れば、そこが「宮の内」と呼ばれてもよいが、男が闊歩しているのだから、皇居の中と見るのが自然であろう。
※御達の局の前をわたりけるに→「御達」は上級の女房のこと。第十九段参照。「局」は、宮中や貴顕の邸宅などで、更衣や上級の女房に与えられている個室。「前をわたりけるに」は、いわゆる「前渡り」。女の居処の前を素通りすること。
※何のあたにか思ひけん→「何の」はこの場合は、語り手の立場からの問責の気持ちをこめて疑問を呈した表現、「なんのつもりの」の意。「あた」は、「讐仇(あたかたき)」の意。またもう少し意訳して、「恨み」もしくは「恨みの種」となるものの意と解し得る。「形見こそ今はあたなれこれなくは忘るることもあらましものを」<あの人が残しておいた形見が今となっては恨みの種になっている>(一一九段)の「あた」も、同じ用法。
※よしや→間投詞的に用いられる副詞。「えい、ままよ」「もう、どうでもよい」というような意。
※草葉よならんさが見む→阿波国文庫旧蔵本、国立歴史民俗博物館本、伝民部卿局筆本などの異本系に限らず、真名本を含む別本や一部の定家本では「くさばのならんさがみむ」という形になっている。「草葉」は「草の葉」の意の歌語。『後撰集』の「秋萩を色どる風は吹きぬとも心はかれじ草葉ならねば」(秋上・224・在原業平)と同じく、「草葉が枯(か)る」と「男が女のもとを離(か)る」を掛けた表現。
※ならんさが見む→「ならんさが」は「そのようになるであろう本性」のこと。
※うけへば→動詞「うけふ」は、神と誓約して、その結果によって神意を判断するという意や、神に祈るという意が『古事記』や『萬葉集』の時代にはあったが、平安時代になると、神に祈って他に災いを与えようとする「呪う」という意で用いられるようになった。「『大将殿も、やむごとなくしも、思ひ聞こえ給はじ』など、怨じうけひけり。(『源氏物語』蓬生)、「いかで人笑へなるさまに見聞きなさむとうけひ給ふ人々も多く」(『源氏物語』藤袴)。これらも「人に呪いをかける」という意である。
※忘草→『伊勢物語』における「忘草」の例を見ると、「今はとて忘るる草の種をだに人の心にまかせずもがな」(二十一段)、「忘草植うとだに聞くものならば思ひけりとは知りもしなまし」(同)、「忘草生ふる野辺とは見るらめどこはしのぶなりのちもたのまむ」(百段)のように、いずれも「相手に自分が忘れられてしまう草」の意で用いられている。ここも、「罪もない私を呪うと、人に忘れられてしまうという草が自分の上にも生えるということですよ」という意である。
※ねたむ女もありけり→「この「ねたむ女」を「よしや、草葉よ、ならんさが見む」と言った女と同一人と見るか、傍にいた別の女と見るかによって説がある。「ねたむ女も」と「も」を使っていることを根拠にして、評判の男とこのようにやりとりする女を、別の女が嫉妬したと解する説の方が多いが、ここに第二の女が登場する必然性は弱い。段末に、全体を総括して、「このように、男をいまいましく思う女もいたのであるよ」と語り手の立場からコメントしたとも解し得る。「ねたむ」は、相手の優位性を認めて、「いまいましく思う」ということであるから、恨まれても、呪われても、しゃあしゃあとしている男を「いまいましく思った」と解する方がよいのではないかと思う。