『百人一首』読解

※あしや文学同好会で受講した「百人一首」を纏めたものです。

※講師は片桐洋一先生(大阪女子大学名誉教授)です。

※新版 百人一首 (島津忠夫 訳注 角川ソフィア文庫)を参孝にしています。


 『百人一首』の成立

 ◇ 『明月記』文暦二年(1235)五月二十七日条、
    予、本自文字ヲ書ク事ヲ知不。嵯峨中院色紙形、
    故予可書由、彼入道懇切ナリ。極メテ見苦シキ事
    ト雖モ、ナマジニ筆ヲ染ム、古来ノ人ノ歌、各一首、
    天智天皇自以来、家隆・雅経ニ及ブ。
   
@天智天皇から始まることは今の『百人一首』も同じだが、家隆・雅経で終わるというのは、『百人一首』の後鳥羽院・ 順徳院の歌で終わっているのとは異なっている。しかし、この文暦二年当時、承久の乱で罪人となった後鳥羽院は 隠岐に、順徳院は佐渡に流されていた時代である。罪を得て流人となった天皇の歌を色紙にして目立つところに貼るはずがない。まして幕府の有力御家人であった宇都宮蓮生の山荘の障子にそれを貼るはずがない。『明月記』文 暦二年五月二十七日の条に見える百首の色紙は『百人一首』の色紙ではなく、おそらくは『百人秀歌』の色紙であったのではないか。

Aところで、問題の後鳥羽院・順徳院の歌の作者名は「後鳥羽院」「順徳院」となっているが、「顕徳院」「隠岐の院」 とよばれていたのに、「後鳥羽院」と呼ばれるようになったのは、定家が没した年の翌年の仁治三年(1242)のことであり、「佐渡の院」と呼ばれていた新院が「順徳院」と呼ばれるようになったのは、定家が没してから八年後の建長元年(1249)であるゆえに、建長元年以降に作者名のみが改められたというのが通説であるが、名前の表記がどうあろうと、罪人の歌を勅撰集から採歌するはずはない。この二首が勅撰集に入るのは、定家没後十年目の建長三年(1251)に、後鳥羽院の流れに立つ後嵯峨院に奏覧された『続後撰集』であったことを思うと、『百人一首』の完成は、おそらくその建長三年(1251)以降のこととすべきではないかと思われるのである。
  ということになれば、『百人一首』の撰者は定家ではあり得ない。証拠がないので、想像になってしまうが、為家の舅である宇都宮蓮生の依頼によって書き上げた嵯峨の中院山荘の障子和歌に、父定家が、おそらくは満ち足りぬものをもっていたと考えた為家(『続後撰集』の撰者でもあった)が、父の意向を忖度しながら、まとめ上げたのが『百人一首』ではなかったかと思うのである。

【参考文献】
 『百人一首研究集成』(2003年2月、和泉書院刊 一万五千円)

   『百人一首』略年表

  承久2年(1220)  藤原定家、後鳥羽院の勅勘を受ける
  承久3年(1221)  承久の乱。後鳥羽院隠岐へ、順徳院佐渡へ流刑。
  貞永元年(1232)  6月13日、定家に『新勅撰集』撰進の勅命下る。
               10月2日、定家、『新勅撰集』仮名序と目録奏覧。
  文暦元年(1234)  6月3日、『新勅撰集』(草稿本)仮奏覧。
               8月6日、定家、後堀河院の崩御に落胆して『新勅撰集』草稿本を自庭で焼却。
             その後、九条道家・教実の命により、草稿本から百余首を削除する精撰本作成の作業に入る。後鳥羽・順徳両院の歌もその時に削除か。
  文暦2年(1235)  3月12日、『新勅撰集』清書本完成
              5月27日、中院山荘色紙和歌(『百人秀歌』か)染筆。
  仁治2年(1241)  8月20日、藤原定家没。
  仁治3年(1242)  後鳥羽院と追号。
  建長元年(1249)  順徳院と追号。
  建長3年(1251)  10月27日、為家、後嵯峨院に『続勅撰集』を奏覧。
  建長5年(1253)  為家、父定家十三回忌に『二十八品併九品詩歌』を詠進。
  正嘉元年(1257)  9月15日、為家、宇都宮蓮生八十賀御屏風和歌詠進。

※時代順に並べてある。二首づつ並べる。
※『古今集』『後撰集』『拾遺集』から選んでいる。

hyakuninisyu1.htmlへのリンク…百人一首 1 (1〜2)      1…秋の田の    (天智天皇)
                                       2…春すぎて    (持統天皇)
hyakuninisyu2.htmlへのリンク…百人一首 2 (3〜8)      3…足引の     (柿本人丸)
                                       4…田子の浦に  (山辺赤人)
                                       5…おくやまに   (猿丸大夫)
                                       6…かさゝぎの   (中納言家持)
                                       7…天の原     (阿倍仲麿)
                                       8…我庵は     (喜撰法師)
hyakuninisyu3html.へのリンク…百人一首 3  (9〜14)      9…花のいろは  (小野小町)
                                       10…これやこの  (蝉丸)
                                       11…わたのはら八十嶋かけて(参議篁)
                                       12…あまつ風    (僧正遍昭)
                                       13…つくばねの   (陽成院)
                                       14…陸奥の     (河原左大臣)
hyakuninisyu4.htmlへのリンク…百人一首 4  (15〜20)     15君がため春の野に出て (光孝天皇)
                                       16立別れ       (中納言行平)
                                       17ちはやぶる    (在原業平朝臣)
                                       18…住の江の    (藤原敏行朝臣)
                                       19…難波がた    (伊勢)
                                       20…わびぬれば   (元良親王)
hyakuninisyu5.htmlへのリンク…百人一首 5 (21〜26)     21…今こむと    (素性法師)
                                       22…吹からに    (文屋康秀)
                                       23…月みれば   (大江千里)
                                       24…此たびは   (菅家)
                                       25…名にしおはゞ (三条右大臣)   
                                       26…をぐら山    (貞信公)
hyakuninisyu6.htmlへのリンク…百人一首 6 (27〜32)     27…みかのはら  (中納言兼輔)
                                       28…山里は     (源宗干朝臣)
                                       29… 心あてに   (凡河内躬恒)
                                       30…有明の     (壬生忠岑)
                                       31…朝朗有明の月と(坂上是則) 
                                       32…山川に     (春道列樹)
hyakuninisyu7.htmlへのリンク…百人一首 7 (33〜38)     33…久堅の     (紀 友則)
                                       34…誰をかも    (藤原興風)
                                       35…人はいさ    (紀 貫之)
                                       36…夏の夜は   (清原深養父)
                                       37…白露に     (文屋朝康)
                                       38…忘らるゝ    (右近)
hyakuninisyu8.htmlへのリンク…百人一首 8 (39〜44)    39…浅茅生の    (参議 等)
                                       40…しのぶれど   (平 兼盛)
                                       41…恋すてふ    (壬生忠見)
                                       42…契きな     (清原元輔)
                                       43…あひ見ての  (権中納言敦忠)
                                       44…逢事の     (中納言朝忠)
hyakuninisyu9.htmlへのリンク…百人一首 9 (45〜50)     45…哀とも     (謙徳公)
                                       46…由良のとを   (曾禰好忠)
                                       47…やへ葎     (恵慶法師)
                                       48…風をいたみ  (源 重之)
                                       49…みかきもり   (大中臣能宣)
                                       50…君がためおしからざりし  (藤原義孝)
hyakuninisyu10.htmlへのリンク…百人一首 10 (51〜56)   51…かくとだに  (藤原実方朝臣)
                                       52…明ぬれば  (藤原道信朝臣)
                                       53…歎つゝ    (右大将道綱母)
                                       54…わすれじの (儀同三司母)
                                       55…滝の糸は  (大納言公任)
                                       56…あらざらむ  (和泉式部)
hyakuninisyu11.htmlへのリンク…百人一首 11 (57〜62)   57…めぐり逢て  (紫式部)
                                       58…ありま山   (大弐三位)
                                       59…やすらはで (赤染衛門)
                                       60…大江山    (小式部内侍)
                                       61…いにしへの (伊勢大輔)
                                       62…よをこめて  (清少納言)
hyakuninisyu12.htmlへのリンク…百人一首 12 (63〜68)   63…今はたゞ   (左京大夫道雅)
                                       64…朝ぼらけ宇治のかはぎり  (権中納言定頼)
                                       65…恨みわび  (相模)
                                       66…諸共に    (大僧正行尊)
                                       67…春のよの  (周防内侍)
                                       68…心にも    (三条院)
hyakuninisyu13.htmlへのリンク…百人一首 13 (69〜75)   69…あらし吹   (能因法師)
                                       70…さびしさに  (良暹法師)
                                       71…夕されば   (大納言経信)
                                       72…音にきく   (祐子内親王家紀伊)
                                       73…高砂の    (前中納言匡房)
                                       74…うかりける  (源俊頼朝臣)
                                       75…契をきし   (藤原基俊)
hyakuninisyu14.htmlへのリンク…百人一首 14 (76〜80)   76…和田の原こぎ出てみれば 
                                                  (法性寺入道前関白太政大臣)
                                       77…瀬をはやみ  (崇徳院)
                                       78…淡路嶋     (源 兼昌)
                                       79…秋風に     (左京大夫顕輔)
                                       80…長からむ    (待賢門院堀河)
hyakuninisyu15.htmlへのリンク…百人一首 15 (81〜86)   81…郭公       (後徳大寺左大臣)
                                       82…思ひわび    (道因法師)
                                       83…世中よ     (皇太后宮大夫俊成)
                                       84…ながらへば   (藤原清輔朝臣)
                                       85…よもすがら   (俊恵法師)
                                       86…歎けとて    (西行法師)
hyakuninisyu16.htmlへのリンク…百人一首 16 (87〜92)   87…村雨の     (寂蓮法師)
                                       88…難波江の    (皇嘉門院別当)
                                       89…玉のをよ    (式子内親王)
                                       90…見せばやな  (殷富門院大輔)
                                       91…きりぎりす   (後京極摂政太政大臣)
                                       92…我袖は     (二条院讃岐)
hyakuninisyu17.htmlへのリンク…百人一首 17 (93〜98)   93…世中は     (鎌倉右大臣)
                                       94…みよしのゝ   (参議雅経)
                                       95…おほけなく   (前大僧正慈円)
                                       96…花さそふ    (入道前太政大臣)
                                       97…こぬ人を    (権中納言定家)
                                       98…風そよぐ    (従二位家隆)
hyakuninisyu18.htmlへのリンク…百人一首 18 (99〜100)   99…人もおし    (後鳥羽院)
                                      100…百敷や    (順徳院)