伊勢物語…第三十二段〜第三十八段

【第三十二段】

 むかし、物いひける女に、年ごろありて、
     いにしへのしづのをだまきくりかへし
        むかしを今になすよしも哉
                     (六四)
といへりけど、なにともおもはずやありけん。

【通釈】

 昔、男がいた。その男が親しくなった女に、何年かたって、
     昔からある倭文(しつ)の緒手巻(をだまき)を繰り返し巻くように、昔を今に繰り返したいものであるよ。
と言ったのであるが、女は何とも思わなかったのであろうか、返事がなかったのであるよ。

※この段はプレイボーイの後日談である。

【語釈】

※物言ひける女に→「物言ふ」の「もの」は、本来「言う」内容を漠然とさせて「何かを言う」のであったが、ここで「男女が何らかの関係を持つ」という意で用いられててる。「いかで、この男に物言はむと思ひけり」(第四五段)と同じ。
※いにしへのしつのをだまき→「しつ」は「倭文」という字をあてる日本古来の織物を織るための糸。だから「いにしへの」という語から続いているのである。梶や麻などの緯(よこいと)を青や赤になどに染めて、乱れ模様を織り出す。『萬葉集』では、「倭文」(431・678・903・1809・2628・3286・4236)という表記のほか、4011に「之都」(しつ)とあるので、「つ」は清音であったらしいが、当該歌の類歌とも言うべき『古今集』雑上・888の「いにしへのしづのをだまきいやしきもよきもさかりはありしものなり」が、「しづ(賎)」と「いやし(卑し)を響かせていることを思うと、『古今集』の時代には「しづ」と濁音で発音していたのであろう。「をだまき」は、その「倭文(しつ)」を織るための績麻(うみを)を丸く巻いた巻子(へそ)のことである。「をだまき(苧環)むは本来「緒手巻」のはずだから、「をたまき」であったと→思われる。
※何とも思はずやありけん→何とも思わなかったのであろうか、返事はなかったのである。

【余説】

 『伊勢物語』の当該章段の歌が、右にあげた『古今集』の歌を改作したと説明されることが多いが、実は『伊勢物語』の歌の影響の方が強い。『東鑑』文治二年(1186)四月八日の条に、かの静御前が、鶴岡八幡宮で舞いながら歌ったとされる「しづやしづしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」(『義経記(ぎけいき)』巻六にも見える)も、『伊勢物語』の歌の影響下にある。なお、この「しづやしづ」の形は、藤原伊行(これゆき)の『源氏釈』に見える。
※東鑑→鎌倉幕府の正式の歴史を纏めたもの。

【第三十三段】

 むかし、をとこ、つのくに、むばらのこほりにかよひける女、「このたびいきては、又はこじ」とおもへるけしきなれば、をとこ、
     あしべよりみちくるしほのいやましに
        君に心を思ひます哉   
                      (六五)
返し、
     こもり江に思ふ心をいかでかは
         舟さすさをのさしてしるべき 
                   (六六)
ゐなか人の事にては、よしや、あしや。

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男が摂津の国莵原郡に通っていた女が、「今度都へ行くと、再び来ないだろうと、男のことを推察している様子なので、男がよんだ歌、
    出て行って二度と帰って来ないどころか、この葦辺を通って満ちて来る潮のように、ますます増さってくることですよ、あなたに対する思いが。
返歌、
    隠り江のように、人に気づかれないような所で、ひそかに思っている私の心を、舟に棹をさしておいでになるあなたが、どうして、それと指して知ることができるでしょうか。遠くからいらっしゃるあなたに私の気持ちがわかっていただけるはずはありません。
この返歌、田舎の女の歌としては、よいとお思いか、悪いとお思いか。

※この段は八十七段と関係している。八十七段を基にして作られた。後から加えられた段である。

【語釈】

※津の国むばらのこほり→摂津国兎原郡=第八十七段の「昔、男、津の国、むばらのこほり芦屋の里にしるよしして、行きて住みけり。」によって書かれたものであろう。第八十七段は『古今集』雑上(923)の業平の歌に依拠しているし、『業平集』諸本に採られている歌が中心をなしていて、この章段よりは明らかに古い。また、この段の末尾文「ゐなか人の言にては、よしや、あしや。」は、第八十七段の末尾文「ゐなか人の歌にては、あまれりや、たらずや」の影響なしには存在し得まい。「む」=「う」
※葦辺より満ち来る潮の→「より」は「……を通って」の意。葦の生えているあたりを通って満ちて来る潮。比喩の序詞として「いやましに」を修飾する役割を果たしているが、芦屋の邸宅から見える景をよんだ矚目の歌とも見られる。夕刻になると潮が徐々に満ちてくるのと同じように、私もあなたに対する思いがますます募ってくることです…と言っているのである。「このたび、いきては、又はこじ」と思っている様子である女に対して、「心配ないよ。あの葦辺を通って満ちてくる潮と同じように、あなたに対する思いはますますまさってきているのですよ」と言っているのである。「いや」は「ますます」の意。
※こもり江に思ふ心→「こもり江」は、萬葉歌語。『萬葉集』巻三・249の「三津の崎 波を恐(かしこ)み 隠江(こもりえ)の 舟公宣奴鳴尓」が唯一の例だが、下旬に脱落と誤写がありそうで、定訓を得ない。しかし、「波を恐み」とあるのだから、激しい波をのがれて、舟が入る入江が「隠江」であると考えられる。
※隠り江→葦が生えて表から見えない入江。
※舟さすさほの→「さして知るべき」を導く序詞。
※さして知るべき→「棹さす」の「さす」と「具体的に指摘して」という意の「さす」を掛ける。
※ゐなか人のことにては、よしや、あしや。→「こと」は「言」。「よしや、あしや」文章語ではない。語り手が聞き手に対して、「よい歌か」「下手な歌か」と問いかけている文体である。

【第三十四段】

 むかし、をとこ、つれなかりける人のもとに、
     いへばえにいはねばむねにさわがれて
        心ひとつになげくころ哉
                        (六七)
おもなくていへるなるべし。

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男は、自分につれない態度をとる女のもとに、次のようによんで贈った。
    素直な気持ちを言おうとすると、言い出せず、言わなければ胸の中で穏やかにおさまらず、結局、自分の心の中だけで溜息をついている今日こり頃でありますよ。
言い出せないなどと言うけれども、ずいぶん臆面もなく言ったようであるよ。

【語釈】

※つれなかりける人のもとに→「つれなかりける人」は「自分に反応を示さない人」。「昔、男、人知れぬ物思ひけり。つれなき人のもとに」(五十七段)のように「人知れぬ(相手に知られていない)物思い」している段階の「人」であるが、しかし、「昔、つれなき人を、いかでと思ひわたりければ、あはれとや思ひけん、『さらば、明日、物越しにても』と言へりけるを、限りなくうれしく、…」(九十段)のように、相手にされなくても、努力を続けていると場合によってはチャンスがあるとも考えられる状況での女である。
※いへばえに→「に」は、打消しの助動詞「ず」の連用形。未然形は「な」、連用形は「に」、連体形は「ぬ」、巳然形は「ね」と、ナ行に活用する。終止形は「ぬ」を用いず、「ず」で代用している。「え」は「え…(打消)」の「……」の部分が省かれた形である。補えば「言へばえ(言は)に」となろう。「言うとなると、言えず」という意である。
※心ひとつ→「をみなへし秋の野風にうちなびき心ひとつを誰に寄すらむ」(古今集・秋上・230)「伊勢の海に釣する海人のうけなれや心ひとつを定めかねつる」(古今集・恋一・509)のように、「一つしかない心」「ひとつしかない自分の心」の意。
※なげくころかな→「なげく」は本来「長息(なげき)」で「溜息をつく」の意。
※おもなくて言へるなるべし→「おもなし」には二つの意がある。一つは、「恥ずかしくて人に合わせる顔がない」「面目ない」の意。もう一つは「臆面もない」「鉄面皮だ」の意。ここは、前者の意で、「恥ずかしくて人に合わせる顔がないままに、このような歌をよんだのであろう」と同情したとも、後者の意で、「歌では、言い出せないなどと言っているが、ずいぶん臆面もなく言ったようであるよ」と皮肉ったとも解し得る。いずれにしても、語り手の立場から一言加えているのである。

【余説】

 まず「いへばえに」という表現は珍しい。『古今六帖』第四「うらみ」2098に「いへばえにいはねば苦し世の中をなげきてのみもつくすべきかな」とあり、同第六「蝶」4023にも「いへばえにいはねばさらにあやしくもかげなる色の蝶にもあるかな」とあるが、萬葉集時代と古今集時代を通じて、他には見られない表現である。『古今六帖』の2098の方は、「なげき」という語も共通していて、何らかの関係がありそうだが、このように珍しい歌語を、『伊勢物語』が何故用いたのか。「珍しい表現をした古歌を見つけると、早速に利用して新しい章段を作り合う。そのような場が『伊勢物語』の生成を支えていたのではないかと思ったりするのである。今後も考えるべき問題である。 
 もう一つの問題は、末尾の「おもなくて言へるなるべし」である。【解釈】に記したように、「おもなし」には、@「恥ずかしくて人に合わせる顔がない」「面目ない」の意と、A「臆面もない」「鉄面皮だ」の意があるが、『竹取物語』において、持って来た「仏の石鉢」が贋物であることを見破られて、かぐや姫に拒否されたにもかかわらず、再び歌を贈った石作りの皇子について、「かの鉢を捨てて、また言ひけるよりぞ、おもなきことをば「はぢを捨つ」とは言ひける」と記されている例などを見ると、『伊勢物語』のこの部分を、「言へばえに言はねば胸に騒がれて」とか「心ひとつになげくころかな」と表現したその歌を「臆面もなく」「鉄面皮に」相手に言ったようであるよ」と登場人物を揶揄していると見る方がおもしろい。
 しかし、その一方、『源氏物語』には「齢の積りには、おもなくこそなるわざなりけれ」(朝顔巻)「やつれを、おもなく御覧じとがめられぬべき」(橋姫巻)というように、「面目なく」「合わせる顔がなく」と訳すべき例があることを思えば、この段の「おもなくて言へるなるべし」も、「合わせる顔がなく」と訳すべき例があることを思えば、この段の「おもなくて言へるなるべし」も、「合わせる顔のないままで(この歌を)言ったようだ」「恥ずかしく思っているままで(この歌を)言ったようだ」と訳しても通じるのではないかと思う。

【第三十五段】

 むかし、心にもあらでたえたる人のもとに、
     玉のををあわをによりてむすべれば
        たえてののちもあはむとぞ思ふ 
                   (六八)

【通釈】

 昔、男がいた。その男が、そういうつもりではなかったのに、関係が切れてしまった人のもとに贈った歌、
     美しい緒を、ゆるく撚って結んだような二人の仲であるから、関係が切れてしまった後でも、またそれぞれの片緒を撚り合わせようと思いますよ。中途半端な状態で別れ、行くところまで行っていないから、お互い切れてしまった後にも、会えるだろうと思います。

※この段も後に加えられた。

【語釈】

※玉の緒→玉を通す緒のことだがここでは「緒」の美称としての歌語。
※あわを→底本には「あはを」とあるが、以下に示した例を参照すると、「あわを」であろう。
   1 春来れば滝の白糸いかなればむすべどもなほあわに見ゆらむ  (『貫之集』44…時文(息子)が作った)
   ※「むすべども」→「あわ」を結ぶ。
   2 青柳の糸はかげさへあわなれや水も解けて今はもゆらむ     (『朝忠集』46)
   3 山高み落ちくる滝の白糸はあわによりてぞ乱れそめける      (『重之集』37)
   ※「あわ」→「糸」の形容にも使われる。淡(あわ)→色が浅い。
   4 唐錦あわなる糸によりければ山水にこそ乱るべらなれ       (『恵慶集』117)
   ※「唐」→モミジの形容。
   5 あわなりし滝の白糸冬来れば解くべくもあらず氷むすべり     (『好忠集』340)
   ※「あわ」→「堅い」の反対。「結ぶ」の反対。
ここに示した五例を見ると、「あわ」は「緒」か「糸」の状態を言っているようであり、1の「あわに見ゆ」は「結ぶ」の反対、2と5は「あわ」は「解けている」状態を言うようである。また3と4は「あわ」だから「乱れる」と言っているのであり、「あわ」が「かっちりした状態」ではないことは確かである。だから、「あわ緒」は「固く撚ってないために、撚り合わせてある細糸と細糸が別れてしまったり、乱れてしまったりする糸や緒」のことと見るほかはない。
「あはを」→『万葉集』にある歌を『伊勢物語』が利用したので「あはを」は『伊勢物語』が最初に使ったと思われる。
※絶えてののちもあはむとぞ思ふ→離れてしまった片糸も、揃えて切断したら、ばらばらになってしまうが、また揃えて撚り合わせることができると言っているのである。要するに淡白なつき合いであったから、絶縁しても、元に戻りやすいと言っているのである。
『貫之集』『朝忠集』『重之集』『恵慶集』『好忠集』は「私家集」である。大正後期から「私」をつけた。原則として自分の歌集。古今集以降の歌集。

【第三十六段】

 昔、「わすれぬるなめり」と、とひごとしける女のもとに、
     谷せばみ峯まではへる玉かづら
        たえむと人にわがおもはなくに
                   (六九)

【通釈】

 昔、男がいた。その男が、「私のことは忘れてしまったようですね」と尋ねて来た女のもとに贈った歌、
     谷が狭いので峯まで這い上がっている蔓草のように、あなたとの関係は、どんなことがあっても、長く続けて、切ってしまおうなどとは思いもしませんよ。

※この段も後に加えられた。

【語釈】

※とひごとしける→「とひごと」は「名にしおはばいざこととはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」(第九段)の「こととふ」と同じ。「質問」。
※谷せばみみねまではへる玉葛→「玉葛」は、蔓草の総称。切れないで長く続くことを喩えた。谷が狭くて延びきれないので、上に延びて峯の辺まで続く蔓草のように。『萬葉集』以来の比喩表現。頭注にあげた『萬葉集』巻十四3507のほか、巻十一・2775の「山高み谷辺に延へる玉蔓高絶ゆる時なく見むよしもがな」、巻十二・3067の「谷狭み峯辺に延へる玉葛延へてしあらば年に来ずとも」などの例がある。
※絶えむと人にわが思はなくに→「玉葛」に続くので、「絶えむ」が前にあるが、「人に絶えむとわが思はなくに」とある方がわかりやすい。「あなたと切れてしまおうなどと私は思いもしませんよ」の意。

【余説】

異本系の阿波国文庫旧蔵本(蜂須賀家)の類をはじめ、国立歴史民俗博物館本(千葉県佐倉市)や伝民部卿局筆本(山形県酒田市本間家)、武者小路本、さらには歴博本巻末付載の小式部内侍本では、
        女、かへし、
      いつはりとおもふものからいまさらにたがまことをかわれはたのまん
を返歌として付加しているが、これは『古今集』恋四(713)のよみ人しらず歌を利用したものであり、「どうせ口先だけの偽りのお言葉だと思ってはいますが…、今となっては、あなただけでなく、どなたのお言葉も私は頼りにできないのです」の意である。 

【第三十七段】

 昔、をとこ、色このみなりける女にあへりけり。うしろめたくや思ひけん、
     我ならでしたひもとくなあさがほの
        ゆふかげまたぬ花にはありとも
                 (七〇)
返し、
     ふたりしてむすびしひもをひとりして
         あひ見るまではとかじとぞ思ふ
                (七一)

【通釈】

 昔、男がいた。その男は、色好みである女と夫婦の関係を持っていた。女の行動が不安に思ったのだろうか、このような歌をよんだ。
     私以外の人に下紐を解いてはいけないたとえ朝顔が夕べの光を待たずにしぼむ花であっても。
返し、
     あなたと二人で結んだ下紐を、次にあなたとお会いするまでは、私一人で解くまいと思っております。
     (※萬葉集を利用している。当時としてはかなりインテリである)

【語釈】

※色好みなる女→多情で浮気な女。『伊勢物語』の中では、他に「色好みなる女」(二十五段)「色好みと知る知る女をあひいへりけり」(四十二段)がある。
※あへりけり→九段の「修行者あひたり」のように、単に「出会う」という意で用いられることもあったが、第四十二段の場合と同様に、ひひは「男と女が関係を持つ」「夫婦になる」の意。「この世の人は、男は女にあふことをす。女は男にあふことをす」(竹取物語)の「あふ」と同じ。
※うしろめたくや思ひけん→「うしろめたし」は、「気がかりだ」「心配だ」の意。ここは第四十二段の「色好みと知る知る女をあひいへりけり。されど、にくくはたあらざりけり。しばしば行きけれど、なほうしろめたく、…」と同じく、「自分が傍にいない時の女の浮気が心配だ」という意。
※下紐解くな→「下紐解く」は、人から恋い慕われると、下裳・下袴などの表からは見えない紐が自然に解けるという俗語。なお、『萬葉集』の時代には、「シタビモ」と発音されていたらしい。
※あさがほ→『新撰字鏡』に「桔梗」を「阿佐加保」と読み、『名義抄』には、「槿(むくげ)」を「アサガホ」と読み、同じく『名義抄』に「牽牛子」を「アサガホ」と読んでいる。朝に咲いて夕方までにしぼむのは、桔梗や槿ではなく、「牽牛子」、すなわち今の「あさがほ」のことであろう。
※夕影待たぬ花→「夕影」は、夕方の太陽の光。「春の野に霞たなびきうらがなしこの暮影(ゆふかげ)に鶯鳴くも」(萬葉集・巻十九・4290)の例がある。
※名義抄→漢字の意味を探る為の字典。経典の意味を調べる為に僧が活用した。

【第三十八段】

 むかし、きのありつねがりいきたるに、ありきて、おそくきけるに、よみて、やりける。
     君により思ひならひぬ世の中の 
        人はこれをやこひといふらん
                    (七二)
返し、
     ならはねば世の人ごとになにをかも
         恋とはいふととひし我しも
                     (七三)

【通釈】

 昔、男があった。その男が、紀有常のもとに行った時、有常は外出していて、遅くなって帰って来たので、後になって、よんで贈った歌、
     おなたによって、このような思いになるのに慣れてしまったよ。世間の人は、このように苦しい思いで人を待つのを「恋」というのであろうか。今、やっとわかった思いであるよ。
返し、
     あなたのように慣れてはいませんので、いったい、世間の人の言葉では、何を「恋」というのだと、以前、あなたに質問したことのある私なのですよ。私によって「恋」の苦しさを知ったとおっしゃるのは、筋違いというほかありませんよ。

【語釈】

※紀有常がり→「がり」は「人」を表す名詞や代名詞につく接尾語。格助詞「へ」「に」などを伴わないで、「…の所へ」「…のもとへ」というように用いられる。「妹がりと馬に鞍置きて生駒山打ち越え来ればもみち散りつつ」(万葉集・巻十・2201)「露霜に衣手濡れて今だにも妹がりゆかな夜はふけぬとも」(万葉集・巻十・2257)のように『万葉集』から、親しい人のもとへ行く場合によく用いられていた。
「がり」→有常と親しい関係を表している。(十六段参照)
※ありきて→『竹取物語』の「難波より船に乗りて、海の中に出でて、…(中略)…ただむなしき風にまかせてありく」「海に漕ぎただよひありきて」のように、歩行することだけではなく、移動することをいう。
※おそく来けるに、よみて、やりける。→有常が現在出向いている女の家を探し求めて業平が歌を贈ったという説もあるが、「おそく来けるに」は、「有常が遅く帰って来た所に」の意となるから、主人公の男(業平)は、自宅に帰ってから、有常邸に歌を贈ったのであろう。おそらくは翌日になって贈ったのであろう。
※君により思ひならひぬ→主人公の男(業平)の歌である。あなた(有常)が私を待たせたことによって、このような「待つ苦しみ」に慣れてしまいましたよ。「あもひならふ」は、「慣れるように、自然に心に覚えること」こと。
※人はこれをや恋といふらむ→「恋」は、相手を恋い慕うことだが、男女の間のことを言うのが一般的である。ここは特に「待つ」苦しみを恋と言っているので、女の気持ちを意識してよんでいるのである。「世間の人の言葉では、このように人を待つつらさを「恋」というのだろうか」と言っているのである。
※ならはねば→「ならはねば」の本義は、「慣れていないので」「習熟していないので」ということである。「あなたと違って、私はそのような「恋」に慣れていないので」と軽く皮肉を言っているのである。
※世の人ごとに→「世間の人の言葉では」の意。「世の人毎に」と「世間の人の一人一人に」に解し得ないわけでもないが、世間の人一人一人に聞いて回るのはおかしいので、「世の人言に」、すなわち「世間の人の言葉では」と解した。
恋→目の前にいない人を恋い慕う事。