伊勢物語9…第四十三段〜第四十八段

第四十三段

 むかし、かやのみこと申すみこおはしましけり。そのみこ、女をおぼしめして、いとかしこうめぐみつかうたまひけるを、人なまめきてありけるを、我のみと思ひけるを、又、人きゝつけて、ふみやる。ほとゝぎすのかたをかきて、
    ほとゝぎすながなくさとのあまたあれば
     猶うとまれぬ思ふものから   
                  (七九)

いへりと。この女、けしきをとりて、
    名のみたつしでのたをさはけさぞなく 
     いほりあまたとうとまれぬれば   
                (八〇)

時はさ月になんありける。をとこ、返し、
    いほりおほきしでのたをさは猶たのむ
     わがすむさとにこゑしたえずは 
                  (八一)

【通釈】

 昔、賀陽の親王と申しあげる皇子がいらっしゃった。その皇子は、女を御寵愛になって、たいそう心をこめてかわいがって召し使っていらっしゃったが、ある人が懸想のそぶりを見せていたのであるが、その男は自分だけだと思っていたのであるが、また別の人がこの第二の男の懸想を聞きつけて手紙を送った。ほととぎすの形を絵に描いて、
    ほととぎすよ。お前が行って鳴く里がたくさんあるので、やはり自然に疎ましくなってしまうことであるよ。お前のことを思っているのだけれども。
と歌を書いた。この女は、男の機嫌をとって、
    何もないのに噂だけが立っている「しでの田長(たおさ)」は、今朝鳴いております。確かに私も泣いております。出かけて行く所が多いということで、あなたに嫌われましたので。
時は、まさに、ほととぎすにふさわしい五月なのであった。男が返歌をする。
    あなたは出かけて行く所が多いしでの田長のように、あちらの男、こちらの男に好意を示すけれど、それでも、私はやはりあてにしているよ。私が住んでいる所に来て、何か言ってくれるのであれば。

【語釈】

※かやのみこ→賀陽親王(かやうのみこ)「う」が省略。桓武天皇第七皇子。『三代実録』の貞観十三年(871)十月八日の条に「二品行大宰帥賀陽親王コウ云々。帝不視事三日(三日間は政治をしなかった)。桓武天皇第七子也」とある。貞観五年(863)正月に七十歳で官を辞そうとしたが許されなかったという記録があるから、没年の貞観十三年には七十八歳であった。とすれば、業平より三十一歳年長になる。
賀…昔は「賀」=か(清音が普通)。
※三代実録→漢文の記録。清和天皇・陽成天皇・光孝天皇の記録をまとめている。
※大宰帥→大宰府の長官。
※女をおぼしめして→「おぼしめす」は「思ふ」の最高敬語。
めぐみ使うたまひけるを→「召し人」「使ひ人」として情をかけていらっしゃる人を。「召し人」「使い人」は女房でありながら、主人から特別の寵愛を受けている女。
※人なまめきてありけるを→第一段の「いとなまめいたる女はらから」の「なまめいたる」は、「初々しい」とか「若々しく魅力的な」というような意に解し得るが、この段のように「なまめく」という動詞として使われている場合は、三九段の「とかくなまめくあいだに」が「あれこれと心を引きつけようとする間に」の意であるのと同じく、「心を引きつけようとする」という意である。
※我のみと思ひけるを→「なまめきてありける」人が「我のみ」と思ったのである。
※又、人聞きつけて→「又」とあるから、さらに別の人、つまり第三の男であろう。
※ほととぎす汝(な)が鳴く里のあまたあれば→「ほととぎす」は、あちらこちらにかよって行く男に喩えるのがふさわしく、女に対して「汝が鳴く里のあまたあれば」というような例は珍しい。前段と同じく、この女も「色好みの女」なのである。
※けしきをとりて→機嫌をとって。「この女けしきいとよし」(六三段)と同じ。
※ほととぎす→女に喩えている。
※しでのたおさ→ここでは「ほととぎす」の異名。『古今集』誹諧歌(1014)に見える藤原敏行の「いくばくの田を作ればかほととぎすしでのたをさを朝な朝な呼ぶ<どれほどの田を作っているからか、時鳥はしでのたをさを毎朝毎朝呼んでいるよ>」の場合は、「ほととぎす」が「しでのたをさ」を毎朝呼んでいると言っているのだから、「ほととぎす」と「しでのたをさ」は別物だということになるが、この段の二首を見ると、「ほととぎす」と「しでのたをさ」は同物異名とするほかない。
「しでのたをさ」は農業をしている人の神様。本来は「ほととぎす」が呼び寄せるもの。結果として「しでのたをさ」がほととぎすと誤解されるようになった。
※時は五月になんありける→「いつの間に五月来ぬらむあしひきの山ほととぎす今ぞ鳴くなる」(古今集・夏・140)のように「ほととぎす」は、五月(今の六月末から七月)の五月雨の頃、すなわち田植えの頃に来て鳴くものであったから、語り手の立場から解説を加えたのである。
※いほり多きしでのたをさはなほたのむ→第一の歌で「汝が鳴く里のあまたあればなほうとまれぬ思ふものから<お前が行って鳴く里がたくさんあるので、やはり自然に疎ましくなってしまうことだよ。思ってはいるのだけれども>」と言ったのを撤回して、「庵多きしでのたをさでも、やはり信じるよ。わが住む里に絶えず留まって鳴いてくれるのであれば…」と言っているのである。
※いほり→通ってきて夜をともに過す。

第四十四段

 むかし、あがたへゆく人に、むまのはなむけせむとて、よびて、うとき人にしあらざりければ、いへとうじ、さかづきさゝせて、女のさうぞくかづけんとす。あるじのおとこ、うたよみて、ものこしにゆひつけさす。
    いでてゆく君がためにとぬぎつれば
     我さへもなくなりぬべきかな 
                   (八二)
このうたは、あるがなかにおもしろければ、心とゞめてよます。はらにあぢはひて。

【通釈】

 昔、男がいた。その男が、地方官として赴任する人に、餞別の宴をしようということで、招いて、遠慮のあるような人でもなかったので、主婦が差配して盃をささせて、禄として女の装束を贈ろうとする。その時、主催者の男が、歌をよんで、それを書いたものを、今贈ろうとしている女の装束の裳の腰紐に結びつけさせる。その歌は、
    都を離れて遠くへ出て行くあなたのためにと思って、この裳を脱ぎましたので、旅立つあなただけでなく、裳を脱いだ私までが、喪(もーわざわい)がなくなってしまうようでありますよ。
 この歌は、その宴でよまれた歌の中で特に趣きがあったので、愛着の念をもって朗誦させる。腹に味わうように朗誦させたのである。

※この段は説明不足で難しい。
※男同士の友情を家族ぐるみで行った。
※旅へ出る人→紀有常

【語釈

※あがた→平安時代には、国司として赴任する任国の意で用いられた。『土佐日記』の「あがたの四年五年はてて」や「文屋康秀(六歌仙の一人)、三河の掾になりて、『あがた見には、え出で立たじや』と言ひやれりける返りごとによめる」(『古今集』雑下・938)などか参孝になる。
※掾→守ー輔ー掾 掾は現在の部課長クラス。
※むまのはなむけ→「目指す方へ馬の鼻先を向ける」というのが本来の意であるが、送別の宴のことを言っていた。「むまのはなむけせんとて人を待ちけるに」(四八段)「男『都へいなん』と言ふ。この女いとかなしうて、うまの
はなむけをだにせむとて」(一一五段)などの例がある。
※うとき人→関係が薄い人。
※いへとうじ→『日本霊異記(漢文で書かれている)』中では「家室」と書いて「家刀自」と読む。「一家の主婦」の意。「家とうじ持たらん者はなににかはすべき」(同)。なお、底本によれば、「いへとうじ」を主語として、「家刀自ガ侍女ヲ使ッテ旅ユク人ニ女ノ装束ヲ贈ッタ」と解するのが妥当だが、「に」が脱落したものとして「主人公ノ男ガ、家刀自ニ命ジテ旅ユク人ニ女ノ装束ヲ贈ッタ」とも解し得る。また非定家本系では、「いへとうじして」となっていて、同じく「主人公ノ男ガ、家刀自ニ命ジテ旅ユク人ニ女ノ装束ヲ贈ッタ」と解し得る文章になっている。
※女の装束かづけんとす→女の装束は、貨幣経済の発達していない当時、最高の贈り物であったので、男性に贈ってもおかしくはなかった。「かづけんとす」の「かづく」は、いただいた装束を肩や頭などの上半身にかけること。
※かづく→海の中に海人が潜ることを「かづく」という。水が上にかぶさる事も「かづく」。「か」は頭。上に何かを置く事を「かづく」という。
※裳の腰→「裳」は女が正装の時、表着や袿の上につけるスカート状のもの。「腰」はその左右に垂らす飾りの紐。
※出でてゆく君がためにとぬぎつれば→「女の装束」だから、家刀自の立場から、自分が着ていたものを脱いで贈るというポーズで詠まれているのである。
※我さへもなくなりぬべきかな→「も」は「裳」と「災い」の意の「喪」を掛ける。「腹にあぢはひて」は「腹に味わうように詠む」の意。

第四十五段

 むかし、をとこ有りけり。人のむすめのかしづく、「いかで、このをとこに物いはむ」と思ひけり。うちいでむことかたくやありけむ、物やみになりて、しぬべき時に、「かくこそ思ひしか」といひけるを、おや、きゝつけて、なくなくつげたりければ、まどひきたりけれど、しにければ、つれづれとこもりをりけり。時はみな月のつごもり、いとあつきころほひに、よひはあそびをりて、夜ふけて、やゝすゞしき風ふきけり。ほたる、たかくとびあがる。このをとこ、見ふせりて、
    ゆくほたる雲のうへまでいぬべくは
     秋風ふくとかりにつげこせ   
                  (八三)
    くれがたき夏のひぐらしながむれば
     そのこととなく物ぞかなしき 
                   (八四)

【通釈】

 昔、男がいたのである。大切に育てられたある親がかりの娘が、「何とかして、この主人公の男と交際したい」と思っていたのである。しかし、それを口にすることが難しかったのであろうか、恋患いになって、死にそうになった時に、「このように思っていたのだけれど…」と言ったのを、親が耳にして、この主人公の男に泣く泣く告げたので、男はわけがわからない状態でやって来たのだ、女は死んでしまったので、何をする気もなくなって、家の中にじっとこもっていたのであった。時は六月の月末、とても暑い時節で、宵は管絃などをして控えていて、夜がふけてから、少し涼しい風が吹いた、蛍が高く飛びあがる。この男は、臥せったままでそれを見て、
    すっと飛んでゆく蛍よ。お前が雲の上まで行くようなことになるならば、この地上では秋風が吹いているから早くおいでと、雁に知らせてほしいことですよ。
    暮れ難い夏の終日、じっと物思いにふけっていると、何が原因というわけでもなく、ものがなしく思われることでありますよ。

※この段はまだ見たことのない人への思い。一つの特色を現している。
  男の素直な愛情。打算のない愛情。情けの厚い主人公。

【語釈】

※人のむすめのかしづく→「人のむすめ」で一語。第四〇段の「人の子」が「親がかりの子」の意であったのと同じく、「人のむすめ」は「親がかりの娘」。<名詞+「の」+連体形」>の形で、<連体形+名詞>の場合と同じ。「白き鳥の嘴と脚と赤き鴫の大きさなる」(九段)や「あはじとも言はざりける女のさすがなりける」(二五段)などと同じ。「人が大切にしている娘」と訳してよい。かなりの身分の女性。
※いかで、この男に物言はむ→「物言ふ」(女が主語)は第三十二段参照。
※物病み→外に用例はないが、原因がはっきりしない病気ということである。「物」→恋わずらい。
※かくこそ思ひしか→このように(男のことを)思っていたのであるが、「こそ……しか」という形をとっているのは、「このように(男のことを)思っていたのであるが、その意を伝えられなかった」という気持ちを表す。侍女などに言ったのであろう。
※親聞きつけて→侍女などから聞いたのであろう。
※まどひ来たりけれど→「まどふ」は「心が混乱して」の意。第四十段参照。「周章狼狽てやって来たのであるが」。
※つれづれとこもりをりけり→「つれづれ」は「何も手がつかない」状態、汚に触れたので、出仕もできないのである。
※己(中)→(儒教的)親族が亡くなった場合亡くなった人と心を一つにして公の場に出ない。
※時はみな月のつごもり→太陰暦の六月末は太陽暦の八月上中旬にあたり、最も暑い時期である。
※宵はあそびをりて→「あそびをりて」は「管絃などをしながら控えている」という意。
※見ふせりて→臥した状態で見ているのである。
※雁に告げこせ→「こせ」は、「…してほしい」という意で萬葉集時代に用いられていた助動詞「こす」の命令形と言われるが、命令形の用例は他に見出せない。「雁に告げてほしいのです」。
※雁→人の魂の象徴。
 (床夜の雁→あの世から魂を運んで来る)。
※夏の日ぐらしながむれば→「ながむ」は物思いにふけってぼんやりしていること。
※そのこととなく物ぞかなしき→「何がどうだということでもなく、何となく悲しい」という意。「あのことそのことというわけではなく、何となく悲しい」と言っているのである。

【参孝】

伝民部卿局筆本では、この段は二つの章段になっている。
○昔、みやづかへしける男、すゞろなるけがらひにあひて、家にこもりいたりけり。時はみな月のつごもりなり。ゆふぐれに、風すゞしく吹。蛍などとびちがうをまぼりふせりて、
    ゆくほたる雲のうゑまでいぬべくは秋かぜふくとかりにつげこせ
○昔、すきものゝこゝばゑあり、あてやかなりける人のむすめのかしづくを、いかでものいはむとおもふ男ありけり。こゝろよはくいひいでんことやかたかりけん、ものやみになりてしぬべきとき、「かくこそおもひしか」といふに、をやきゝつけたりけり。まどひきたるほどに、しにゝければ、いゑにこもりて、つれづれとながめて、
    くれがたきなつのひぐらしながむればその事となくものぞかなしき
※民部卿局→藤原定家の娘と言われているけれどそうではない。事実ではないので「伝」をつけている。
※伝民部卿局筆本→鎌倉時代の写本。山形県・本間美術館所蔵。
※まぼり→「ま」=目(まなこ…目の中心、まつげ)
  窓(まど)→目で外を見る。語源。
※すきものゝこゝばゑあり→色好みの心が表面に現れる男。
※あてやかなりける人のむすめ→身分の高い上品な娘…と説明をしている。
※こゝろよはく→女気が弱く。

第四十六段

 むかし、をとこ、いとうるはしき友ありけり。かた時さらず、あひ思ひけるを、人のくにへいきけるを、いとあはれとおもひて、わかれにけり。月日へて、おこせたるふみに、「あさましくたいめんせで、月日のへにけること。わすれやし給ひにけんといたく思ひわびてなむ侍る。世の中の人の心は、めかるれば、わすれぬべき物にこそあめれ」といへりければ、よみてやる。
    めかるともおもほえなくにわすらるゝ 
     時しなければおもかげにたつ    
               (八五)    

※男同士の友情の段(主人公が愛が深い人だという事がわかる。)別れた人をずっと思っている。情の厚さでは四十五段と同じ。

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男にはたいそう敬愛している友がいたのである。ほんの少しの間も離れないで、互いに思い合っていたのであるが、その友は国司になって他国へ行ったのだが、男はたいそうしみじみとした気持ちで別れたのである。月日を経てから送って来た手紙に「あきれるほど、お会いできずに月日を経てしまったことよ。私のことなど、お忘れなさったのだろうかと、ひどくつらく思って過ごしているのでございます。この世の中の人の心というものは、顔を合わせなくなると、忘れてしまうに違いないものであるようですよ」と書いてあったので、返事を詠んで送る。
    顔を合わせなくなったとも思えませんのに…。なぜなら、忘れてしまう時なんてないので、あなたのお姿はいつも面影となって目の前に見えているのですよ。

【語釈

※いと→たいそう。
※うるはしき友→「うるはし」は、「仏のいとうるはしき心にて説き置き給へる御法も」(源氏物語・蛍)や「夜毎に十五日づつうるはしう通ひ住み給ひける」(源氏物語・匂宮)のように「完璧な」という意。容姿について言う場合にの「唐めいたるよそほいはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしをおぼし出づるに」(源氏物語・桐壷)のように「非のうちどころのない完璧さ」を言う。だから、この段の「うるはしき友」の場合も、「最高に親密な友人」ということであろう。
※人の国へ行きけるを→「人の国」は他国。地方官として赴任することを言う。
※あひ思ひけるを→互いに思い合っていたのに。
※あさましく→「以外に」「あきれるほどに」「思いもかけずに」の意。「取りがたき物を、かくあさましく持て来ることをねたく思ひ、」(竹取物語)
※対面せで→「いかで物越しに対面して」(第九十五段)のような例もあるが、本来は直接顔を合わせることを言った。
※めかるれば→「目離るれば」「直接顔を見なくなると」の意。「思へども身をし分けねば目かれせぬ雪の積もるぞ我が心なる」(八五段)
※目かるとも思ほえなくに→「なくに」は打ち消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」に接尾語「あく」がついて名詞化し、「事」の意となったもの。ここは、二句切れで「顔を合わせなくなったとも思われないことよ」と訳せばよい。
※おもかげに立つ→「おもかげに見ゆ」という本文もある。「おもかげに見ゆ」の場合は、「おもかげにのみいとど見えつつ」(二一段)、「我を恋ふらしおもかげに見ゆ」(六三段)のように他にも用例が見られるが、「おもかげに立つ」は、『伊勢物語』においてはここだけである。「このあかつきに、いみじく大きなる人魂のたちて、京ざまへなむ來ぬる。」(更科日記)と同じく、「たつ」は本来見えない物が見えることである。

【参孝】

伝民部卿局本がこの段がない。

第四十七段

 むかし、をとこ、ねんごろにいかでと思ふ女有りけり。されど、このをとこを、あだなりときゝて、つれなさのみまさりつゝいへる。
    おほぬさのひくてあまたになりぬれば
     思へどえこそたのまざりけれ    
                (八六)
返し、をとこ、
    おほぬさと名にこそたてれ流れても
     つひによるせはありといふ物を   
                (八七)   

※この段は男女の歌の贈答。

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男が心をこめて何とか我がものにしたいと思う女があったのである。しかし、その女は、この男を浮気だと聞いて、次第につれなさだけが勝ってゆく状態で言った歌、
    あなたは、あの大幣のように引く人が多くなってしまっていますので、私も思ってはいますけれども、一生を託す気持ちにはなれないのですよ。
返歌、男が、
    大幣というようなあだ名が私に立っておりますが、大幣ならば、川に流れても、最後には寄り着く瀬があるというのですが、私は寄り着く所がないのです。あなたがあまりにつれないので。

【語釈】

※ねんごろに→「いとねんごろに言ひける人」(二四段)、「いとねんごろにいたはりけり」(六九段)、「狩はねんごろにもせで」(八二段)のように、「心を込めて……する」の意。
※あだ→すぐ心が変る事。
※おほぬさ→六月晦日の大祓の時に用いる祓えの具。人々に撒かれる切麻に対して、大麻は切らないで長いままの幣をいう。祓えの終わった後、大麻は長く曳くようにかけられて穢をとることがわかる。
※夏祓→六月(八月)末に伝染病が流行るのを流す。夏越の祓(夏を越す祓)。京都では桂川、賀茂川で穢を落しお祓いをする。
※えこそたのまざりけれ→「え〜(打消)」の形。「こそ」があるから「ざりけれ」と己然形で結ぶ。「頼りにすることができないよ」の意。

第四十八段

 昔、をとこ有りけり。「むまのはなむけせん」とて、人をまちけるに、こざりければ、
    今ぞしるくるしき物と人またむ  
     さとをばかれずとふべかりけり 
                   (八八)

【通釈】

 昔、男がいたのである。その男が「餞別の宴をしよう」と思って、人を待っていたのに、来なかったので、
    人を待とうとすることが苦しいものであると、今、初めて知りました。女の所を途絶えずに訪ねてゆくべきであったと反省しておりますよ。

【語釈】

※むまのはなむけ→昔は行く人の方向に馬の鼻を向けて送る。平安時代には送別の宴会。
※今ぞ知る苦しきものと→倒置叙法。「苦しきものであると、今はじめて知った」という意。
※人待たむ里→「人を待つ里」ではない。「人」は主格で、「人が待っているであろう里」。この場合の「人」は「女」。「里」は女の居所(実家)。
※かれずとふべかりけり→「かる」は、空間的に、また心理的に離れてゆくこと。「あひ思はでかれぬる人をとどめかね」(第二十四段)。「宮仕へしける女の方に、ごたちなりける人をあひしりたりける。ほどもなくかれにけり」(第十九段)。